小説

津波の来ない町

津波の警報が鳴ってからというもの、僕たちは家を出て、ずっと登ったところにある山の上の避難所で暮らしている。そこなら津波は絶対にやってこないから。

僕たちが逃げてから何日も経ったけれど、津波はやってこない。けれどみんな危ないっていうんだ。家に帰るな。帰ったとたん津波が来るぞ。閉じこもってばかりの生活にもううんざりした僕たちはあるときこういったんだ。

「けど、津波が来そうになったらすぐにここまで逃げればいんじゃない」

「お前たちは知らないだろうが」って大人たちは怖い顔をした。「今の町は泥棒ばかりで、戻れば危なくもある。津波が来るまでだめだ」

大人たちは、津波がその悪党どもを飲み込んでくれるのを楽しみにしているかのような口調になったんだ。

「でもさ」と僕たち。「津波っていったいどこからやってくるのさ。いったい今どこまで来てるのさ」

「遠いところからだよ。だから来るのに時間がかかるんだ」

「そんなに遠いところって、どこさ」

大人はカバンの中からポストカードを取り出した。「ずっとずっと海の向こうにある、こんな南の島からやってくるんだ」

その夜、薄暗い避難所で、僕たちは夢を見たんだ。青々とした空と緑色の海の浜辺で、生まれたばかりの津波たちが楽しそうに遊んでいたんだ。

風刺・戯文

言語化マジック

私は口下手で、いつもつまらない思いばかりしている。自分の意見や気持ちをはっきり言語化できるようになったらいいな、と思っていたところに、「最強言語化力育成キット」という教材に出会った。

この教材を活用すれば「思いのままの言語化力が身につく!」とある。なんでも言語化力を上げると、地頭もよくなるし、人たらしにもなるのだとか。価格は 20 万円だ。ウェブサイトを見ているうちに、私はこれしかないという気がしてきた。お金をかき集めてキットの購入に踏み切った。

数日して、「最強言語化力育成キット」が送られてきた。箱を開けて私は絶句した。中には国語辞典一冊と USB メモリがひとつ入っているだけだったから。私は震える手で USB メモリをパソコンに差し込んだ。国語辞典を AI が朗読したファイルだった。

私はキットの箱に書かれていたカスタマーセンターに電話した。すると、男が出た。返金を求める私に、男はこう答えた。

「承知いたしました。直ちに返金いたします」

「ではさっそく手続きを行なってください」

「はい。20 万円!」

電話が切れて、そのままいくらかけても繋がらなくなった。何日も考えたあげく気がついた。現金を言語化して返金されたのだ。

私は今、警察で被害を言語化しているところだ。

風刺・戯文

マナーの行き着くところ

その国は、電車のマナーが厳しい。人々は都会にしか仕事がなく、しかも都会には住めないので、いつも満員電車を使うしかないのだ。それで人々が互いに不快な思いをしないようにと、鉄道各社が思いやりをもって定めたのだ。

どれくらい厳しいかというと、乗るときからして大変なのだ。整列乗車、駆け込み乗車禁止、さらには降りる人優先だ。乗ったら乗ったで、ドア付近での滞留は厳禁で、車内奥へと進まねばならない。しかも、車内での過ごし方にも細かいルールがあって、私語・携帯電話・飲食・化粧のすべてが禁止されている。荷物の持ち方だって、卵を抱えるようにするのが掟だ。

それだけではない。鉄道各社は乗客のために、乗客の心にまで踏み込みはじめた。電車に乗るには心も美しくなければならないというのだ。でなければ、高齢者・妊婦・体の不自由な人・子どもづれの人に対して誰が慈しみを発揮できようか。

そんなわけで、その国では電車に乗れるのは、マナーを守る高潔な心の持ち主だけになってしまった。AI を有効活用しているので、そうでない人々には自然と切符が発行できないようになってしまったのだ。それで、心にゆとりのある階層の人々だけが車両をゆったりと独占するようになり、それ以外の人々は電車に乗れず、徒歩かロバで移動することになってしまった。これでは職場のある都会には入れない。電車に乗れない連中を、都会の検問がどうして通そうか。

電車に乗れない人々はもはや生きていくことができなくなり、ついに怒りを爆発させた。「すべての車両を解放せよ!」「本数を増やせ!」「満員電車を解消せよ!」

人々は抗議のデモを企画したが、誰も電車に乗れなかったので、集まることができなかった。そして、鉄道各社が、マナー不要・人格不問の車両の連結を発表したのは、この事件の後のことであった。

今、人々の大半は、その車両にギッチギチに詰められ、身動きもままならず、飲まず食わずに糞尿垂れ流しで、どこかに着く頃には半分くらい窒息死している。こんな有様に、誰もが、あのときマナーを守っていれば、と後悔している。

