苦い文学

冬来りなば

私は現在、コロナ禍はもちろんのこと、他の点についても逆境にあるが、「明けない夜はない」という言葉を聞いて、励まされたように思った。夜の闇がやがて暁光に追い払われるように、あれやこれやの苦難もまたいずれは霧散するのだろう。

だが、よくよく考えてみると、夜はなにもせずに待っていれば朝になるが、苦境はそうではない。コロナ禍もまさにそうだ。手を消毒したり、マスクをしたりしなくてはならない。それに、こういった個人でできることだけではなく、コロナ感染者を減らすためのさまざまな取り組みに社会全体が協力するのではなくては、これを克服することは難しい。

となると「明けない夜はない」というのは、コロナとか人生とかとはまったく関係ないのではないだろうか。それは「青に変らない信号はない」とか「伸びない髭はない」とかと同じなのではないか。

「してみると」と私は独り言ちた。「この言葉に励まされたのはとんだ大損だったわい」

そして私は布団に潜り込み、昼までぐっすり寝たのであった。

音楽

Tatoo You

イギリスの四大バンドといえば、ビートルズ、ローリングストーンズ、フー、キンクスだが、このうちのローリングストーンズとキンクスのそれぞれのファンとタトゥーの関係について、ある研究が発表された。

研究によれば、ローリングストーンズのファンがタトゥーを入れる傾向があるのに対して、キンクスのファンにはこの傾向がほとんど見られなかったのだという。

さらに、タトゥーの内容についても調査がなされている。ストーンズのファンは、トレードマークのベロをはじめとして、ドクロ、ミック、キースの肖像、アルバムジャケットなど多様なモチーフが選ばれていたが、キンクスのファンは一様にキンクスのボーカルである、レイ・デイヴィスの顔であった。

「これは、ロック文化の新たな側面を浮き彫りにする研究です」と、ジェームズ・オスターバーグ氏は語る。なお、氏はこの研究に関係していないし、そもそも論文を読んでない。

だが、この研究に対して、直ちに反論が提出されたことも注記すべきであろう。自らもキンクスの熱烈なファンである反論者が、キンクス・ファンはタトゥーなど入れないという信念のもと、データの検証を行ったのである。

その結果、先行研究によってレイ・デイヴィスの顔だとされていたタトゥーのすべてが、デイヴィッド・リー・ロスの顔であることが判明した。

苦い文学

聖なる泉

2度目のワクチン接種をした日の深夜から、2日間ほど発熱した。

最初に熱が38度を超えたとき、私は小躍りした。発熱したら、横になりながら一日中韓国のドラマを見ていようと思っていたのである。

しかし、すぐに悪寒と震えが追いかけてきて、のんきにドラマを見るどころではなくなった。それどころか、私は熱にうなされ、その間中、頭の中で誰かが韓国語で話しつづけていた。ただし、私は韓国語はわからない。

まるで夢で韓国のドラマを見つづけているかのようだった。苦しくて目が覚めるが、ウトウトするとまたドラマが始まった。

その内容はまるで覚えていないが、ひとつだけ記憶に残っているのがある。

私の熱を下げるためには、泉の水を頭にかけるべしという診断が下された。だが、その泉は離れた場所にあり、バケツリレーで運ぶことが推奨された。それができるのは、BTSやSEVENTEEN、DKBのような大人数の男性グループだけだ。熱に苦しみながら私は待ちつづけたが、来たのは分裂した後の東方神起であった。

熱が落ち着いた後は、布団の中で韓国のドラマを見て過ごした。

苦い文学

リテラシー教育の必要

リテラシーとは情報の真贋を見分けるための指標であり、特に重要なのは、その情報の発信者が専門家であるかどうかである、と前に書いた。

情報過多ともいえる現代では、このリテラシーについての教育もまた急務となっている。つい最近のことだが、そのことを痛感させる出来事に遭遇した。

私が電車の中で痴漢をしていたときのことだ。私は不覚にも周囲の乗客に取り押さえられ、次の停車駅で駅員に突き出されたのだった。

私は否認した。しかし、私を捉まえた男たちも、痴漢をされた女も私がやったと主張し、駅員もそれを信じかけているようだった。そこで、私は次のように訴えたのだった。

「私はこの道何年もの痴漢の専門家であるが、あなたはその専門家の『やってない』を信じずに、これら素人の言う『やった』を信じるのか」

こう迫ると、駅員は私を警察に引き渡した。私は警察にも同じことを言い、さらには裁判でも同じことをはっきりと言ったのである。

まったく、専門家が重んじられないとは嘆かわしい世の中だ。私は刑期を勤めあげたらリテラシー教育にこの人生を捧げたいと思っている。

苦い文学

お昼ご飯

今日は、ある方の貴重な蔵書をいただいた。

その方はもう亡くなられたが、お宅には蔵書がそのまま残されている。管理されている方は、これらの書籍をただ単に処分してしまうのではなく、必要とする人に利用してほしいと希望されたのである。

