苦い文学

雉の合言葉

雉の鳴き声を守り、こどもたちに誇りを取り戻すため、対策委員会がさっそく組織された。

「我々の汚名をすすぐためには」とある雉の委員が口火を切った。「一声鳴いた後、撃たれずに飛び立つ俊敏さが必要だ」

すると別の委員が立ち上がった。そのかしこげな雉は、メガネの位置を直しながら次のように発言したのであった。

「われわれが一声鳴いてから逃げるまでの時間を R としよう。そして、猟師がわれわれの鳴き声に気がつき、銃を向け、狙いを定め、射撃し、その弾丸が目的地に至るまでの時間を θ としよう」

そして、メガネの雉は自信たっぷりに告げた。

「われわれはこれまでは R < θ であった! だが、新時代の雉は R > θ でなくてはならない!」

雉たちは感動に震えた。今ここに新時代の雉の合言葉が誕生したのだ。

「R > θ!」「R > θ!」「R > θ!」

雉たちは口々に叫んだ。まるで R > θ が雉界においてすでに達成されたかのように、雉たちの歓声は森に響き渡った。

苦い文学

自由の身

ビルマのシャン民族系の難民がいて、私は彼の身元保証人を長く続けていた。その彼が、この3月に入管により滞在を認められたのである。

難民認定ではないが「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」に基づくものだ。

私が彼と出会ったのは2008年のことで、そのとき彼は牛久の入管に収容されていたのだった。私は彼の身元保証人を引き受け、仮放免申請をした。そして半年の収容ののち仮放免となった。

当時、入管から出てきたばかりの彼が電話をかけてきた時のことを覚えている。

彼はとりとめのない話をし続け、電話を切るに切れない私はすっかりイラついてしまったのだった。素人考えだが、一種の拘禁反応ではなかったかと思う。もっとも、今の彼にはもうそんなことはない。

さて、それから2年後、難民認定申請が認められず、再び入管に収容された。この時は3ヶ月後に仮放免許可を得ている。身元保証人は引き続き私だ。

そして、3度目の収容が2015年2月ごろのことだ。今度の収容は長かった。1年後の2016年2月に仮放免が出た。

そして、今年の3月にビザが出た。彼が難民申請をしたのは2008年の収容時なので、「自由の身」になるまで14年かかったのだ。

絶望的な状況にあっても、忍耐と粘り強さがあれば、いつか道が開けることを、私はこれまで多くの難民たちから学んだが、彼もまたそのひとりだといえよう。

苦い文学

雉の新時代

雉たちの間で臨時集会が開かれた。

やがて雉のリーダーが前に立ち話し出した。この雉が集会を呼びかけたのだった。

「みなさんにお集まりいただいたのはほかでもない。われわれ、雉の瀕している重大な危機を訴えたいがためなのだ。

「私はこの場であの言葉を口にして、みなさんを不快にしようとは思わない。だが、あの言葉が生まれて以来われわれが舐めてきた辛酸をば思い出してほしいのだ。

「あの言葉のせいでわれわれは鳴き声を奪われた。なぜなら、一声鳴くたびに『おやおや、雉も鳴かずばなんとやらでは?』などと他の鳥どもが揶揄するからだ。そればかりではないっ。あの言葉のせいで、われわれは『余計な一言を言う愚か者』というレッテルを貼られてしまったのだ!」

悲痛な顔つきの雉たちを前にリーダーは続けた。

「ここで、みなさんに対し衝撃的かつ悲しむべき事実を告げねばならない。われわれが鳴くことを不自然に抑制し続けた結果、われわれのこどもたちの多くが、なんと、鳴けなくなっているのだ! それどころではない、なかにはカアカアとかチュンチュンとか、ホーホケキョとか、別の鳥の鳴き声しか出せないこどもが激増しているのだ」

雉たちは静まり返った。どの顔も青ざめて、怒りに震えていた。雉のリーダーは会場をゆっくりと見回して、再び口を開いた。

「われわれが鳴くのは罪なのだろうか? いや、そのようなことはありえない。われわれの鳴き声は、われわれの命だ! われわれはこの鳴き声を守らねばならない! あらゆる偏見と差別をはねのけて、鳴き声とこどもたちを守らねばならないのだ! 我々のこどもたちが雉としての誇りをもって鳴けるように!」

興奮した雉たちはいっせいに鳴き出した。その鳴き声はあたかも「雉の新時代」の幕開けを告げるかのように森じゅうに響きわたった。

苦い文学

瞑想

ビルマの仏教徒のうちには瞑想を熱心にする人がいる。私の友人のビルマ人もそうで、彼は日本に瞑想を広めたいという気持ちを持っていた。そこで、私も誘われて彼とともに瞑想を試みることにした。だが結局、邪念が多いのか、すぐに飽きてしまった。

