小説

神のみぞ知る(2)

そのとき、ふとある記憶が蘇ってきた。違う、私は知っていた。「通せん坊」ポーズには意味があったのだ。

これはドイツに留学していた人から聞いた話だ。その人はあるドイツ人学生と、ベルリンの街を歩いていたのだ。二人が道を横断しようとしたとき、信号が赤に変わった。彼は立ち止まったが、ドイツ人学生のほうはそのまま彼を置いて渡ろうとした。車通りがなかったからだが、数歩で引き返してきて、謝った。

「これは申し訳ないことをした。赤信号なのに渡ってしまいました」

「いえ」と日本人。「日本でなら私も渡っていましたよ」

「しかし、日本人は誰でもルールを守るというではありませんか」

「そんなことはありませんよ。日本ではなにしろこう言うくらいですから。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』って」

その言葉を聞くや、ドイツ人はひどく真面目な顔つきになった。「なるほど……面白い格言ですね。ですが、ドイツにはそれとまったく反対のスローガンがあるのです。だからなおさら私は自分のしたことを恥ずかしく思っているのです」

「というとどんな言葉ですか?」と興味をそそられた日本人は尋ねた。

小説

神のみぞ知る(1)

ベルリン滞在中に、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンの訃報を知った。街角のニュース速報で見たのだ。

ビーチボーイズの名曲は数知れないが、後世に与えた影響の大きさでいえばアルバム『ペットサウンズ』がまずあがる。このアルバムにも名曲が多いが、いろいろ好みがあるにしても、代表曲を「神のみぞ知る」とするのに異論はないだろう。

メロディ、コーラス、演奏、アレンジ、どれをとっても完璧で、初めから終わりまでが、まるで小さい宇宙のようにひとつの世界を作っている。歌詞もまたロマンチックだ。

God only knows what I’d be without you(君がいないと僕がどうなるかなんて、神様だけが知っている)

ところが、よくよく考えてみると、ロマンチックどころか、これは脅しではないだろうか。今の時代にこんなことを女性に言ったら、接近禁止命令はまず間違いないところだろう。

それはさておき、「God only knows」は英語の慣用句でもある。「誰にもわからない」という意味で、「自分は知りませんよ、神様にどうぞ聞いてください」という、いわば無責任な態度だ。

そんなことを考えながら、私はベルリンの街を歩き回っていた。そして、信号を何度も渡っているうちに、あることに気がついた。

赤信号では、人の形が赤く光る。これは日本でも同じだが、日本では人が直立しているだけなのに、ドイツでは人が両腕を広げて、まるで通せん坊をしているみたいに立っているのだ。

信号で立ち止まっているだけなら、直立している姿で十分なのだが……これはいったいどういう意味があるのだろうか。

苦い文学

靴の穴

ドイツに来て、靴に穴が空いているのに気がついた。

つま先の横のゴムの部分に切れ目が入っていて、私はそういうデザインかと思っていた。だが、旅に出ると時間ができる。それでよく見てみたら、単に劣化しただけなのだった。どうりで雨が降ると水が滲みてくるわけだ。

明日は人前に出る用事があるので、急に恥ずかしくなった。自分でも気がつかないくらいなので、どうということもないかもしれない。だが、と私は考えた。もしかしたら、日本でも周りの人はとうに穴の存在に気がついていたけど、不憫に思って言わなかっただけかもしれない、と。

そこで、私は靴を買いにベルリンの街に出た。歩き回って(つまりそれだけ靴を消耗して)ようやく靴屋を見つけたので入ってみた。きれいなスニーカーが並んでいる。値段を見ると、160ユーロ(2万7千円)だ。高いので他を探すと、どれをみても100ユーロ以下のものはなかった。1万7千円の靴など、絶対にこれを履いて歩かない、という固い決意がなくては買えない。

別の店を探すと、近くに大型衣料品店があった。吊るされている服を見るとどれも安い。靴も置いてあった。値段を見てみると、50ユーロ(8千円)だ。もうこれしかない、と思って靴選びを始めるが、どの靴も日本だと2〜3千円のレベルなのだ。日本なら8千円でもっと気の利いた靴が買える。そう思うとあんなに旺盛だった購買意欲も失せた。

