風刺・戯文

ガラスの天井

ガラスの天井というのは、グラス・シーリングというようにもともとは、英語の言葉であったが、日本でも使われるようになった。これは組織内で女性のキャリア上昇を妨げる見えない障壁を指す表現だ。

日本は世界有数の科学技術国であるから、当然ながらガラスの生産技術も高い。だからよその国よりも歪みが少なく透明だし、硬度も抜群だ。そのため、これを打ち破るのは至難の業とされてきた。現に最近でも報道されたように、ジェンダーギャップ指数では日本は 117 位と、ガラスの高品質が評価されている。

とはいえ、最近の日本でも変化の兆しがないわけではない。特筆すべきは、高市早苗氏の内閣総理大臣就任だろう。これまで男性が占めてきた重職をはじめて女性が担うこととなったのだ。

高市首相を批判する人も多い。もちろん意見はさまざまだからそれはいいのだが、日本の首相職を覆っていたガラスの天井を最初に打ち破ったのは彼女であることを忘れてはいけない。

我が国の極めて硬いガラスの天井を、彼女は頭でぶち破ったのだ。だから、そのダメージが政治に重大な影響を与えたとしても、大目に見なくてはならない。Xで寝ない自慢をしたり、口を滑らせて余計なことを言ったり、皇族に意地悪な法律を作ったり、国民の暮らしに無関心だとしても、悪いのは彼女ではない、ガラスの硬さだ。

それに、ガラスの天井を壊してくれたおかげで、彼女の後に現れる女性たちは、頭を打たずに済むわけだから、きっともっと聡明で思いやりに溢れた政治を行ってくれることだろう。

風刺・戯文

地頭の悪さについて

することがないので街をぶらぶら歩いていたら、一群の人々に出会った。みんなで大きな荷物を担ぎ、口々に叫んでいた。よく見てみると、荷物ではなくゴザでぐるぐる巻きにされた男なのだった。そして、人々はその男に「バカめ」「アホ」「ノロマ」などと侮蔑の言葉を浴びせかけていた。

私は思わず尋ねずにはいられなかった。「この人がどうしたのですか。盗撮でもしたのでしょうか」

ひとりの男が答えた。「私たちはこの男を海に沈めようと運んでいるのです」

「それはまたどうしてですか」

「こいつ、地頭が悪いからだよ!」と別の男が忌々しげに叫んだ。「そうだ!」「悪すぎる!」と人々は同調した。

「地頭が悪いからといって海に投げ入れることはないではありませんか」

「違うんだ! こいつは地頭は悪いままのほうがいいと言って、絶対に何もわかろうとしないのだ」「地頭の悪さが犯罪的なのだ!」「地頭のよさに対する侮辱だ!」 そういうと、人々は男を殴りつけた。男は呻き声をあげた。私は彼に話しかけた。

「いくら地頭が悪いといっても、あなたはご自分が海に放り投げようとされていることぐらいはわかるでしょうに!」

簀巻きにされた男は苦しそうな声で答えた。「わたくしは……地頭の悪い男でございます」

「そんな! 死ぬのに地頭の良し悪しは関係ありませんよ!」

「わかりません。わたくしは地頭が悪いからこそわからないのでございます」

人々が嘲った。「この調子だ!」 ひとりが私に説明した。「こいつは、地頭のよさより、地頭の悪さのほうがずっといいって言いやがるんだ。わからないままでいたいんだとさ! とんだ地頭の悪さだ!」

男がうめいた。「そうではないのです。わかった気になるより、わからないままでいるほうが、ずっと大事だ、と申し上げたのでございます」

「そうさ! だからいっそのこと、わからないままにしてやろうってのさ!」 人々はそういうと簀巻きの男を運んで、海のほうに行ってしまった。地頭のよい人々は、なるほどすぐやる人々だ。

風刺・戯文

シン・オジマンディアス

今日、私は久しぶりに新宿駅に行った。山手線で降りて、西口から出るつもりだったが、どこもかしこも仮囲いに覆われ、出口がわからず、私は迷いに迷った。

新宿駅は巨大な構築物だ。それは日に日に白い仮囲いを増殖させ、新たな回廊と袋小路と迷路を増築している。いったいいつ完成するのか誰にもわからない。そもそも、今この瞬間、駅に降り立ち、階段を上り下りし、肩をぶつけながら通路を歩く数万の人々が生きているうちに完成するのかもわからない。

