風刺・戯文

思ったことが言えない世の中

「最近、思ったことが言えない窮屈な世の中になった」という人が多いので、ある研究者がこの現象について調べることにした。

まず、思ったことが言えないと感じている人々が「どんなことを思ったのか」について調査を行った。その結果、いくつかの共通するテーマがあることがわかった。それらは「外見のこと、性的なこと、弱いものいじめ、外国人差別、障害者差別」などであった。思ったことが言えない人は、これらのことが言えないために窮屈な思いをしているということが明らかになった。

さらに、研究者は、これらの「思ったことが言えない人」が、単に思っただけではなく、実際に発言した場合、「思ったことを言った人」と「思ったことを言われた人」の双方についてどのようなことが起きるかについても調査を行った。

その結果、「思ったことを言った人」は、一時的に窮屈な思いから解放されるが、やがて窮屈な状況に陥ることがわかった。いっぽう、「思ったことを言われた人」については、思ったことを言われたことにより、思ったことが言えなくて窮屈な思いをしている人よりもはるかに窮屈な思いをするということが明らかになった。

そこで研究者はこう結論づけた。

「つまり、思ったことが言えなくて窮屈だという発言は、その人間の内部に思うに値する思想など何もないということの目印として機能している。ゆえに、黙ってろ。常日頃、思っていたことが言えてスッキリした」

風刺・戯文

心を柔軟にするために

少子高齢化、経済の衰退、地球温暖化、陰謀論、そして戦争……問題だらけのこの日本で、私たちはどうしたらいいでしょうか。

ひとつだけはっきりしていることがあります。それは、これまでの考え方・方法ではこれらの問題には太刀打ちできないということです。

過去のわだかまりや先入観にとらわれた思考からは、これらの問題に解決策を見出すことはできません。

ただ、柔軟な心、つまり、問題を柔軟に受け止めるしなやかな心だけが、解決をもたらしうるのです。はっきりいっておきましょう。これからの世界では、そんな柔軟な心をもつ人だけが必要とされます。柔軟な心だけが、精神的にも経済的にも豊かな人生を手に入れるのです。

では、そんな柔軟な心をもつにはどうしたらいいでしょうか? どうしたら、あなたのかたくなな心をほぐすことができましょうか?

ここでこのボトルをご覧ください。中の液体、これこそ、私が柔軟な心で開発しました特効薬。お使いになるや、たちまちあなたの心をほぐし、柔軟にします。食後に服用するも可、お肌に塗布するも可、さらには頭に振りかけても可の、この柔軟薬、今なら割引価格にて皆さんに……


当局はただちにこの怪しげな販売者を薬機法違反で逮捕し、怪しげな薬品を押収し、その成分を調べた。すると、コンビニ弁当の麺類にかける「ほぐし水」とまったく同じ成分だということが明らかになった。

風刺・戯文

当たり前の灰汁

食べ物でもなんでも当たり前がいちばんおいしい。もしかしたら「当たり前」が最良の調味料かもしれない。そう考えた博士がいた。そこで、何年もの研究のすえ、博士は「当たり前」の抽出に成功した。博士はさっそく著名人やマスコミを集めて、披露することにした。

「ここに肉じゃがの鍋が2つあります。どちらも同じ肉じゃがですが、片方の鍋に『当たり前エキス』を加えてみましょう」

博士は助手を呼んで、鍋のひとつに粉末を振りかけさせ、しばらく加熱させた。「できました。どうぞこのふたつの肉じゃがを食べ比べてみてください」

人々は食べ比べてみるやいなや、口々に「やっぱり当たり前がいちばんだ!」と感嘆の声をあげた。

当たり前の肉じゃがを夢中で食べる人々を前に博士が満足げに立っていると、ある人がやってきてこんな発言をした。

「こんな時代に『当たり前』なんて言うのはおかしいです。私たちの国にはいろいろな国の人がいるのだから、自分の当たり前が通用するなんて思ってはいけないと思います」

人々は「私たちの当たり前にケチをつけるなんて、なんて当たり前でない人間だろう」と思ったが、怒り出すのは当たり前ではないと思って黙っていた。すると、博士は余裕の笑みを浮かべて人々に語りかけた。

