風刺・戯文

新宿駅の秘密

昔、JR 新宿駅は、東西に分かれていた。まるで冷戦時代のベルリンのようで、自由に行き来することなどできなかった。つまり、いったん東口に出たら最後、西口にはけっして行けなかったし、西口に出た者も同様だったのだ。

もちろん、どんな境界をも乗り越えていこうとするのが人間だ。東口と西口を繋ぐ細い秘密の獣道がいつの間にかできあがっていた。若いころの私たちはその通路を通って、東西をこっそり行き来していたものだ。ときどき売店でお饅頭とか買ったりして。

そうではあっても、私たち地元の民にとって、JR 新宿駅がこんなふうに分断されていることは悲劇だった。小学校のどのクラスにも新宿駅に分断された家庭の子どもがいたし、東西に隔てられた恋愛は常に悲しい別れに終わった。同じ新宿区民なのにどうして一緒になれないのだろうか? 私たちはそんなふうな悲しい疑問を抱きながら大きくなった。

それが、ある日のことだ、驚くべき発表がなされた。JR 新宿駅に東西を繋ぐ一本の大通路を作るというのだ。私たちが長年夢見てきた、まさに新宿区民の悲願であった。私たちは歓喜し、その完成を心待ちにした。

そして、それはついにできた。「新宿駅東西自由通路」という立派な名前までつけられた。自由! まさに自由だ。私たちは自由に大手を振って東西を往来し、どの改札口であろうと東西に抜けることができるようになったのだ……ああ、だがその後になんということが起きたことだろうか!

もしかしたら、と私は思うのだ。駅の構造の複雑さというものは一定なのかもしれない、と。「新宿駅東西自由通路」ができて、駅構内の構造が単純になったかと思いきや、今度は小田急線、京王線、西口広場のあたりに複雑怪奇な迷宮ができているではないか。いま、JR 新宿駅は、入ることもできないし、出ることもできない、恐ろしい悪魔の城だ!

ライブ

「徳川天一坊」を勉強する会

日暮里サニーホールで「『徳川天一坊』を勉強する会」という集いが行われるというので行ってみることにした。

というか、抽選に応募して当たったので行った。神田伯山が出ること以外よくわからず、「勉強するとは?」とも思った。勉強が苦手な私は多少不安だったが、それで怒られることはないだろうとも踏んだ。

内容はというと、「徳川天一坊」という全20席の長編講談を数席ずつ神田伯山が語るというものだった。この講談は初代神田伯山が「読んだ」もので、神田派にとっては大事な作品ということだ。

今回は、「徳川天一坊」の第3話から第5話までで、約1時間半。講談に入る前の、前座の講談(神田若之丞)と神田伯山のマクラも合わせると2時間半を超える長い会だった。

話はというと、徳川吉宗のご落胤詐欺を企む物語で、幕末の作品にありがちな悪党ばかり出てくるものだ。これが実に面白かった。講釈の芸に引き込まれ、濃密な時間を過ごすことができた。素浄瑠璃もそうだったが、映画やテレビのようなわかりやすい視覚的な情報がなくても、人を夢中にさせることができるというのは、不思議なことだ。

というか、映像はおろか文字もない時代から、人間は物語を聞いてきたのだから、そういうふうにできているのだろう。

今回は第4回目ということで、次回もぜひ行きたいところだが、チケットが当たるかどうかはわからない。

ライブ

義太夫節演奏会(5月公演)

深川江戸資料館小劇場で義太夫節演奏会があるので行ってみることにした。

浄瑠璃は読んでばかりではわからないことも多いので、実際に聞いてみようというわけだが、義太夫節が聞いてわかるかというとそうではない。

子どものころ、はじめてエルビス・プレスリーのアルバムを聴いたとき、全部同じ曲に聞こえた。それと同じで、いろいろな義太夫節を聞いても、違いはよくわからない。もっとも、その後、私は立派に成長して「ハウンド・ドッグ」と「監獄ロック」が聞き分けられるようになった。だから、義太夫節も何年も聞いていればわかるようになるかもしれない。

今回の公演は、「鶴澤寛也を偲んで」と題され、2023 年に亡くなったこの三味線奏者ゆかりの義太夫節(妹背山婦女庭訓「花渡しの段」、関取千両幟「猪名川内の段」)と三味線曲(ひこばえ三味線組曲動物編)が演奏された。また、故人の思い出話の時間もあり、女流義太夫の世界を垣間見たようで面白かった。

