散文

笑い話の解説(2)

笑い話のための解説を書くと言ったが、実のところそれすらも不可能のように思われてきた。翻訳は原理的に不可能だというが、それと同じだ。しかし、私は特殊な人間ではない。私がわかることは、誰でもわかることだ。なので、完全な解説は不可能であるにしても、私がわかった程度には解説できる。

まず、チュニジアの言語状況だ。チュニジアではアラビア語が使われている。だが、アラビア語といっても、いろいろある。チュニジアの人々が普段使っているのは、一般にアラビア語の方言と呼ばれている言葉だ。いっぽう、標準アラビア語も使われている。これは一般的な書き言葉として使用されている。また、政治や宗教、メディアなどでは話し言葉としても用いられている。

標準アラビア語は、コーランの時代から受け継がれてきた言語で、いわば古典語だ。日本語でも話し言葉と書き言葉の違いはあるが、その差はそれほど大きくはない。標準アラビア語と方言の関係は、日本語に当てはめるならば、江戸時代の候文と現代の話し言葉の関係に似ている。日本語を話せるからといって、候文をすらすら読んだり書いたりはできないように、アラビア語方言を話せるからといって、標準アラビア語の読み書きが簡単だとはかぎらない。だから、ちょうど日本の子どもたちが学校で古典や漢文を学ぶように、チュニジアの子どもたちは、小学校から標準アラビア語を学ぶ。

ただし、日本では平安時代の言葉や漢文読み下し文で話している人はいない。いや、いるかもしれないが、あまり近寄りたくはない。しかし、標準アラビア語は違う。チュニジアでは、ニュースでは標準アラビア語で話しているし、新聞も出版物も標準アラビア語で書かれている。しかし、普通のチュニジア人が街角や家庭で標準アラビア語で会話をすることはまずない。日常会話は方言でないとおかしい。

こんなふうに、ある社会で二つの言葉が使われ、それぞれの使用場面がはっきり分かれている状況を、ダイグロシアと呼ぶ。笑い話の解説の最初のポイントが、このダイグロシアだ。ただ、この用語自体は、笑いの妨げになるので、すぐに忘れていい。

旅・観察

カレン人の教会(2)

私はカレン人との付き合いが長いので、教会の礼拝にも何度もいったことがある。もちろん、ビルマ語かカレン語なので何を言っているかわからず、たいてい昼ご飯や夕ご飯のことを考えている。

今日の礼拝は 1 時半に始まるが、何時に終わるか尋ねたら、4 時だという。2 時間半か……ご飯のことを考えるだけでもつだろうか、と不安になっていたら、教会の人に日本語の上手な人がいて、通訳をしてくれることになった。多少は気がまぎれるというわけだ。

ここのカレンの人々の礼拝がどんなものかを書くことができるのもそのおかげだ。これはもしかしたら重要なことかもしれない。なぜなら、選挙の結果次第では、みんな追い出されてしまうかもしれないから。

さて、この日、7 月 13 日は、特別な礼拝で、Judson Sunday とのタイトルがつけられていた。おそらく、ビルマの多くのキリスト教会でも、同様だったにちがいない。というのもこの日は、1813 年、アメリカ人宣教師、アドニラム・ジャドソン(Adoniram Judson)がはじめてビルマにやってきた記念日だから。

ジャドソン以前にもキリスト教はビルマにやってきていただろうが、ジャドソンの宣教活動がめざましいものであり、また聖書をビルマ語に訳したという偉業もあって、最初のキリスト教宣教師だとみなされている(彼はまた辞書や文法書も書いている)。

ジャドソンはバプテストの宣教師で、彼からビルマのバプテスト教会の歴史が始まったといえる。

さて、彼はビルマ人、モン人、カレン人などをキリスト教に改宗させたというが、カレン人のうち、もっとも知られているのは、コー・タービュー(Ko Tha Byu)という人だ。

もともとコー・タービューはとんでもない悪党だったそうだが、ジャドソンに出会って改宗するや、熱心な活動家になり、カレン人キリスト教の歴史に名を残すまでになった。

私は以前、エーヤーワーディのパテインという町で、コー・タービュー記念ホールに行ったことがあり、そこには大きな彼の肖像画が飾られていた。

苦い文学

姉妹都市戦争

黒鍬市とジェファーソン市が姉妹都市になったのは、5年前のことだ。それ以来、2つの市は、文化や経済の交流を行ってきた。

黒鍬市の小学校では、ジェファーソン市のことを学び、市の式典にはジェファーソン産の乳製品が展示・販売されたりした。また、ジェファーソン市でも、黒鍬のいちょうが植えられ、特産のさくらんぼの加工品が市民の食卓に上ったりした。

