旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その7)

 長崎についた日の午後は、軍艦島クルーズに参加した。

 赤瀬川原平の『二笑亭綺譚』のような奇怪な廃虚が立ち並ぶ孤島という勝手なイメージを持っていたのだが、実際は、普通の人々がごくごく当たり前の生活を送っていた島であった。

 軍艦島は、日本最古の鉄筋コンクリートのアパートを含む高層建築で覆われていて、それが海上から見ると、軍艦に見えることから、その名がついた。

 海底炭鉱で働く人々とその家族が島の住人で、一時は、5000人以上の人々が暮らし、当時の東京よりも人口密度が高かったという。

 炭鉱の仕事はつらくもあり、危険でもある。また、たびたび台風や高波による災害に見舞われた。島に上陸した時、ガイドの人が「最近、波に破壊されたのです」と巨大なコンクリートの塊を指した。防波堤の残骸だった。そうした厳しい環境でも、これだけ人が集まったのは、当時としては島での暮らしが良かったからなのかもしれない。こぎれいな室内でテレビを囲む住人の白黒写真も展示されていた。

 しかし、今の目から見るととうていそうは思えない。

 クルーズ船で、島を一周回った時、ガイドの人が、ある6階建ての集合住宅を示した。

 「2階のところに大きな穴があるでしょう。あそこにはベルトコンベアーがあって、島の反対側からボタを運んでこっち側の海に捨てていたのです。24時間動き続けていて、止まるのも年に1回、4月のお祭りの1日だけだったそうです。そういう中で、島の人々は暮らしていたということです」

 小さい島にぎゅうぎゅうに押し込まれ、職場ときたら地下何百メートルの海の底だ。しかも、よっぴいて騒音が鳴り続けているときた。

 こんなことができるのはよっぽどのサディストだけだ。炭鉱の所有は三菱財閥で、ここから掘り出された石炭が日本の近代化、戦争、そして高度成長期という日本でもっともサディスティックな時代を裏から支えた。そんなこともあり、近年、世界サディスティック遺産に認定されたという。

 長崎にはもうひとつサディスティックな施設がある。それが明日私が行く予定の大村入国管理センターだ。国家というもののサディスト精神を知るにはもってこいの施設だが、残念ながら、遺産としての認定はまだのもようだ。

ベルトコンベアーのあった穴
軍艦島には中国人と朝鮮人の強制労働もあったという。
いっそのこと、入管の収容施設もここに移したらどうだろうか……
旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その6)

 成田空港から長崎に向けて出発したのは3月25日の朝。LCCなので成田第3ターミナルなのだが、せっかくだから、人のいない空港を見ておこうと、第2ターミナルの出発・到着フロアに行って写真を撮る。

 そうしたら搭乗がギリギリになってしまった。(つづく)

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その5)

 仮放免の手続きは、大体どこの入管でも2〜3時間かかる。だから、だいたい朝の9時に手続きを開始するようにいわれる。そうすると昼前には終わるのだ。

 9時に大村入国管理センターに確実に着いているためには、当日早朝出るよりも、前乗りしておいたほうが安心だ。ということで行きは25日の朝に成田を出る便、帰りは26日の17時に長崎空港を出る便を予約した。

 保証金の40万円を受け取ったのが、出発前日の24日のこと。中サイズのスーツケースも渡された。これは何のためかというと、長い収容生活を支えた服や本などの私物を詰め込むためのものだ。スーツケースの中には大きなバッグも入れられてあった。

 仮放免されるときに、こうしたバッグがないと、ゴミ袋を抱えて出てくる羽目になる。うっかり置き忘れでもしたら、捨てられること間違いなしだ。いや、見た感じ、ろくなものは入ってやしない。新品らきしものは一切ない。だが、これらが、長期の収容が被収容者を洗い流したのちに残った全財産ということもあるのだ。

 さて、スーツケースの中には、ビルマのお菓子も入っていた。これは私に、というわけで、ありがたくいただいた。(つづく)

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その4)

