散文

地獄の言語学入門(14)

ここでひとつ似たような問題に取り組もう。

日本語のタイヤとダイヤの違いだ。この二つはいったいなにが違うのだろうか? 正解した人全員に、ダイヤが好きなだけ手に入る秘密の方法をプレゼントしよう。

どうかな? わかったかな?

硬さ? 素材? ちょっと違うな……そうそう! 「タ」と「ダ」が違うのだ。

では「タ」と「ダ」の違いは? 音声記号で書くと [t] と [d] で、両方とも歯茎破裂音だ。なにが違うというと、声帯の振動があるかないか。[t] は無声歯茎破裂音、[d] は有声歯茎破裂音だ。

つまり、「タ」と「ダ」、[t] と[d] の違いは無声か有声かなのだ。そして、この違いは重大だ。なぜなら日本語話者は声帯の震えによって、タイヤとダイヤを区別しているのだから。

有声・無声というこの区別は、日本語では大きな役割を担っている。金と銀([k/g])、パリとバリ([p/b])、麻と痣([s/z])などなど、無声・有声を入れ替えただけで意味が違ってしまう。

このように意味の違いを引き起こす特徴、この場合だと無声・有声という音声的特徴を弁別特徴と呼ぶ。そして、この弁別特徴によって話者の頭の中で区別される「音」が音素だ。すなわち、タイヤとダイヤの例からは /t/, /d/ の二種の音素が立てられることになる。

ここで獄中に戻ろう。私たちの政治犯がAグループとBグループの弁別特徴に気がつきえたのは、明らかに音韻論への深い理解があったからこそなのだ。そして、それはこの政治犯にとって幸いであった。なぜなら、声帯振動の有無はタイヤとダイヤを分けるにすぎないが、賄賂の有無は生死を分けるから。

しかし、ここでこの政治犯の前に別の看守が立ち塞がる。この看守は……たとえば中国人だ。

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苦い文学

左右と上下

柳家吉緑という三月に真打ちに真打昇進したばかりの若い落語家の方がいて、たまたまその人の落語を聞く機会があった。聞き手には、私を含め落語に疎い人もいたので最初は丁寧に落語の聞き方を説明してくれた。

落語で二人の登場人物が会話をしている場合、ひとりが話すときは顔を右に向け、もうひとりが話すときには顔を左に向ける。そうすることで、二人の語り分けをする決まりだということだ。もちろんこれは基礎の基礎で、さらに声色や言葉遣いなども大事に違いない。

昨日、神田伯山の講談を聞きに行って、会話の切り替えには、この左右型だけでなく、上下型もあることを知った。それは次のようなものだ。

たとえば悪党が善良な男を脅していて、善人は怯えて「申し訳ありません」と謝って逃げようとする。だが、悪党はそれに対して「お前はそれで逃げられると思っているのか」と脅すのだ。

こういった場面で、語り手はまず善人のセリフ「申し訳ありません」を、怯えた様子で言いながら顔を伏せる。「申し訳ありません」は末尾の方では弱々しく(たとえば「ヒエエ……」というように)かすれて聞こえる。しかし、このかすれた声が一瞬の沈黙ののち、ドスのきいた「フフフ……」となる。するとそれに続いて、凄みを帯びた声で、セリフ「お前はそれで逃げられると思っているのか」が伏せた顔から出る。こう言いながら、語り手はゆっくり顔を上げる。その顔は先の善良な男ではなく、もはや悪党の太々しい顔だ。

つまり、顔を下に伏せることで、二人の人物の会話を切り替えたというわけだ。この上下型は、悪党が凄みのある言葉や悪い決心を告げるときに劇的な効果をもたらすようで、昨日の講談は悪党ばかり出てきたから、非常に印象に残った。もちろん神田伯山の芸が巧みであったためで、その悪い顔をたくさん拝見することができた。

左右型・上下型というのは私が勝手に呼んでいるだけで、専門的な用語があるはずだ。そういったことを含めて、私はなにも知らないが、それでも、講談なり落語なりを楽しむことができるというのは、ありがたいことといえるだろう。

小説

道を渡りし者(2)