「私はこんな反論のあることも予期していました。これをご覧ください」と、博士は別の粉末を取り出した。「これは、外国の当たり前を抽出したものです」

博士は、助手にその粉末を渡すと、先ほど日本の当たり前を入れた鍋に投入するように指示し、再び加熱させた。

ものの数分も経たないうちに驚くべきことが起きた。グツグツいうにつれて、汚らしい灰汁が浮かび上がってきたではないか。灰汁はたちまち膨れ上がり、肉じゃがはもはや食べ物にすら見えなくなった。

「ご覧ください。日本の当たり前に外国の当たり前を混ぜると、こんなふうになってしまうのです」

人々は、用意周到な博士にあたらめて賛辞を送ると同時に、当たり前でない発言をした人を協力して会場から追い出した。なぜなら、そうされて当たり前だったから。そして、「やはり日本では日本の当たり前がいちばんおいしいのだ。私たちは日本の当たり前を守らなくてはならない」と誰もが決意しながら、帰途についた。

人々が立ち去ると、博士は助手に片づけるよう言いつけて、もっと純粋な当たり前を開発すべく実験室に戻っていった。

ひとり残された助手は、ただちに片づけに取りかかったが、灰汁だらけの肉じゃがを捨てるのはもったいないような気がした。そこで再び加熱して、丁寧に灰汁を取って、食べてみた。

当たり前の肉じゃがなんか目じゃないくらいうまかった。

風刺・戯文

魔法の言葉

私たちは昔、「ホモ」という言葉を聞いただけで、大笑いしたものだった。この言葉と一緒に、クネクネとシナを作りでもしたら、私たちは飲んでいたホモ牛乳を盛大に吹き出したものだった。

それから数十年が経ち、世界は大いに変わった。今では「ホモ」ではもはや誰も笑わなくなってしまった。いやそれどころではない。人々はこの言葉に眉ひとつぴくりとさせない。表情筋というものがいっさいの動きを止めてしまう。笑ってもいけないし、その逆に受け取られてもいけないとなると、そうなるより仕方がないのだ。それで、誰もがこの言葉など存在しなかったような顔つきで、食事中だろうが談笑中だろうがおかまいなしにピタリと動きを止めてしまう。

そのとき、人々はいったい何を考えているのだろうか。笑い合った懐かしい過去のことだろうか、時代の無情な転変だろうか。それとも、笑い者にされたという心の傷だろうか……

なんにせよ、この言葉は、私たちから表情と身体の動きを奪い去り、とりとめもない追憶に浸らせる魔法の言葉となってしまった。

近頃では、この言葉をいきなり耳元で叫び、相手が硬直している間に、金品を奪う事件まで頻発しているとのことなので、くれぐれもご注意されたい。

風刺・戯文

人類と月

ある出版社の教科書のこんな一文が物議を醸した。

「月面着陸の成功により、私たちは月についてより詳しくわかるようになった」

教科書検定を司る文科省からクレームが入ったのだ。人類が月面着陸をしたというのは、アメリカ政府のでっち上げだから、そのようなことを事実として教科書に書いてはいけない、というのだ。

日本政府がそんな陰謀論を信じるわけない、こんなのはデタラメだ、という人もいるかもしれない。だが、我が国にはすでに何十人もの陰謀論者が国会に巣食っており、その数も選挙のたびごとに増えているのだから、政治家がそっくり陰謀論者に入れ替わって、政府がこんなことを言い出すのも時間の問題なのだ。だから、これは本当の話だ。

それはさておき、この指摘を受けてその出版社は大いに悩んだ。というのも、陰謀論に加担しないだけの良心があったからだ。だが、かといって、この一文を修正しないでいたら、教科書検定不合格となってしまう。