 1週間後の3月26日に仮放免の手続きを行うということが決まった時点で、私は自分が長崎に行くということで準備を始めた。長崎の支援者に頼むのが一番よかったが、急なことなので、うまく調整できるかどうかわからなかった。多分、お願いしたら、何としてでもやってくれただろう。だが、それでも私は自分でいこうと決めた。

 なぜなら、暇だったから。

 コロナが、不要不急の塊のような我が人生から、あらゆる予定を蹴散らしてしまっていたのだ! おお、私はいかに要にして急なる出来事の到来を待ち望んでいたことか。まるで最後の審判を待ち望む死人のようにだ。というのも、死者たちにとっては、最後の裁きこそが要にして急、それ以外のあれやこれやは不要不急、その日が来るまで墓で自粛、というわけなのだ。

 だが、もうひまに飽かして毎日つくる大根の煮物にはうんざりだ。ここで別種の栄養の補給があったっていいのでは? ちゃんぽんやカステーラ方面からの。

 さあ、長崎へ、俺は墓から飛び出すのだ。

 だが、問題は金だ。

 私は保証金を集めてくれている彼の知人に思い切って連絡する。

 「あの、旅費、半分ぐらい出してもらえますか」

 「全部出しますよ!」

 向こうの気が変わらないうちに、行きと帰りの飛行機をただちに予約だ。(つづく)

大村のバスターミナルで。

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その3)

 3月19日木曜日の夕方、大村入管に行き方を聞くために電話したのだが、対応した仮放免担当の職員から、驚くべきことが明かされた。

 まず、仮放免の手続きをするには遅くとも予定日の1週間前に電話しておかなくてはならないのだという。なぜなら、今回の場合、仮放免後の住所は東京なので、所轄の品川の入管に連絡するなどの準備があるからだそうだ。そんなに時間かかるかな、とも思うが、まあ、いいだろう。

 私を大いに焦らせたのは、その次に知らされたことだ。職員が言うには、4月の最初の週、すなわち、3月30日から4月5日までは、仮放免手続きはできない、というのだ。「年度始めの人事異動で忙しい」からだそうだ。

 となると、今週中に決めなければ、彼が出てこられるのは早くて4月6日ということになる。それはちょっとかわいそうだ。

 では、今日中に決めて明日電話すれば間に合う、と思ったが、明日は春分の日ではないか。休日だ。

 「あの、今、手続きをお願いしたら、早くていつですか」

 「3月26日木曜日ですね。27日の金曜日は、他の仮放免手続きでいっぱいなので」

 時間を見ると、もう5時だ。かけおなしてる暇はない。今決めるのだ。

 「わ、わかりました。26日でお願いします。絶対行きます」

 かくして、彼の仮放免の日が決まったのであった。

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その2)

 その翌週、40万円の金策成れりとの報が入ったが、保証金とは別に、彼の仮放免手続きについても考えなくてはならなかった。誰かが、大村入管に行って手続きをしなくてはならない。大村入管では教会関係者などいろいろな人が支援活動を行っていて、頼めば代わりに手続きをしてくれるはずだ。

 連絡があった翌週、彼から早速封書が届いた。そりゃそうだ。一刻も早く釈放されたいのだ。封書には手紙と委任状が入っていた。この委任状に署名して、長崎の支援者に送れば、その人が代わりに仮放免手続きをしてくれるというわけだ。

 もちろん、私が行ったっていい。だが、問題は金だ。いろいろ調べたが、どんなに安くたって3万はかかる。福岡まで飛行機で行って、それからバスで長崎に行くのが安そうだ。前にも一度行ったことがあるので、長崎空港からは歩いて行けることがわかっている。だが、バスで行くとなると、一体どこで降りればいいのか。

 これはもう入管に電話して聞いてみるほかなかった。と、電話したのは3月19日の16時50分。問い合わせのできるギリギリの時間だったが、この電話が他の意味でもギリギリであったとは私は思いもしなかったのだ。(つづく)

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その1)

