旅・観察

出発

今日は台風だというので、私は朝から羽田空港の運行情報をいくども見ていた。国内便も国際便も欠航と遅延ばかりだ。

だが、私が乗る便はそのリストにはなかった。家を出るギリギリになっても欠航にならない。ならば行くしかない。スーツケースを運び出すとものすごく重い。大雨と荷物と先行きの見えない状況に私の足取りは重かった。

電車の遅延もありうるので早めに家を出た。だが、普通に空港に着いた。

フライトの掲示板を見ると、欠航・遅延の表示に囲まれて、私の乗る便が平然と点灯していた。仕方なくチェックインの列に並ぶ。私の番が来てカウンターにパスポートを渡し、スーツケースをレーンの上に乗せた。

二九キロ。やはりだ。

カウンターの人が二十三キロまでだと告げる。超過料金を払うか、さもなければ、スーツケースから荷物を取り出さねばならない。場合によっては捨てなくては、と覚悟を決める。すると、列を案内しているスタッフがやってきて、話しかけてきた。この便では一人二つまで荷物を預けられて、それぞれ二十三キロまで大丈夫だ、と。

驚くべき言葉だ。だが冷静に確認する。「二つ合わせて二十三キロですか?」

「いえ、一つが二十三キロ以内で、二つまで大丈夫です。荷物の整理はあちらでどうぞ。終わったらお声がけください」

私はたちまち荷物を二つに分け、カウンターに戻った。量ると二十三キロと十キロだ。案内役のスタッフが「でかした」とばかりにうなずいて、立ち去った。

搭乗券の発券を待っているあいだ、隣のカウンターのスタッフたちの話し声が聞こえた。

「手裏剣をお持ちの客様が……」「ちょっと問い合わせてみましょう……」

私は笑いを堪えながら、出国ゲートに向かった。

苦い文学

備蓄人

今年は日本にとって大きな転換の年となるだろう。日本は一億総中流といわれたように経済的に均質性の高い社会であったが、近年は貧富の差が広がり、格差社会に変わりつつあった。今年はこの格差が極限まで拡大し、社会が二分される。つまり、経済的格差が、まったく異なる2種の日本人を生み出すのだ。

それは新米を食べることのできる新人と、備蓄米しか食べることを許されない備蓄人だ。新人は富裕層や政治家たちだ(政治家が備蓄米を放出するのに躍起になっているのはこれが理由なのだ)。いっぽう、備蓄人は私たち貧困層だ。

はじめは新人と備蓄人の間に大きな違いはない。なぜなら、新米とその前年の古米はほぼ同じだからだ。

だが、もっともっと貧富の差が拡大し、古米や古古米などが新人たちの食べる家畜の餌に回されるようになったら、どうなるだろうか。私たち貧困層は、もっともっと古い米しか食べられなくなるのだ。それはもはや米とはいえないくらいに変質し、干からび、虫に食われ、カビだらけだ。毒や棘でいっぱいで、とても食えたもんではないが、私たちにはこれしかないのだ。

だが、数世紀も経てば、私たち備蓄人はそうした古い米をなんなく摂取し、無駄なく消化できるよう適応し、進化してしまう。そして、数万年、数億年ののちには、備蓄人は、新米を食べる新人とは似ても似つかぬ外観の生き物となっていることだろう。

そのとき、新米を食べる新人たちは、人類とは異なる生物へと進化した私たちの観察を始めることだろう。古の n 乗の米を、管状の摂取器官でついばむ私たち備蓄人をレンズ越しに見ながら「やあ、この生物が食べているのは、ビッグバン直後にできた米だ」などと宇宙のロマンに胸を躍らせることだろう。

小説

道を渡りし者(7)

扉を開けると、罵声とともに若い男が姿を現した。

「おまえか!」と私を指さした。「インチキ野郎め! どうやってだまくらかしたか知らねえが、この俺には通用しない! ペテン師め!」

吉田がとりなすように闖入者に駆け寄り「野上さん! そんなことはありません。誤解なんです。誰も渡ってはいませんよ」

「うるさい!」と一喝するとは再び私を睨んだ。私は彼がかなり酔っていることに気がついていた。「いいじゃねえか! 上等だ! 明日、どっちが本物かどうか、決着をつけようじゃねえか!」

「野上さん、それは!」と吉田。

「黙れ! こいつは俺たちの町をコケにしたんだ。俺たちの町をバカにしやがったんだ! 絶対に許さないぞ! 明日、午前10時だ! 国道の薬屋の信号にこい! どっちが本当に奇跡を起こせるか、勝負だ!」