その恰幅のいい男は、私を無理やり人垣からひっぱり出すと、そのままどこかに連れて行こうとするのだった。

「さあ、早く行きましょう!」

私は腕を掴んだ男の手を振り払おうとしたが、彼はいっかな離さなかった。

「こっちです!」

「いったいどこに行こうというのです。私は駅に行かなくてはならないのです」

時計を見ると午後3時まであと少しだ。だが、男は「見てください」と、後からついてくる人々を目で示した。いつの間にか増えたようで、人々は私を指差しながら、「奇跡だ!」「神業だ!」「魔法だ!」と口々に叫んでいるのだった。

「もうこうなったら無理でしょう。しばらく私の家で待つしかありません」

「しばらくって!」

「町の人々が落ち着くまでです。大丈夫、今日中に電車に乗れますよ。あんがい忘れっぽいんですから。ただ、今、ひとりで駅に行こうとするのだけはやめてください。危険ですよ」

「危険だなんて! いったいどういう危険が?」

私は尋ねたが、男はそれきり口をつぐんでしまい、ただ私の腕を掴んだまま、群衆から逃げるように歩いていくのだった。

苦い文学

未来における身長差

不慮の事故により遠い未来へとリープした私は、自分の時代に帰る手立てを求めて未来世界をさまよっていた。

北方の険しい山岳地帯を旅するなか、私は一群の巨人たちに遭遇した。これらの巨人は通常の人間ならば動かせもしないような巨大な石材や木材を苦悶の表情を浮かべながら運搬していた。まるで肉でできたブルドーザーのようだった。

私はこの異様な光景に心奪われ、これらの巨人たちの後を追うことにした。巨人たちは苦しみに喘ぎながら山を登り、ある地点で積荷を地面に下ろした。どうやら休憩のようだった。彼らは腰の袋から粗末な食物を取り出し、むしゃむしゃと食べ始めた。

私は巨人の一人に尋ねた。

「あなたたちはどうしてこのような骨の折れる仕事をしているのでしょうか」

「私たちはご主人様のために建材を運んでいるのです」

「ご主人様というと?」

「私たちの所有者です。ご主人様たちは私たちを奴隷と呼んでいます」

私はあきれた。「あなたがたのような立派で強靭な肉体を持つ人々が、奴隷の地位に甘んじているとは、いったいどういうことでしょうか」

巨人は悲しそうに首を振った。

そのとき、怒鳴り声が聞こえた。「お前たちなにをしている! チビどもめ! こんなところでサボりおって、目を離すとすぐにこれだ! このチビどもめ!」

目を向けると、髭を生やした小男が、杖を振り回しながら、喚いているのだった。

巨人たちはただちに立ち上がり、建材の運搬に取り掛かった。小男が巨人たちを杖でせっつくと再び隊列は動き出し、山の上に消えていった。

私は小男に近づいた。「あの巨人たちの所有者の方ですか?」

小男は鼻を鳴らした。「いかにも」

「先ほどからあなたの様子を拝見しておりましたが、あなたがあの巨人たちを『チビ』と呼んでいるのはどうしてでしょうか」

「それは昔からそう決まっているのだ」

「昔からというと?」

「大昔、私たちの国で、身長 170 センチ以下には人権がないという掟が定められたのだ。そこで、身長 170 センチ以下の人々は人権を奪われ、私たちの先祖の奴隷となったのだ。しかし、厳しい労働が原因となったものであろうか、あれら『チビ』どもはぐんぐんと大きくなり、今ではあのような巨人となったのだ。だが、我々は昔からの名残で彼らを『チビ』と呼んでいるのだ」

私は小男を見た。彼は私よりも小さく、どう見ても 170 センチはなかった。「では、今のあなたには人権はあるのでしょうか」

男は「掟ができたときにご先祖様が身長 170 以上であったことは少なくとも確かだ」と胸を張った。

これを聞くと私はあわてて逃げ出した。自分の時代に帰る前に、170 センチに足りないせいで奴隷にされてはかなわない。

苦い文学

細胞は希望

異常な老人たちの異常な言動を目撃した私は、さらに異常な話を聞くことになったのだった。

「老害どもには絶対席を譲るものか」とがなりたてる老人に、ツレの老人がこう反論したのである。

「まあ、そりゃあわかるが、老人笑うな、行く道だから、とも言うぜ。俺達もいつか年をとって、同じようになるんだからさ」

するともう一人の老人がこう言い返した。「いや、俺はそんな間抜けな道は通らねえ。通るわけがねえ」

「どういうことよ?」

「てのもな、俺達が年をとる頃には、そんな道はすっかり封鎖されて、もう別の道ができるってことさ。前の道が、舗装もされてない泥道だとしたら、新しい道は、最新の高速道路だ!」

