旅・観察

ベルベル語への旅(1)

私は、いつかチュニジアのベルベル語話者にベルベル語を教わりたいと思っていた。だが、それはなかなか難しかった。チュニジアのベルベル語話者は非常に少なく、チュニスのどこかで偶然出会えるとも思えなかったし、知り合いを辿ってもつながりはなかった。

もっとも、それはベルベル語話者がいなかったということであって、ベルベル人がいなかったということではない。一時期お世話になった人に、先祖がベルベル人だという人がいた。彼は自分の顔を指した。「アラブ人とは違うだろ」

私にはその違いはよくわからなかった。だが、チュニジアには、彼のようにベルベルのルーツを忘れずにいる家族がたくさんいることと思う。それは重要なことで、私にも非常に興味深かったが、ベルベル語を学ぶことにはつながらなかった。

その後、私はチュニスである女性と知り合い、アラビア語を教わる機会を得た。聞けば、彼女もベルベル系の家族の出で、今も南部に一族が暮らしているという。彼女自身はアラビア語しか話せないが、母はベルベル語も話せるとのことだった。

彼女はとても親切な人で、私がチュニジア南部に関心を持っていると知ると、ガベスにいる知人を紹介してくれた。その知人を頼って私がチュニスを出発したのは、2024 年 3 月 22 日のことだった。

(写真:ガベスにある魚のモニュメント)

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その4)

 1週間後の3月26日に仮放免の手続きを行うということが決まった時点で、私は自分が長崎に行くということで準備を始めた。長崎の支援者に頼むのが一番よかったが、急なことなので、うまく調整できるかどうかわからなかった。多分、お願いしたら、何としてでもやってくれただろう。だが、それでも私は自分でいこうと決めた。

 なぜなら、暇だったから。

 コロナが、不要不急の塊のような我が人生から、あらゆる予定を蹴散らしてしまっていたのだ! おお、私はいかに要にして急なる出来事の到来を待ち望んでいたことか。まるで最後の審判を待ち望む死人のようにだ。というのも、死者たちにとっては、最後の裁きこそが要にして急、それ以外のあれやこれやは不要不急、その日が来るまで墓で自粛、というわけなのだ。

 だが、もうひまに飽かして毎日つくる大根の煮物にはうんざりだ。ここで別種の栄養の補給があったっていいのでは? ちゃんぽんやカステーラ方面からの。

 さあ、長崎へ、俺は墓から飛び出すのだ。

 だが、問題は金だ。

 私は保証金を集めてくれている彼の知人に思い切って連絡する。

 「あの、旅費、半分ぐらい出してもらえますか」

 「全部出しますよ!」

 向こうの気が変わらないうちに、行きと帰りの飛行機をただちに予約だ。(つづく)

大村のバスターミナルで。