ホテルに帰って、もう一度、靴の穴を観察した。最初に見たより、穴が小さくなっているような気がした。たぶん、明日には塞がっているのではないかと思う。

苦い文学

トーマス&ブライアン

ベルリンの街を歩いていたら、大きな本屋があった。入って探索していると、トーマス・マンの特設コーナーがある。生誕150周年ということらしい。『魔の山』や『ブッデンブローク』などの長編の中に “Der Tod in Venedig” のペーパーバックを見つけた。『ヴェニスに死す』だ。

短い小説だし、翻訳でも読んでいるので、買おうかと思ったが、私のなきに等しいドイツ語力を慎重に検討した上で、結局やめた。これほどの小説ならば、日本でも容易に買えるはずだし、そもそも読みもしない本を買うのはバカげている。

本屋を出て、再び街歩きに出る。首都ということもあるのだろうが、あちこちでイベントやコンサートの広告を目にする。知らないミュージシャンも多いが、ジェスロ・タルやデュランデュランなど、知ってる名前にでくわしたりすると楽しい。

ぶらぶら歩いていると、ショーウィンドーの中の大きなディスプレイに見覚えのある顔が映し出された。ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンだ。まさかベルリンでライブでもするのだろうか? しかし、認知症で引退したと聞いたが……と一瞬思ったが、“Tod(死)” の一語でニュース速報だということに気がついた。

……にしても、やっぱり “Der Tod in Venedig” 買っとくかな、旅の思い出になるし……。

旅・観察

ベルリンの信号

ベルリンの街を多少歩き回ってみてわかったのだが、信号の時間がとても短いのだ。青になったから横断歩道を歩き出し、真ん中の分離帯に到達する。さらに残りの横断歩道へと踏み出す。だが、そのときにはもう赤になっている。つまり、ちょっと幅のある道は青一回分では渡り切ることができないのだ。

しかし、だからといって、イライラさせられることはない。赤で待たされる時間もまた短いのだ。だからすぐに道を渡り切ることができる。

ドイツの歩行者信号が日本とまたもうひとつ違うのは、青信号の点滅がないことだ。青はいきなり赤への変わる。2種類しかない。青信号が点滅すると、私たちはどうしても焦って走り出してしまうが、ドイツではそんなことは起こりえない。いかなるためらいもなく赤に変わってしまうので、かえってスッパリ諦められるのだ。

私はドイツの信号を知る前までは、日本の青信号に心から感謝していた。なぜなら、点滅は青信号が私たちに寄り添ってくれていることの証だったから。それは「ほら、もうすぐ赤に変わるよ。急いだらどう?」という親身のチカチカだったのだ。だが、ドイツの歩行者信号を知った今、私はそう思わない。

日本の青信号は、むしろ、点滅で私たちを煽っていたのだ。政治家が国民を煽るときは、支配を強めようとしているときだ。それと同じで、青信号は点滅によって私たちを振り回し、服従させようとしていたのだ。しかも、考えてみてほしい、赤に変わる瀬戸際に、横断歩道を走って渡ることがどれだけ危険なことかを。

私たちを支配するためなら、その命すら犠牲にしてもいい、そんな無慈悲な青信号の言うがままになるくらいならば、赤信号で渡ったほうがはるかにマシというものではないだろうか。

苦い文学

読書灯の悲しみ

飛行機に乗るたびに、私は暗い気分にならずにはいられない。機内の読書灯たちの悲しみを思うと、どうしてもそうなってしまうのだ。

昔は、人々は飛行機の中で本や雑誌を読んだものだった。そして、そのために設置された電灯、つまり読書灯を遠慮なく活用したものだった。

だが、時代は変わった。今や、人々は本など読みはしない。機内では映画を楽しむこともできるし、スマートフォンがあれば、動画や読み物にはこと欠かない。そして、これらのデバイスに読書灯は不要なのだ。読書灯たちは、携帯の動画や機内エンターテインメントに夢中になっている乗客たちを見て、どんな思いでいるだろうか。

「いや、私は読書家だ」という人もいるかもしれない。だが、はたしてこの読書家たちに、機内で読書灯をつける勇気がおありだろうか? それぞれの画面を見つめる人や、眠っている人、眠ろうとしている人のただなかで、自分だけ読書灯をつけ、無作法なまでに眩しい光で周囲の人々の安寧を妨げる胆力がおありだろうか? もちろんないに決まっている。悲しいことに、本の虫は弱虫でもあるのだ。

