風刺・戯文

ブラックホール人

私たちの市で博士と呼ばれている人が、ブラックホールを発見したと、市役所の前で発表した。藪から棒に星の世界へのロマンを掻き立てられた市民は博士を取り囲み、口々に質問した。どこに? どうやって?

「ご覧にいれましょう」

博士は市民を引き連れて、市役所の近くにある公園に向かった。そして、公園の入り口にあるポストの前に立つと、こう告げた。

「これがブラックホールなのです。何年にも渡り、このポストを観測してきた結果、その結論に達したのです」

市民はこう尋ねずにはいられなかった。「どうしてわかったのですか?」「エビデンスを示せ!」

「その証拠はこれです」と博士は手帳の1ページをを見せた。そこには日付が並べられていた。「ここに書かれている日付は、私がこのポストに手紙を投函した日です。そして、その手紙はどれも届かなかったのです! つまり、このポストの中に入ったら最後、どんなものすら外に出てくることは不可能なのです。そんなことを起こしうるのは、全宇宙でブラックホールだけです!」

だれもが博士の慧眼に感嘆し、興奮して叫んだ。「こんな田舎にそんな大したものがあるとは!」「市の誇りだ!」

ちょうどその様子を見ていた郵便配達員、大急ぎで郵便局に戻ると、郵便局長に公園の「ブラックホール」のことを話し、こんな告白をした。

「もうしわけありません、配達を終わらせることができず、何通もの手紙を勝手に捨てていました!」 

……結局、局長はいろいろな事情から、配達員の「犯罪」を隠蔽せざるをえなかった。それで、ブラックホールという嘘が1日でも長く続くように、今では局長は、誰かが来るたびに、ポストに仕掛けたマイクでこんなふうに話しかけている。

「聞こえますか……聞こえますか……私はブラックホール人……」

散文

阿弥陀胸割異聞

「阿弥陀胸割」とは、昔の語り物のひとつで、落ちぶれた姉と弟の物語だ。

ある金持ちがいて、その息子が病気でもう死にそうときた。医者がいうには、病気を治すには、同い年の娘の生肝が必要なのだという。そこに現れたのが、姉と弟。姉は条件にぴったりだ。金持ちが事情を話すと、姉は、弟の面倒を見てくれるならばと、引き受ける。

息子の病が重くなると、金持ちは姉と弟のいる阿弥陀堂に人をやり、姉を殺し、生肝を取らせる。その生肝を食べた息子はたちまち回復だ。後になって、阿弥陀堂に行ってみると、姉と弟が無傷で寝ている。その傍らには、胸が割れて血に染まった阿弥陀仏が。なんと身代わりになってくれたのだ……。

私はこの物語を読んで、ひらめいた。

実は私の友人で焼肉屋で働く男が、禁制のレバ刺しを内緒で食べさせてやると誘ってくれたのだ。私としては行きたいのはやまやまだったが、運悪く当局に踏み込まれたりしたら、厄介なことになるのではと二の足を踏んでいた。

だが、万が一そんな事態になっても、もう大丈夫。持参の胸の割れた阿弥陀像を当局に見せて「生肝はこっちの」と主張すれば、なんとか切り抜けられそうではないか……。

風刺・戯文

人類の繁栄

我々人類とネアンデルタール人が交雑していた、というのはもはや常識であるが、これはとりもなおさず、人類とネアンデルタール人が結婚していたということを意味する。いや、そればかりではない、離婚していたことも同様にはっきりしているのだ。

というのも、もしも両人類が末長くむつまじく添い遂げていたら、我々は今頃、ネアンデルタールとホモサピエンスの中間の人類となっていただろうからだ。

では、いったい、人類とネアンデルタール人はどのような理由で離婚したのだろうか? 性格の不一致、いや種の不一致だろうか? それとも、浮気だろうか? 相手が別の原人と手をつないでほら穴から出てきたところを写真に撮られて、それが動かぬ証拠となった、という可能性も否定はできない。

もちろん、離婚の理由は化石には残らないから、なんともいえない。だが、ひとつだけはっきりしていることがある。離婚後の子どもたちの親権は、必ず人類のほうが獲得したということだ。これが、その後の人類の繁栄につながったのだし、逆を言えば、これこそがネアンデルタール人絶滅の真因となったのだ。

現代も古代も、いい弁護士が大事だということだろう。

風刺・戯文

痩せすぎ問題

現代の日本人女性は「貧困国レベル」に痩せすぎているとの報道にショックを受けた日本社会で、新たな動きが生まれているようです。特派員のリック・オルターゴットが報じます。

「私たち日本人男性はこの現状に危機感を抱いています」と結成されたばかりの女性支援団体の代表は語ります。

若い女性の低体重の問題は日本社会で取り組まねばならないことだと、この代表は強調しています。

「なぜなら、若い女性の健康問題は、日本人の少子化の問題に直結しているからです。私たち国を愛する日本人男性は、少子化の解決のために若い女性の参画が不可欠だと確信しているのです」