お宅に伺って、その蔵書を拝見したのだが、その量と、丹念な収集ぶりに驚かされた。さっそく私は書棚を徘徊し、数々の興味深い書物を確保したのだった。

しかし、と膨大な書籍を前にして私は思った。本を集めすぎるのも考えものだ、と。どんなに貴重な書物も、残された家族にとっては重荷でしかないのである。

今年で五二歳になる私は、終活にはまだ少し早いかも知れないが、今から少しずつ本などを処分しておこうと決意した。ただ、私が今回入手した本の量を前にしては、その決意も水の泡なのが残念だ。

お昼もご馳走になった。管理されている方は私よりも年配で「若いのだからたくさん食べて」と勧めてくださった。私はその言葉に多少の疑問を感じつつ、たくさんいただいた。

苦い文学

リテラシー

ある識者によれば「ネット上の情報はすべて嘘」なのだそうだ。

確かに、インターネットに流布する情報のうちには、悪意ある虚偽も相当あるから、そのようにはじめから疑ってかかるのもありといえるだろう。

しかし、情報の真贋を見分けるいくつかの指標がないわけではない。こうした指標はリテラシーと呼ばれるが、私の場合は、誰がその情報の発信者であるかに留意している。具体的にいうならば、その発信者が、専門家であるかどうかだ。

例えば、今の天気を知りたいとしよう。まず、気候の専門家の監修するサイトAを見ると「晴れ」となっている。情報源の不明なサイトBでは「晴れのち曇り」だ。いっぽう、窓から外を眺めると、大雨が降っている。このうちどれが今の天気として正しいだろうか?

もちろん、お天気サイトAである。なぜなら、信頼できる専門家が関与しているのはこのサイトだけだし、私は天気の専門家ではないからだ。

苦い文学

千のコロナになって

八月になってからワクチンを打とうと思っていたら、市内ではもう予約はできないのだった。人の話によると一年後だとかいう。

職域接種という手もあるが俺は無職なので可能性はない。無職域接種だったら、と希望を持ったが、ワクチンどころか平手打ちを食らうおそれもある。俺はついに諦めて、こんな歌を詠んだ。

ワクチンの争奪戦に敗れし我は新たなコロナに生まれ変わらむ

どうせコロナにかかって死ぬのならば、もっと新型でもっと強力なコロナに転生して、この世を席巻してやろうと考えたのだ。

俺たちは、次の次の御代ぐらいに、どこかの密林で誕生するだろう。名づけに困るほどの株を秘め、もう誰もが数えることを諦めるぐらいの波を従えて、放たれるだろう。そして、触れる者をみな陰謀論者へと変え、人類を滅亡の淵へと追いやるのだ。

だが、その後、あるツテを使ってワクチンを接種することができた。今は一刻も早くコロナが収束することを祈りながら、韓流ドラマを見る毎日だ。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(3)

 入管は仮放免許可申請の結果を申請者に伝える。今回は収容されているSさんが申請者だったので、許可はまず彼に告げられた。なので、彼は私に電話をかけてきたのだった。

 ちなみに外にいる人が申請者の場合は、入管が口を聞いてくれるのは許可された時だけだ。つまり、電話をかけてきてくれるのだが、不許可の場合は簡易書留のみとなる。

 しかも、いまいましいことに書留なので、不在にしていた場合は再配達を頼まねばならない。こっちは差出人に入管と書いてある不在票を見ただけで、もう不許可だと分かるので、実際に受け取る必要などないのにだ。

 Sさんからの知らせを受けた私は、すぐに牛久入管に電話をかけた。目の前で待たせている難民の用事はもう一つ後回しになったのだ。少しぐらい待たせたってかまいやしない。急げ!