この瞑想の集いには、もうひとり別の日本人も加わっていた。

彼にもまた夢があった。コーチングを生業としている彼は、この活動をビルマに普及させるという夢を持っていたのだった。

私はあるとき彼に言った。「ビルマ仏教を学べば、ビルマの人々にコーチングを受け入れてもらえるような切り口が見つかるかもしれませんね」

彼はこの言葉を聞くや目を輝かせて言った。

「それはいい考えだ。ビルマ仏教の伝統だという触れ込みでコーチングを広めればいい!」

私はこの言葉に衝撃を受けた。これは歴史を偽造することにほかならないが、こうした主張をあからさまに、そしてなんの罪悪感もなく述べる人がいることに驚いたのである。

後になって私は、彼の考え方は「目的がよければ手段に問題があってもよい」という思考の典型であることを学んだ。

苦い文学

死後の裁き

私は、天国に行くために、死後の取り調べを受けていた。調書を手にした係官が前に座っている。

私は生前に成したあらゆる善行を語った。困っている人、貧しい人、悩んでいる人、苦しんでいる人で、私の温かい助けを得なかった人はいなかったのだ。

だが、係官は手を振って遮った。「そういう話はいい。聞きたいのは、申請者自身が困ったり、苦しまなかったのかどうかだ」

待ってましただ。私はここぞとばかりに自分が生前に舐めた苦しみ、悩み、貧苦、絶望を並べ立てた。

「ふむ」と係官。「屈辱はどうかね」

「もちろんです! 屈辱どころか、汚辱も嘲笑も軽蔑も! これこそ私が生前受け取ったたったひとつの報酬なのです!」

「だが、それで申請者自身はどうしたのかも教えてほしい」

「どうしたって、耐えました。こらえました。しかも笑みを絶やさず! 涙の数だけやさしくなりました!」

天の係官の顔色がたちまち曇ったのを私は見逃さなかった。

「耐えただと? やさしくなっただと? 申請者はそれだけの苦しみにありながら、泣き叫ばなかったのか。見苦しく取り乱さなかったのか。裸で外に飛び出さなかったのか。それどころか、他人にナイフで切りつけもせず、幼児をいじめ抜いて殺さず、女たちを辱めもせず、密かに製造した爆弾を大通りに仕掛けもしなかったとは。信じられん」

そして係官は私の調書を丸めてゴミ箱に放り捨て、冷たく宣言した。

「もう一度やり直し」

そんなわけで私は再びこの世に生を受けることとなったのだ。もう天国に行ける気などしないし、てか、頼まれたって行くもんかだ。

苦い文学

在留資格と期間

あるビルマ人の友人が、在留期間の延長の申請をしたいというので、身元保証の書類を持ってやってきた。

名前と住所などを書けばよい簡単なものだ(それにもうハンコは要らない)。

簡単なもの、なのだが、いつも気になる項目がある。それは次のようなものだ。

   国籍(在留資格、期間):

私の国籍は日本だから、「日本」と書けばいいのだが、「在留資格」、そして「期間」はどう記入すればいいのだろうか。もしかしたら入管は「日本人」が外国人の身元保証などすることはありえない、とでも考えているのかもしれない。

あるいは私が知らないだけで、日本国籍保有者にも「在留資格」と「期間」があるのだろうか。いずれにせよ、私はたいていこう書く。

   国籍(在留資格、期間):日本

しかし、その日は私はなんだか異をとなえたい気分だった。それでこんなふうに書いた。

   国籍(在留資格、期間):日本(なし、死ぬまで)

そして、友人が立ち去った後、これで彼のビザが延長できなかったらどうしようと考えて、後悔した。

苦い文学

星のこども

宇宙には我々人類よりはるかに進んだ《聖なる存在》がおり、人類を密かに教導している。

どのように教導しているかというと、《聖なる存在》たちは自分の愛しいこどもを人類の一員として託すのである。そして、そのこどもは人類になりきって生きることにより、人間たちを少しずつ感化していく。彼らは《星のこども》と呼ばれている。

みなさんは、ブッダとかイエスとかそうした聖人たちの正体がそれだと考えるかもしれない。その可能性はもちろんある。だが、私がお話ししたいのは、日本のとある農村地帯に暮らしていた《星のこども》のことだ。

東京のような大都会でない田舎の地味な存在がいかにして人類を教え導くことができるのか、不審に思われるかもしれない。正直言って私にも分からない。ただ、それが《聖なる存在》たちのプログラムの神秘だとしかいえないのである。