そこで、知恵を絞ってこんなふうに書き換えたら、みごと検定合格となったという。

「私たちはまだ本当の月を知らない」

風刺・戯文

懐かしいマウント

マウント取りで難しいのはそれがあからさまであってはいけないということだ。

なにしろ相手がその場でマウントを取られたと感じたら喧嘩になってしまう。だが、かといって相手が気がつかないではいけない。言われた相手がなんとなく違和感を感じるとか、はっきり言えないけどイヤな感じがする、とか微妙なラインを狙うのだが、これが実に難しい。

さらに難易度が高いのは、後からじわじわ効いてくるマウント取りだ。これは、言われたときはまったく気がつかずにいるが、帰宅してその日のことを思い返しているうちにムカついてくるというものだ。言い返そうと思ってももう遅い。なにしろ相手はもういないのだ。

マウント取りもこの域に達するには、相当の鍛錬が必要だが、これを簡単にしかも安全に実現できる「マウントことば」を、私は発見した。

それは「うわ、懐かしい〜!」だ。何かしている人なら誰にでもマウントの取れるワードだ。

単なる個人的な述懐のように聞こえる。だが、実は後からジワジワと効いてくる。

まずここには自己の絶対的優越性が潜んでいる。「あなたのしていることは私にとってはすでに乗り越えられた過去のことであり、あなたは私の何歩も後ろを歩いているんですよ」だ。

またこの言葉は相手のしていることも卑小化してみせる。「おやおやとっくの昔に私が通過したつまらないことをやっているね」

そして、このことばによく耳を傾けてほしい。どことなくおどけた感じがあるではないか。このユーモア感こそ、このマウントことば全体を親しげなものに仕立て上げ、相手を誤解に導くものだ。だが、その背後には「最前線にいる私から見るとほほえましいね」という嘲りが隠されている。こう言われた者は、効果テキメン、その夜遅く、布団の中で切歯扼腕すること疑いなしだ。

こんなに簡単で安全なマウント言葉はめったにない。マウント取りの諸君にはぜひこの「うわ、懐かしい〜!」を活用してほしい。ただし、「うわ、懐かしい〜!」とさっそく試みている諸君が、私に「うわ、懐かしい〜!」と言われたとしても、無理ないことと諦めてほしい。

風刺・戯文

衣食足りないから

昔、私の知っている人がこんなことを言って私を驚かせた。

孔子が「四十にして迷わず」と言っているのは、孔子が40歳を過ぎて迷わなくなったという意味だと普通考えられている。それで、私たちも40歳になったら迷わない境地に至るべきだ、ということになっている。

だが、私はそう思わない。これはむしろ、孔子が「40歳になったら迷わないように」と自分を戒めているのである。つまり孔子にも迷いの心があったということだ。孔子ほどの人にそんな心があったのだから、私たちのような凡人はむしろ「迷わず」などという境地に達することはできない。むしろ逆に40になっても大いに迷っていい、そう考えた方がいいのではないか。だからもっと迷うべきなのだ。

また、その人はこんなことも言っていた。

「衣食足りて礼節を知る」というのは、生活が安定してこそ、人間は礼儀を重んじるようなると解釈されているけれど、これはつまり、生活が安定していないときは、礼儀なんて尊重しなくていいということなのだ。そこで、今の私たちの生活はぜんぜん安定していない。だから、マナーなんて守る必要ないのだ。

これはこれでひとつの考えだと思うので、私は尊重したい。にしても、貧しくなればなるほど、人間を重んずるという最低限の礼節すら失われていく今の日本に当てはまるようでもある。

風刺・戯文

四季を探しに

世界で唯一四季のある国、ニッポン。今、その四季が危ないのをご存知でしょうか。

(大学教授)「地球温暖化により、今後日本は夏だけになっていくと考えられます」

そんななか、先月、猛暑が続く東京でこんな集会が開かれました。

「吉田くん! ばんざーい!」「がんばれ!」「頼んだぞ!」

熱烈な歓声を浴びるのは、一人の男性。「日本の四季を取り戻す会」のメンバーたちがこの吉田さんの壮行会を開催中です。

会長「ええ、私たちとしても吉田さんのような方を送り出せるのはたいへんうれしい」

(記者:目的はなんでしょうか)会長「私たちが行なっているのは、四季がなくなろうとしているこの日本で、秋冬春を見つけ出し、保護する活動です。吉田さんはこれから日本全国を旅し、各地に残された秋冬春の保護にあたります」