風刺・戯文

熊の郷

熊が人里に降りてきて、人々に乱暴を働きだしたとき、私たちはこう考えた。

「熊に人間の食べ物を食べさせなければこなくなるだろう」

だが、もはや「食べさせない」が通用する段階ではなかった。熊はすっかり味をしめていたのだった。そこで、私たちは熊を全滅させる計画を立てたが、熊権派の活動家たちが余計な告発をしたせいで、裁判所は全滅差し止め命令を下した。

「ならば、熊が絶対に人里に降りてこないようにしてやろう」

私たちは山奥に侵入すると、密かに広大な囲いを建設し、そこに熊を閉じ込めた。そして、囲いの中に熊の好きなハチミツパンやアップルパイ、マロンケーキをいくらでも作り出す装置を設置した。これには食通の熊たちも唸りっぱなしだった。

そればかりではない。私たちはこの「熊の郷」にずっと熊がいたくなるように、毎日、愉快で楽しい熊向けの動画を無料配信するサービス「ネットフリックマ」も開始した。

そこはまるで熊の楽園だった。熊はもはや人里に姿を見せなくなり、傷つけられる人もいなくなった。ついに成功かと思われた。だが、しばらくして、私たちは再び熊が山から降りてくるのを目撃した。

「なにごとか」と私たちが慌てて熊の郷の囲いの中に入ると、そこには驚くべき光景が広がっていた。侵入者たちが住み着き、熊たちを追い出していたのだ。侵入者たちは木陰でアップルパイをほおばりながら、ネットフリックマを楽しんでいた。その顔はまるで蛇のようだった。

楽園を追い出された熊は、もはや人を襲わなくなっていた。愉快で無情な配信動画が熊の野生と暴力を吸収してしまっていたから。サブスクリプションは無料にかぎり呪いとなるのだ。

今や、熊たちは町外れのキャンプで、UNHCR の支援を待っている。その様子を私たちは配信動画でときどき見る。

小説

聖地巡礼

私たちの夢は聖地巡礼だ。鋭い山頂に乗っかる聖域、海の光が眩い白い塔、風の吹く墓地。いつか、いつか巡り歩きたいと思いながら、つらい人生を生きている。

私たちには養うべき家族がおり、支払うべき負債があり、苦しむべき労働がある。夜は亡霊のようだ。

私たちには知恵も生気もなく、ただ奪い取られるばかり。報酬はといえば、恥辱と侮蔑だけだ。孤独が孤独でもこれほど孤独ではないだろう。

いつか金を手に入れたら、いつか自由を手に入れたら、いつか頭を上げることができたら、いつか、いつか、いつか……いつか私たちは聖地巡礼の旅に出発するだろう。

だが、私たちは決して聖地に着くことはないだろう。私たちが聖地に行くよりも先に、病と老いと死が私たちのもとにやってくるから。奪われ続けた私たちは、苦しみと悲しみにまみれた生を最後に奪われるのだ。

そして、そのとき、私たちは、自分たちが知らずして聖地を巡礼していたことを知るだろう。

風刺・戯文

ラブホ市長

……素晴らしい公約を掲げて市長に立候補したその人が、市長として初めて市役所に入ったとき、市民の誰が今の市役所を想像できただろうか。

「市にガラスばりの政治を!」と訴えた市長は、早速、市役所内をガラス張り、いや鏡張りにした。そして、「公平で透明な政治を!」という公約によって、トイレも浴槽もスケスケになった。さらに「市民の目の行き届く市政を!」が実現した結果、デスクも、椅子も、ベッドも回転しだした。こうすると、市民があらゆる方向から政治を見られるというのだ。しまいには「風通しのよい市役所を!」のために、大胆にも市役所に露天風呂が作られた。

今や、市役所は、妖しい赤い光とネオンライトに包まれている。このムード満点の市役所に用のある市民は、暗いとばりの下ろされたガレージか裏口からこっそり入らねばならない。入ると、壁にパネルがあるのに気づくだろう。市民は、それらのパネルの中から用のある部署を探し、ボタンを押し、受付の小さな穴から鍵をもらうのだ。このシステムは「わかりやすい市政」のために考案されたものだが、市民にとって困ったことに、いつだって満室なのだ……

風刺・戯文

郷に入っては

私は、郷に入ってはいつだって郷に従ってきた。今日も郷に入る。郷に従うために。そして郷に入った。もう従いたくてたまらない。我慢できない。従った! すると誰かが声をかけてきた。

