苦い文学

惑珍問答(上)

丑松は頭に濡れタオルを乗せて、床に臥せつてゐる。兵六は困つたやうすで、丑松のタオルを替へている。

丑松(熱にうなされてうなる)「うん、うん」

兵六「おい、丑松大丈夫かい。(丑松の額に触れて)こりや熱が引くどころぢやないわ」

丑松(弱々しい声で)「兵六やい、国柄先生にはくれぐれも内緒だぜ」

兵六「わかつてらい。なにせ先生ときたらとんだワクチン反対派ときてる。これが知れたら大事だ」

丑松「まつたくだ」

このとき、国柄先生、部屋の外に現れる。障子の隙間から中をこつそりうかがひ、二人の話を盗み聞きする身のこなし。

兵六「なにせ、お前が、ワクチンをこつそり接種して、二回目の副反応で熱を出してゐるなんてえ聞いた日には、どんな騒ぎが持ち上がるか知れたもんぢやあねえ」

丑松「ええい、考へただけで、熱が上がりそうだ。なんとか三度まで済ましたいものだ」

国柄先生、障子をがらりと開けて、二人の前に姿を現す。兵六、びつくりなす。丑松、慌てて身を起こす。

兵六・丑松「やや、先生」

先生(どつかと座つて)「お前たち、何やらよからぬ相談事を。まさか、南蛮由来の毒を接種したのではあるまいな」

兵六・丑松「いえ、滅相どころもございません」

先生「しかし、ワクチンだの接種だの聞こえたが」

丑松「それは(と口ごもる)」

先生「さあ、いかに」

丑松「さあ」

先生「さあ」

兩人「さあ、さあ、さあ」

兵六「(割つて入る)それは、先生、この度、摂衆寺にやつてきた惑珍和尚といふお坊様のことでございませう」

苦い文学

寮の儀式のおわり

「新入生よ!」 誰かが呼びかけると、その黒い物体がむくむくと起き上がり、人間の形となった。寮生たちはその人間を一斉に掴んだ。

誰かの手から火が放たれ、オレンジ色の輝きが見る間にその「新入生」を包んだ。燃え上がる人間を囲む寮生たちの口から、奇怪なチャントが吐き出され、その歌声が夜の闇に響き渡った……。

私にはそれからの記憶はない。気がつくと、どこをどう逃げ出したのか、近くの公園で倒れていたのだった。寮生たちは私を見つけると、寮に運び込み手当てをしてくれた。

私が正気づくと、寮長が笑いながら教えてくれた。この寮では毎年必ず退寮者が出るため、寮の存続が危うくなっていた。そこで、毎年、人形を象徴的に退寮させる儀式を行い、実際の退寮を防ごうとしているというのだ。ちなみに儀式で彼らが歌っていたのは寮歌であった。

寮長は私の肩に手を置いた。「驚かせてすまなかったが、来年度は驚かす側に回ってもらうよ」

「いやです」と私は震えながら答えた。「今すぐ寮を出ます」

寮長は困惑した顔で言った。「いや、これはぜんぶただの儀式なんだよ」

「皆さんには単なる儀式かもしれませんが、《彼ら》はそう受け取らなかったようです。あの儀式によって皆さんは図らずも呼び寄せていたのです」

「いったい、何を」

「ほら! ほら! あそこにも!」 私は興奮して指差した。「この寮には人のような黒い存在があちこちにいるんですよ! 見えないのですか? 寮長の真横にもいますよ!」 

その絶叫を最後に、私はわずかな所持物を持って寮を飛び出した。

1週間後、幸いにも新たな寮を見つけた私は、あの寮を再び訪れてみた。だが、静まり返って、もはや人のいる気配はなかった。

タチの悪い嘘に嘘で返しただけにすぎなかったが、結局、全員が退寮してしまったようだ。

苦い文学

寮の儀式のつぎ

そんなわけで、私は結局もう一人の新入生に会うことはできなかった。だが、考えてみれば、週末には、絶対参加の新入生歓迎会が開催されるというのだ。その時には必ず会えるに違いなかった。

