風刺・戯文

マスクの美人

コロナ禍という閉塞的な状況がそうさせたのかもしれない。私は妻子ある身でありながら、他の女性に恋をしてしまった。

その女性は、朝いつも同じ車両に乗る。いや、恥を忍んでいってしまおう。私はわざわざその人に合わせて、電車に乗っていたのだ。

その頃はといえば、私たちは不便なマスク暮らしだった。だが、その人のマスクに隠されない部分、つまり、美しい鼻筋や、感情を掻き立てる目、そして、知性的な額を見るだけで、私の心は躍った。

ときおり、駅ビルや駅前のショッピングセンターで、彼女の姿を見かけることもあった。私は思わず立ち止まり、その美しい姿を目で追わずにはいられなかった。

だが、思いもよらない事態が生じた。コロナが収束したのだ。人々はもはやマスクをつけて歩かなくなった。そして、その時以来、私は彼女を見失ってしまった。

私はいつもの電車に乗る。あの人がいつもいたあたりで、ひとりひとり女性の顔をこっそり覗き込む。だが、彼女はもういないのだ。

私は彼女のいた時間帯、いそうな時刻に駅や街をさまよい歩いた。人々の中に彼女の面影を追い求めた。思い詰めた私は、片目をつぶり、片手をかざして自分の視界を覆った。そうやって道ゆく女性の顔の下半分を隠してみたのだ……違う、違う、違う、これも違う……不審者あらわるとの通報に駆けつけた警察の顔も思わず半分隠して、これも違う……。

そんな苦難を経た私に、ついに朗報が飛び込んできた。最近、中国でまたおかしな病気が流行ってるという。おお、ニュー・パンデミックよ、来たれ! 私はきっと彼女と再会できるだろう。

小説

マスク・パフォーマー(2)

吉田さんはこの「マジック」のために、周到な準備を行う。今回のステージのある都市では、人々の顔つきはどうか、どんな顔が多いか、出身の著名人はどんな顔か、それこそ、駅前の銅像の顔まで徹底的に調べ上げる。さらに、地域の産業、経済状況、政治的傾向、歴史、文化なども重要だ。これらの情報により、この都市とその周辺でどのような顔が期待されているかが浮かび上がってくる。

そして、最後に仕上げが施される。吉田さんは、化粧術、変装術、そして顔の筋肉の調整など、持てる技術を駆使して、最終的な「顔」を作り上げるのだ。

こうしたことのすべては、私がこの稀代のパフォーマーを直接取材して聞くことができたのである。思い出すのだが、ある都市での公演を控えて、楽屋にいる吉田さんを訪ねたことがある。もちろん取材のためだ。

吉田さんはすでにマスクを着用し、準備は万端といったようすで静かに座っておられた。そして、その「芸」についてインタビューする私に、落ち着いた声で丁寧に説明してくださったのだった。

ステージの時間が近づきつつあった。私は立ち去る前に、こんなお願いをしてみた。

「今回のステージでも、徹底的に調査をし、顔を完成させたと伺いましたが、もしよろしければ、そのお顔を今、拝見することはできないでしょうか」

すると吉田さんは、こう柔らかく断られたのであった。

「いえ、このマスクの下の顔は、今、あなたにお見せすることはできません。これは、今夜、このホールで、ここに集まったお客さんのためだけの顔ですから」

インターネットのどのサイトにも、どの SNS にもあげられることのないこの「顔」をライブで体験したい方は、ぜひ吉田六郎さんの公演に足を運んでほしい。

小説

マスク・パフォーマー(1)

コロナのあいだ、私たちは美男美女に囲まれて生活していた。だが、コロナ禍が落ち着いて、人々がマスクを外しはじめたとき、私たちはがっかりしたものだった。というのも、マスクに隠されていた本当の顔は、さほど美しくはなかったからだ。中には「マスク詐欺」などという言葉を吐く人もいた。

だが、そうした失礼な人でも、観客のひとりとして吉田六郎さんがマスクを外す瞬間を見たら、感嘆せずにはいられないだろう。このパフォーマーのマスクに隠されていた顔は、ちょうどその人が思い描いていた顔とまったく同じなのだから。

「まさに思っていた通り!」「想像と同じ!」「そう思っていた!」

吉田さんのパフォーマンスが観客たちに与える満足と喜びを考えれば、日本の各地で行われる彼の公演がどこでも満席なのは容易に納得できる。「マスク詐欺」どころではない、人々は喜んでチケット代を支払っているのだ。

もっとも、これがパフォーマンスだということを忘れてはならない。マスクを外した吉田さんの顔が、人々が想像した通りの顔だというわけではない。そうではない。彼は、マスクを外すと、人々がこれぞ自分たちが想像していた顔だと信じ込ませる技術を持っているのだ。ちょうどマジシャンが、トランプをめくると、観客がもっとも見たいと思っていたカードを見せることができるのと同じように。

