苦い文学

腹の底から笑う会(退会編)

やがて会長は話し出した。

「このままでは自分がダメになる、と私は考えて、発想を変えることにしたのです。子どもが悲惨なニュースに会うたびに笑おうと! 何があろうととことん笑おうと! その日から私の笑う日々が始まりました。赤ん坊が熱湯風呂に放り込まれると私は笑いました。小学生の列に暴走車が突っ込むやいなや大笑いです! 無理心中を図った親が我が子だけ殺して自分が生き残った日には腹を抱えて笑いました! それでついに」

私たちは今や公園にいた。幼児たちが大声を上げながら駆け回って、ぶつかったり、跳ね回ったりしていた。会長はこれらの幼児たちを見るや、さもうれしそうに言った。

「これらの子どもたちを見るだけで、もう笑いが込み上げてくるようになったのです! 殺された子どもたちの顔が重なって見えて!」

会長は腹の底から笑い出した。それは、あの素晴らしい心揺さぶる笑いだった。

すると、急に私も笑いが込み上げてきた。これが、笑わずにいられようか。私は身をよじり、のけぞり、笑い転げた。

私たちは腹の底から大いに笑った。あまりにも凄まじい笑い声だったので、きっと地獄の閻魔大王の耳にも聞こえたことだろう。

苦い文学

腹の底から笑う会(会員編)

腹の底から笑えずに苦しんでいる私であったが、そんな私を心配したのか、集会の後、会長が声をかけてくれた。

「少し、外を歩きましょうか」

初夏の心地よい陽気の日だった。歩きながら私は会長に自分の悩みを包み隠さず話した。「どうしても会長のように腹の底から笑いたいのです」

「実は、私もかつては笑えなかったのです」

私は驚いて会長の顔を見た。

「はっはっはっ! でも、今はこのように、腹の底から笑っています。どうしてか、その秘密をこっそり教えてあげましょう……私もかつて笑えなかったと言いましたが、それは、この世界があまりにも悲惨に思えたからです。ニュースを見れば、苦しいニュースが毎日のように流れてきます。特に、子どものニュースです。勲章持ちに轢き潰されたかと思うと、激しい虐待のなか、許しを乞いながら死んでいく子どもたちもいます。それに、いじめ、自殺! 私はもう耐えられなくなったのです」

会長はそのときの苦しみが蘇ってきたのか、しばし口を閉じた。私たちは黙って歩き続けた。

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腹の底から笑う会(入門編)

毎日つらいことや苦しいことが多すぎて、私はまったく笑わなくなってしまった。

朝から晩まで苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていて、もうその虫だけでお腹いっぱいなのだ。

笑う門には福来るというが、笑わぬ門には死あるのみだ。生きるためには笑わねばならない。そんなわけで、私は「腹の底から笑う会」に入会することにした。本気で腹の底から笑うつもりなのだ。

会の集会は週に一回。会員たちは、みな腹の底から笑わんかなの姿勢でやってきて、腹の底から笑って帰っていくのだった。

なかでも見事な笑いっぷりをみせてくれるのは、会長だ。その笑いたるや、豪快、愉快、痛快の三快の揃い踏みで、聞いてるだけでスカッとする。腹の底から笑うとはまさしくこれなりと、私は感心したのであった。

会長はいつもにこにこ朗らかで、この世に生きるのが楽しくてしょうがないという様子。とくに、子どもたちに出会ったときの会長の喜びようといったらなく、そのうれしさのあまり、いちだんと素晴らしい笑い声を響かせる。会長が生み出しうるもっとも美しく、もっとも楽しく、もっとも心揺さぶる笑い声といえた。

「私もこんな朗らかな人間になりたい。苦虫よ、さらば」と私はこの会長を師として、同じように笑おうと努力した。だが、そうやって力めば力むほど、腹の奥底から苦味が込み上げてきて、すべての笑いを枯死させるのだった。

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難民サッカー

久しぶりに在日カレン人の難民の友人と話をした。

現在、在日ビルマ難民の間で、サッカーが盛り上がっているとのことだった。

ビルマにはいろいろ民族がいるが、それぞれの民族でチームを作って、大会を行なっているのだそうだ。

大会の参加費は例えば1チーム3万円で、1位から3位まで何かの賞品が出る。この賞品代と会場費を除いた残額を、ビルマ国内への支援金とするのだという。つまり民主化支援イベントなのだ。