代表はそのための解決策を提案しています。

「これをみてください」

(代表が丸い物体を差し出す)どうやらの石の人形のようですね。これはなんでしょうか。

「縄文時代から出てきた、ふくよかな女性の土偶です。私たちはこれを日本中の若い女性にプレゼントすることで、女性の意識を変えようと考えています。より効果を高めるために、日本各地のパワースポットにも埋める予定です」

この代表の脳も痩せすぎているのではないか、との印象を受けました。以上、リック・オルターゴットでした。

旅・観察

ドイツの移民

Sushi Bar についてこの前書いたが、この異国風寿司屋以上に、ベルリンの街角に溢れているのがケバブ屋で、3 軒くらい並んでいたりする。これらはトルコからの移民が経営しているものと思われる。タイ料理もあるし、インド、ネパール料理もある。夜、街を歩いていて餃子のようなものを出す店があったので、食べてみた。おいしかったが、どこの国の料理かわからなかったので、会計時に尋ねると、お店の女性が「私はチェチェンだ」と誇らしげに答えた。チェチェンを含むコーカサス料理ということだった。

また、街を歩いていると、たくさんの中東系、アジア系の人を見かけた。Uber Eats の自転車で走り回っているのは南アジア系の人のようだった。駅のベンチに座っていると、作業着を着た髭の男性がアラビア語で電話していた。ドイツはシリア難民をたくさん受け入れたことでも知られ、ベルリンにはシリアの人々が住んでいる地区もあるそうだ。

短い滞在の私にはわからなかったが、ドイツではこうした移民に対する反発が高まっているそうだ。これが結局、極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の躍進につながった。そのため、ドイツ政府も、AfD への対応策として、今年「移民政策の厳格化」を打ち出さざるをえなくなったという。

さて、9 月にドイツに滞在しているあいだ、こんなふうに私は多少は移民のことについて考えさせられはしたものの、自分にはあまり関係のないことのようにも思っていた。だが、まんざらそうでもなかった。

ポツダムの街を歩いているとき、日本のビルマ人から電話がかかってきたのだった。その人は要件のついでに、私がかつて身元保証人をしていたビルマ人の話をしたが、その人は難民と認められず結局帰国したのだった。2021 年の軍のクーデターの前だった。

「それから彼は、なんとかしてビルマを出ようと、ブローカーを使って、トルコに出稼ぎに行ったのです。それで、トルコからドイツに行って難民申請しようとしたのですが、ドイツが厳しくなったので無理だということがわかって……トルコのビザがもうすぐ切れるそうなのですが……大変です!」

風刺・戯文

ニャンコの目

ヨーロッパの人類学研究所の論文が、日本人を含むアジア人の目にある変化が起きているという興味深い事実を報告した。

どのような変化かというと、目頭より目尻が高い人より、目頭より目尻が低い人のほうが増えているのだという。つまり、アジア人の目が上がり目から下がり目へと変わりつつあるのだ。その原因についてははっきりとしたことはわからないようだが、おそらく気候の変化、より具体的には地球温暖化が関係していると考えられるという。アジア人の顔貌が寒冷地に適応したものであるとすれば、これはもっともなことだ。

また、もうひとつの原因についても述べている。それは非アジア人、特に欧米の人々が、アジア人を長らく「ツリ目」と揶揄してきたことが、アジア人の「脱ツリ目」の後押しをしているのではないか、というのだ。これまで私たちアジア人が感じてきた苦々しい思いや悔しさを考えると、あながち間違いとはいえまい。

さらに、この論文はもうひとつ面白い報告を行なっている。アジア人がタレ目化しているのに対し、欧米人は逆にツリ目化しているのだという。欧米人がアジア人を「ツリ目」と揶揄する楽しみが、最近では禁じられがちなので、そのストレスのせいで引き起こされた可能性がある、とのことだ。

風刺・戯文

中流の旅

しばらく前のことですが、私は、ニュースを見てとても驚きました。日本で貧富の格差が広がり、このままだと富裕層と貧困層だけになってしまう、というのです。

昔、日本は一億総中流と言われていました。なのに、その中流がごっそりいなくなってしまったのです。私は自問自答しました。自分は中流だろうかと。というのも、もし中流ならば、私は絶滅寸前の種ということになるからです。「ここにいるぞー!」とニュースに反論したかったのです。ですが、答えはノーでした。私は貧困層だったのです。

この日から、私の中流探しの旅が始まりました。知り合いを訪ね、知り合いの知り合いをさらに訪ね、中流かどうか聞いて回りました。ほとんどが悲しげに首を振って、貧困層だと答えました。ごくまれに「富裕層だ」とベンツの窓を開けて答える人もいました。ですが、中流と自認する人はひとりもいなかったのです。

