苦い文学

戦時下の炎上

不逞国家の征伐作戦を実施している我が国の軍で、とんだ不祥事が発生した。

高田陸軍大将が、SNS の個人アカウントに「お前は偉くないので、生き残ってくださーい。敗軍の捕虜でーす」と投稿していたことが明らかになったのだ。

これは先日開催された開戦記念日式典における市川陸軍大将の発言「今回の世界大戦においては、国のために命を捧げて死んだだけで偉いので皆、二階級特進である」に対する揶揄であると解釈されている。高田陸軍大将と市川陸軍大将はかねてから不仲であることが知られている。

高田陸軍大将はすぐに投稿を削除したが、その投稿を写したとされる写真がネットに拡散し、我が国のネチズンたちの非難と怒りを引き起こした。

「戦場で死ぬのは名誉なことですよね?」
「生きて虜囚の辱めを受けることをすすめるとはなにごとだ」
「こんな大将のもとに子どもを送り出したくない」
「失望した」
「国のために戦った兵士たちにめちゃくちゃ失礼」
「もう応援しない」
「国民やめます」

あわや大炎上かと思われたが、特高警察がただちに投稿者を特定し、全員逮捕したので、とくになんともなかった。

苦い文学

首の回転

ポーランドのポズナンで9月に開催された第21回世界言語学者会議(21st International Congress of Linguists)で、私はいくつかのプレゼンテーション・セッションを見にいった。

そのうちのひとつに、私でも知っている有名な言語学者が聴衆のひとりとして来ていた。

プレゼンテーションは、20分の発表と10分弱の質疑応答からなる。

いくどか質疑応答が繰り返されたのち、私はあることに気がついた。その有名な言語学者は前の方に座っていたのだが、質問が出ると必ず振り向いて質問者の方を見るのだ。

しかも、ただ見るだけではない。いかにも楽しそうな顔つきで、議論を見守っていた。

「これか」と私は思った。「これが優れた先生の態度というものなのだ」

私はおおいに反省した。私はといえば、どこかで質問が出ても、ただボケーっと前を見ているだけなのだ。

「いったいいつお前はそんなに偉くなったのか?」 私は自問せずにはいられなかった。「お前は、あの大先生が振り返っているのを見て、まだノウノウとふんぞりかえっていられるのか?」

私は決意した。「よし、俺も真似して振り向くことにしょう」

この私にもまだ、首を後ろに向けるだけのかすかな向上心は残っていたのだ。

そして、次のプレゼンテーションが終わり、質疑応答の時間となった。さっそくフロアから質問が飛び出した。偉大な先生が振り向く。

私は……その質問者の席が自分の真後ろでなければ、振り向いていたことだろう。首の回転にも限度はある。

苦い文学

世界の言語学者たち

ポーランドのポズナンに滞在していたこの9月、第21回世界言語学者会議(21st International Congress of Linguists)が開催されていたので行ってみた。これは5年に1回開催され、言語学関係では最大規模の学会だそうだ。

学会は1週間にわたって開かれ、全体講演が12、口頭発表とポスター発表があわせて760以上ある。プレゼンテーションの数は、地元のポーランドがいちばん多くて165、次がドイツの100、イギリスの47、日本はその次の37だという。

言語学者会議とはいうが、別に言語学者でなくても参加費を払えば誰でも参加できる。そんなわけで、私でも何食わぬ顔をして潜り込むことができた。

私が会場内をうろついていると、話しかけられた。パキスタンの言語学者だということだが、私の顔を見るなりいった。

「君はネパールから来たのかね? いやフィリピン人かな?」

私は流暢な英語で答えた。

「ノー」

その後、ひとりソファに座ってぼんやりしていると、また話しかけられた。白人の年配の女性だ。

「あなたはチベット人ですか? もしそうならチベット語のことで知りたいことがあるのですが……」

「ノー」

世界の言語学者たちをまどわせたことにたいへん満足しながら、私は会場を後にした。

苦い文学

割れた酒瓶

日本は治安が良くて、キレイで、ゴミひとつ落ちてない、などといって鼻高々な私たちだが、じつのところ、ポーランドもキレイで、ゴミひとつ落ちていない。また、どこに行っても、安全で、不快な思いをすることなく過ごせる。

要するに素晴らしい国なのだ。ただひとつの点を除けば。

ときどき道端に、凄惨な割れ方をした酒瓶が転がっているのだ。たいていはビール瓶だが、もっと強そうな酒もある。

酔っ払った人間たちが空いた酒瓶を道端に投げ捨てて、むごたらしく割る。ポーランドでの生活もそうそう楽ではなさそうだ。いずれにせよ、サンダルで歩く私は、これがいちばん怖かった。

興味深かったのは、どんなに酒瓶を割ろうとも、これら酔漢はけっして吐いたりしないということだった。道端にゲロなど落ちていないのだ。日本では割れた酒瓶などめったに見ることはないが、ゲロなら任せとけだ。