そして、土曜日の夕方になり、1階のホールで歓迎会が始まった。酒とつまみは寮生たちの持ち寄りで、寮長の乾杯の合図とともにみな飲みはじめた。

私は未成年だったが、先輩たちと同じように飲んだ。それがみんな気に入ったようで、彼らは私に次から次へと酒を注ぐのだった。

酔いが回ったせいで私も多少遠慮がなくなった。それで、こんなことを尋ねた。

「新入生歓迎会なのに、どうしてもう一人の新入生はいないのですか?」

すると、にぎやかだったホールが一瞬にして静まりかえった。寮長が声を絞り出した。

「ああ、彼は……いる。もうすぐ来る」

即座に誰かが囁いた。「いや、来ない。だって、屋上にいるじゃないか」

「そうだ! 屋上だ!」と口々に同意する声。「行こう! 屋上に」

寮長が重々しくうなずくと、寮生たちは立ち上がり、階段を登っていった。私は呆気に取られながらも、彼らの跡を追って屋上に上がった。

そこでは夜空の下、寮生たちが輪になっていた。そして、彼らの中央にはどす黒い塊が横たわっているのだった。

苦い文学

寮の儀式のはじめ

何十年も前のことだ。とある都内の大学に進学した私は、入学手続きに行ったとき、寮生募集の看板を見つけた。

その大学の学生専用の寮だ。大学の近くにあるし、朝晩の食事つき。しかも寮費は安かった。私は家を出たかったので、さっそく寮に行って申し込みをした。すると大した手続きもなく、入寮が決まった。

寮はさびれ気味であったが、特に問題はなかった。3階建てで、私の部屋は2階だった。部屋には二段ベッドがあった。昔は二人で使っていたが、今は一人部屋になっていたのだ。

当時はバブル経済の余韻もあり、わざわざ窮屈な寮暮らしを選ぶ学生などほとんどいなかった。そのため、寮生は、4年生が3人、3年生が2人、2年生は0人。そして、新入生は私を含めて2人だという。

新しい生活の慌ただしい数日間が落ち着くと、私はこのもうひとりの新入生の姿を見たことがないのに気がついた。私より先に越してきていると聞いていたが、いつもいないのだった。

寮生たちは、毎朝決まった時間に食堂で朝食を取ることになっていた。大テーブルを囲んで顔を突き合わせて食べるのだ。だが、その時にもその新入生の席だけは空だった。ただ食事だけが置いてあった。私が4年生の寮長に聞くと、そのうち下に降りてくるのでは、と答えた。

新入生の部屋は3階にあった。昼の講義の後、私は挨拶をしようとその部屋に行ってみたが、誰もいなかった。夕食後に再び行ってみたが、灯りもついていない。扉を叩いても返事はなかった。

翌朝の朝食の時間、私は自分が食べ終わった後も食堂に残っていた。今日こそはこの新入生がやってくるのを見届けようと思ったのである。彼の食事だけが大テーブルの上に置いてあった。

私が椅子に座っていると、3年生の鼻の大きな先輩が話しかけてきた。週末に、新入生歓迎会をするというのだ。

「この寮の恒例行事だから、絶対参加だぞ」

そう言って彼は立ち去った。私は食卓に目を向けた。そこにあった食事は忽然と消え去っていた。

苦い文学

道の遭難者(下り)

家に帰ろうと、私は右に避け、左に避け、いく度も通行人をやり過ごしたが、その度に、新たな、そしてよりいっそう奇怪な顔つきの存在が現れるのだった。

もう、ずいぶん前から、一歩も進んでいないように思えた。私はこの状況から抜け出そうと、方向転換を繰り返し、もはやどちらが家の方向なのかもわからなくなった。私は疲労困憊し、絶望し、ついにへたり込んだ。

道に座って周囲を眺める。まったく見知らぬ場所だ。そして、私の周囲では、あらゆる方向から人々がやってきては通り過ぎていくのだ。

私は空腹を感じていた。喉の渇きも。だが、どうすればいいだろうか? 

立ちあがる気力もなく、私は夜が来るのを待ち続けた。というのも、そうなれば、人もいなくなるだろうから。

だが、夜になっても、真夜中になっても、人通りが途絶えることはなかった。やがて、夜が明け、絶えざる通行者に翻弄される私の上に太陽が昇った。

焼けるような日差しの中、飢えと渇きがもう絶え難いほどになった。私は思わず通行人にすがりついた。助けを乞うた。泣きついた。だが、奇怪な存在たちは、私を蹴飛ばし、罵り、あるいはただ無視するだけなのだ。

もう、今や家を出てどれだけ経ったのかもわからない。体も動かず、アスファルトの上で横になるだけ。私はしばしば意識を失うようになった。死が近づいているのだ。

この恐ろしい雑踏の中で、私は考える。もしかしたら、自分には道は向いていなかったのではないか、と。だが、もう遅い。いくら泣いて


この手記を所持する遺体が発見されたのは、渋谷スクランブル交差点のただ中であった。白昼いつどのようにして、この遺体が運び込まれたのか、現在、警察が捜査を行なっている。