会長が吉田さんに200万円を手渡します。「旅費と四季保護活動費としてまずお渡しします」 吉田さん、感謝とともに受け取ります。「四季の消滅を食い止めるという大任に身の引き締まる思いです。皆さんが集めてくださったこのお金、絶対に無駄にはいたしません」

「吉田さんの保護活動が順調にいけば、早ければこの夏にも都内に秋風が吹くかもしれません」と期待を語る会長さん、しかし、その数週間後……なんと、吉田さんからの連絡が途絶えました。

会長「信じていたのに裏切られた思いです」

会によれば、沖縄のビーチで日光浴していたという目撃情報を最後に、吉田さんの足取りは杳として知れないとのことです。

風刺・戯文

おしっこは地球を救う(後編)

薬を繰り返し使っていると、体に耐性ができ、もっと強い薬でないと効かなくなる。私に起きたのもちょうどそんなことだった。私がどんなに自分のつらい現状に想いを馳せても、どんなに強い打撃で精神に喝を入れても、尿意はそれに慣れてしまい、まったく退散しなくなってしまったのだ。

そして、ある日のこと、道を歩いていた私にこれまでないほど強烈な尿意が襲いかかってきた。私は必死に自分の厳しい現状について考えた。だが、尿意はそれ以上に切実な様相を剥き出しにして、咆哮を上げた!

鋭い苦痛に貫かれた私はもはやなすすべもなく、尿で尿を洗うが如き闘争のただなかで、漏らすほかないと諦念したその瞬間だった。私の脳裏に戦争のイメージが閃いた。それはウクライナかもしれなかった、ガザかもしれなかった、あるいは世界の見捨てられた地で起きている戦争かもしれなかった。だが、その恐ろしい戦争が、私の精神を立ち直らせ、人間の責務へと立ち返らせた。

戦争はこれを放棄しなくてはならない!

するとどうだろうか、その瞬間、かの残虐なる尿意はたちまちのうちに消え去ったのだった。

この世界の悲惨が私を救ったのだ。そして、その日以来、私は平和と平等の実現のために働き続けている。平和を求める仲間たちが集い、運動は大きなうねりとなって広がっている。

私は仲間たちの強い勧めにより、議員に立候補した。平和を実現し、世界を絶望から救いだすという使命を背負って、今、極めて熾烈な選挙戦を戦っている。たぶん、投票日まで一度もトイレに行かずに済むのではないかと思う。

風刺・戯文

おしっこは地球を救う(前編)

年齢のせいなのか、おしっこが近くなった。というよりも、尿意が不意打ちを仕掛けてくるようになったのだ。漏らしてしまえばいいのだが、そうもいかないので、悶えることになる。

尿意の襲撃を幾度も耐え凌いでいるうちに、それが潜んでいる待ち伏せ場所がわかるようになった。卑劣にも、マンションの前やエレベーターの中という、攻撃とは無縁であってしかるべき平和な場所なのだ。

これはどうしてなのだろうか、と不思議に思っていたら、たまたまネットのある情報が目に入った。家に近くなると尿意が襲ってくるのは、外での張り詰めた精神が緩み、休息用の精神状態に変化するからだという。そこにつけこんでくるのだ

となると、と私は考えた。家に着く前に、あえて精神の手綱を締め、精神を緊張させればよいではないか。そこで私は、帰宅直前、鋭き尿意が萌してきた瞬間に、つらい仕事のことや、重き課題と責務、あるいは我が風前の灯の命など、自分の厳しい現実について考えるようにした。すると、驚くべきことに、これら容赦なき荒波に蹴散らされでもしたか、尿意はたちまち霧の如く消え去ったではないか。

私は、暗く悲しい気持ちと引き換えにではあるにしても、尿意に脅かされることなくエレベーターに乗り、悠々と帰宅できるようになった。ついに平和が訪れたのだ。

もっとも、残念なことに、この停戦は長くは続かなかった。