風刺・戯文

鴎外の害

森鴎外という作家はご存知だろうか。昔の文豪だ。

少し本でも読んで勉強しようと、たまたま手に取った本の作者が森鴎外だった。それは短編集で、最初の何編かは面白く読めたのだが、ある作品で私はもう先に進めなくなってしまった。怒りに身が震えて、思わずその本を壁に投げつけてしまった。

それは「普請中」という作品だ。この小説は、作中のこんな台詞で有名なのだ。

「日本はまだ普請中だ」

なんということを言うのだろうか。文豪ともあろう人が。日本人ほど文豪に弱い人々はいないのだ。文豪のいうことを信じすぎる。おかげで、日本人は日本は普請中だとすっかり信じ込んでしまった。いや、それどころか、普請中こそ日本だと思い込んでしまったのだ。

その結果、何が起きただろうか。いつまで経っても終わらない駅の工事だ。昨日あっちにあったと思ったら今日は行手を塞ぐ神出鬼没の白の仮囲いだ。目まぐるしいルートの変更で、わたしたちを迂回させ、迷わせ、その挙句、新しくできた角で出会い頭に衝突させ、頭を砕く、恐るべき普請中だ。

本当に迷惑な話だ。文豪が普請中にお墨付きを与えたせいで、わたしたち日本人は、永遠に完成することのない駅構内をさ迷い続ける羽目になったのだ。

旅・観察

森鴎外記念館(後編)

ベルリン・フンボルト大学森鴎外記念館は、Friedrichstraße(フリードリヒ通り)駅から歩いていける。建物の上方に大きく「鴎外」と書かれているのですぐわかる。

記念館はこの建物の 2 階で、階段を上がって中に入ると、ドイツ人女性の責任者が現れて、館内の説明を日本語で簡単にしてくれた。無料だが、寄付を募っている、とアクリルの小さなボックスを示された。中には 10 ユーロ札と 5 ユーロ札が 1 枚ずつ、硬貨が少々入っていた。「写真を撮っていいですか」と聞くと、公開しないものならいいとのことだった。

それほど広くない館内をひとりで歩き回る。ドイツ留学中の鴎外や、帰国してからの作家活動についての説明や写真が展示されている。ここは鴎外が一時住んでいた場所で、当時の部屋も再現されている。窓際に書き物机があり、その上の壁には鴎外のデスマスクが飾られていた。これらは常設展で、別の 2 室では特別展示として 1880 〜 90 年代の東京の写真が並べられていた。

私がいる間には、他に来館者はいなかったが、責任者の知り合いらしい日本人がひとりやってきて、なにやら文化的な話をドイツ語でしていた。

記念館の入り口の脇に、売り物の書籍と絵葉書があった。絵葉書は 1 ユーロで、鴎外の肖像のものを 1 枚買った。例の寄付ボックスが目に入ったので、責任者の目の前でお金を入れて、文化の香り高いところを見せつけてやろうとしたが、財布には 10 ユーロ札(1,700 円)と小銭しかなかったのでやめた。その人も「こりゃまだ日本は普請中だ」と呆れたことだろう。

旅・観察

森鴎外記念館(前編)

説経節を読んでいて、森鴎外の「山椒大夫」を知った。読んでみたが、本家のほうが面白い。しかし、他の短編がよかったのでいろいろ読んでみることにした。

鴎外というと「石炭をば早や積み果てつ」をむかし学校でやったきりで、難しくて読めないだろうと思っていたが、それ以外はけっこう私にも読めた。ひどくつまらないものもあるが、女の人を書くときはイキイキしている。たぶんスケベだったのだろう。

いくつか読んでいるうちに、森鴎外がベルリンに留学していたことと、そこに記念館のあることも知った。6 月にベルリンに行ったときは、やはりスケベであったとされる楽聖デヴィッド・ボウイのベルリン三部作のことしか頭になかった。それで、『Low』『“Heroes”』『Lodger』の 3 枚のアルバムの曲の多くと、イギー・ポップのアルバムなどが録音された有名な音楽スタジオ、Hansa Tonstudio を訪問した。ベルリンの壁が近くにあったことがわかるので、“Heroes” がより感慨深く聞ける。