「ここの郷はその郷じゃない」 その人は郷をやってみせた。「こうだ」

「なるほど」と私は言うとおりにする。すると、別の人がやってきて横槍を入れた。

「その郷はここの郷じゃない」

「えっ、じゃあ、これはどうです」 自分なりの郷を披露する「郷ですか?」

「いや、それもここの郷じゃない。こうだ」

「ほほう、なるほど」 私は郷に従う。すると、さっきの人がやってきて怒り出すではないか。

「その人にデタラメを教えてはいけない。ここで従うべき郷はこう」

「いや、この郷だ」

「違うこの郷」「いやこうだ」

ケンカが始まる。すると別の人が駆けつけてきた。

「おい、ケンカはやめなさい。この郷ではいろいろな人の郷を認めあうのが郷じゃ」

これを聞くや、ケンカをしていた二人、一緒になって突っかかる。「嘘をつけ! どの郷であろうと郷はひとつだ!」

そのとき奇声が聞こえた。声の主が、私たちの中に飛び込んできて、甲高い声で怒鳴る。

「キエーッ! この郷では郷のやり方に従わないのが郷なのじゃ!」 そいつ、他の人を突き飛ばしたり、唾を吐いたり、いきなり全裸になって汚い体を見せつけたり、もうめちゃくちゃだ。

私はほうほうのていで逃げ出した。混乱してる。教えてください。郷ってなんですか。

風刺・戯文

富裕層のまねび

先日、いつも着ているシャツが擦り切れてきたので、新しいのを買いにいった。といっても高いのは無理だから、安い服屋だ。店内でゆっくり選びたかったが、ある事情があって、私はもっとも安い棚から適当につかみ取ると、セルフレジに投げ込んで会計を済ませた。

そうせざるを得なかったのは、店にいる間じゅう、ひとりの男が私をつけまわしているような気がしたからだ。万引きを疑われているようで不愉快だし、気味も悪かった。そして、私の勘は間違ってはいなかった。店を出た瞬間、私はその男に呼び止められたからだ。だが、その理由は私の想像とは違っていた。

万引きに疑われたと勘違いした私が、買ったもの以外は何も持っていないということを示そうとすると、男は手で制した。

「そうではないのです。ちょっとアンケートに協力いただきたくて」

「え、ちょっと今は時間が……」

「いえ、お手間は取らせません。すぐ終わります」と、男は早口で捲し立てだした。「実はですね、富裕層は安い服しか買わないという話を聞きまして。それというのも、お金の使い方を心得ているからということで。つまり、無駄なお金を使わないんですね、富裕層は。で、私はさっそく、真似しようと思ったのですが、ひとつひっかかることがありまして。というのも、貧乏な人もやはり安い店で服を買うと思うのですが、かたや富裕層と、かたや貧乏人、同じことをしているのに、なにが違うのだろうか、それがわからなければ真似しても意味がないぞ、と。かえって逆効果かもしれませんからね! で、その違いをはっきり知るために、アンケートをというわけで」

私はこの時には早足で歩きはじめていた。

「こうやって先ほどから貧乏人らしき方々に……」

どう見ても見込みのない人には協力するだけ無駄だ。

風刺・戯文

ウナギの危機

日本人の愛してやまぬウナギが絶滅の恐れがあるとして、国際取引の規制対象となる可能性が出てきた。11 月に開催されるワシントン条約の締約国会議での協議次第では、輸入のウナギが食べられなくなるかもしれないというのだ。

たかが食べ物のことと侮ってはいけない。これはまさに国家の存亡に関わる重大事態なのだ。

というのも、輸入のウナギがなくなると、国産のウナギだけでは国内消費量はとうていカバーできなくなる。すると、ウナギはますます高価な食材となり、庶民にはもはや手が届かないものとなってしまう。これは、我が国民のスタミナ事情を直撃する深刻な事態であり、日本人は精をつけることができなくなる。その結果、少子化がうなぎ上りに進んでいくことが考えられる。

日本政府に提案したいのは、ニホンウナギは絶滅の恐れはないとして、規制対象から外すよう大規模なロビー活動を展開することだ。そのための経費もケチるべきではない。締結国の関係者が日本の味方になってくれるように、鰻丼ではなく鰻重をふるまうべきだ。肝吸いも忘れてはいけない。

風刺・戯文

人類の目標

私たち人類が生まれたのは、大昔、まだ太陽が若かったころのことです。ですが、その頃の世界は、誕生したばかりの人類にとって生きやすい場所ではありませんでした。

というのも、世界は、私たちに先行する先住人類たちのものであって、私たちの世界ではなかったからです。

先住人類には、私たちより頑強で、優れた身体能力を持つ種もいましたし、私たちより俊敏で速く走ることができる種もいました。だから、私たち人類の獲物も食糧もあっという間に奪い取られしまうのでした。

生まれたばかりの人類は非力で、数も少なかったので、先住人類に対抗することなどできませんでした。ただ怯えながら、ひっそりと隠れ暮らしていました。その頃、私たち人類がひたすら願っていたのはただひとつのことでした。

「いつか他の人類に打ち勝って、この世界を独り占めしよう。これが私たちの目標だ」

この目標は、実は人類最初の目標でした。それは幾世代にもわたって受け継がれました。やがて私たちの精神に深く刻み込まれ、人類の生きる意味そのものになりました。

そして、結局のところ、この目標は実現しました。最後に生き残ったのは、私たち人類でした。それ以来、私たちは生きる目的の喪失に苦しむようになりました。