いったい、中流はどこに行ってしまったのでしょうか? どこか遠い国を流れる川の中流のジャングルに潜んでいるのでしょうか。あるいはもう手遅れで、ニホンオオカミのようにとうに絶滅してしまったのでしょうか。せめて剥製でもみつかりはしないかと、今は各地の中学校を回っているところです。

風刺・戯文

郷に入っては

私は、郷に入ってはいつだって郷に従ってきた。今日も郷に入る。郷に従うために。そして郷に入った。もう従いたくてたまらない。我慢できない。従った! すると誰かが声をかけてきた。

「ここの郷はその郷じゃない」 その人は郷をやってみせた。「こうだ」

「なるほど」と私は言うとおりにする。すると、別の人がやってきて横槍を入れた。

「その郷はここの郷じゃない」

「えっ、じゃあ、これはどうです」 自分なりの郷を披露する「郷ですか?」

「いや、それもここの郷じゃない。こうだ」

「ほほう、なるほど」 私は郷に従う。すると、さっきの人がやってきて怒り出すではないか。

「その人にデタラメを教えてはいけない。ここで従うべき郷はこう」

「いや、この郷だ」

「違うこの郷」「いやこうだ」

ケンカが始まる。すると別の人が駆けつけてきた。

「おい、ケンカはやめなさい。この郷ではいろいろな人の郷を認めあうのが郷じゃ」

これを聞くや、ケンカをしていた二人、一緒になって突っかかる。「嘘をつけ! どの郷であろうと郷はひとつだ!」

そのとき奇声が聞こえた。声の主が、私たちの中に飛び込んできて、甲高い声で怒鳴る。

「キエーッ! この郷では郷のやり方に従わないのが郷なのじゃ!」 そいつ、他の人を突き飛ばしたり、唾を吐いたり、いきなり全裸になって汚い体を見せつけたり、もうめちゃくちゃだ。

私はほうほうのていで逃げ出した。混乱してる。教えてください。郷ってなんですか。

旅・観察

本場の寿司

江戸前寿司というように、寿司の本場といえば江都東京だ。そんなふうに思っていた私だったが、今回、ドイツ、ベルリンに行ってみて、この考えを改めざるをえなくなった。

なにしろあらゆる街角に Sushi Bar という寿司屋があるのだ。私はドイツの民の寿司を愛する気持ちに打たれた。そして、異国のただなかで、Sushi Bar の経営に奮闘し、寿司の伝統とワザを受け継ぎ、ただ人々を喜ばせたいがために、素晴らしい寿司をフォーと一緒に提供しているベトナムの民にも敬意を表せずにはいられなかった。

ひるがえって東京の寿司を見れば、若者の米離れ、それに追い打ちをかける米の高騰、恒常的な不漁とワシントン条約、そしてなによりも我々の財布の中身の乏しさにより、江戸前は衰退の一途を辿るばかりだ。ドイツのほうがはるかに物価が高く豊かな国であることを考えると、寿司に消費する金額はドイツの方が上ではないだろうか。いや、たとえ今そうでなくても、そうなるのは時間の問題なのだ。

こうなると、もはや寿司の本場はベルリンとすべきではないか。私たち東京人はそう認めるのにいささかの躊躇も感じない。寿司を心から愛する私たちはむしろ寿司のためにこれを喜びたい。それに、寿司を失っても、東京はなお、とんこつラーメンとお好み焼きの本場であることは変わらないのだ。

風刺・戯文

鴎外の害

森鴎外という作家はご存知だろうか。昔の文豪だ。

少し本でも読んで勉強しようと、たまたま手に取った本の作者が森鴎外だった。それは短編集で、最初の何編かは面白く読めたのだが、ある作品で私はもう先に進めなくなってしまった。怒りに身が震えて、思わずその本を壁に投げつけてしまった。

それは「普請中」という作品だ。この小説は、作中のこんな台詞で有名なのだ。

「日本はまだ普請中だ」

なんということを言うのだろうか。文豪ともあろう人が。日本人ほど文豪に弱い人々はいないのだ。文豪のいうことを信じすぎる。おかげで、日本人は日本は普請中だとすっかり信じ込んでしまった。いや、それどころか、普請中こそ日本だと思い込んでしまったのだ。

その結果、何が起きただろうか。いつまで経っても終わらない駅の工事だ。昨日あっちにあったと思ったら今日は行手を塞ぐ神出鬼没の白の仮囲いだ。目まぐるしいルートの変更で、わたしたちを迂回させ、迷わせ、その挙句、新しくできた角で出会い頭に衝突させ、頭を砕く、恐るべき普請中だ。

本当に迷惑な話だ。文豪が普請中にお墨付きを与えたせいで、わたしたち日本人は、永遠に完成することのない駅構内をさ迷い続ける羽目になったのだ。