訪問したといっても、ハンザ・スタジオの中には入れない(有料のガイド・ツアーがあるようだ)。また、ボウイ饅頭やチャイナ・ガールの烏龍茶が売っているわけでもない。ただ、スタジオのガラス窓に大きな画面が設置されていて、デヴィッド・ボウイのいろいろな表情がかわるがわる映し出されているだけだ。

いっぽう、森鴎外記念館は中に入ることができる。しかも無料だという。そこで今回、9 月のドイツ滞在中に行ってみることにした。

旅・観察

サンスーシ宮殿

ドイツ、ポツダムの観光地といえば、サンスーシ宮殿だ。これはフリードリヒ大王が、1747 年に建てた宮殿だ。

広大な庭園に囲まれていて、宮殿から 30 分弱歩くと、サンスーシ新宮殿と呼ばれる別の宮殿に行き着く。今回、学会の会場のあったポツダム大学はこの新宮殿の裏手にあり、私はサンスーシ内の散歩道を歩いて毎日通っていた。

宮殿内を巡るチケットは、近くの売店で買うことができる。宮殿と新宮殿で 22 ユーロだ。チケットを買うとそれぞれの入館時間を指定される。これは混雑を避けるためで、時期によってはネットで予約したほうがいいそうだ。専用のアプリがあり、これをダウンロードすると、英語などで解説を聞きながら回れる。サンスーシ宮殿のほうでは日本語の音声ガイドを貸してくれる。

宮殿の各セクションには係員がいる。私は絨毯の敷かれていないところに立ったり、壁際のテーブルにうっかり手を乗せたりして、2 度ほど注意された。また、ショルダーバッグを後ろに回さずに前にかけるようにとも注意された。混んでいる時期にはスリが現れるもののようだ。

サンスーシ宮殿はこじんまりしていて、生活感が漂っている。ヴォルテール先生ご宿泊と伝えられる客室もあり、部屋を飾る自然をモチーフにした鳥、動物、果物のレリーフは見ものだ。

新宮殿は公務や社交の場のようで、大きくて立派だが、それほど面白くはない。壁の奥まった部分にはコンセントの穴があり、おそらく召使いたちが偉い人の目を盗んで携帯を充電していたにちがいない。

旅・観察

歴史探訪「ポツダム宣言」

ある年齢以上の日本人はポツダムと聞くと、必ずポツダム宣言を思い出す。私もそのひとりで、子どもの頃は歴史の教科書には必ずポツダム宣言のことが書かれていたものだ。もっとも、今の学校の歴史の教科書にはもうポツダム宣言とか原爆とかについては書かれていないだろうから、若い人はポツダムなど知らないかもしれない。

私が使っていた歴史の教科書のポツダム宣言のページには偉い人の写った白黒の写真が必ず載せられていた。そこで、私たちの記憶の中ではポツダムと白黒写真が結びついてしまい、今もポツダムは白黒なのではないかと思っている人も多いことだろう。

私もやはりそうで、今回、ポツダムに来て、すべて色がついているのに驚いた。戦後 80 年というが、それだけの時が流れればカラーになるということかもしれない。

ポツダム宣言が産声を上げたのは、ポツダムにあるツェツィーリエンホーフ宮殿だ。私はポツダムに滞在しているあいだ、ぜひともこの「宣言の聖地」を訪れようと考えていた。宮殿に置いてある「宣言ノート」に訪問者たちが記した思い思いの宣言を見てほっこりしたいと思っていたし、またそれに触発されて自分の口からどんな宣言が飛び出てくるか、それも楽しみだった。