いったいこれはどういうことだろうか。

割れた酒瓶の数とゲロの量は反比例するのだろうか? 日本政府とポーランド政府による合同調査の開始を心待ちにしたい。

苦い文学

ある記録から

……そこで私たちは、泣き喚き、大声で叫び続けました。すると、そいつはあわててやってきて、オロオロしながら、私たちを撫でさすったり、水を飲ませようとしたり、何か食べさせようとするのです。

ですが、私たちの決意は変わりません。私たちはそいつの手をはね除け、辺りを水浸しにし、食べ物を放り投げました。そしてそれからまた、声をかぎりに叫ぶのです。そいつは目に涙を溜めながら「お願いだから静かにしてくれ」とか「なんでもするから、落ち着いておくれ」などと言うのでした。

そして、数日経つと私たちは、もうどの街角に出しても立派に通用するくらいみすぼらしく、汚らしく、悪臭プンプンとなりました。大便も垂れ流し、しかもその上でゴロゴロです。私たちは最後の一押しとばかりに、汚れきった姿のまま、喚き散らしました。

するとそいつが駆けつけてきて、涙を流しながら平伏していうではありませんか。「どうかやめてくれ。気に食わないことがあったら謝るし、心を入れかえるから。たのむ、たのむ……」 私たちは笑いたいのを堪えて、盛大に悲鳴をあげ続けました……

それからすぐです。通報があった、と人々がやってきてそいつをどこかに連行して行きました。動物愛護管理法違反。私たちが狙った通りです。

本当のことを言うと、私たちはそいつを憎んでなどいません。ただなんとなく気に食わなかっただけです。でも、私たち犬にとってはそれで十分なのです。

そういえば、この間、新しい飼い主と散歩に出たとき、そいつの家の前を通りました。正直いうとなつかしさすら覚えましたが、そいつが姿を見せたらどうしようかとも思いました。もっともそんな心配は無用でした。「賃貸(即入居可)」の張り紙がありましたからね。

苦い文学

ポーランドの道路

ワルシャワの街を初めて歩いたときに驚いたのは、車道と歩道に加えて自転車専用の道が整備されていることだった。これはおそらくヨーロッパの他の国でも同様だろう。

日本だと自転車は車道を走らなくてはならない。そして、これは特攻隊員と同じくらい、いやそれ以上に危険なことだ。なので、私は大いに感心した。

日本の自転車専用道路は車道の一部だが、ポーランドでは歩道と並んで作られている。なので、歩道のつもりで自転車専用道路を歩いてしまうことが幾度もあった。そのたびに自転車にベルを鳴らされ、恥入りながらあわてて歩道に移るのだった。こうした経験を繰り返し、私はやがて自転車専用道路を邪魔に感じるようになってきた。

その後、私はクラクフ、ポズナンと移動し、再びワルシャワに帰ってきた。私のポーランド滞在は12日間で、長いものではないが、自分でも驚いたことに、どんなにぼんやり歩いていても、自動車専用道路に入り込むなどということはなくなっていた。散々歩いたので、もう慣れてしまったのだ。

慣れといえば、ポーランドの車は信号のない横断歩道でも必ず止まってくれる、ということも以前書いた。最初のうち、私は停止した車に頭を下げたり、すまなそうに早足で渡ったりしたものだが、いつしか止まってくれた車のほうすら見ずに渡るようになってしまった。車が止まるのが当たり前、という状況に慣れてしまったのだ。

きっと、日本に帰ったら、私は横断歩道で轢き殺されることだろう。

苦い文学

コスモス

『コスモス』は、ポーランドの作家、ヴィトルド・ゴンブロヴィッチの小説で、日本では「東欧の文学」というシリーズの一冊に入っている。

この(シリーズの一冊としての)『コスモス』には、別のポーランドのユダヤ人作家のブルーノ・シュルツの短編集『肉桂色の店』も入っている。順番としては、シュルツ、ゴンブロヴィッチの順に収録されている。

この夏、ポーランドに行くことになったので、積みっぱなしのポーランド文学を読んでおこうという気になった。そのうちの一冊が、『東欧の文学 コスモス』だ。

私は少しずつ読み進め、『肉桂色の店』をほぼ読み終えたところでポーランドに持って行くことにした。

そして、この本を私はポーランドで無くしてしまった。ワルシャワに到着した日に私はキャリーバッグを引っ張って、駅からホテルまで長い距離を歩いたが、そのバッグのチャックが開いていたのだ。どうやらそこから『コスモス』だけが、ワルシャワの街角のどこかに落下したらしい。

非常にガッカリしたが、しょうがない。また、シュルツには別の日本語訳もあり、私はそれも持っていた。

その後、ポズナンの本屋でオリジナルの “Kosmos” を見つけた。私はポーランド語はわからないが、一応「江戸の敵を長崎で討つ」の精神で購入した。

苦い文学

ポーランドの本屋

ポーランド滞在の楽しみのひとつは本屋だ。empik というのが大手のチェーンの本屋で、本のほかに CD や文具なども売っている。会計は基本的にセルフレジのようだ。

empik の本の品揃えはどちらかというと新刊中心のようで、ポーランド文学の棚もそれほど大きくない。しかし、街のあちこちに小規模な書店がある。私は暇があるとそうした本屋を見て回った。