肝心の音楽だが、義太夫節や三味線には、ロックとポップしか知らない私の耳でも楽しめるようなノリ、グルーヴ感があった。というか、そういう風にしかわからない。楽しみ方はいろいろだ。

ライブ

Maseki Geinin Collection 2025春夏

ナイツ、三四郎、モグライダー、きしたかのなどのマセキ芸能社の主だった芸人に、何組かの他事務所の芸人16組が出演するライブが、銀座ブロッサム中央会館で開催されたので、行ってみることにした。

芸能界に疎い私でも知っている人ばかり出るのに、チケットは売れ残っているようだった。なのに、きしたかのの単独公演などはすぐに売り切れてしまうのだから不思議だ。なんにせよ、オープニングトークで「2階席のほうは見ないように」とのお達しがあった。

どれも面白かったが、モグライダーは『101回目のプロポーズ』のネタで、私はライブで見るのは2回目だが、1回目と同じように楽しめた。ルシファー吉岡は去年の R-1 での菅田将暉のネタだったが、これも二度見るに値する。トリはナイツで、いつもながらの感じで、拍手が一番大きかった。他事務所では男性ブランコがさすがというネタ(エアドロ)で、これも大ウケだった。しかし多忙なのか、この二人だけオープニングにもエンディングにも顔を出さず、まるで夢のようだった。

昨年の M-1 で準々決勝まで残り、そこから一気に知名度が上がったネコニスズもよかった。ネタの作りは準々決勝のものと同じだが、より良い出来で、今年の M-1 でも期待できそうな印象を受けた。赤ちゃん。

ライブ

さとうもか & Mom@月見ル君想フ

5月6日、青山の「月見ル君想フ」という変な名前の会場で、さとうもかと Mom のツーマンライブがあった。双方ともギターの弾き語りだ。

はじめに出てきた Mom は若いミュージシャンで、私はさとうもかの「いとこだったら(feat.Mom)」に参加していることぐらいしか知らなかったが、声がとてもよかった。3月に出たばかりのアルバムの曲が中心で、いい曲も多い。

ニコニコして、独特の雰囲気があるので、なんだかもう中学生みたいだと思ったが、MC で「ゴールデン・ウィーク最終日なので髪型を G と W にしてきた」などと言うのでますます似てきた。

もう中は別として、音楽の雰囲気が何かを思い出させるな……とぼんやり思っていたが、最後になって FISHMANS が浮かんだ。もっとも、第一印象なので違うかもしれない。

Mom のギターは、ときに激しくときに繊細なものだった。いっぽう、さとうもかのほうはむしろギターを叩くタイプの弾き方だ。けっこう弾き間違いもしていたが、あまり欠点には感じられない。スタイルをしっかり確立しているので、多少のことでは揺らがないのだろう。

ライブの最後は二人での「いとこだったら(feat.Mom)」で、これもよかった。

ライブ

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (7)

クマ・サガルのライブで、私が恐れていたことのひとつは、群衆事故だ。最前列中央の前には黒い低い壁で囲まれた DJ ブースがあった。壁の前はパーテーション・ベルトが設置されており、その前には人ひとり分の隙間があった。

しかし、ライブがはじまり、観客たちの熱狂が高まると、人々は少しづつブースの壁へと押し出されていった。私が立っていたのはこのブースのない端の部分であったが、私も後ろからの人に押されて、ついにはブースの脇の高台に押し上げられた。

そこから、最前列を振り返って見下ろすと、後ろから押された若者たちが、ブースの壁に手を当ててしのいでいるのが見えた。非常に危ない光景だった。フロアには、人の動きを止める柵など設置されていなかったから、もしどこかでパニックが起きて、後方から観客たちが押し寄せてきたら、壁際の人はもうどこにも逃れることはできず、押しつぶされるほかないのだ。

私の場合は、たとえそうなっても、ステージの方に逃げられる、と考えていた。だが、後ろからどんどん人が前に湧いてくるので、もはやそううまく避難できるかもわからなくなった。

そして、もうひとつ私をおののかせていたのは、おしっこだ。5時前に会場に入場する前にトイレに行くチャンスがあったのだが、私はそうせずに会場に入り、自分の場所を確保した。そして、その瞬間から、5時間にわたる私と尿意との戦いが始まった。

