散文

カとガ(9)

ラテン語の cattus がアラビア語とベルベル語にある似た語と関係があると言えるかもしれないが、いつ、どういう経路で借用されたかはわからない、ということはわかった。

ところで、Kossmann はベルベル語の似た形を他にも挙げている。

yaṭṭus (Sened, Siwa)
ayaḍus (Medieval Tashelhiyt)

どれも y が特徴だ。Sened は南部チュニジアのすでに消滅したベルベル語だが、やはりチュニジアのベルベル語であるターウジュート・ベルベル語でも āyaṭṭūs となる。

面白いのは、この y はもともとは g であったと考えられることだ。すなわち、ターウジュート・ベルベル語で āryāz 「男」は他のベルベル語の ārgāz に対応する。すると、ターウジュート・ベルベル語では āyaṭṭūs はもともとは āgaṭṭūs であったと推定できる。

そこで、ターウジュート・ベルベル語を中心にして考えると、主に二つの経路が考えられる。

(i) ターウジュート・ベルベル語(の古い形)āgaṭṭūs >南部アラビア語方言 gaṭṭūs >チュニス方言 qaṭṭūs
(ii) チュニス方言 qaṭṭūs >南部アラビア語方言 gaṭṭūs >ターウジュート・ベルベル語(の古い形)āgaṭṭūs>ターウジュート・ベルベル語 āyaṭṭūs

(i) と (ii) を比べると、(i) で、[g] が [q] になる変化は、まったくあり得ないわけではないが、方言としては [g] をそのまま受け継ぐほうがより自然なので、私はどちらかというと (ii) のほうに可能性があるのではと思っている。とはいえ、これらはまだ思いつきの段階だ。

おそらく、地域、言語によって qaṭṭūs の伝播は違うのだろう。ある地域ではラテン語>ベルベル語>アラビア語かもしれないし、別の地域ではラテン語>アラビア語>ベルベル語かもしれないし、もっと複雑なプロセスもありうる。ターウジュート・ベルベル語では、アラビア語からの借用に分があるように思えるが、他の地域では別のプロセスもありうる。

まず必要なのは、個々のベルベル語の借用プロセスを考えることだろう。その上で、アラビア語方言とベルベル語の地理的分布、ベルベル語そのものの分類を考慮することで、ネコたちの動きが見えてくるかもしれない。

だが、これで終わりではない。「カとガ(4)」で私は「三つの大きな謎がある」と書いたが、ここから最後のひとつが始まるのだ。

散文

カとガ(8)

Maarten Kossmann というベルベル語研究者が、『The Arabic Influence on Northern Berber』という本で、ラテン語からのベルベル語借用語について論じている。そして、猫派の私たちにとってありがたいことに、そこで cattus についても少し詳しく論じ、これと関係のあるベルベル語の語をいくつか挙げている。なお、ベルベル語は、ひとつの言語ではなくいくつもの言語に分かれる言語群だ。以下の括弧内はそのベルベル語の名前だ。

takaṭṭust (Ghadames)
qaṭṭús (Nefusa)

一応の経路としては、ラテン語の cattus がベルベル語に入り、kaṭṭus になり、それがアラビア語方言の qaṭṭūs に繋がると考えているようだが、実際の経路や順番は不明だとしている。

例えば、Nefusa のベルベル語で [q] となっているのは、アラビア語の影響では、と考えている。つまり、ベルベル語からアラビア語という経路だけでなく、逆の経路もありうるというのだ。

問題の us についてだが、他にも似たような us がつく語がある。チュニス方言でいうならば fallūs(ひよこ)は、ラテン語の pullus に結びつけられることも多い。

ベルベル語にも us で終わる語があり、これらは古い時代にラテン語からベルベル語に借用されたので us が残ったという解釈もありうるとしている。その場合、これがそのままアラビア語方言に受け継がれたと考えることもできる。もっとも、そうだとしても(6)で私が触れた疑問は残るのだが。

それはさておき、興味深いことに、Kossmann も cattus については、他の語とは少し違うと考えているようだ。というのも、これはラテン語としては後期の資料にしか出てこないため、他の us がつく古い借用語とは同じように考えることができないというのだ。要するに、わからないのだ。

私はこれまでしきりに不思議がってきた。これを不思議に思う人もいるかもしれないが、専門の言語学者も不思議がっているのだから、不思議でもなんでもないことなのだ。

散文

カとガ(7)