もっとも私はポーランド語はわからないから、用はないわけだが、それでもレムとかシュルツとかゴンブロヴィッチとか知っている作家の本を探すのは楽しい。シェンキェーヴィチが『クォ・ワディス』以外にもたくさん大作を書いているのも初めて知った。

外国文学の翻訳も充実していて、欧米の作品は言うに及ばず、どの書店に行っても村上春樹は必ず置いてあった。

だが、なによりも私を驚かせたのは、ミステリーと SF とファンタジーが売り場のかなりのスペースを独占していたことだ。ミステリーが人気なのは日本でも同じだが、ファンタジー系の分厚いシリーズで壁が埋め尽くされていることもポーランドでは珍しくはなかった。

多くは翻訳物だ。ハリーポッター・シリーズ、『指輪物語』、ラブクラフト、コナン・シリーズなどの定番かつ古典的作品は当たり前で、私の知らないシリーズもたくさんあった。SF も日本で知られているような作家はたいてい見かけた。

日本だと、SF やファンタジーは文庫本中心で、あまり目立たないが、ポーランドでは違う。サイズの大きいハードカバーで、装丁も重厚、色調もダークだ。さらには本の側面(小口と天地)に濃厚なイラストが描かれているものもある。中世、いや魔法世界の稀覯本といっていいだろう。

欲しくなったが、結局のところやめた。ポーランド語読めないし、荷物重くなるし。

苦い文学

行き着くところ

飛行機の離陸前に流れる「機内安全ビデオ」のエンターテインメント化が進み、このままでは過激化するのではないかという、私の危惧についてはすでに述べた。

だが、私が憂慮しているのはそれだけではない。このままだと「機内安全ビデオ」は、ますます大作化し、さらにはシリーズ化する危険性がある。

もちろん、面白ければいい。乗客の安全意識が高まればいい。そう考える人もいるかもしれない。だが、もし、この傾向が行き着くところにまでいってしまったら? そして乗客がすっかり飽きてしまったら? そのとき、機内にいったい何が残るというのだろうか?

それは、もはやビデオに見向きもしない一般大衆ではないだろうか?

そんなやりきれない思いを抱えながら、今年の夏、私はさまざまな航空会社を利用した。そして、つい昨日のことだ。離陸前の機内に座る私は信じがたいものを目にしたのだった。

なんと、ビデオなどいっさい流さずに、通路に立った客室乗務員がじつに高らかな声で安全に関する説明と実演をはじめたではないか。

同じような危機感を共有している航空会社がある、と私はうれしくなった。いや、私を喜ばせたのはそれだけではなかった。客室乗務員が説明を終えたとき、すべての座席から拍手が沸き起こったのだった。

この飛行機に乗り合わせたすべての乗客が、生の実演に感動したのだった! 

私は感激のあまり、手を打ち鳴らしている隣の紳士に思わず声をかけた。

「ああ、これぞ客室乗務員です。本物、本物です!」

すると、紳士は怪訝な顔をした。

「客室乗務員? いいえ、この人たちは著名な俳優で、このフライトのために企画された特別公演をいままさに終えたのですよ!」

不可解な言葉に戸惑う私の目の前で、先ほどの「俳優」たちが再び現れ、一列になって手を繋ぎ、カーテンコールに応えた。

苦い文学

機内安全ビデオ

情報を伝えるということは、ただ単に情報を伝えればよいということではない。なによりもそれは相手に伝わらなくてはならない。そのために伝え方が重要になる。

私がこの伝え方の好例としてあげたいのは、飛行機の離陸前に見せられる「機内安全ビデオ」だ。

昔はこのビデオはただ客室乗務員が立って救命ベストを開いたり、チューブにフーと息を吹き入れるようすを見せるだけのものだった。

もちろんのこと、これでは誰も見はしない。そこで伝えるための工夫が必要となるが、ここで発想の転換がなされることになった。

「機内安全ビデオ」から機内が消えたのだ。「機内安全ビデオ」でもっとも大事なのは安全にかかわる情報であるが、その情報を伝えることができるならば、べつに機内であることも客室乗務員の存在もいらないのだ。要するに伝え方を、飛行機のあれこれから切り離したというわけだ。

その結果、さまざまな個性あふれる「機内安全ビデオ」が生まれることになった。私が見たことがあるのはカタール航空のサッカー場と、ポーランド航空の美術館を舞台にしたものだ。

インターネットで検索すると、さまざまな「面白機内安全ビデオ」が出てくる。その発想の豊かさに感心するが、私は危惧せずにはいられない。

なぜなら人間の面白動画欲はエスカレートしていくからだ。私たちはもっと面白くもっと過激な映像を欲しがるようになる。墜落する飛行機を舞台にしたビデオが登場するのも時間の問題だろう。