 2018年4月に品川に収容されて、2019年6月に長崎の大村入国管理センターに移されたビルマ難民に仮放免の許可が出た。保証人である私のところに彼が電話してきたのが3月12日のことだった。

 大村からの電話はいつも聞き取りにくい。まるで他の星からかかってきてるみたいだ。それでいつもイライラするのだが、それでも「奇跡だ、奇跡だ」と世界の果てで彼が叫んでいるのだけはわかった。

 一度入ったら、2年、3年が当たり前の大村入管だ。それが、1年にもならないうちに仮放免許可が出た。私は品川で4回彼のために仮放免申請をしていた。大村なら、最低6回、と覚悟していた。それが、2019年12月の2回目の申請で出たのだ。まさに奇跡、というわけだ。だが、奇跡など信じられるだろうか? 忖度ばかりのこのご時世に。たぶん、誰かがどこかで忖度し間違えたにちがいない。

 そうであっても、許可は許可だ。自由は自由だ!

 もっとも、その自由を手に入れるためには金が要った。40万円の保証金だ。彼の知人が金策に走り回っていると言うので、私はその連絡を待った。(つづく)

散文

ヒエロニムス

 入国管理局に収容された外国人は、仮放免申請が許可されると、指定された保証金を払って釈放されることになる。保証金の額は通常は30万から50万程度だが、これより高い場合もあれば安い場合もある。

 仮放免の「仮」というのは、本来ならば収容すべきだが、いろいろな事情から一時的に外に出しますよ、という意味で、扱いとしては被収容者だ。だから、就労や移動などの点で制限がある。就労は通常は禁じられている。移動の制限とは、許可なく管轄区域から出てはいけないというもので、例えば、東京の住所を持つ仮放免者であれば、なにかの用事で東京の外に出る場合には、あらかじめ品川の入管に行って許可を得ておく必要がある(理由や行程を記した申請書を提出しなくてはならない)。

 保証金はこれらの条件に従わなかった場合、たいていは不法就労で捕まった場合だが、没収される。今「没収」と書いたが、実は「没取」だ。この両者には違いがあり、私はこれに気がつかず、長い間「没収、没収」と言ってた。刑罰として金品を取り上げられる場合は「没収」、保証金などが条件違反により返還されない場合は「没取」というのだそうだ。

 もっとも、この間違えはよくある。例えば、カルロス・ゴーンが逃げて、15億円の保釈金が「没収」されたなどとしばしば報じられている。これも正確には「没取」であろう。

 この度、私のもとに入管から送られてきた「保証金没取通知書」は、私が長い間、保証人をしていた仮放免者についてのものだ。難民認定申請中である彼は何らかの理由により仮放免を取り消され、入管に収容されたのだ。その理由については、彼から連絡がないのでわからないが、その理由により、保証金30万円のうちの「一部金90,000円」が没取されたというわけである。

 「ヒエロニムス」と題されたこの小文をここまで読んで、みなさんの中には不審の念に駆られる方もいるのではないだろうか。どうだ9万円を奪われた男のこの淡々とした書きぶりは!、と。 いやはや9万円をみすみす失ったというのに「没収」と「没取」の違いに気を取られているとは! いったいこの作者は底抜けの金持ちなのか、それとも、底抜けの馬鹿なのか? 中には、こんな想像をする方もいるかもしれない。いや、こいつめは、保証金を取り返す裏の手口を知っているのだ! なんたる食わせ者だ!

 だが、いずれも当を得ていない。9万円の「保証金没取通知書」を受け取った私が淡々としていられる理由(まるで本のタイトルのようだが)、それは簡単だ。これが他人の金だからである。保証金を準備したのは仮放免者側で、身元保証人としての手続きを私がしたのである(保証金の出所に関しては規定はない)。

 もし、私の金だったら。

 いや、こんな文を書いてる暇なんてない。すぐさま入管に駆けつけて、収容されたばかりのその男を引きずり出して、全額残らず支払うまで、私の家の押し入れに収容することだろう。