私がかつて在日ビルマ人の難民団体で活動していた時、団体のレクリエーションの一環として、サッカーチームの創設を提案したことがあった。ずいぶん前の話だが、これは結局実現しなかった。

おそらく、提案者たる私がサッカーのルールも知らないのに監督をやると言い張ったことと、その団体の会員のビルマ人がみな40代のおじさんだったことが関係しているのだろう(私はサッカーが大変な競技だということも知らなかったのだ)。

しかし、そのころに比べると今の在日ビルマ人社会はずいぶん若くなった。たくさんの若者が日本にやってきたのだ。だからこそ、こういう元気な活動もできるのではないかと思う。

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クライシス・アクター

社会的経験を積み、それなりの教養もある人が、Facebookに写真をあげた。

それはアメリカかどこかのテロ事件の被害者が写った写真で、その被害者が「クライシス・アクター」だというのだ。

「クライシス・アクター」とは、テロ事件などがフェイクであることを示す証拠としてしばしば持ち出される。

事件の被害者は実際は俳優が演じているのであり、ある勢力がこの事件を仕組んで、われわれになんらかの影響をおよぼそうとしている、というのである。

もちろん、これは陰謀論者の謂であり、信ずるには当たらないが、ここから、陰謀論を信ずる人の心理を多少うかがうことができる。

多くの人が死ぬ事故や事件というのは、それに関わる人ばかりでなく、報道などから傍観する人にとっても、非常に強い心理的なストレスを与える。

陰謀論的思考というのは、こうしたストレスを回避するのに、有効な手段だ。というのも、そうした悲惨な出来事が仕組まれた嘘だとしたら、なにも心を痛める必要などないのだから。

われわれがドラマを見てハラハラするとき、これは役者が演じているにすぎない、本当に死ぬわけではないのだ、と自分に言い聞かせようとするのに似ている。

いっぱしの教養のある大人が、「クライシス・アクター」など奇怪なことを言い出すのは、まったく理解に苦しむが、そうした態度が、悲惨な世界に対する防衛機制に(部分的には)由来すると考えれば、それなりに納得もいくのである。

現実を直視するというのは大変なことで、しばしばわれわれはそうしないためなら、なんでもする、ということだろう。

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失意のうちに

本を読んでいると「失意のうちに世を去る」とか「失意の晩年を過ごす」といった表現によく出会うかと思う。

「失敗した人生のまま死んだ」という意味であることはわかるが、具体的に失意の人生がどんなだか、詳しくはわからない。

おそらく、失意の人生とは誰の関心を集めるものではないからだろう。だからこそ、簡単に一行で済ませられてしまうのだ。

「失意のうちに世を去った」と。

失意の期間が何十年あろうと、その間にどんな事件が起ころうと、「失意のうちに世を去った」で決まりなのだ。

だが、失意のうちに世を去る人間がどんなことを考え、どんなことをして、その失意を生きているのか、興味を感じはしないだろうか?

もし、近くに「失意のうちに世を去りつつある」人がいたら、近くに行ってみて、失意の人の顔とはどんな顔なのか、見てみたくはないだろうか? 失意の人の失意ファッションや失意の食卓を彩る失意レシピ、つまり失意のライフスタイルを観察したくは?

もしあなたがこうした事柄に関心を持ったら、ぜひ私のことを思い出してほしい。お手頃な価格でその機会を提供いたします。

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コロナ哀話

友人が遊びにきたので、行きつけの居酒屋に行った。

二人で飲んでいると、彼が離れた席を睨みつけた。

二人の中年の男女が酒に酔って醜態を晒していたのだ。二人だけでやるならまだしも、他のテーブルの客に声をかけたり、テーブルの間をご機嫌にふらついたりしていた。しかも、このご時世を嘲笑うかのように、マスクなしだったのだ。

「こういう連中がいるからいつまでたってもコロナが終わらないんだ!」といまいましげに呟く彼に私は答えた。

「その通り。それがまさしくあのご夫婦の目的なのだ」

「なに、知り合いなの?」

「知り合いではないが、二人はこの店の常連だ。そして、その事情も多少は知っている」

そして、私は友人にこんな話をしたのだった。

「二人の間には、一人息子がいるのだ。彼は中学一年の時にいじめにあって、不登校になってしまった。夫婦はひどく悩んだが、思わぬ方向で事態は好転した。二年生の終わりにコロナ禍がやってきて、学校はオンラインになったのだ。