苦い文学

道の遭難者(上り)

迫り来る死から逃れる術もなく、ただ私にできることといえば、残れる気力を振り絞ってこの手記を書くことだけ。自分の身に何が起きたのか、書き残しておけるのがせめてもの救いだ。

私はとある田舎町で教師をしている。出勤しようと家を出て、数分も歩かぬうちに、前から通行人がやってくるのに気がついた。

道は狭かった。私は右に避けようとした。すると、相手も右に避けた。そして、今度は左に避けようとすると、相手も左。私たちは何度も左右に譲り合ったあげく、ようやくすれ違うことができたのだった。

ホッとしたのも束の間、私はすぐまた別の通行人がやってきたのに気がついた。普段はこんなに人通りなどないのに、と不審に思いつつ、私は今度は左に避けようとした。すると、相手も左に避けるではないか。そして、ああ、すれ違うまでに、私たちは何度左右に揺れたことだろうか。

だが、通行人は二人だけではなかった。次から次へとやってくるのだ。そして、同じように困難なすれ違いを何度も経験したのち、私は自分が異常な状況に巻き込まれたと悟った。

しかも、私の前に現れる通行人は次第に、不気味な雰囲気を帯びていったのだ。その顔は人間らしさを失い、まるで紙の仮面のように薄っぺらだった。

家を出てからずいぶん経ったように思えたが、実際にはまだ10メートルも進んでいないのだ。私は混乱し、いったん家に帰ろうと向きを変えた。

ああ! 振り返った時の私の絶望を理解してほしい。家に帰ろうとする私の前に、今度は反対側からやってくる通行人が立ち塞がったのだ!

苦い文学

天下の大道

最近、気分が沈みがちで、そのうえ「道の遭難者」とかいう短編小説を読んだせいで、外に出るのがいやになってしまった。

もうこのまま家に引きこもっていたい、そんな気持ちで、インスタを見ていたら、こんな広告が目に飛び込んできた。


諦めていませんか? 道を通ること!

当講座ならどなたでも簡単に道を通れるようになります!

初級オンライン講座 ♪ファースト・ステップ♪

講師:道亨(みちとおる)先生

【講師紹介】これまで何千人もの受講生を道に送り出してきたカリスマ講師! 大晦日アメ横単独通行記録保持者。渋谷スクランブル交差点、池袋サンシャイン60通りを無酸素無補給通行達成。座右の銘は「道なき道をゆく」

【講座の内容(全5回)】
第1回 ステップ・ワン 道って何? 道の種類と特徴
第2回 ステップ・ツー 通っていい道の見分け方
第3回 ステップ・スリー 道に出る前の準備①:足の位置と機能を学ぶ
第4回 ステップ・フォー 道に出る前の準備②:はいてみよう、靴!
第5回 ステップ・ファイブ 最初の一歩を踏み出そう!

今なら、受講料50%OFF! もれなく「くつ」プレゼント!

【受講生だけの特典】
道路通行士の資格講座の受講料20%OFF!!

*道路通行士は、道を通るための専門資格です。この資格があれば日本国内のほとんどの道を通ることができます。また、道で出会う職務質問の時間を短縮できます。


たくさんの人がこの講座で堂々と道を通れるようになってほしいと思う。私は受けないけど。

苦い文学

肛門時代

トイレで噂話をしていると、個室からご本人が登場————-というのは韓国ドラマの「あるある」だ。大ヒットドラマ『愛の不時着』ではこれにひねりが加えられて、楽しいシーンとなっていた。

実は、最近私も個室にいるあいだ同じような経験をして、この時は閉口した。なので、トイレで噂や秘密を言いたくなるのは、日本も韓国も関係ないということなのだろう。

古代ローマの公衆浴場のトイレでは、互いに顔を見ながら排便できた、というが、これは特殊な例で、複数の人間が同時にトイレという施設(あるいは化粧室)を利用すること、そこに連れションしたり、噂話をしたりなどするというのは、近代に入ってからではないだろうか。

幼児はトイレトレーニングを通じて排泄を管理することを学んでいくが、この「肛門期」と呼ばれる時期の経験が人間の性格に多大な影響を及ぼすと考えたのが、フロイトだ。

私は精神分析についてはよくわからないが、われわれがトイレで本当のことを打ち明けたくなるのは、それが一種の排泄であるからだろう。われわれにとって尿や便ほど本当のモノはないのだ。