白状してしまえば、この私だって、そんな勇気はないのだ。ただ、暗闇の中ひとり座り、持ってきたが決して取り出すことのない本のことを思いながら、いつしか眠りが訪れるのを待つしかない。せめて、夢の中で本を開くことができると期待しながら……。

そして、今、酷寒の空で、悲しみを抱きながら沈黙している読書灯たちもまた、生まれたての太陽のように輝いてくれることだろう。

苦い文学

トワイライトゾーン

飛行機には、必ず魔の存在がいて、人間に悪をなすので、用心したほうがいい。私は子どものころ、トワイライトゾーンというドキュメンタリー映画でこの事実を知った。その映画では、機内の窓から外を見た男が、魔物が翼を破壊しようとしているのを目撃してパニックになった、という実話が報告されていた。

この映画のせいもあり、私は飛行機に乗るときは、魔に魅入られないようにおさおさ用心おこたりなく過ごしている。しかし、気の緩みでもあったのだろうか、ベルリンに向かう飛行機で私はついに恐ろしいものを見てしまったのだった。

機内で私は通路側に座っていたのだが、通路を挟んで数列前にひとりのおじさんが座っていた。私の席は、そのおじさんの背中と後頭部がよく見える場所にあった。

それは真夜中、つまり機内の電気はすべて消され、誰もが眠っている時間に起きた。私も寝ていたのだが、どうしたわけか目が覚め、ただぼんやりと前を眺めていた。そのとき、私は前のおじさんが奇妙な動きをしているのに気がついた。

おじさんは備え付けのブランケットを相手に格闘しているのだった。初めは体に巻き付けようとモゾモゾしていたが、それはすぐにだらりと床に垂れ下がってしまうのだ。おじさんはそれを引き上げて、マフラーみたいに首に巻こうとした。そこで固定して下に垂らせば全身を覆えるという計画だった。それはうまくいったかに思えたが、それも束の間ブランケットはハラリとほどけて、すべて下に落ちてしまった。

それからもおじさんはあれこれ試すがどれもうまくいかない。それほどまでにブランケットで体をすっぽりくるんで安眠したかったのだ。私は半ば眠りながらその様子を見ていたのだが、もしかしたら、そのせいでかもしれない。おじさんの隣に異様な存在が立っているのが見えたのだった。その魔物は、おじさんがブランケットを体に巻き付けるたびに、いやらしい笑みを浮かべながら、爪の尖った指で引っ張るのだった。おじさんの安眠を妨げていたのはこの魔物だったのだ。

魔物のイタズラはそればかりではなかった。魔物はおじさんが体を動かした瞬間にシートに敷かれていた白い枕をつかむと足元に放り投げる。おじさんが枕を拾おうと身をかがめた瞬間、魔物は今度はブランケットを床に落とすのだ。

おじさんの苦闘と魔物のイタズラはそんなふうにずっと続いていた。だが、私のほうでは別の悪魔、つまり睡魔が再び訪れ、そのままぐっすりと眠ってしまった。

私は、客室乗務員につつかれた。目を覚まして、周りを見ると朝食を運ぶワゴンがあった。朝がやってきたのだ。私は伸びをし、その拍子におじさんの姿が目に入った。

おじさんの頭の上には、丸めたブランケットが載っかっていた。

飛行機には魔の存在がいるので、絶対に用心したほうがいい。

苦い文学

感じるゾーン

ベルリンに行くため、空港の搭乗ゲートに着くと、もうボーディングのアナウンスが始まっていた。

女性スタッフがボードを掲げて、ビジネスクラスと子連れの家族に搭乗を促していた。しばらくすると、エコノミークラスの搭乗も始まった。女性スタッフが Zone 1 と記されたボードを見せて回る。該当する人々が席から立ち上がり、たちまち列ができた。

私は搭乗券を見た。Zone 4 と書いてある。まだまだ先だと思いながら、空いた席に座った。カウンターに向かう人々を見ていると、列の脇に立つひとりの男に目が止まった。

その男は見た目は普通の旅人のようだった。だが、私の目にいかにも異様に思われたのは、その赤みを帯びた顔とうつろな目つきであった。さらに観察すると口をもごもご動かして、「アッ」とか「ハッ」とか小声で言っているようだった。