ベルベル語をラテン語とアラビア語方言の間に挟み込む、これが秘策だ。

ベルベル語とは、アラビア語や古代エジプト語と遠い親戚関係にある言語だ。この言語は、ローマ人たちが地中海に覇権を唱える以前から、北アフリカを中心に広く使用されており、当然、ラテン語との接触もありえた。

ラテン語の cattus がアラビア語に伝わったとするには、説明しにくい事柄がいくつもあることを述べたが、cattusがまずベルベル語にするりと入り込み、それから後代になって北アフリカにやってきたアラビア語にぴょんと飛び移った、と考えれば、ラテン語とアラビア語だけを見ていては説明のつかない事柄も解消する、というのだ。

だが、この説を検証する前に、私は北アフリカのアラビア語方言について観察されるある悪癖を前もって告発しておかねばならない。それは、なんでもベルベル語のせいにしてしまうということだ。

例えば、北アフリカのアラビア語にAという特徴が見られるとしよう。そして、この特徴が標準アラビア語にも他地域の方言にもないとき、人は決まってこう結論づける。

「これはベルベル語の影響だ」

いや、ベルベル語に関連づけるのは問題ないのだ。問題はその後だ。そこから「ではベルベル語はどうなっているのだ」などと調べる人はまずいない。なぜなら、たいていの人はベルベル語など知らないから。問題をベルベル語のところまで運べばそれで終わり、もうカタがついた。「これはベルベル語の影響だ」で解決済みにされた例を、私はいくつも見てきた。この qaṭṭūs/gaṭṭūs 問題だってそのひとつだ。

だから、ベルベル語など持ち出されても、警戒する猫のように私は容易に飛びつかない。だが、噂をすれば猫で、最近まともな議論のあることを知った。

散文

カとガ(6)

cattus の us は格語尾であり、これは単数主格形だ。ちなみに、単数対格は cattum、複数主格は cattī となる。

ラテン語は、俗ラテン語という中間的な状態を経て、のちにイタリア語、スペイン語、フランス語などと呼ばれるロマンス諸語へと発展していった。その際に、ラテン語の格変化はほとんど失われた。さらに、ロマンス諸語に受け継がれるさいには、主格形ではなく対格形のほうが残った、そんな噂を聞いたことがある。

そこで不思議なのは、ロマンス語では主格形はなくなりがちだというのに、なぜアラビア語方言では主格形の qaṭṭūs/gaṭṭūs がそのまま伝わったのか、ということだ。そして、もうひとつ重要なのは、格語尾は名詞の本体(語幹)に比べて音形の点で控えめであることが多いのに、qaṭṭūs/gaṭṭūs のシッポ ūs は長くて、しかもアクセントも乗っかっているのだ。ロマンス語では失われたシッポが、アラビア語方言ではむしろ長くなってフリフリと目立っているというのが、私には不思議でしょうがない。

もうひとつ不思議な点がある。それは女性形だ。cattus は男性形のオスネコで、メスネコの場合、catta と女性形になる。つまり、本体(語幹)は catt- であり、-us か -a で性別が変わってくる。アラビア語方言ではどうかというと、一般に男性形に -a を付け加えることで女性形が作られる。

qaṭṭūsa/gaṭṭūsa「メスネコ」

つまり、アラビア語方言ではラテン語の男性形 -us を含んだ形がそのまま本体になったということになる。もちろん、ラテン語とアラビア語方言では語の作り方が違うから、アラビア語で cattus ごとネコになってもいい。だが、その一方、すでに触れた標準アラビア語の qiṭṭ ではメスネコは qiṭṭa となる。だから、方言でも qaṭṭ/qaṭṭa がニャーとなっていてもいいのだが、方言によっては余分な ūs がついてくるのだ。

こうしてみると謎ばかりだ。だが、これらを一挙に解決する秘策がかねてから提案されている。

散文

カとガ(5)

ラテン語が地中海圏の諸言語に与えた影響を考えれば、qaṭṭūs/gaṭṭūs が catus/cattus「猫」に関係があってもおかしくはない。そこで、もしも cattus が語源だとすると、次のような過程が想定できる。

cattus > qaṭṭūs > gaṭṭūs

しかし、それでも cattus と qaṭṭūs にはなお、以下の三点にまとめられるような隔たりがある。

① cattus の ca [ka] が、アラビア語では [qa] になっていること。
とはいえ、ラテン語にはそもそも [q] の音がないので、[ka] の発音のとき、母音の a の影響で、[k] が少し奥寄りになり、それをアラビア語話者が [qa] と聞き取ったという可能性も考えられなくない。