はじめは少し音楽を聞いてから、ゆっくり行こうと、と考えていた。だが、メインフロアが開放され、ステージ前の最前列に立ってしまうと、もうできるだけここで聞いていようという気になった(私のカバンの中にはペットボトルがあった)。そして、会場が満員となり、ライブが始まっても、自分はまだトイレに行くチャンスはあると考えていた。しかし、人々が前へ前へと押し寄せてくるようになったとき、私はもうトイレに行くのは無理だと覚悟した(ペットボトルだ!)。

最悪の場合は漏らすことだが、これだけの騒ぎの中なら、バレないような気もした(もしかしたらペットボトルになら……)。

だが、結局のところ、すべて無事に終わった。群衆事故も起きず、おしっこも漏れず、私と観客たちはクマ・サガルの音楽に満足しながら会場を去ったのであった。

今回の公演を事故なく終わらせることのできた運営の人々、会場の人々、観客たち、そして私の膀胱に感謝をして終わりたい。

ライブ

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (6)

そして、ついにクマ・サガルとバンドの面々がステージに上がり、ライブが始まった。ここでバンドの編成についてまとめておく。

アコースティック・ギター(クマ・サガル)が中央。その右にフルートのような笛、その隣にもう一本、アコギ。ステージの左側には、エレキのバイオリン(のような弦楽器)とエレキベース。

後列には、中央にシンバルのような楽器。両脇にネパールの伝統楽器のような打楽器を叩くパーカッショニストが2人。総勢8名だった。

その音楽は、すでにリハーサルのところで書いたがフォークなプログレで、メロディも親しみやすい。だが、クマ・サガルたちの音楽についてはもうこれ以上書かない。

なぜならそれどころではなかったからだ。千人を優に超える観客たちの熱狂ぶりがすべてを変えてしまったのだ。絶叫、合唱、騒ぎ声、鋭い口笛、フロアの轟きに圧倒されながら、私はまるでここが新宿ではなく、ネパールの異界に連れ去られたかのような錯覚を何度も味わった。

ここにいるネパール人のほとんどはみな20代だった。もちろんそれより年上もいたが、大多数が若い人々であった。これらの若いネパール人たちは、日本で学んでいる人もいれば、働いている人もいる。異国でそれぞれ苦労しているこれらの人々が、久しぶりに故国のスターを前にして、騒がずにいられようか? ハメを外さずにいられようか?

今の日本のライブでこれ以上盛り上がるものがあるか疑わしかった。私はライブをそれほど経験しているわけではないが、日本のライブだって高齢化していないわけがないのだ。

これらのネパールの若者たちの歌声にかき消されて、クマ・サガルたちの音楽が多少聞き取れなかったとしても、私はまったく気にならなかった。それ込みでライブだ。もはや日本では存在しえないような破壊的な熱狂に立ち会えたことに私は満足を感じた。

とはいえ、これらすべての感嘆すべき経験にもかかわらず私は、ふたつの恐怖におののいていたのだった。

ライブ

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (5)

午後6時になったとき、ステージにネパール人の男女が上がり、ネパール語で話し始めた。ステージの背後には、大きなスクリーンが設置されていたが、そこに今回の公演のスポンサーが次々と映し出されている。ゴールド・スポンサーのなんとか協会の代表の誰々、シルバー・スポンサーのなんとかレストランのオーナー誰々、といった具合で、面白いのはネパールの日本語学校も協賛に加わっていたことだ。

二人の男女はおそらく今回の公演のスポンサーについてなど話しているのだろう。その後、女性の歌手がステージに上がり、カラオケで2曲歌った。有名な人なのか知らないが、その曲は確かに有名なようで誰もが声を合わせて歌っていた。

そして、再び、ステージは無人となった。振り返ると会場は満員だ。キャパは 1,500 人というが、間違いなくそれくらい入っている。私は最前列にいたからその景観に圧倒された。その観客たちから「クマ・サガル!」コールが湧き上がる。クマ・サガルは会場の後ろのどこかにいて、ステージに上がるには、これらの大観衆をかき分けてやってこなくてはならない。

もしかしたら怖気ついたのではないか? それとも危険すぎてそのうち解散となるのではないか?

