散文

笑い話の解説(1)

昔、子どものころ読んだジョークにこんなものがあった。

「ソビエトにおけるポルノの解禁はいつか?」

党指導部「段階的に進んでいる。すでにレーニンは帽子をとって演説を行っている」

正確には覚えていないがこんなものだったと思う。このジョークはそれほど難しいものではないが、それでもソビエトの権威主義的な体制、レーニンのこと、そしてそのヘアスタイル(もしくはその不在)について知っていなくてはならない。

ジョークというものは短いから、そのぶん、聞く方が文脈や前提となる知識を共有している必要がある。そうした共有がない場合に解説してしまうと、面白くなくなる。

私は先月チュニジアに滞在したときに、きわめて面白い笑い話を聞いた。そしてこの笑い話を人に話したくてしかたがない。だが、笑い話もジョークと同じで、その出来事に関係する知識がなくては笑えない。ここにその笑い話をそのまま書いてもいいのだが、それで笑える人はまずいないだろう。

だから、私は問題の笑い話を書く前に、あらかじめいくつか大事なことを書いておこうと思っている。もちろん、こうした解説によって笑い話が死ぬことはわかっている。笑い話やジョークというのは学びがあってはいけない。すでに学び、当然だと思っていることを揺さぶったり壊したりするのが、ジョークであり笑い話だ。

「ははあ、おかげさまでレーニンが禿頭だとはじめて知りました」などと感心されては笑えない。学びや感心はジョークの敵なのだ。

だから、私がこれから書く解説も、笑いにとっては利敵行為だ。なのでむしろこう言いたいくらいだ。解説を読んで、それから数週間後、もう解説をなかば忘れかけたころに笑い話のほうを読んでほしい、と。そうすれば笑えるかもしれない。そんなことをする人はいないだろうが、それくらい私は誰かにこの笑い話を楽しんでほしいのだ。

旅・観察

カレン人の教会(1)

タイからカレン人の牧師が来日した。7 月 13 日、都内のビルマのカレン人の教会で話をするというので、私は行くことにした。

教会は早稲田だ。私は以前このあたりに住んでいたので、いろいろ変わってしまっているのに驚いた。ここには早稲田大学という大学がある。それで、当時、私も何人かの学生と知り合いになった。

レストランで食い逃げした人、カニのように横にしか歩かない人、半ズボンかと思ったらトランクスで出歩いていた人、ひさしの上で犬を飼っている人、整髪料かと思ってシャンプーを髪の毛につけて外出したら雨が降って頭から泡が湧いてきた人……変な人ばかりだった。いわゆる F ラン大学なのだろう。

とはいえ、時代も変わったのか、今日は、あまり変な人は見かけなかった。私は、ああ、ここにあったレストランであの人が食い逃げしたのだなあ、とか、この裏にある「かまねこ街道」という細道の奥にトランクスの人が住んでいたなあ、とか懐かしく思い出しながら、早稲田通りを歩いていった。

早稲田通りといえば古本屋だが、姿を消したか、シャッターが閉まるかしていた。ただ、一軒だけ開いているのを見つけた。礼拝が始まるのは午後 1 時半からだ。時間を見ると、1 時を回っている。古本屋から教会までは 5 分ぐらいだから、少しは見る時間がある。いや、遅れたってかまわない。と、ワクワクしながら店内に入ったところで、カレンの友人から電話がかかってきて泣く泣く外に出た。

苦い文学

レビュー

その人はとんでもない辺境の地に住んでいるのだ。だけど、Amazon は使える。それで、本を頼む。すぐに準備が整い、関東の Amazon の物流センターから発送される。

本が収められた箱はトラックに乗せられ、海辺にたどりつき、船に積まれる。その海はいつだって大しけで、ビルくらいある大波が船を襲い、なんでも水浸しにしてしまうのだ。

なんとか海を渡るとその先には灼熱の砂漠が広がっている。Amazon の箱はラクダに積まれて運ばれていく。そこでは、すさまじい太陽の熱のせいで、なんでも発火寸前に熱くなり、激しい砂嵐のせいで、すべて砂まみれになってしまうのだ。

この死の砂漠を抜けると、広大な密林が行手を阻む。ほとんど裸で暮らす原住民がここからの配達を担うのだ。原住民は文明化されていないので、積荷の価値などわからず、扱いもすごく雑だ。しかもジャングルのすごい湿度でなんでもたちまちカビだらけになる。また、軍隊アリたちが群れで襲ってきて、なんでも噛み破って粉々にしてしまうのだ。