さて、その《星のこども》は地球で人間として長い間、少なくとも八十年以上過ごした。そして、そのおかげで、地球は確かによくなった。

あるとき、予感が訪れた。その予感は徐々に強くなり、やがて確信に変わった。《星のこども》は、自分が《聖なる存在》の愛し子であること、そして《聖なる存在》のもとに帰るときがきたことを悟ったのだ。

その夜がやってきた。確信に突き動かされてその《星のこども》は外に出た。夜空を見上げると《聖なる存在》の船が虚空に浮かんでいる。不思議な動きをしながら舞い降りてきた。《星のこども》は人類の肉体を脱ぎ捨る。ひとつの輝かしい魂となる。そんなふうに船に乗り込んだのだ。この地球を去って、宇宙の深淵へと帰っていくために。

なお、《聖なる存在》の船は我々には未知の科学によって作られている。決して大きなものではないが、それが地球に現れるときはかならず暴風雨に似た現象が起きる(おそらく重力波の影響であろう)。また、人類に見られないように、それが現れるのは、夜、人家のまばらな農村地帯、とくに畑や田んぼの近くだ。

さて、《星のこども》は船に乗って去っていった。地上に残されていたのは、かつて《星のこども》であった人間の肉体だ。そして、翌朝、横たわる肉体を発見した人々は、こう嘆いた。

「どうしてこの老人は嵐の夜に田んぼを見に行ったのだろうか」と。

苦い文学

違和感

「思ったことが言えなくて……窮屈!」

「うっかり本音を話したら……炎上!」

「余計なひとことで……謝罪!」

もの言えば唇寒しどころか、唇が凍りつくこのご時世、うかつに口をきくこともできない!

いっそのこと口など開くまい!

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苦い文学

スナイパー

10年以上前のことだが、当時私はタイ・ビルマ国境にある難民キャンプや、紛争地帯に出入りしていた。

そこは、主としてカレン人の暮らす地域で、ビルマ政府軍と、カレン人の軍との戦争が続いていたし、今も続いている。

ウクライナではロシア軍が民間人に対して暴行、性暴行、略奪、破壊、虐殺を行なっていることが報じられているが、それとまったく同じことが、ビルマの戦場では繰り返されてきた。

こうした状況で、多くのカレン人がタイ・ビルマ国境の難民キャンプに逃れてくるのだ。

しかし、難民キャンプまで来られるだけでも幸運だ。なかには、行先もなくジャングルで隠れ暮らしている人々もいる。こうした人々を国内避難民と呼ぶ。

これらの国内避難民の状況はとても厳しい。生きるか死ぬかの状況だ。軍の攻撃ばかりでなく、地雷も怖い。

カレン人には難民支援をする組織がいくつかあり、なかには国内避難民を対象として支援しているものもある。

その組織のリーダーの1人があるとき私に「望遠鏡みたいなスコープが欲しいので日本から送ってくれ」と言ってきた。

なにに使うかというと、それでビルマ軍の隊長かなにかを狙い撃ちするのだという。ビルマ軍の兵士は訓練されていない者が多いから、上が死ぬとすぐに無力になるのだと説明してくれた。

国内避難民を守るために必要なのだというが、私は断った。そして、もし断らなかったとしても、結局のところなにを送ればいいのかわからなかったにちがいない。

苦い文学

もしものコーナー

「もしものコーナー」とは、ドリフターズのコント番組「ドリフ大爆笑」の名物コントの1つだ。「もしも〜〜な〜〜があったら」というタイトルのもといかりや長介が登場する。そして通常ではありえない状況に巻き込まれてざんざんな目に遭うのだ。

なかでも有名なのは「もしも威勢のいい銭湯があったら」というコントで、これは今でもテレビで放送されたりする。

その内容はといえば、銭湯にやってきたいかりや長介が、威勢の良い4人の従業員に水をぶっかけられたり、風呂に投げ入れられたり、もみくちゃにされるというもので、ずぶ濡れになったいかりやはたまらず「だめだこりゃ」と唸るのだ。

この「だめだこりゃ」というのは「もしものコーナー」の締めの一言で、これでコントはおしまいになる。

子どもの頃熱心にドリフを見ていた私にとって「もしものコーナー」は思い出深いものだ。

そのせいかどうかわからないが、最近は自分の人生もこの「もしものコーナー」ではないかと思うようになった。

「もしもこんな〜〜な人間がいたら」というわけだ。

それにつけても不思議なのは、もうずいぶん前に「だめだこりゃ」の声を聞いたように思うのに、このコントがいっこうに終わる気配もないことだ。

「だめだこりゃ」からが長いとは、まったく驚かされるではないか。