また、アクセントだけでなくイントネーションも表記することはできない。「来る」にも、いくつものイントネーションがあり、それによって意味が変わってくる。なにかが来るのを見て言う「来る」も言い方によって、来るものが危険なもの、痛み、意外なものなどに変わる。「来ないほうがいいよと言っているのにそれでも来たいのか」という呆れた「来る」もあれば、「来ないでと願っていたが結局、来てしまうのか」という諦めの「来る」もある。もちろん、疑問や誘いの「来る」にもいろいろあるだろう。これらのニュアンスを表すためにいくつかの補助的記号が発達している。次のようなものだ。
「来る。」
「来る!」
「来る?」
「来る……」
「来る……?」
「来るー」
「来る〜」
いろいろあるが、どれも具体的なイントネーションを伝えるわけではない。イントネーションや発音の記号に見えるが、実際には言葉の解釈を指示する記号としての役割のほうが強い。その意味では、むしろ「(笑)」や「www」といったものの仲間だし、さらにいえば顔文字やスタンプの使用にも関係している。
アクセントやイントネーションのほかに、文字にするとなくなってしまうものはたくさんある。声の質、高さや強さ、速さや間の取り方などがそれだ。これらは文字を太くしたり、フォントを変えたり、サイズを大きくしたり、下線を引いたりして、なんとなくは指示することはできる。スタンプは表情や身振りを書き言葉で指定しようとする努力のひとつであるが、これも記号に過ぎない。また、距離や息遣いなどはそもそも無理なようだ。しかし、いずれにせよ、こうした手段を使えば使うほど、一般的な書き言葉のイメージから外れていくことは確かだ。