風刺・戯文

マスク外すと

3 月 13 日、厚労省がマスク着用について「個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断を基本とする」との方針を打ち出した。

それからすでに1ヶ月が経ったが、驚くべきことに、この日本ではだれひとりマスクを外してはいないのだ。

「いや、そんなことはない、最近ではマスクをつけない人もちらほら見かけるようになりましたよ。私もときには外しています」

そんなことを言う人もいるかもしれない。なるほど、街には確かに不織布にせよウレタンにせよ、マスクをつけていない人がいるようだ。

だが、ぜひ、そのマスクのない顔をじっくり観察してほしい。

ある人は「マスクを外したった」という顔つきで鼻息も荒く歩いている。また別の人は、周りの様子を伺いながら恐る恐るといった顔つきで道の片隅を歩いている。マスクをしていないのが自然だ、という顔つきをわざわざしながら歩いている者もいる。

さらに、この世界線ではマスクなど存在しないのだ、という顔つきの人もいれば、マスクなど意識していないという顔つきを演じている顔つきの人すらいる。

そうなのだ。マスクを外してみれば、「不自然な顔つき」という別のマスクがまだ張りついていたのだ!

ああ、私たちはいつこのマスクを外すことができるのだろうか。いつ、コロナ以前の自然な顔を取り戻すことができるのだろうか?

もしかしたら、このマスクを外すのにも、別のワクチンを打たねばならないのだろうか。

風刺・戯文

マスク・ショック

今日から私はマスクなしで外に出ることにした。もうマスク生活とはおさらばだ。

商店街を堂々と歩く。人々はまだマスクをつけている。同調圧力とはなんと哀しいものではないか。

私はふと視線を感じた。目をやると、マスクをつけた男が険しい顔で私を見つめている。さてはマスク警察か? だが、よく見るとそれはショーウィンドーに映った私だった。いつのまにマスクを! 私はマスクを外すと再び歩き出した。

眼鏡屋に入った。似合いそうなメガネを選びだし、試着して鏡を覗き込んだ。ああ! またマスクをしているではないか! 私はマスクを慌てて外し、再び鏡を見た。だが、まだマスクが鼻と口を覆っている!

「ああ、ああ!」 私はマスクを剥ぎ取った。するとその下に新たなマスクが現れた。取っても取っても際限なくマスクが現れた。

「おおおお」 私の足元はたちまちマスクだらけになった。狂ったようにマスクを外し続ける私は、やがてへたり込んだ。店員が駆け寄ってきた。「お客様、どうされました?」

私は我に帰る。見回すとマスクなどない。どこにもない。「いえ、ちょっと……大丈夫です」と私は立ち上がり、店を去った。

どうやら、長いマスク生活から急にマスクなしに変えたため、ショック状態に陥ったものらしい。急性マスク障害だという。ひどい場合には、混乱して顔中をかきむしり、血まみれになることもある。

人々がマスクをつけていたのは、同調圧力などではなく、急性マスク障害の予防のためであった。私も今では少しずつ体を慣らす毎日で、いつかマスクなしで暮らせる日を夢見ている。

風刺・戯文

マスクの卒業式

卒業式では「マスクを外すことを基本」とする通知を文部科学省が出したこの春、全国各地の学校で卒業式が行われ、晴れやかな顔の卒業生たちが集いました。

3年間の新型コロナウイルス禍を乗り越えた卒業生たちは、式典で名前を一人ずつ呼ばれると、誇らしげに立ち上がり、高らかに返事をします。

校長先生が式辞で「みなさんがこの3年間の間に経験したことを糧にして、次の一歩を踏み出してほしい」と語りかけると、みな、大きくうなずきました。

卒業生を代表し、不織布マスクさんが「大変な時期でしたが、人々の笑顔を間近に見て過ごすことのできたこの3年間は何物にも代えがたい宝物です」と答辞を述べました。

卒業生の一人、ウレタンマスクさんは「奪い合われたり、心ない言葉をかけられたこともあったけど、最後にみんながひとつになれた」と喜びを語ります。

来賓として登壇したアベノマスク議員は「倉庫で長いこと眠っていたので事情が飲み込めないが、とにかくがんばれ」と応援のメッセージを送りました。

風刺・戯文

ソーシャル・ディスタンス

コロナウイルスのまん延とともに、ソーシャル・ディスタンスという言葉も定着した。

このソーシャル・ディスタンスは「社会的距離」、ソーシャル・ディスタンシングは「社会距離拡大戦略」と訳される。だが、我々の社会においては、あらゆるものが社会的なのだから、社会的でない距離などないのではないだろうか。それをどうしてわざわざソーシャルというのか。私はこの言葉を聞くたびに、ばかばかしく思っていた。

