散文

普遍人間発生装置(3)

次のような文も私にとっては悩みの種だ。

「どうしようもないわ」

「わ」は、女性言葉の「わ」と、男性が呆れて「どうしようもない」というときの「わ」のどちらにも解釈できる。いずれにせよ、文字だけではわからない。

このように書き言葉は、話し言葉を完全には写しとることができない。だが、そのかわり、言葉そのもので補うことができる。例えば、形容詞や副詞、動詞などで描写することがそれだ。

高い声で話した。
キッパリ言った。
ボソボソとつぶやいた
黙った。

また、先ほどの「しないわ」の場合では、「彼は言った」とか「彼女は困惑した」のような説明を加えれば、解釈に困らない。イントネーションもまた「!」や「?」を使わずとも、「と驚いた」とか「と尋ねた」とかの補足があれば問題はない。さらにイントネーションや声の質、強さなどで表される微妙なニュアンスも、副詞や文末表現の使用によって、ある程度は伝達可能だ。

おそらく〜と思われる
〜かもしれない
きっと〜はずだ

こうした補助的手段を活用することで、元来はイントネーションなどを表すことができなかった書き言葉が、イントネーションから独立した文体を獲得していく。

さらに、話し言葉にはもっと複雑な情報が含まれている。誰が、どこで、どういう状況で、なにを前提にその言葉を言ったかという情報だ。相手が目の前にいて、状況を共有していれば言わずもがなのこうした情報が、文の理解に不可欠なこともある。そうした場合、書き言葉ではこうした情報を明示するための説明が増えていく。

これらの説明こそが、やがて書き言葉を話し言葉とは別の道を歩ませることになる。

音楽

Pami

Pami は、タイの女性ミュージシャンで、しばらく前からよく聞いている。韓国のシティポップの影響が強く感じられる音楽だ。Pami の MV もよい出来で、YouTube で見てからというもの、タイのアーティストがおすすめされるのでいくつか聞いたが、Olin MattiBlue など洗練されている音楽が多い。

私はタイの音楽というと、昔、バンコクと地方を夜行バスで何度か行き来したときに大音量で流れていた演歌みたいなメロディしか知らなかったが、時代は大きく変わったのだ、

Pami は中華系のタイ人で、Pam という名前でアイドルとして、また徐嘉琳という名前でアイドル・グループで活動していた。その後、自ら作詞作曲をする活動を始めたようだ。タイ語も中国語もできるが、英語で歌っている。

「pity dirty」という曲の MV が現在 225 万再生とヒットし、私もそうだが、これで彼女を知った日本人も多い。先日新しいアルバムを出しこともあり、日本でも確実にファンを増やしつつあるようだ。

1度、日本でライブをしたこともあるそうだが、本格的な公演はまだのようだ。近いうちに必ず来日公演があると思う。

ところで、私の好きな Homecomings が 10 月にバンコクでライブをする。もちろん行けるわけはないのだが、告知を見ていて、ゲストがこの Pami であることを知った。

それ以来、私は歯ぎしりをして過ごしている。

(写真は去年の2月、バンコク発の高速バスの休憩所で撮ったもの)

苦い文学

エモ写真

私は写真をよく撮るが、どうもあまり上手くない。その点、私の知り合いのある女性は何気ない写真でもよいものを撮る。構図なのかピントなのかわからないが、見る人みな彼女の写真を見ると「エモい」とか「エモっ」とかいうのだ。

ただの道路でも彼女の手にかかれば、胸をしめつけられるような郷愁にあふれた風景となる。彼女が若者を撮りでもしたらもう大変だ。私たちは二度と帰らぬ日々を思って涙を流さずにはいられないのだ。

彼女は写真の撮り方についてどこかで勉強したわけではないけれど、写真のエモさに関しては一流といって良かった。そんなわけで、私たちは彼女のことを「エモやん」と呼ぶようになった。そして、これが間違いのもとだったのだ。

いま、彼女はエモ写真家として活動をしている。インスタでいくどもバズり、フォロワーもぐんと増えた。「案件」とやらで忙しいのか、それともほかに理由があるのか、私たちとも疎遠になった。エモ写真の腕を鼻にかけて、あちこちでトラブルを起こしている、という噂も耳にした。