あるいは、cattus と、qaṭṭūs/gaṭṭūs を繋ぐ存在として、kaṭṭūs があったと考えたほうがいいかもしれない。

② tt が ṭṭ となっていること。
ṭ というのは、通常の t とは異なる音で、強調音と呼ばれる(咽頭化音とも)。この ṭ はラテン語にはないから、ラテン語の t が ṭ になった理由を考えなくてはならない。これについては、標準アラビア語の qiṭṭ の影響で t が ṭ に変わったという考え方もできる。

(複雑になるのであまり詳しくは書かないが、q もまた強調音的な特徴を持つので、q が ṭ を引き寄せたという可能性、あるいはその逆の可能性もありうる)

③ cattus の us が、qaṭṭūs では ūs になっている。
ラテン語では、u と ū は明瞭に区別されており、後代にはその区別がなくなるとしても、cattus の短い us が、qaṭṭūs では長い ūs に対応していることについて、特別な説明が必要となる。

それだけではない。この us と ūs の問題は、考えれば考えるほど謎が深まっていくのだ。

散文

カとガ(4)

qaṭṭūs/gaṭṭūs について私は、三つの大きな謎があると思う。

1)アラビア語 qiṭṭ との関係
標準アラビア語には猫を表す qiṭṭ という語がある。qaṭṭūs/gaṭṭūs との類似性は明らかだが、相違点もある。まずは母音 i と a の違いだ。とはいえ、標準アラビア語と方言の間で語の母音が異なることはよくあるので、ひとまずは考えないでおく。だが、もうひとつの違いは重要で、qaṭṭūs/gaṭṭūs の -ūs だ。アラビア語に -ūs に似た要素は見当たらないので、この猫のシッポがどこからやってきたのかわからない。

2)ラテン語の catus/cattus との関係
qaṭṭūs/gaṭṭūs の語源については、ラテン語の catus/cattus に由来するとの説がしばしば唱えられてきた。まず前提として、ラテン語について述べると、これは古代ローマ人の言語で、この言語から現在のイタリア語、フランス語、スペイン語などのロマンス諸語が発生した。古代ローマ人は地中海世界と小アジアに広がる大帝国を築き上げたが、これにより、直接、もしくはギリシア語やシリア語などを経由して、アラビア語にも多くのラテン語由来の語が取り入れられている。

有名なのはコーランのいちばん最初の章に出てくる ṣirāṭ という語だ。これはラテン語の strāta に由来するとされている。なお、strāta の意味は、形を見ればピンとくる人もいるだろうが、英語の street とほぼ同じだ。

散文

カとガ(3)

チュニス方言にある [g] は、[q] が変化したものというよりも、南部の方言から流入してきた可能性があるとした。とすると、南部方言で [q] から [g] の変化が起きたと考えられるかもしれない。

しかし、南部方言は、他の北アフリカのベドウィン由来の方言と同じく、アラビア半島からやってきたものだ。そして、アラビア半島にも [g] を持つ方言が今もあることを考えると、ベドウィンが北アフリカに来たときに、この [g] を持ってきたという可能性もある。

さらにこうも考えることができる。もしもアラビア半島では古くから [g] を持つ方言が話されていて、これがコーランの時代にまで遡ることができるならば、[g] は [q] と同じくらい古いのかもしれない。とすると、[q] が [g] に変化したとは異なる解釈もできる。つまり、古いアラビア語には [q] でも [g] でもない音があって、その音からこの二つが生まれた、と。

しかしここから先は、他のセム語との比較も考慮に入れなくてはならないから、ここでやめにしておくが、いずれにせよ、[q] と [g] の関係は一筋縄ではいかない。

さて、ここで不思議な存在が現れる。チュニス方言の猫、qaṭṭūs だ。南部方言だと、gaṭṭūs になるが、これまで述べてきたことからはとくに不思議はないように思える。だが、これがけっこう謎なのだ。

散文

カとガ(2)

[g] は標準アラビア語にはない音だが、これを持つ方言も多い。私が比較的知っているのはチュニジアのチュニス方言だが、この方言には [g] と [q] の両方がある。

qalb(心)
gamra(天体の月)

gamra は、標準アラビア語の qamar に対応する。とすると、[q] が、方言では [g] になったと考えることができるが、そう簡単ではない。というのもその場合、qalb が galb でないことの特別な理由を考えなくてはならないからだ。

現在のチュニジアでは、南部の方言では [g] が一般的だ。「言う」という意味の動詞は、チュニス方言では qāl だが、南部では gāl だ。チュニスは長い間、チュニジアの中心地であったから、周囲の方言の影響を受けてきた。その結果、[g] のある語彙がたくさん入り込んだとも考えられる。gamra もそのひとつと考えるほうが、[q] から [g] への変化を考えるよりも単純だ。