この秋、私はだれ訪うことのない険しい山奥を一人さまよい、一夜を過ごした。野営に定めた場所をぶらついていると、2本の立派な樹が離れて立っているのに気がついた。まるで鳥居のように見え、私は感心して眺めた。そして、こんなふうに考えた。その2本の樹の間の距離に「鳥居」という意味を与えたのは私であって、私によってその距離は始めて(おそらく有史以来始めて)社会的意味を与えられたのである。すなわち、私がこれらの樹を見る以前は、その間の距離は社会的なものでも何でもなかったのだ。

「ほれみろ」と私はつぶやいた。「ソーシャルでない距離など山奥にしかありはしないのだ」

私はふとその「鳥居」をくぐりたくなった。近づいていくと、2本の木の中間に小さな立て看板があるのが目に入った。それには筆でこんなふうに書かれていた。

「ソーシャル・ディスタンスの木」

看板の端にはマンガ風のカブトムシが描かれ「蜜に注意!」と呼びかけていた。

散文

コロナ・ネイション

 一年ぐらい前から、息苦しさというか、胸の辺りの圧迫感を感じるようになった。血圧が高めなのでそのせいかと思ったら、違うようだ。10日間のチュニジア訪問から帰ると、ますます強く感じるようになった。もしかしたら呼吸器系の病気かもと思って、近くの病院に行った。

 初診の受付で
「息苦しいのです」
 といったら、どこからともなく看護師が現れて守衛室のようなところに監禁された。コロナを疑われているのだ。検温と問診。10日前にチュニジアから帰国したというと、すぐに追い出された。熱も咳もないし、息苦しさはコロナ以前だったが、問答無用でつまみ出されたのだ。

 病院の裏口で途方に暮れてうずくまっていると、ひらひらと紙切れが舞い降りてきた。手に取ってみると、「帰国者は保健所に電話せよ、さまなければ酷い目に遭うぞ」と記されている。
 私はただちに電話をかける。

 「はい、保健所です」
 「えー、帰国者の殺処分はこちらでしょうか」
 「は?」
 「いえ、帰国者はさっそくこちらに電話せよと言われたもので。病院に行ったのですが、診察してくれなかったので、どうしたらいいかと思ってお電話を差し上げたのです」
 「そうですか、でどちらに行ってらしたのですか?」
 「チュニジアです」
 「チュニジアですか……まことに残念ですがコロナ検査は受けられません」
 「いえ、別に検査を受けたいのではないんです。診察を受けたいんです」
 「どちら経由ですか」
 「ドバイ経由です」
 「うーん、中国をかすりもしていませんよ。それでよく検査を受けようだなんて思いましたね!」
 「いえ、そうではなくて」
 「せめて中国に片足なりとも突っ込んでおられたら違うんですがね……」

 いやはやコロナにあらずんば人にあらずだ。
 翌週、別の病院に電話して事情を話すと、診察してくれるという。肺のレントゲン、肺機能検査、心電図、心エコー、これらの検査の結果、息苦しさの原因は腹の出過ぎだという診断が下された。

チュニス、2020年3月1日撮影
旅・観察

コロナの壺

楠勝平「おせん」(1966、『彩雪に舞う…』2001、青林工藝舎)

 2月21日から3月2日にかけて、チュニジアに行ってきた。現地を出たのが3月1日だから、9日間ほど滞在したことになる。
 チュニジア行きは、12月に計画したもので、当然ながら、コロナウィルスのことなど頭になかった。
 コロナが広がるにつれ、行くべきかどうかずいぶん迷った。自分がすでに感染していて、チュニジアで発症してしまったり、友人たちに移してしまったりしたらどうしようとか、あるいは、フランスでのアジア人に対する様々ないやがらせが報道されていたから、フランス語圏でもあるチュニジアでそんな目に会ったらどうしようとか。
 そうした可能性のうちもっとも悲しいことだと思われたのは、親しい友人たちが、コロナを恐れるあまり、掌返しで私を拒絶するという事態だった。ふと楠勝平の漫画「おせん」が思い出された。
 貧しい町娘のおせんは、裕福な恋人と戯れている間に、高価な壺をうっかり割ってしまう。するとおせんはその瞬間、顔色を変えて恋人が割ったと責め出すのである。恋人はこれにショックを受け、そして二人の仲も壺のように壊れてしまうというわけだ。
 できればそんな物悲しい経験をしたくはない、と思いつつ訪れたチュニジアであったが、実際は滞在期間中に出会ったどの人も暖かく迎えてくれた。ホテルやレストラン、電車でも不愉快な思いをすることはなかった。コロナの壺は割られていなかったのだ。私と会ったり、そばにいたりするのを不安に感じた人もいただろうが、それをあからさまにする人はほとんどいなかった。
 これは、本当にありがたいことだった。
 それどころか、街を歩くとしばしば「コロナ! コロナ!」という温かい励ましの声すらいただいた。きっと、育ちの良い子どもたちや、前途有望な若者たちに違いない。ただし足早に通り過ぎたのでどうだかしれない。