苦い文学

別エンディング

私は一生懸命勉強をして、とある有名私大の入試に合格した。

ちょうど私が合格したとき、その大学のAO入試で、私と同い年の芸能人が、芸能活動と意欲が認められて合格したというニュースが飛び込んできた。

テレビでは、その芸能人に対する賞賛が繰り返されていた。これを見て、私は急に恥ずかしくなった。まるで自分が合格にふさわしくないように思えたのだった。それで、入学式から数日して、退学届けを出した。

私は暗い20代を過ごしたが、たまたま、社会的弱者に対する支援活動に関わるようになった。お金にもならなかったが、その活動に私はのめり込んだ。私はもてる時間、もてるものすべてをその活動に差し出したのであった。ついに一生の仕事を見つけた、と私は思った。

その活動を続けて何年か経ったとき、ある芸能人が、私の関係する同じ活動に多額の寄付を行ったことが発表された。のみならず、その支援活動を熱心に行う姿が報じられた。社会は賞賛の声を上げた。そして、私はその活動からいっさいの手を引いた。自分のやっていることが急にみすぼらしく思えたのだった。

私はすべてを失い、社会の暗い底でもがいていた。そこにコロナがやってきた。そのせいで、私はもはやもがくこともできなくなった。私は死のうと決意し、その準備を始めた。

その時、衝撃的なニュースが社会を揺るがした。ある芸能人が不可解な自殺を遂げたのであった。ニュースやワイドショー、新聞や雑誌ではその芸能人の死を惜しみ、その才能、魅力、良心の失われたことを嘆く声で溢れた。

私は諦めた。この芸能人の死に比べたら、みっともないにきまっている自殺をどうして決行することができようか。

《別エンディング》

私は諦めた。芸能人たちは我々から容赦なくすべてを、自殺すらも奪っていったのだった。狭いビルでガソリンをぶちまけるしか、もはや我々に残されていないとしても、誰がこれを責められよう。

苦い文学

取っ手のとれる

CEFR(セファール、ヨーロッパ言語共通参照枠は略称)は、その名の通り、ヨーロッパで異言語を学ぶ学習者の能力を、言語にかかわりなく同じ基準で測れるようにと設けられた基準である。しかし、現在ではヨーロッパ以外、例えば日本でもこれをもとに日本語能力試験のレベルが設定されている。

CEFR のレベルは、A、B、C の 3 つにそれぞれ 2 段階、つまり全部で 6 つある。もっとも低いレベルは A-1 で、最高が C-2 だ。A-1 の能力がどのようなものかというと例えば「自分や他人を紹介することができる」とこのレベルになる。そして「聞いたり、読んだりしたほぼすべてのものを容易に理解することができる」とか「自然に、流暢かつ正確に自己表現ができる」となると C-2 だ。このように「〜できる」という能力を重視してレベルが設定されているのも CEFR の特徴だ。

CEFR が公表されたのは 2001 年だ。その準備段階で実は C-2 より上のレベルとして、D-1 と D-2 もまた設けられていたのは、まったく知られていない。

私がある筋から特別に入手した情報によると、D-1 では「自分自身についてカリスマティックに語ることができ、民衆を熱狂させることができる」、D-2 では「陰謀論を巧みに用いて、民衆を煽動し、戦争を始めることができる」ということだ。

このレベルが削除されたのも無理もないといえよう。

苦い文学

イデオン

私たちは高齢者が引き起こす交通事故について議論していた。

一人が憤激して叫んだ。

「まったく、どれだけ多くの子どもたちが殺され、親が苦しんでいることか、私はもう苦しくてたまらないのだ。なのに老人どもときたら、平気で車を乗り回している! 子どもを殺せば殺すほど長生きできるという奇怪かつ有害な信念にとりつかれてるんだ、やつらは! 老人どもからすべての免許を取り上げるべきだ!」

もう一人が落ち着いた声で言った。

「怒る気持ちはわかるが、そうした感情論だけでは解決しない。今、地方の高齢者から車を取り上げたら何が残る? とくに一人暮らしの場合に? みな車なしに成立しえない暮らしをしている、それが問題なのです。悲惨な事故をなくすためには、車がなくても高齢者の生活の質が保障される環境も整備する必要があるのです」

別の男が新たな論点を提示した。

「高齢者のことばかりに焦点が当たっていますが、アルコール依存症などの影響も重大ですよ……」

我々の議論はつきなかったが、結論としては「原因はイデの発現」ということに落ち着いた。

いつかどこか新しい星で、みんなで再会できたなら……

苦い文学

ガンダム

私たちは認知症について議論をしていた。

「認知症というのは、死にゆく準備にはいったということなんですよ。人間は、生まれたときは純粋な童心というものを持っていますが、大人になるにつれてこれを失います。ですが、死が近づくとその童心を再び取り返す。誕生と死の間に見いだされるこのシンメトリカルな構図は、まさに神の摂理ですね」