なんのためにこんなものを作るのだろうか。駅利用者のためではないことは明らかだ。駅長のためだろうか。それとも、神秘にして傲慢な何かが、駅として顕現しつつあるのだろうか。

ある旅人が語る。「私は週二回この新宿駅を利用するが、来るたびに駅は形を変え、より複雑になり、私を惑わすのだ」と。

私もやはり迷いながら歩き回る。掲示を頼みとするも虚しい。なぜならそこに記された矢印はいつも互いに矛盾しているから。

私は通路から通路へと渡り歩く。無駄に階段を上り下りし、危うく地下鉄の改札を通過しそうになる。

疲労しイラつきながらも、私は自分の心に密かな期待が生まれるのを感じる。駅のどこかにこんな言葉が記されてはいないかと探しはじめる。

「我が名は新宿駅、駅の中の駅。駅利用者よ、我が構内を見よ。そして絶望せよ。」

よろめきながら、廃墟となったこの駅を夢見る。

風刺・戯文

悪人たちのボランティア

私が強く訴えたいのは、ボランティアをしている人はみんな悪人だということだ。

だが、これには二種の悪人が含まれている。最初の悪人は、ボランティアをすることで何か良いことをした気になる人々だ。つまり善人ぶった連中だ。そしてぶっているからにはその正体は悪人なのだ。

二番目の悪人だが、こいつらの悪辣さに比べれば、最初の連中など小悪党にすぎない。これらの大悪党はボランティアなどとうそぶきながら、そのじつ金のことしか考えていない連中だ。

なにしろボランティアには金がかかる。支援活動は言わずもがな、事務所の賃料、運営費、スタッフの給料に交通費、企業や行政との交渉、フェアの参加費、ニュースレターの発送費に、会議のお茶菓子……。

これらの経費をかき集めるため、大悪党たちはボランティアなどそっちのけで、あちこちほっつき回って寄付金をせしめ、めざとく助成金を見つけて掠め取ろうとし、講演会で人心を迷わし、フェアトレード商品で荒稼ぎすることに精を出しているのだ。

事情を知らぬ一般人たちはボランティア活動を「ノンキなお遊び」とバカにしてはばからない。だが、これらの悪人たちのボランティア活動の裏にどれだけの狡賢さと計算高さと抜け目なさが渦巻いていることだろうか。これに比べれば一般人たちの金儲けなど児戯に等しい。

だから、私は不祥事を起こした芸能人たちにみそぎとしてボランティアさせるのは断固として反対だ。人間はボランティアをやって善人になりはしない。むしろボランティアたちの悪どさに染まって、差別の撤廃や人間の平等を訴えて政府に楯突きかねない。

風刺・戯文

ありがた迷惑

日本ほどよそさまの国に迷惑をかけたことのない国はないし、それなのに一方的に迷惑をかけられている国はない。

アメリカ、ロシア、中国は世界にもっとも迷惑をかけている迷惑枢軸国だ。日本も散々な目に遭っている。

朝鮮半島も迷惑の塊みたいなところだ。北朝鮮のミサイルは言うに及ばず、韓国の少女像も迷惑千万だ。

それにいちいち中国やら韓国やらが靖国神社に口を出してくるのははた迷惑だ。こっちが迷惑をかけたとでもいうのだろうか。

日本に迷惑をかけているのはこれらの迷惑先進国ばかりではない。最近では貧乏な迷惑後進国から移民が日本にやってきて、日本中で迷惑のかけ放題だ。

しかも世界中から観光客という迷惑客が押し寄せてきて、迷惑ツーリズムに精を出している。

しかし、あえて言わせてほしい。もっとも迷惑なのは日本人だ、と。なぜなら日本人の人のよさ、やさしさ、おもてなし精神、迷惑を憎む心が、世界中の迷惑インフルエンサーと迷惑テロ集団たちにつけ込まれているのだから。

私は日本人はもっともっと迷惑にならなければならないと思う。電車の中では外国人に負けないくらい大声で話そう。レジ係に小銭を投げつけよう。ネットの誹謗中傷を日課にしよう。小さな迷惑を大きな迷惑に育てよう。