「いや、まだわかんないんだが」

「お前、ips細胞って知ってるか。この細胞はな、何でも元通りに再生してくれる頼もしい細胞で、俺は数ある細胞の中でこいつを一番贔屓にしてるんだ。こいつがあれば、弱った足腰も、たちまち十代のころのピンピンビンビンを取り戻すというんだからな」

「で、そいつは、どこで売ってんのか」

「いや、残念ながら、実用化の手前というところで、山中伸弥先生という偉い先生が、俺達のために夜の目も寝ずにがんばってくれてる。ま、そのおかげで、俺達はこうしてうまい酒が飲めるってわけだがな。まあ、なんにせよ、俺達が年寄りになる頃には(いや、もう明日にでも実用化されるかもしれん!)、俺達は、物欲しげなツラで座席の前に立ったり、車両のささいな揺れによたよたしたりして、老醜をさらすという恐れはもうまったくないと言いきれるのだ」

「なるほど、それは大した高速道路だ」

「いや、それどころか、ips細胞により俺達は、筋力、感受性、思考力などあらゆる点で強靭化・先鋭化された強化人間として生まれ変わる可能性だってある。そうなれば、もう車なんか要りはしない、俺達自身が高速道路を猛スピードで往来することになるのだ!」

この言葉は聞き手の老人に大いなる歓喜を与えたようだった。老人はしわくちゃの手を打ち鳴らして叫んだ。

「いやもう年をとるのが待ちきれんて!」

「そうだ! 山中先生に乾杯だ!」

この驚くべき話を聞いた私も、こっそりと山中先生のために乾杯をしたのだった。

旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(8)

 さて、後に、アラカン人(ラカイン人)の若者から、彼の出身地であるアラカン州(ラカイン州)について聞くことができた。それについて若干記して、終わりとしよう。

 まず、アラカン人について簡単に記すと、アラカン民族はビルマ民族とは異なる民族であり、かつては独自の王国を持っていたこともある。王国滅亡後はビルマ民族の支配下に入ったが、ビルマ独立後の連邦制でも不平等な地位を押し付けられていたため、民族の平等を求めて長い間、闘争を続けている。

 アラカン人の言語は、ビルマ語と近い。だからといって、非常に近いとは言えないようだ。私はこの点について彼に聞いたら、彼自身はビルマ語は学校で読み書きは習ったが、上手には話せないとのことだった。日本に来るにはヤンゴンにしばらく滞在する必要があるが、そこでも言葉の問題で苦労したようだった。

 また、彼はアラカン州でも州都シットウェではなく、ベンガル湾のラムリー島のチャウッピュー(Kyaukpyu)の出身で、そこの言葉は、シットウェの言葉ともまた少し違うそうだ。

 さて、このラムリー島について書かれたサイトを見ると、こんなふうに書かれている。

「第二次世界大戦中にイギリスと日本がラムリー島をめぐって争ったのは有名である。近年では、インド洋と中国を結ぶパイプラインと鉄道、深海港が設けられている」

 前者についてはいうまでもなく、我々は追い出された。後者は天然ガスのパイプラインで、その開発が環境破壊と人権侵害、資源の収奪の原因となっているとして、かねてから多くのアラカン民族が抗議している。ビルマ政府はこれら反対派からパイプラインを保護するためにビルマ軍を派遣しており、これがさらなる紛争と人権侵害を生み出している。

 中国との関係でいえば、ラムリー島は当然ながら漁業が主産業だが、中国船による乱獲によっても被害を受けているという。

 彼はまた、ラムリー島の隣にあるチェドバ島(マナウン島)と呼ばれる島についても教えてくれた。ここの住民の方言は、ラムリー島のアラカン語とはまた異なり、彼自身も理解するのに少々苦労するという。

 この島には、特筆すべきことが一つある。それは、美男美女の産地として有名であることだ。一名、美人島(min ma hla kyun)と呼ばれている。真偽の程は定かではないが、かつてポルトガル人が居住していたことに関係している、という説が唱えられている。

 私は美人にはまったく興味はないが、コロナが終わったらすぐ行くつもりだ。

アラカンの舞踊(2019年9月8日、新宿区で開かれたアラカン民族の式典で)