この不審な男に気を取られている間に、新たな案内が始まった。女性スタッフが「Zone 1 & Zone 2」というボードを手にやってきた。

そのとき、さらに異様なことが起きた。例の男はそのボードを見るや、手で自分の胸を押さえたのだった。その顔はさらに赤みを帯びた。興奮しているのだ。体がワナワナと震えている。男は恍惚とした表情で自分の胸を手で覆っていた、いや、遠目からもわかるくらい強く握っていた。

そして、Zone 3 のボードを持ったスタッフがやってくるころには、次に何が起きるか、私は理解していたように思う。男は自分の腹に手を当てた。ここが Zone 3 なのだ! 手はその Zone を激しく掻きむしった。興奮の喘ぎがはっきりと聞こえた。顔は紅潮し、その目はまるで飴のようだった。

Zone 4 の番が来たとき、男の身に起きたことについては、なにもいうことができない。というのも、私は恐るべきカタストロフィの予感に居ても立ってもいられなくなり、ボードがやってくる前に列に並んでしまったからだ。ただ、Zone 4 のボードを持った女性スタッフが私の並ぶ列を通り過ぎていったとき、自分の背後でなにかが倒れる音と「ゾォオォンン……」という歓喜とも苦悶ともつかぬ呻きを聞いただけだ。

苦い文学

モバイル注文システムの未来

モバイル注文システムほど人類の夢を掻き立てるものはない。なぜならこれほど人間を苛立たせ、バカにされた気分にするものはないからだ。そのいっぽう、店側にとってこれほど便利なものはないのだ。つまり、これから大いに改善の余地があるのであり、それで人々はさまざまに空想を膨らませているというわけだ。

ある人は AI の発達により、注文という行為すらなくなると主張し、またある人は、いずれこのシステムは捨てられて、もと通りに人が注文が取りに来るだろうと考える。あるいは、人の代わりに高度なロボットがやってくると想像を逞しくする者もいる。

また、7月5日以降、人類が大きく変わると信じる者たちの中には、人類への最後の試練として、ナビダイヤルによる注文になると警鐘を鳴らす者がいるかと思えば、反対に、アセンションの結果、人類は調理場の人々の脳に直接声を伝えることができるようになると喜ぶ者もいる始末だ。

私にはまったく想像つかないが、ある科学者の予想がとても気に入ったので紹介しよう。

その科学者によれば、科学の発達により、客は仮想空間に転移して注文することになるというのだ。そうすれば、大きなメニューも広げられるし、仮想人物を直接呼んで注文することも可能だという。これならばモバイル注文システムに文句タラタラの人も大いに満足するに違いないのだが、その科学者はさらに踏み込んだ予想をしている。

仮想世界においてもいずれモバイル注文システムが導入されるだろうということだ。

苦い文学

鳥居のド真ん中

歩いていたらたまたま神社を見つけた。赤い大鳥居が立ち、参道の石段が木々の奥へと続いていた。私は神も仏も信じていないので、神社などよっぽどの必要がないかぎり行かないが、古びた感じが気に入ったので立ち寄ることにした。

鳥居をくぐって参道を歩こうとしたときだ、後ろから不意に怒鳴りつけられた。びっくりして振り返ると、中年男が立っていて「無礼者!」と怒っているのだった。

「鳥居をくぐるときは一礼するのが礼儀だろうが!」

私は不愉快だったが、土地の人を尊重したい気持ちもあった。「すいません」と言って、頭を下げた。そのまま歩いていこうとすると男はさらに大声でどやしつけた。

「お前はそれでも日本人か! 鳥居を通るときは真ん中を通るな! 神様の通り道だぞ! 人間は端を歩くのだ。こうだ!」と男は鳥居の右端を通った。「参道だって同じ! 真ん中は神様!」

私はもう我慢ならなくて逆戻りして外に出た。よっぽど鳥居を蹴りつけていってやろうかと思ったが、こらえて真ん中を通るだけにした。

家に帰って、鳥居のくぐり方について、インターネットで調べた。神様の通り道などというバカげた説をいうのもあれば、そんなことを一言もいわないのもあった。どちらともつかないのだ。

いずれにせよ、ああいう手合いは、自分こそが正しいと思いこみ、そうでないものを外道と蔑むのだ。自分だけが鳥居のド真ん中を通っていると思っているのだ。