また、[q] と [g] で意味が違う語もある。

daqq(ノックする)
dagg(針などが刺す)

daqq には対応する標準アラビア語の daqqa があり、これも「ノックする」という意味だ。dagg は別の方言から取り入れたとひとまずは考えたい。だが、だからといって、daqq と dagg が無関係とは言いきれない。「ノックする」と「刺す」は似ていなくもないから。その場合、どこかで [q] が [g] に変化した例ともなりうる。

さらに、[q] とは関係のなさそうな [g] もある。[g] で始まる garnabbū は、チュニス方言独特の語彙だというが、語源も不明で、形もあまりアラビア語らしくはない。

いろいろ書いたが、わからないことが多いのだ。これが面白い。

それはそれとして、garnabbū の使用には注意されたい。年配の女性に対する罵り言葉だから。

散文

カとガ(1)

アラビア語には二つの「カ」の音がある。ひとつは日本語の「カ」に近い音だ。一般的な音声記号で書くと [k] になる。専門的には無声軟口蓋破裂音という。もうひとつの「カ」は、[k] よりも口の奥のほうで作る音で、無声口蓋垂破裂音と呼ばれる。記号で書くと [q] だ。これは日本語にはない音だ。口を大きく開けてカラスの鳴き声を真似すると近い音が出るかもしれない。

アラビア語では [k] と [q] はまったく違う音だ。kalb は「犬」を意味する語だが、この k を q に変えて qalb とすると「心」という意味になる。

さて日本語にはさらに「ガ」がある。これは [g](有声軟口蓋破裂音)だ。これとは別に鼻濁音の「ガ」([ŋ]、軟口蓋鼻音)もあるが、ここでは関係ない。そして、アラビア語にはこの [g] の「ガ」がない。

ただし、これは標準アラビア語の話だ。アラビア語には、公的な場で使用される標準アラビア語と日常的に使われるアラビア語方言という二種のアラビア語がある。標準アラビア語には [g] はないが、方言にはこれを持つものも多い。とくに北アフリカのアラビア語方言では「ガ」がよく聞かれる。

私はこの [k] と [q] と [g] の三つの音についてかねてから不思議に思っていることがある。それについて少し書いてみるというのが、この記事の目的だ。

散文

笑い話の解説(終)

最後のポイントは、チュニジアの教育制度に関わることだが、これについては、baqarat-u-n「ある一頭の雌牛が」の -tun ほど自信を持っていうことはできない。なので、少しいい加減だ。

チュニジアはかつてフランスの植民地で、その時代はフランス語のほうが重要で、標準アラビア語の優先度は低かった。また、昔の日本でもそうだったように、学校に行くことは一般的ではなく、読み書きのできない大人も多かった。

しかし、一九五六年にフランスから独立すると、初代大統領となったハビーブ・ブールギーバ(ブルギバ)は西欧風の教育制度を導入した。これにより標準アラビア語が小学校でも教えられるようになった。もっとも、正確な時期は私にはわからないが。

私がこれから(ようやく)紹介する笑い話の舞台は、すでに言ったように、南部チュニジアのターウジュートという村だ。これを教えてくれた同村出身のSさんによれば、彼の子どものころの話だというから、一九六〇年代半ばごろのことのようだ。

ターウジュート村は、チュニジアでも数少ないベルベル語が残る村で、今は話者数は少なくなっているが、一九六〇年代にはもっと活発に話されていたことだろう。そこに、政府のお達しにより小学校ができ、標準アラビア語が教えられることになった。

学ぶのは小学生ばかりではない。Sさんによれば、読み書きのできない大人たちも子どもと机を並べて勉強したそうだ。先生は村の外から来た人で、ベルベル語はわからない。さてここから笑い話が始まる。


黒板に雌牛の絵が貼られている。先生が、子どもたち(と大人たち)の前でそれを指差し、ひとりの子どもに標準アラビア語で問いかける。

「マー・ハージヒ(maː haːðihi、これはなんですか)」

子どもは大まじめに答える。

「フーナーサトゥン(fuːnaːsa-tun)」


かわいらしい子どもの間違いだが、これを笑い話として今も語り継いでいるターウジュート村の人々も面白い。そして、チュニジアの中でもターウジュートという小さな村でしか通用しない笑い話について長々と書いてきた結果、もうあまり面白くなくなってきている私も、それに付き合ってくれたみなさんも面白い。