昔、子どものころ読んだジョークにこんなものがあった。
「ソビエトにおけるポルノの解禁はいつか?」
党指導部「段階的に進んでいる。すでにレーニンは帽子をとって演説を行っている」
正確には覚えていないがこんなものだったと思う。このジョークはそれほど難しいものではないが、それでもソビエトの権威主義的な体制、レーニンのこと、そしてそのヘアスタイル(もしくはその不在)について知っていなくてはならない。
ジョークというものは短いから、そのぶん、聞く方が文脈や前提となる知識を共有している必要がある。そうした共有がない場合に解説してしまうと、面白くなくなる。
私は先月チュニジアに滞在したときに、きわめて面白い笑い話を聞いた。そしてこの笑い話を人に話したくてしかたがない。だが、笑い話もジョークと同じで、その出来事に関係する知識がなくては笑えない。ここにその笑い話をそのまま書いてもいいのだが、それで笑える人はまずいないだろう。
だから、私は問題の笑い話を書く前に、あらかじめいくつか大事なことを書いておこうと思っている。もちろん、こうした解説によって笑い話が死ぬことはわかっている。笑い話やジョークというのは学びがあってはいけない。すでに学び、当然だと思っていることを揺さぶったり壊したりするのが、ジョークであり笑い話だ。
「ははあ、おかげさまでレーニンが禿頭だとはじめて知りました」などと感心されては笑えない。学びや感心はジョークの敵なのだ。
だから、私がこれから書く解説も、笑いにとっては利敵行為だ。なのでむしろこう言いたいくらいだ。解説を読んで、それから数週間後、もう解説をなかば忘れかけたころに笑い話のほうを読んでほしい、と。そうすれば笑えるかもしれない。そんなことをする人はいないだろうが、それくらい私は誰かにこの笑い話を楽しんでほしいのだ。