なんでも、口髭を蓄えているそうだ。口を開けば「ベンチがアホやから写真がとれへん」と文句だそうだ。

風刺・戯文

エスカレーターの静止する日

「これは世界的にも珍しい事態です。世界中の研究者がいま日本のエスカレーターに注目しています」と語るのはアメリカのエスカレーター学者、トーマス・リフト氏だ。

「これまで世界にはエスカレーターが動いている国と静止したままの国の2種類しかなかったのです。そこにいきなり日本が登場しました」

リフト氏によれば、日本では、エスカレーターが動いてはいるものの、やけにゆっくりになりつつあるのだという。「研究者は非常にエキサイトしましたよ。エスカレーターが動いている国と静止したままの国の中間の状態がいま、日本で観察できるのですから」 リフト氏は現在、国際研究チームの一員として日本に滞在中だ。

リフト氏が現在想定しているのは、日本がこのままエスカレーターが静止したままの国へと移行するシナリオだ。

「このままいけば日本中のエスカレーターは速度を減じていくはずです。そして、ひとつまたひとつと静止し、ついには日本ではエスカレーターは一機も動かなくなるでしょう」

日本にエスカレーターの静止する日が来るという、なんともショッキングな予測だ。こう驚くと、リフト氏は最新の研究を紹介してくれた。

「じつは最近になってもうひとつ別のシナリオが提出されたのです。日本のエスカレーターはやはり全国的に静止に向かっていくのですが、あるレベルに達すると、逆向きのエネルギーが発生する可能性が高いのです。そうなるとエスカレーターの速度は増加し、近い将来、日本中のエスカレーターは狂ったように暴走をはじめるはずです」

もっとも、リフト氏は科学の限界を認めるのにやぶさかではない。「どちらのシナリオが実現するかを予測することは現時点では不可能です」 こういうとリフト氏はつけ加えた。

「ただどちらにしても日本人は階段を使うようになるでしょうね」

苦い文学

電車の読書

昔は電車の中の暇つぶしといえば、本を読む以外になかった。

たいていの人は、電車に乗るやいないや、文庫や単行本をカバンから取り出して、読み耽ったものだった。そして、いつも乗り過ごしたものだった。

しかし、現在では読書する人などいない。電車の中では携帯を見ている人ばかりだ。ネットや動画・ゲームが時間潰しに最適だということが、今世紀になって発見されたのだ。

もっとも読書が完全に追いやられたわけではない。まれに本を広げている人がいる。これらの人は2種類に分けられる。

ひとつは、資格試験の教科書や自己啓発書・ビジネス書を読んでいる人たちだ。どの本もキラキラピカピカしている。出たてホヤホヤの新刊だ。電車の中でこうした本を読んでいるのは若い人たちにかぎられる。より良い明日を目指して研鑽している人々だ。

もうひとつは小説を読んでいる人たちだ。これらは100人中100人が老人だ。しかも読んでいる本の紙質はきまって褐色で、ページを繰っただけで粉々になりそう。さもなければ紙魚がわんさと住み着いていて、その乗車賃まで払わされかねないほど。それくらい大昔に出版された小説だ(ひどいのになると、奥付けにハンコまで押してある)。老人たちはどういうわけかこうした古書に夢中なのだ。たぶん新刊書より軽いからかもしれない。

さて、私はといえば、電車で読むのはもっぱら小説(しかも古書)だ。だが、老人しか小説を読んでいないということに気づいてからは、ビジネス書や自己啓発書を買い、そのカバーを小説につけかえて読んでいる。

苦い文学

不適切な首相

フィンランドのマリン首相(36)が首相公邸でパーティーを開催し、その際の写真がソーシャルメディアに出回り、大きな騒ぎとなっている。

これ以外にも、別のパーティの写真が流出したり、マリン首相に対する薬物使用疑惑が持ち上がったりもしている(その後、マリン首相は薬物検査を受け陰性だと証明された)。

マリン首相はこれら一連の騒動について、不適切であったと謝罪をしたと伝えられる。

この対応は世界で賛否を引き起こした。首相のような責任ある地位にある者がすることとしては不適切であると考えるものもいるし、30代の女性ならば誰でもしうることなのでめくじらを立てるべきではないというものもいる。

いずれにせよ、30代の女性が首相になること自体が不適切な我が国では、こうしたことは起こりえないので実に安心だ。この国で、ひとつだけでも安心できることがあるというのは、国民として大いに喜ぶべきではないだろうか。