もう一人が言った。

「いや、認知症というのは死とはまったく関係のない病気です。認知症の人すべてが高齢者というわけではないですし、認知症でなくても老衰で死ぬ人はたくさんいます。あなたが認知症をそんなふうに妙に美化して捉えているとしたら、とんでもない誤解ですよ」

別の一人がここで口を挟んだ。

「お二人の意見はもっともですが、介護の現場にいる者から言わせてもらえば……」

我々の議論はつきなかったが、結論としては「認知症はニュータイプ」ということに落ち着いた。

もうみんな認知症になるのが待ち遠しい様子だ……

苦い文学

合コンと王様ゲーム

私は合コンに参加したい。そして、王様ゲームをしたいのだ。

合コンなるものが世に行われるというのを聞いたのはいつのことだろうか。私が大学生だったころはそんな名前など聞いたこともなかったから、まだ発明されていなかったのだろう。誰もが口にするようになったのは、私が社会人となってからだ。そしてそのときには、生活に追われて合コンに参加する時間もなかった。

しかし、子どもも独立し、生活も落ち着いた今、私はあらためて合コンに参加したいと思うようになった。そこで、学生時代からの男友達数名を集めて合コンを開催することにした。

合コンといっても実際はいつもの飲み会と変わらないものだと知った。だが、そうした気づきも大事ではなかろうか。それに、重要なのは王様ゲームだ。

宴もたけなわになった頃、私は立ち上がり、合コンに集った男どもに王様ゲームの開始を高らかに宣言した。

私は総督の前に立たされた。総督が私に「お前が王なのか」と尋問した。私は「それは、あなたが言っていることです」と答えた。

それから総督は人々にこう言った。「この男と盗賊のうち、どちらを釈放してほしいのか」 すると人々は「盗賊を」と叫び、私を十字架につけろと要求した。

そして、総督の兵士たちは、私の着物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「王様、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このように私を侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

彼らは私を十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。そして、私の頭の上に「これは王である」と書いた罪状書きを掲げた。

……この王様ゲームはなかなか面白かった。合コンと王様ゲームは十分に楽しんだから、次回は同じメンツで集まって女子会を開催するつもりだ。

苦い文学

令和の山月記

前立腺に異常が見られるというので、大きな病院の泌尿器科に行った。結果としては特に問題がなかったのだが、診察前のアンケートで一日の排尿の回数の項目があり、一日に何回するか考えたこともなかったので、少し多めに書いた。

診察に当たってくれた先生はとても親切な先生だったが、少しせっかちのようだった。彼は診察しながら、私に対してどういう診察をしたかをコンピューターにしっかり記録していくのだが、せっかちのあまり必ず誤入力するのだった。

先生は、私のアンケートを見て、頻尿の症状を読み取った。

「おしっこは一回は我慢してください。そうして膀胱をしつけるのです。これを膀胱訓練といいます。子どもをしつけるようなものです」

魂が肉体の主人であるように、私も膀胱の主人なのであった。

先生は、話し終わるや、さっそくパソコンに入力した。だが、「膀胱訓練を指導」と入力するつもりが、せっかちすぎて早めに変換して「暴虎」となってしまった。

暴虎! 先生はこれまでいくど「膀胱」と入力したかしれないのに間違うとは……

私は夜の山道を歩いていた。

すると、草蔭から一匹の暴虎が躍り出た。虎は、あはや私に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を飜して、元の叢に隱れた。叢の中から人間の聲で「あぶない所だつた」と繰返し呟くのが聞えた。私は咄嗟に思ひあたつて、叫んだ。「其の聲は、我が膀胱ではないか?」

草叢から声が聞こえた。そして、膀胱は虎に成り果てた由縁を長々と語つたのだつた。言終つて、叢の中から、堪へ得ざるが如き悲泣の聲が洩れた。

「泣いてる、膀胱が!」と気づいた私は、慌てて便所を探した。

苦い文学

地下牢

その昔、都に、山の民が予告なしに攻め入ってきた。この不意打ちに、都を防衛する軍はたちまち敗走した。勢いづいた山の民は城門を破壊し、あちこちに火を放ちながら進軍した。王は将軍たちに反撃を命じたが、死を恐れぬ山の民にたちまちのうちに蹴散らされてしまった。  

山の民が王宮に迫り、吹き鳴らす角笛の音が間近に聞こえたとき、王の心に、夢の中のお告げが蘇った。それは、都が危機に陥ったとき、王宮の地下牢に行くようにというものであった。王は、その地下牢がどこにあるか尋ねようと廷臣たちを呼び集めたが、いつまでたっても誰も来なかった。廷臣たちは我先にと逃げ出していたのである。王自身も諦めて玉座から立ち上がったとき、一人の見知らぬ老人が立っているのに気がついた。