そして、3ヶ月前、ジェファーソン市を訪れた黒鍬市の後藤市長一行が、バーデン市長に出迎えられ、両市の交流の発展について意見交換が行われた。その後に催された歓迎会で、両市長の取っ組み合いのケンカが始まった。

このときから、黒鍬市とジェファーソン市は断絶関係となった。激しい非難の応酬が繰り返され、やがて黒鍬市はさくらんぼの禁輸という経済制裁に乗り出した。これに対しジェファーソン市議会も黒鍬市へのチーズの提供禁止を全会一致で決定した。

ジェファーソン市は「黒鍬市在住のジェファーソン市民が迫害されている」と国連に訴え、黒鍬市民は「事実無根」と激怒した。両市の緊張はますます高まった。

そして、ついに犠牲者が出た。黒鍬市の繁華街で爆弾テロが決行されたのだ。黒鍬市民はジェファーソン市の犯行だと騒ぎ出し、同市出身の一家全員を捕まえ、辱め、なぶり殺した。

ジェファーソン市はただちに黒鍬市に宣戦布告し、両市は交戦状態に入った。

さて、困ったのは両国政府だ。地方自治体の紛争により、たがいの友好関係が損なわれることがあってはならない。それぞれの政府が、調停のために介入をはかった。

どちらも「身内の問題に口を出すな」と拒絶するばかりだ。

苦い文学

仕事がないので、サイトに登録して、試験監督のバイトをした。なんの試験だかは言えないが、検定や資格試験のようなものだ。

当日、会場に行き、本部となった一室で試験の流れについて打ち合わせを済ませる。腕章をつけ、問題用紙やマークシートを抱えて担当の教室に行く。同じ教室の担当は他に2人いた。

2人は私よりずっと若い。あまりやる気のなさそうな感じだ。それで結局私がなんでもすることになった。教卓の上に用紙をきちんと並べたり、忘れた人用の筆記用具を確認したり、教室の時計が合っているか確認したり、黒板に注意事項を書いたり……。若い2人は私があまりにもテキパキしているので、驚いているようだった。

準備をしている間に受験者が集まり、試験開始時間も近づいてきた。まずマークシートを配る。

私はマークシートを抱え、もう片方の手の指に唾をたっぷりつけた。できるだけスムーズに配るにはこうしたほうがいい。すると、若いのが駆け寄ってきて「配らせてください!」と私からマークシートを取った。

マークシートを配り終えると、次は問題用紙だ。私は問題用紙を持ち上げ、指をしっかり舐めた。すると別の若いのが慌ててやってきて「代わりにやらせてください!」と問題用紙を奪い、どんどん配り始めた。

さて、試験が始まり、無事に終わった。問題用紙とマークシートの回収・確認も済み、あとは教卓を教室に隅に移動するだけだ。

私はひとり教卓の前に立ち、最後の一仕事だと、両手にぺっぺっと唾を吐いて、揉み手をした。

すると、すぐに若い2人が飛んでくるではないか。「代わります! 代わります!」といいながら教卓を掴んで移動させてしまった。

短い間であったが、若者2人はどうやら私にずいぶん感化されたようだ。私たちは本部に戻り、残りの作業を終え、解散となった。

別れぎわに前途ある2人を激励しようと、私は握手の手を差し出したが、恥ずかしかったのか早足で行ってしまった。

苦い文学

ババアに夢中

チュニジアの民話に欠かせないのがアズーザの存在だ。

これは日本語では「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが……」の「おばあさん」にあたる。

そういうと「老婆」のように思えるが、民話の世界では「子育てを終えた年齢の女性」が大体このカテゴリーに入る印象だ。

だから「老婆」などとんでもない。40代ぐらいの女性もいてもおかしくはない。

さて、このアズーザはチュニジアの民話の世界では両極端の役割を担っている。

ひとつは「良き助言者」とでもいうべき役割だ。「亀の甲より年の劫」というように、経験豊かなアズーザは、夫など他の人々に知恵を授け、難題を解決するのである。

もうひとつは「悪しき助言者」とでもいったらよいだろうか。

例えば、物語の中で悪人が主人公に対して何らかの悪巧みを仕掛けようとすると、たいていこのアズーザが登場して、悪人に手を貸し、悪巧みを成功に導く。

また、アズーザが家庭に入り込み、悪辣ぶりを発揮してその家庭を崩壊させてしまう、なんていう物語もある。

アズーザがこうした両極端のイメージを持つのは、おそらく近代以前の社会では、子育てを終えた女性というのは、ひとつの役割を終えた存在として捉えられていたからかもしれない。

だから、社会規範にとらわれない自由な行動・考え方を体現できるのではないだろうか。

実際に当時の女性がどうだったかはわからないけれども、昔話の中では、そんなような自由な存在として大いに活躍している。

そんなわけで、私はもうこのアズーザ、とくに悪いババアのほうにもう夢中なのだ。