それから40分ぐらい待ったろうか、もう午後7時、というときだった。大きな歓声が上がった。いよいよやってきたのだ。観客たちは、クマ・サガルたちが通り抜けるその道筋に沿って携帯を掲げた。撮影しているのか、それともライトで照らそうというのか……いくつもの携帯の画面のそれぞれに小さい世界が映し出され、幻想的な光景が作り上げられた。

ライブ

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (4)

私は最初のエレベーターの便で、7階の会場に到着した。紙のチケットは持っていなくて不安だったが、オンラインチケット専用のチェックポイントがあって、そこで携帯をかざせば無事に入場することができた。だが、その間に、紙のチケットを持った観客たちはどんどん追い越していった。

会場となる「T2 SHINJUKU」は、これまで私が行ったどのライブ会場とも違っていた。「ナイトクラブ」ということだが、会場の半分強がメインフロアになっていて、奥のほうに低い壁で囲まれた DJ ブースがある。その向こうにステージがあって、バンドがリハをしていた。私たちはといえば、メインフロアの外側に立たされていて、そこから先に入ることはできなかった。メインフロアの広い空間の左右には、コの字型の大きなシートが3つづつ設置されている。これが1万5千円の「VIPシート」だろうか? 数名の人が座っていた。

メインフロアの外側の私たちがいるところに別のブースがあり、そこにはクマ・サガルがいた。マイクを片手に、サウンドチェックをしている。私はその横に立ち、はるか向こうのリハーサルの演奏を聴いていた。ネパールの伝統的な音楽ということだが、聴いていると、フォークのプログレといった感じで、とても良い。

やがて開演時間の5時になった。クマ・サガルがステージに向かい、その中央に立つ。観客たちから歓声が上がる。何も言わずに歌い始める。だが照明も付かずステージは薄暗いままだ。

しかも、ステージから私たちのいる場所まで広大なメインフロアが広がっている。例の「VIP シート」には人もほとんど座っていず、フロア中ががらんとしている。そんな中、演奏が始まったのだ。

私はさすがに呆れた。観客をメインフロアにも入れるべきではないのか? そう思っていると、メインフロアと私たちを隔てていたベルトのバリケードが取り払われた。私たちは演奏中のステージに向けて突進する。私はうまく最前列、DJ ブースの脇に入り込むことができた。

クマ・サガルとバンドは暗いステージで演奏を続けていた。すると、20分ほどで演奏を止めてしまった。撤収を始める。彼らはステージを降り、満員の観客たちの中を押し合いへし合いしながら、奥の方に消えていった。

これで終わりなのだろうか? いや、ようやく気がついたのだが、これもリハーサルだったのだ。開演はチケットに書かれていた5時ではなかった。結局、私たちは6時まで待った。その間に、会場には次から次へと観客が流れ込んできた。

ライブ

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (3)

ライブの会場は7階にあるから、観客はエレベーターで順次、上がっていくことになる。たくみに列の先頭に滑り込んだ私は、そのエレベーターに乗せられる第一陣としてエレベーターの脇で待機することになった。ネパール人のスタッフと会場のスタッフがしきりにやりとりしていた。

なんとなくネパール人スタッフと会場のスタッフとの間で、事前にうまく意思疎通できていないような印象を受けた。これは言葉の問題もあるかもしれないし、ネパール人のスタッフにボランティアが多いせいかもしれない。

ビルマ関係の音楽ライブに少し関わったことがある経験からいえば、こうしたライブは、日本在住の人々がこのためだけに集まって開催することが多く、ほとんどの人が興行の素人だ。もちろん、会場の設営や、音響・照明などは日本人のプロや、会場の専門家が担うが、それ以外、例えばチケットの販売や、宣伝、アーティストの移動や宿泊、観客の誘導などは、普通の人々がボランティアで行うことが多い。いわゆる「手作り」というわけだが、しばしば運営の面で行き届かないこともある。

そのせいだかどうだかわからないが、開場は4時だというのに、私たちはそのままずいぶん待たされた。

だが、4時半ごろ、動きがあった。エレベーターが開いて、スタッフが乗り込もうとしたのだ。いや、KUMA SAGAR だ。クマ・サガルとバンドメンバーたちがエレベーターに乗ろうとしているのだ。誰もが写真を撮り始めたので、私も携帯をかざした。

私たちはそれからさらに15分近く待たされて、ようやく7階の会場に到達することができた。だが、それはなんという会場であったことであろうか。