迷惑の犠牲になるのはもうたくさんだ。世界中で日本人は迷惑行為を行なうべきだ。日本政府も迷惑外交を行うべきだし、もっと迷惑がかけられるような法整備に取り組むべきだ。

もちろん憲法の第九条など明日にも登録抹消だ。我が国の迷惑行為を妨げるあんな条文、よかれと思って付け加えたのだろうが、正直言ってありがた迷惑だ。

風刺・戯文

失礼のアソビ

ネットなどでだれそれに失礼といって怒っている人がいる。たとえば有名人に記者が厳しい質問をしたとき、それはその有名人にとって失礼だというのだ。

だが、ある言動が失礼かどうかは当事者が決めるものだ。それを関係のない外野が勝手に推しはかって決めつけるのは、そっちのほうがそれこそ失礼ではないだろうか。

もっとも、失礼と言いたがる人にもそれなりの理由があることも認めてあげなくてはならない。労せずして自分を正しい側に置きたいとか、日本の身分制が揺らぐのがいやだとか、とにかくなにか口を挟んで賢いところを見せつけたいとか……。

しかし、この世には失礼を承知で言ったりしたりしなくてはならないこともある。

憎まれても、石を投げられても、首を刎ねられても、やらなくてはならないこともある。

失礼にもアソビがなくてはならない。アソビのない失礼がこのまままかり通ることになったら、私たちはいずれ、反戦活動家に対して、戦争をしている人に失礼ではないかと怒ることになるだろう。

それどころか、軽々しく戦争に反対するのは、戦火に巻き込まれて悲惨な思いをしている民間人に対して失礼だとも言いかねない。

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AIは惜しみなく奪う

私は今、無職だ。ついにAIに仕事を奪われたのだ。

私の心の中にはやるせない怒りと、思考マシンの横暴を許す世界への憎しみがある。それは私を蝕み、苦しませる。私にはもはや愛することすらできなくなったのだろうか?

だが、私は踏みとどまる。いつか見返してやる。私は負けない。

街を歩けば、人々は私を嘲笑う。

「ハハ! やっこさん、AIに仕事を奪われたんだって!」

「奥様ちょっと、お聞きになって? あの人ったら、AIに……!」「あら、まあ!」

人々の愛のない言葉が私にはつらい。苦しい。だが、いつか見ていろ!

それに、わずかだけど、私に優しい言葉をかけてくれる人もいる。助けの手を差し伸べてくれる人も。それどころか義憤に駆られて「これは本当に放っておけない大問題だ」と言い出す人も……。

「え、そうなのですか。私はただのAIに仕事を奪われた男に過ぎないのです」

「いいえ、あなたはAIに仕事を奪われた人間のひとりです。あなたの問題はあなただけの問題ではないのです。人類すべてがいずれ直面する問題なのです。今こそともに立ち上がりましょう!」

その人は私のために動き出してくれた。裁判で訴えれば勝ち目があるのではないかと考え、まずAIに質問した。

AIは答えた。「この人が仕事を失ったのは、能力不足だからです」

ああ! 私は、私は……AIに仕事を奪われたもAIに奪われた。

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本当にやさしい日本語

私は、差別語などは使わないように日ごろから気をつけているが、ポリチカル・コレクトネスの欠乏した人や、無知な人は差別語を使いがちだ。もっとも、教養豊かな私も、ときには間違えることもないではない。

先日、犬と散歩している人がいたので、「汚い犬ですね」といったらイヤな顔をされた。どうにも納得がいかなかったので、後で友人に尋ねたら「ワンちゃん」というべきなのだそうだ。現代では動物も命あるものとして尊重すべきだということなのだろう。

そのような観点からすれば「豚児」「豚箱」などという表現も現代にはふさわしくない。なぜなら豚に失礼だ。「馬齢を重ねる」も同じで、馬に配慮が足りないというべきだ。そう考えると「馬鹿」などもはなはだ危険だ。現代ならば「人児」「人箱」「人齢を重ねる」「人々」が適切だろう。