 職員が仮放免担当の人に取り次いでくれる。仮放免手続きの件で電話したことを告げる。普通だったらこれですぐに「ああSさんの件ですね」と応対が始まるのだが、相手は「はてどなたで?」という感じだ。この理由は後でわかる。

 ともあれ私たちは手続きの日程を決めねばならない。

 「手続きができる日は最短でいつですか」

 「明日です」

 つまり19日だ。私は20日から少々忙しくなるので、明日できるならばそれに越したことはない。

 「では、明日にします」

 職員は、身分証と印鑑と保証金を持ってくるようにと言って切った。

 保証金は10万円だ。安い。3月末に長崎で仮放免手続きをした時は40万円だった。安いのにはわけがある。入管がそれだけ早く外に出したがっているということだ。保証金が高額のため金策に手間取って、手続きが遅れるのを避けたいのだ。

 夜、Sさんから電話がかかってきた。

 「仮放免いつになりましたか」

 「明日です!」

 大喜びだ。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(2)

 入管に収容されている人のために仮放免を申請すると、結果が出るまでに普通は1ヶ月半から2ヶ月かかる。しかも、たいていは不許可だ。

 牛久の場合は、収容されてから、1年は経たないと仮放免は出ない。なので、それを見計らって仮放免申請をすることもあるし、許可が出るまで何度も申請することもある。私はいつも後者のやり方を取る。つまり、不許可になったら、できるだけ早く再申請する。

 Sさんは今年の2月に品川から牛久に移された。牛久に来たら、6ヶ月やそこらで出られるわけはない。なので、収容されてすぐに仮放免申請するのは無意味なこともかもしれない。しかし、常に申請中であるというのは、収容されている人にとっては唯一の希望にもなりうる。なので、申請していない期間をできるだけ作らないというのも、意味のないことではないとも思う。

 さて、今回、私は4月22日(水曜日)の午後、牛久に申請書類を送ったが、入管に着くのは遅くとも金曜日、そして、おそらくその翌週の月曜日の27日にはSさんの手に渡るはずだ。なので、申請はその後になる。そして、後で知ったことだが、実際、彼が申請したのは28日だった。

 その3週間後の5月18日月曜日の午前10時、Sさんから電話がかかってきた。私はちょうど別の難民と北千住駅で待ち合わせをしていたのだが、こっちはJRの改札口で待っているのに、向こうは千代田線の改札口でいつまでもぐずぐずしている。私は相当イラついていた。そして、相手がようやく私を見つけて手を振ったそのときにその着信が来たのだ。

 電話など無視して、すぐに待ち合わせの相手との用事(入管関係の書類への署名)に取り掛かってもよかったのだが、こっちは20分も待たされて腹を立てていた。なので、地下鉄のホームからあちこち尋ね歩いてJRのほうの出口までなんとかたどり着いた相手が前にいるというのに、無視するように電話に出た。すると、Sさんの興奮した声が聞こえてきた。仮放免が出た、というのだ。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(1)

 以前、「コロナの決死圏」というタイトルで、牛久の東日本入国管理センターに収容されている難民の仮放免のために、市役所に書類を取りにいった話を書いた。そこではマスクをしていないジジイのせいで暴動が起きていたのだが、それは4月22日のことであった。

 私は必要書類を受け取ると、そのまま郵便局に行って申請書と一緒に牛久に送った。収容されている人の名前をここではSさんとしよう。品川ならば、身元保証人の私が行って申請してもいいのだが、牛久などには行きたくない。したがって、Sさんが自分で申請することになる。万が一書類に不備があって受理されなければ、彼から電話がかかってくるだろうと思っていたが、結局、なんの連絡もなかった。

 しかし、それからしばらくして、牛久の入管職員から電話ががかかってきた。仮放免後の住所についての確認で、Sさんはこれこれの住所を書いているが、身元保証人として知っているのか、ということだった。

 私は「仮放免後の住所は彼自身に任せているので、知らない」と答えた。それから、慌てて付け加えた。

 「もしそれで不都合があるのなら、私の家にしてもいいですよ」

 信頼のおけない身元保証人だと思われて不許可になったら困ると思ったのだ。しかし、その入管職員は、その必要はないと言いながら、電話を切った。

 私は、これまで牛久に収容されている人の仮放免申請を幾度もし、幾度も不許可になり、ときたま許可されているが、入管からこんなふうに電話がかかってきたのははじめてだった。

 コロナの問題でどんどん仮放免されているから早く仮放免の申請をしてくれ、とSさんは言っていた。これはあるいはもしかしたら、と私は希望を抱いたのだった。