しかし、宮殿は現在閉館中ということだった。

残念ながら、私の宣言はおあずけをくらった形だが、いつか、必ず訪れたいと思う。なにしろ、この宣言をきっかけに日本に住む人々が、今にいたるまで戦争から解放されたのだから。

風刺・戯文

富裕層のまねび

先日、いつも着ているシャツが擦り切れてきたので、新しいのを買いにいった。といっても高いのは無理だから、安い服屋だ。店内でゆっくり選びたかったが、ある事情があって、私はもっとも安い棚から適当につかみ取ると、セルフレジに投げ込んで会計を済ませた。

そうせざるを得なかったのは、店にいる間じゅう、ひとりの男が私をつけまわしているような気がしたからだ。万引きを疑われているようで不愉快だし、気味も悪かった。そして、私の勘は間違ってはいなかった。店を出た瞬間、私はその男に呼び止められたからだ。だが、その理由は私の想像とは違っていた。

万引きに疑われたと勘違いした私が、買ったもの以外は何も持っていないということを示そうとすると、男は手で制した。

「そうではないのです。ちょっとアンケートに協力いただきたくて」

「え、ちょっと今は時間が……」

「いえ、お手間は取らせません。すぐ終わります」と、男は早口で捲し立てだした。「実はですね、富裕層は安い服しか買わないという話を聞きまして。それというのも、お金の使い方を心得ているからということで。つまり、無駄なお金を使わないんですね、富裕層は。で、私はさっそく、真似しようと思ったのですが、ひとつひっかかることがありまして。というのも、貧乏な人もやはり安い店で服を買うと思うのですが、かたや富裕層と、かたや貧乏人、同じことをしているのに、なにが違うのだろうか、それがわからなければ真似しても意味がないぞ、と。かえって逆効果かもしれませんからね! で、その違いをはっきり知るために、アンケートをというわけで」

私はこの時には早足で歩きはじめていた。

「こうやって先ほどから貧乏人らしき方々に……」

どう見ても見込みのない人には協力するだけ無駄だ。

旅・観察

大先生のお言葉

ドイツのポツダムで言語学関係の学会が開催されている。

昨日が初日で、オープニングでポツダム大学の学長が最初に挨拶した。理系の研究者ということで、昨日の深夜、アメリカ出張から帰ってきたそうだ。そこで、挨拶の冒頭でこんなことを言った。

「アメリカでは研究者たちと会って話しました。そこで言っていたのですが、今のアメリカの雰囲気は」と学長は言いかけて「ここにアメリカからいらっしゃった方はいますか?」

私は前のほうに座っていたのでわからなかったが、誰も手を挙げなかったようだった。学長は続けた。

「今のアメリカは、とても暗い雰囲気だということでした」

もちろんトランプ政権以来、ということだが、研究費もいろいろ削られているという。そんな状況だからこそ、今、ここポツダムに世界中の言語を研究する人が集まるこうした機会は重要だというような話だった。

ところで、学長が「今のアメリカの雰囲気は」と言ったとき、私のすぐ後ろで、女性が小さく「terrible」というのが聞こえた。

そのときは振り返らなかったが、あとで後ろを見てみると、アメリカの有名な言語学者だった。

大先生がいうのだからこりゃ間違いない。今のアメリカは「ひどい」のだ。

旅・観察

私は空腹だ

ベルベル人は北アフリカやサハラ砂漠の国々に広く住んでいる人々で、一般にベルベル語という言語を使っている。ベルベル語話者は、北アフリカでは、モロッコとアルジェリアに多くいるが、チュニジアにも南部にわずかながらいる。

先月チュニジアに滞在したさいに、ベルベル語話者にベルベル語について教えてもらう機会があった。私は言語に興味を持っているので、単語やら動詞の活用について教えてもらった。単語といっても基礎語彙で「頭」はなんというとか、「話す」はどうだというレベルだ。

あるとき「空腹だ」とか「喉が渇いた」とかはどういうのか、と尋ねたら、該当する単語を答えてくれた。教えてくれたのは 60 代の男性だったが、この単語について教えてくれたとき、こんなことを言った。