「地下牢に余を連れて行くのだ」

老人は王の言葉を聞くや、玉座の裏に回り込み、持っていた杖で床を三回叩いた。すると、階段が現れた。王がその階段を下っていくと、地下牢があった。王はそこに閉じこめられている人物を見て驚いた。というのも、それはその老人その人だったから。王が牢を開くと、老人はしっかりとした足取りで外に出て、「王よ、私に許しを与えてください」と言った。

王が許しを与えると、老人は王宮のてっぺんに飛び上り、杖を振り上げた。すると、山の民たちはたちまち猿となり、猿の言葉を叫びながら四方に散っていった。

王は、危機が去ると、直ちに二つのことをしたといわれる。ひとつはこの老人に金銀財宝でもって報いたことである。

王がしたもうひとつのこととは、逃げ出した廷臣たちを捕まえて、あの地下牢に全員放り込むことであった。そして、この時以来、都はイキンと呼ばれるようになった。それは「投げ入れる」という意味である。

風刺・戯文

MOTTAINAI

私たちの住んでいる市の中学校で、生徒が自殺した。原因はいじめだ。この悲痛なできごとをきっかけに、市民のあいだで市の教育のあり方を問い直す動きが生まれた。その結果、市長は深く謝罪するとともに、生徒の死を無駄にしないと誓い、「いじめ防止基本方針」を策定した。

また、私たちの市には魔の交差点といわれる場所がある。かねてから事故の多発する場所で、住民は長いこと市に対策を求めていた。市の反応は鈍いものであったが、先月、この交差点で児童の列にダンプが突っ込み、7人の犠牲者がでるという大惨事が起きた。ことここに及んで、ついに市は対策に乗り出した。市長は深く責任を痛感すると語り、こどもたちの死を無駄にしないためにも、市内全域の通学路の安全性を見直し、問題があればすぐに対策を講じると約束した。

コロナ禍による医療崩壊という出来事もあった。市の対応が不十分かつ適切であったため、多くの高齢者が亡くなったのだ。市長は直ちに記者会見を開いた。会見では、医療体制の充実を図ることで、高齢者たちの死を無駄にしない、と目頭を押さえながら陳謝した。

私たちは、次に死を無駄にされないのは自分ではないかと、もう戦々恐々なのだ。

苦い文学

ラーティントゥンさん

今日は、ビルマ人のラーティントゥン(Hla Tin Tun)さんの誕生日だ。私より五歳ほど上だから、たぶん五十七歳だ。だが、彼は去年の八月、猛暑のさなか急逝した。

私がラーティントゥンさんと知りあったのは、ビルマ人難民支援関係の活動を通じてだった。私は彼と、およそ八年の間、ビルマ人難民の収容にまつわるさまざまな活動をともに行った。

彼自身、難民であり、入管に収容された経験もあった。自分と同じような状況にある人に対する同情の思いが厚く、多くのビルマ人が彼のことを頼りにしていた。

私もまた、入管の問題や、ビルマ人どうしの問題に困ったとき、彼に助言を求めたものだった。

私は他のビルマ人と意見が合わないこともあったが、そうした場合でも、必ず彼は私の意見にも分があるということを認めてくれた。これはとても心強いことであった。

今、この世界には彼に助けられた人が数多くいる。そして、その一人である私は、そのことを日本語で書いておきたいと思ったのだ。

苦い文学

赤い老眼

私は老眼がひどいので、眼鏡を2種類使用している。ひとつは外出用の眼鏡で、遠くまで見える。もうひとつは室内用で、パソコンを使ったり、韓国のドラマを見るときに使用する。しかし、この眼鏡では本の文字やスマートフォンは見ることができない。そういうときは裸眼だ。

つまり、遠距離用眼鏡、手元用眼鏡、裸眼という三段階を使い分けていることになる。しばしば混乱して、自分が眼鏡をかけているのかかけていないのかわからなくなるのは不便だ。

だが、目が悪いということも必ずしも悪いことばかりではない。

この間、カレン人の友人と喫茶店で話をした。ビルマでデモ隊に軍用車が突っ込んで何人もの人が殺された事件の話になった。

彼は、その惨劇の写真を、日本で行われるデモで使用するというのだ。彼はスマートフォンをいじりだした。

ビルマの人々との付き合いが長い私は、すぐに予期した。私はテーブルに置いておいた遠距離用の眼鏡に掛け替えた。

「ほら、この写真。かわいそうだね。みんな子どもだよ」

彼は自分のスマートフォンの写真を私の前にさし出した。

「ああ、そうですか」

と画面をのぞき込んだ私であったが、早めの対策のおかげで、何か赤いものだけ以上のものを見ないで済んだのであった。