このような困難な配達経路を通って、ようやく Amazon の箱はその人のもとに届く。その人は箱を開き、商品を見る。なんと素晴らしい状態で届いたことだろうか。

感激のあまり、その人は Amazon のサイトを開き、レビューを書き込むのだ。

⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️ ⭐️
「とても綺麗で状態の良い商品で、届いて実物を見た時はとても驚きました。」

私は思うのだが、こうしたレビューが書かれるにはこれくらいの事情がなくてはならぬのだ。でなければ、どうして商品の内容と関係のないことを書けようか?

苦い文学

自殺をなくそう

ネットの誹謗中傷が引き起こす自殺を、ひとつでもなくすために私たちに何ができるだろうか。

「誹謗中傷をなくせばいいのだ」という人もいる。だが、これはふたつの点で難しい。まず、誹謗中傷とそれ以外の発言(批判・非難など)の区別をつけるのはそう簡単ではない。これは言論の自由にもかかわる重要な問題だ。

また、自殺をする人の精神状態の問題もある。実際、追い詰められた人にとっては、肯定的な意見ですら、非常につらく響くもののようだ。「うつにがんばれは禁句」ということもしばしばいわれる。

かように難しい問題だが、私にひとつ提案をさせてほしい。それは誹謗中傷をなくすどころか、それを活用することで自殺を確実に減らす方法だ。

しかも、簡単でお金もほとんどかからない。何をするかというと、SNS のあらゆる投稿の後にデフォルトで次の文言が入るようにするだけなのだ。

<相談窓口>
【いのちのテレフォン】
・フリーダイヤル 0120-XXX-XXX
・ナビダイヤル 0570-XXX-XXX

考えてほしい。特定の相手に「死ね」を繰り返した投稿の末尾に、これがあったとしたら。毒を飲ませた後に、すぐに解毒剤を渡すとしたら、それはむしろ善をなしたということではないだろうか。

ぜひ、日本政府にはこの案を採用していただき、私たちの国がいつまでも卑劣な誹謗中傷に溢れる国であるようにしてほしい。

<相談窓口>
【いのちのテレフォン】
・フリーダイヤル 0120-XXX-XXX
・ナビダイヤル 0570-XXX-XXX

苦い文学

感謝の心

【Tさん(50代男性)】

近頃の日本人は感謝を忘れてしまったという人もいますが、そうでしょうか。先日、こんな体験をしました。

夕方、私は帰宅しようと電車に座っていました。ある駅で、年配の男性の方が乗ってきたのです。車内はといえば、やや混んでいて、その方は席を見つけられず、私の前に立ちました。

その方は本当に疲労困憊といったようすで、今にも倒れそうなのです。

電車はやがて次の駅に着きました。降りる人、乗り込む人。その方は空いた席を見つけますが、サッと別の人が座ってしまいました。周りを見回すのですが、もう席はありません。電車は走りだします。

さてまた次の駅が近づいてきました。私はそれまで読んでいた本をしまいました。その方はめざとくそれに気がつきました。もう私の前から動こうとしません。電車が停車すると、私は腰を上げました。

そして、お尻の位置を変えると、再び座り直しました。鞄から取り出した新聞を広げました。

私はその方が深いため息をつくのを耳にしました。きっと私が降りなかったので、ガッカリしているのでしょう。しかも、その方は私の動向に意識を集中しすぎて、他の席に座るチャンスも逃してしまったのでした。

その次の駅は私の降りる駅です。アナウンスが終わり、電車が速度を緩めます。駅のホームが車窓に飛び込んできます。電車はやがて止まりました。私は立ち上がり、ドアに向かいます。

すると、どうでしょう、その方は私に頭を下げるではありませんか。「ありがとうございます」と繰り返しています。しかも、ドアまでついてきて、すでに降りた私に深々と頭を下げるのです。まるで高級旅館のお見送りのようでした。

私は少し困惑しましたが、またうれしくもなりました。なぜなら、まだこの国には良心というものが、感謝する心というものが、残っていたのですから。

もっとも、お辞儀をするその方の背後では、私が空けた席にもう別のだれかが座っていました。

(聞かせてください! あなたの出会った心温まる体験談を募集しています。)