そして野上は「逃げても無駄だぞ!」と捨て台詞を吐きながら、来た時と同じように騒がしく夜の闇の中に消えていった。

私はことの次第がいっさい理解できず、吉田の青ざめた顔を見つめるばかりだった。彼は喘ぐように言った。

「あそこはひっきりなしに車が通る道で、赤信号で渡ることなどできない。死だ!」

「吉田さん、あいつは、あの狂人は誰なんです」

「あれは……現市長の野上さんのひとり息子、章雄だ……札付きのドラ息子だ」

「てことは……」

「市長があなたを潰しにかかってきた、ということだ。ただ……」

「ただ?」

「章雄は素行があまりにも悪くて、親父も見放したと聞いていたが……」

「なんにせよ、逃げるしかない!」と私は慌てて玄関に向かった。

すると吉田はため息をついてソファに腰掛けた。「もう無理です。駅には市長の一派が待ち構えていることでしょう。この町を出るあらゆる道路もいまごろ警官が目を光らせているはずだ。あなたはこの町から出ることはできないのです」

町全体が赤信号になって私を足止めしようとしているのだ。そして、私は、赤信号を渡る勝負に警察が協力しているというこの町の異常性に震えるばかりだった。

苦い文学

秘密の救護活動

コロナが収束して電車も再び混み合うようになった。それだけでも不快なのに、最近の蒸し暑さだ。昨日の朝、満員電車の中で立っていた私は、不意に気分が悪くなり、ふらふらしだした。

倒れる……と思った瞬間、いくつもの手が私を支えた。かすんだ目で見ると、数人の男が周りにいるのが見えた。ひとりが小声で囁いた。

「体の力を抜くのだ」

朦朧としながら私はその言葉に従った。「そうだ、そのままでいい」 男たちは私が倒れないように支えているのだった。

男は私の鼻にハンカチを押し付けた。爽やかな香りが鼻孔をくすぐり、私はやや気分が落ち着いた。

やがて電車は駅に停まった。ドアが開く。その駅ではいつも誰も降りないので車内も動きはない。そのとき、駅員がドアの外に立ち車両の中を覗き込んだ。

男たちが緊張するのがわかった。先ほどの男が私の背に何か固いものを押し当ててささやいた。

「命が惜しくなければ静かにしているんだ」

駅員がジロジロと見ているうちに、ドアが閉まり、電車が動き出した。男たちの緊張が緩むのがわかった。男が言った。

「すまなかった。こうするしかなかったのだ」

「でも、いったいなんのために?」 やや元気を取り戻していた私は尋ねた。

「駅員の中には体調不良者をめざとく見つけて、救護活動をしたがる一派がいるのだ。もし君がそんな連中に見つかっていたら、救護活動で電車が遅れていただろう。そうなったらこの電車の乗客全員が遅刻だ! 私たちは駅員が見つける前に電車内の体調不良者の救護を行う『電車の遅延を許さぬ乗客たち』のメンバーだ」

「そうですか。そんな団体が……うっ!」 私は急に胸のむかつきを感じ、震えが止まらなくなった。

男は言った。「いかん、吐くぞ!」

「吐いたら停車まちがいなしだ!」と別の男。「これしかない!」と男は自分の手提げを開き、私の顔に差し出した。

私はその中に思う存分吐いた。

「ふーっ」 男たちは安堵の息をついた。私も吐いたせいでだいぶ気分が楽になった。

しばらくして電車は駅に停車した。どっと人々が降りる。押し出された私は、これら英雄的な男たちの姿を一目見ようと振り向いた。

そこにはスーツ姿の普通の会社員たちが立っているだけだった。

どっと電車に乗り込む人々に隠されるその瞬間、パンパンに膨らんだ手提げをぶら下げたおじさんが、私にウインクしたような気がした。

苦い文学

道の遭難者(下り)

家に帰ろうと、私は右に避け、左に避け、いく度も通行人をやり過ごしたが、その度に、新たな、そしてよりいっそう奇怪な顔つきの存在が現れるのだった。

もう、ずいぶん前から、一歩も進んでいないように思えた。私はこの状況から抜け出そうと、方向転換を繰り返し、もはやどちらが家の方向なのかもわからなくなった。私は疲労困憊し、絶望し、ついにへたり込んだ。

道に座って周囲を眺める。まったく見知らぬ場所だ。そして、私の周囲では、あらゆる方向から人々がやってきては通り過ぎていくのだ。

私は空腹を感じていた。喉の渇きも。だが、どうすればいいだろうか? 