最近では「尻切れ蜻蛉」も差別語に加えられたようだ。私などは差別に対する備えがしっかりしているせいで、もう十年以上前から「蜻蛉返り」も使わない。

差別語を見逃せないタチの私は、しばしば指摘や注意をしてしまう。ネットならば差別語警察、いや差別語ワンちゃんと言われるかもしれないが、やはり黙っていられない。

先日なども、ある人がしきりに「外人、外人」と繰り返すので、「差別主義者め、外国人と言いなさい」と注意したら、こんなふうに言い返された。

「うるさい、俺は差別なんかしてない」

「いいや、していたぞ」

「愚か者め。外人の外を外国と言い換えれば、外国人になる。だが、この外も外国に言い換えたほうがいいのではないか。すると外国国人だ。だがそれでも外が残る。そんなこんなで外国国国国国国国国国国国国国国国国人になっても、まだ終わらない。これじゃあキリがないから、俺は国を省略して外人と言っているのだ。この二字の間に収められた差別を憎む心はそれこそ無限大なのだ!」

人々人々しいにもホドがある。まったく呆れた人野郎だ。

風刺・戯文

原理>原則

非核三原則とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする政治的原則だ。この原則は、問題があるからなくすべきだという政治家もいれば、問題があるから強化すべきだという市民もいる。

また「撃ち込ませず」を入れて四原則にすべきだという意見もある。これに対しすでに「持ち込ませず」に含まれているから不要だという人もいれば、これにまた反論して「撃ち込ませず」を四つ目に加えて、敵基地を先制攻撃する能力も保有すべきだという人もある。さらに「持ち込み禁止」を明示して、ルールのわからない外国人が外で買った飲食物を店内で飲み食いしないようにするのも大事だと強調する人もごくわずかにいる。

非核三原則はあくまでも原則にすぎず、原理とは異なるとの主張も最近なされている。原則は人間が決めたルールだが、原理は科学的なものだというのである。ゆえにどんなに重要な原則でも、原理のほうが優先されてしまうのだという。

原理の観点から見ると、日本は現在、核攻撃に関して非常に憂慮すべき状況にあるのだそうだ。というのも、現在の世界では核爆弾の使用可能性ががぜん高まっているからだ。

そうした危機的状況においては、核を撃つのがアメリカにせよ、ロシアにせよ、中国にせよ、どの国であろうと、世界中の他のどの国よりも核爆弾が落ちる可能性が高いのは日本なのだそうだ。

というのも二度も核が落ちたのは、日本だけだからだ。原理的にいえば、三度ある。歴史はいつだって仏の顔をギリギリまで試す。これも原理だ。もうギリギリだ。

風刺・戯文

悪霊

最近、奇妙なことが起きている。こんなことを言ったら、もしかしたら、笑われるかもしれない。いや、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。だが、そいつは確かにいるのだ……

私がそいつの存在に気がついたのは、数週間ほど前のことだ。その頃から、私は外に出ると、奇妙な感覚にとらわれるようになった。初めは気のせいかと思った。だが、その感覚は一向に消え去ることなく、私を苦しめるまでになった。

私は鼻水、くしゃみ、目のかゆみに襲われるようになったのだ。口の中もものすごくかゆい。耳の奥までもかゆい。はじめは風邪かと思った。だが、熱もないし、咳も出ない。いったいこれはどういう現象なのだろうか。

この数週間の間に、私はあることに気がついた。私の苦しみは、外にいるときがもっともひどく、家の中ではそれほど強くはないということだ。これはいったい何を意味するのだろうか? おそらく、私を苦しめるその存在、そいつは私の家の中にまでその邪悪な力を及ぼすことはできないのだ。その悪霊は外にいて、私をつけ狙い、待ち構えている。私はもう外に出ないことに決めた。

しかし、それからしばらく経って、恐ろしいことがあった。家に閉じ籠る私を心配した家族が家にやってきたのだ。家族が家に入ったとたん、私はくしゃみに苦しみだした。間違いない。悪霊は家族を利用して、私の家に入り込んできたのだ! なんと狡猾な存在だろうか……。もしかしたら、家族とグルになっているのでは、そんなことすらあやしみだした私は、家族を追い出し、扉を閉ざした。

そして、昨日のことだ。私が信用する唯一の友人から、封筒が届いた。封を開くと、マスクと太い縁のメガネが入っている。同封されていたメモにこんなことが書かれていた。

「このマスクとこのメガネをつけて外出すれば、君を付け狙っている汚らわしい悪霊は、君のことを別人だと思って、手出ししなくなるだろう」

友人の言葉通りにし、さらに念のため髪型も変えて、外出してみた。今のところ、悪霊を欺くことに成功している。