そして、われわれは普段は軽々しく本当のことを漏らしたりしないのは、トイレ以外のところで漏らさないのと同じだ。

もちろん、一人で排泄するのならば余計なことなど言わないのだが、近代の多人数向けのトイレではそういうわけにはいかない。つい、連れに真実を排泄してしまうのだ。

ここで私は提案したいのだが、例えば裁判をトイレ内でもよおすというのはどうだろうか? そうすれば、誰もが真実を話すにちがいない。

開廷とともに、肛門を開き、閉廷とともに肛門を閉じる。多少の臭いは気になるかもしれないが、そんな時代が来るかもしれない。

(そういえば、アメリカの富豪、ロバート・ダーストが殺人を告白したのも、トイレ内でだった。確かにトイレでは人はさらけ出すのだ。)

苦い文学

『のりつっこみ』

ノリツッコミというのは、よく知られているように漫才のつっこみかたのひとつで、ボケにしばらく乗ってからつっこむというものだ。

このお笑いの技法をテーマにした小説を読んだので、紹介をしたいと思う。

タイトルはその名も『のりつっこみ』(須田廉著)。

丹波と和田という二人の男の物語だ。二人は、大学のお笑いサークルに属していて、その飲み会の場面から物語は始まる。お笑いサークルらしく、熱いお笑い論や大喜利の勝負などが繰り広げられ、やがて、ひとりひとりがノリツッコミの披露ということになった。

丹波の番が回ってきた。彼が隣の和田を相手にボケるのだ。そこで、彼は自分のカバンの紐を手に取り、隣に座る和田の方にたすきのようにかけ、叫んだ。

「先生!」

つまり、選挙運動中の政治家というわけだ。和田もうまくそれに乗って、割り箸をマイクにして「有権者の皆さん!」と演説をぶち始めた。これには一同、大笑いとなったのだが、話は飛んでそれから20年後、この和田が本当の政治家となって丹波の前に現れたのだ!

果たして和田は本物の政治家となったのか、それともノリツッコミをまだ継続しているだけの政治家なのか? 疑念に突き動かされて丹波は一人、和田の選挙事務所に乗り込む……

と、そういう話だが、これ以上はネタバレになるから、続きはご自分でお読みいただきたい。

ただし、小説のデキとしてはいろいろとツッコミたいところもあるのも事実だ。

苦い文学

細胞は希望

異常な老人たちの異常な言動を目撃した私は、さらに異常な話を聞くことになったのだった。

「老害どもには絶対席を譲るものか」とがなりたてる老人に、ツレの老人がこう反論したのである。

「まあ、そりゃあわかるが、老人笑うな、行く道だから、とも言うぜ。俺達もいつか年をとって、同じようになるんだからさ」

するともう一人の老人がこう言い返した。「いや、俺はそんな間抜けな道は通らねえ。通るわけがねえ」

「どういうことよ?」

「てのもな、俺達が年をとる頃には、そんな道はすっかり封鎖されて、もう別の道ができるってことさ。前の道が、舗装もされてない泥道だとしたら、新しい道は、最新の高速道路だ!」

「いや、まだわかんないんだが」

「お前、ips細胞って知ってるか。この細胞はな、何でも元通りに再生してくれる頼もしい細胞で、俺は数ある細胞の中でこいつを一番贔屓にしてるんだ。こいつがあれば、弱った足腰も、たちまち十代のころのピンピンビンビンを取り戻すというんだからな」

「で、そいつは、どこで売ってんのか」

「いや、残念ながら、実用化の手前というところで、山中伸弥先生という偉い先生が、俺達のために夜の目も寝ずにがんばってくれてる。ま、そのおかげで、俺達はこうしてうまい酒が飲めるってわけだがな。まあ、なんにせよ、俺達が年寄りになる頃には(いや、もう明日にでも実用化されるかもしれん!)、俺達は、物欲しげなツラで座席の前に立ったり、車両のささいな揺れによたよたしたりして、老醜をさらすという恐れはもうまったくないと言いきれるのだ」

「なるほど、それは大した高速道路だ」

「いや、それどころか、ips細胞により俺達は、筋力、感受性、思考力などあらゆる点で強靭化・先鋭化された強化人間として生まれ変わる可能性だってある。そうなれば、もう車なんか要りはしない、俺達自身が高速道路を猛スピードで往来することになるのだ!」

この言葉は聞き手の老人に大いなる歓喜を与えたようだった。老人はしわくちゃの手を打ち鳴らして叫んだ。

「いやもう年をとるのが待ちきれんて!」

「そうだ! 山中先生に乾杯だ!」

この驚くべき話を聞いた私も、こっそりと山中先生のために乾杯をしたのだった。