立ちあがる気力もなく、私は夜が来るのを待ち続けた。というのも、そうなれば、人もいなくなるだろうから。

だが、夜になっても、真夜中になっても、人通りが途絶えることはなかった。やがて、夜が明け、絶えざる通行者に翻弄される私の上に太陽が昇った。

焼けるような日差しの中、飢えと渇きがもう絶え難いほどになった。私は思わず通行人にすがりついた。助けを乞うた。泣きついた。だが、奇怪な存在たちは、私を蹴飛ばし、罵り、あるいはただ無視するだけなのだ。

もう、今や家を出てどれだけ経ったのかもわからない。体も動かず、アスファルトの上で横になるだけ。私はしばしば意識を失うようになった。死が近づいているのだ。

この恐ろしい雑踏の中で、私は考える。もしかしたら、自分には道は向いていなかったのではないか、と。だが、もう遅い。いくら泣いて


この手記を所持する遺体が発見されたのは、渋谷スクランブル交差点のただ中であった。白昼いつどのようにして、この遺体が運び込まれたのか、現在、警察が捜査を行なっている。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(3)

 入管は仮放免許可申請の結果を申請者に伝える。今回は収容されているSさんが申請者だったので、許可はまず彼に告げられた。なので、彼は私に電話をかけてきたのだった。

 ちなみに外にいる人が申請者の場合は、入管が口を聞いてくれるのは許可された時だけだ。つまり、電話をかけてきてくれるのだが、不許可の場合は簡易書留のみとなる。

 しかも、いまいましいことに書留なので、不在にしていた場合は再配達を頼まねばならない。こっちは差出人に入管と書いてある不在票を見ただけで、もう不許可だと分かるので、実際に受け取る必要などないのにだ。

 Sさんからの知らせを受けた私は、すぐに牛久入管に電話をかけた。目の前で待たせている難民の用事はもう一つ後回しになったのだ。少しぐらい待たせたってかまいやしない。急げ!

 職員が仮放免担当の人に取り次いでくれる。仮放免手続きの件で電話したことを告げる。普通だったらこれですぐに「ああSさんの件ですね」と応対が始まるのだが、相手は「はてどなたで?」という感じだ。この理由は後でわかる。

 ともあれ私たちは手続きの日程を決めねばならない。

 「手続きができる日は最短でいつですか」

 「明日です」

 つまり19日だ。私は20日から少々忙しくなるので、明日できるならばそれに越したことはない。

 「では、明日にします」

 職員は、身分証と印鑑と保証金を持ってくるようにと言って切った。

 保証金は10万円だ。安い。3月末に長崎で仮放免手続きをした時は40万円だった。安いのにはわけがある。入管がそれだけ早く外に出したがっているということだ。保証金が高額のため金策に手間取って、手続きが遅れるのを避けたいのだ。

 夜、Sさんから電話がかかってきた。

 「仮放免いつになりましたか」

 「明日です!」

 大喜びだ。

旅・観察

牛よ龍よの東日本入管(2)

 入管に収容されている人のために仮放免を申請すると、結果が出るまでに普通は1ヶ月半から2ヶ月かかる。しかも、たいていは不許可だ。

 牛久の場合は、収容されてから、1年は経たないと仮放免は出ない。なので、それを見計らって仮放免申請をすることもあるし、許可が出るまで何度も申請することもある。私はいつも後者のやり方を取る。つまり、不許可になったら、できるだけ早く再申請する。

 Sさんは今年の2月に品川から牛久に移された。牛久に来たら、6ヶ月やそこらで出られるわけはない。なので、収容されてすぐに仮放免申請するのは無意味なこともかもしれない。しかし、常に申請中であるというのは、収容されている人にとっては唯一の希望にもなりうる。なので、申請していない期間をできるだけ作らないというのも、意味のないことではないとも思う。

 さて、今回、私は4月22日(水曜日)の午後、牛久に申請書類を送ったが、入管に着くのは遅くとも金曜日、そして、おそらくその翌週の月曜日の27日にはSさんの手に渡るはずだ。なので、申請はその後になる。そして、後で知ったことだが、実際、彼が申請したのは28日だった。

 その3週間後の5月18日月曜日の午前10時、Sさんから電話がかかってきた。私はちょうど別の難民と北千住駅で待ち合わせをしていたのだが、こっちはJRの改札口で待っているのに、向こうは千代田線の改札口でいつまでもぐずぐずしている。私は相当イラついていた。そして、相手がようやく私を見つけて手を振ったそのときにその着信が来たのだ。

 電話など無視して、すぐに待ち合わせの相手との用事(入管関係の書類への署名)に取り掛かってもよかったのだが、こっちは20分も待たされて腹を立てていた。なので、地下鉄のホームからあちこち尋ね歩いてJRのほうの出口までなんとかたどり着いた相手が前にいるというのに、無視するように電話に出た。すると、Sさんの興奮した声が聞こえてきた。仮放免が出た、というのだ。