「ベルベル人の男は、腹が減ったとか、お金がないとか、そういうことはいわない」

ならなんでそんな単語があるの、と思ったが、それはともかく彼はこう続けた。

「ベルベルの村では男がそんなふうに弱みを見せるのは恥なのだ。だから、どんなに困っていても他人に、たとえそれが親戚でも助けは求めない」

「それで、どうするんです」

「そういうときは、妻子を集めて、部屋に入る。そして、内側から扉を塗り込める。そしてそのまま餓死するのだ」

あくまでもそういう気質だという話であって、これが本当にあったことかどうかは別問題だ。私としては本当でなければいいと思う。

ちなみに「私は空腹だ」とは「イッローザー」というようだ。積極的な活用を望む。

風刺・戯文

Department of Why Can’t We Be Friends?

アメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプが、国防総省を戦争省に改称すると発表した。ツイッター(現 X)での日本人の反応を見ると、「バカげている」と呆れる人、「戦乱の世の到来か」と危ぶむ人、「なにをいまさら」とアメリカの歴史を引き合いに出す人などさまざまだが、基本的には否定的に捉える人が多いようだ。

いっぽう、肯定的にこれを捉える人もいる。いわゆる陰謀論者たちで、これらの人々は、この改称をもってして、自分たちのヒーローであるトランプが「DS(ディープ・ステート)」に対して本格的な宣戦布告をしたと歓迎しているようだ。

私はというと、やはり否定的な解釈に組みするものだが、それでも、今回の改称が、この戦争だらけの世界に一縷の希望をもたらすのではないかという可能性も信じたい。

というのも、war が「戦争」ではなく、アメリカのファンク・バンドの War である可能性も否定できないからだ。War は、アニマルズのエリック・バードンらが結成したバンドで、1970 年にデビューした。以来、数々のアルバムを発表しているが、中でも有名な曲は、1975年の「Why Can’t We Be Friends?(邦題:仲間よ目を覚ませ)」だ。

この曲は、タイトルの通り、戦争などの対立を乗り越えて友達になろう、という歌だが、アメリカ人がこの名曲を忘れるはずはない。万が一のことかもしれないが、近いうちに、目を覚ましたアメリカ政府が、戦争省をさらに改称して、Why Can’t We Be Friends? 省とするかもしれないということを念頭において、日本政府は対米外交政策に取り組むべきだと思う。

風刺・戯文

夏の恐竜

恐竜は冬眠をしたのでしょうか。

従来の学説だと、恐竜は、トカゲと同じような変温動物であり、冬は体温が下がるため、冬眠していたとされていました。

ですが、最近の研究では、恐竜は恒温動物、つまり寒くても体温を維持できたため、冬眠はしなかったという考えが主流だとのこと。というのも、寒冷地にも適応した恐竜がいたこともわかってきたからです。

これに対し、異を唱えるのが、吉田九郎さん。吉田さんは古生物に関する長年の研究にもとづき「やはり恐竜は冬眠していた」と主張しています。

「その証拠はじつは私たち人類に隠されています」と吉田さん。「もちろん人類は恐竜時代にはまだいませんでした。ですが、人類の祖先となる小さな哺乳類は恐竜と同時代を生きていました。これらの哺乳類にとって恐竜はじつに恐ろしい存在でありました。あまりにも恐ろしかったので、その恐怖の記憶が DNA レベルで刻み込まれ、現在の私たちにも引き継がれているのです」

吉田さんは手に持った「夏休み特別企画、大恐竜展」と描かれたチラシを見せます。

「これがその証拠です。私たち人間が夏になると必ず恐竜展を開催してしまうのは、DNA に組み込まれた太古の恐怖がなせる技なのです。つまり、哺乳類にとっては夏といえば恐竜なのです。もし恐竜が冬眠していなかったら、真冬にも恐竜展を開催していたことでしょう!」