「息子はこのオンラインが性に合ってたらしく、授業に参加するようになった。友人もできたようだった。彼は明るさを取り戻し、夫婦は大いに喜んだ。

「また、無事に高校に進学できたことも、うれしいことだった。高校では、基本は対面授業だが、事情を配慮してもらいオンラインでの出席を続けているそうだ。

「だが、ある日のこと、息子が悲しそうな顔をしているのに二人は気がついた。心配になって尋ねてみると、こんなことを言って泣くのだ。

『コロナが終わったら、オンラインも終わっちゃうんでしょ。そしたら、学校に行けるかな、また学校に行けなっちゃうかな、またみんなに取り残されちゃうかな』

「その晩、夫婦は話し合い、コロナを終わらせない活動を始めることにした。

「それで、あの夫婦は、毎晩、あちこちにマスクなしで出入りして騒ぎ立て、コロナを一粒でもいいから広めようとしているのだ。その親心や、哀れ、ではないか」

話が終わったとき、私は友人の目に涙が光っているのを見逃さなかった。

彼は、汚らしくはしゃぎ回る夫婦をちらりと見て、私に顔を向けた。まるで「この醜悪なバカ騒ぎの裏に、こんな哀しみが隠されていたなんて」と言いたげな顔つきだった。

私はうなずいてみせた。彼もうなずいた。そもそも情に厚い彼にはそれで十分だった。彼は立ち上がり、マスクを床に投げ捨てた。そして、したたかに酔ったかのような足取りで、夫婦に近づいていった。

私はそれからすぐに退散したので、このホラ話が彼にどんな災難(あるいは幸運)をもたらしたかは、神のみぞ知るだ。

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相談してみませんか

コロナ禍の厳しい暮らしももちろんだが、そもそも、日本社会がそれほど寛容ではないせいもあって、今、多くの人々が悩みと生きづらさを抱えながら、生きている。

そうした悩みや苦しみを相談できる人がいればいいが、そうではない場合、人は孤立し、絶望を深め、時には自殺を選ぶこともある。

こうした悲劇を少しでも食い止めようと、多くの団体が、電話での相談窓口を開設している。有名なのは「いのちの電話」だが、それ以外にもたくさんある。

ここに紹介するのはそうした窓口のいくつかだ。悩んでいる人、あるいは、そうした人のそばにいる人はぜひ利用してみてほしい。

【芸能人・有名人・富裕層の方専用(全年齢)】
03-XXXX-XXXX(いのちサポートセンター)
0120-XXXX-XXXX(心の電話相談)
0120-XXXX-XXXX(メンタル・ケア協会)
080-XXXX-XXXX(心の相談窓口)
090-XXXX-XXXX(NPO法人いのちホットライン)
090-XXXX-XXXX(命を守るコール)
03-XXXX-XXXX(絆コミュニティ)
03-XXXX-XXXX(自殺防止協会)

【上記以外の小学生専用】
080-XXXX-XXXX(キッズ相談窓口)
090-XXXX-XXXX(子どもいのちセンター)
03-XXXX-XXXX(チャイルド・ケア・スクール)
0120-XXXX-XXXX(心のシェルター)

【上記以外の10代・20代の方専用】
090-XXXX-XXXX(青年自殺対策センター)
03-XXXX-XXXX(NPO法人ユース・ケア)
0120-XXXX-XXXX(いじめを許さない!WAKAMONOネット)

【上記以外の30代・40代の方専用】
080-XXXX-XXXX(労働問題センター)
090-XXXX-XXXX(いのちのナビダイヤル)

【上記以外の50歳以上の方専用】
0120-XXXX-XXXX(葬儀費用無料見積もり)

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福の神

最近ネットで読んだ記事によると、福の神の資格を持つにもかかわらず、ちゃんとしたポストにつけない福の神が大勢いるとのことだ。福の神がダブついているのだ。

そこで、多くの福の神がどうするかというと、非常勤で働くことになる。しかし、非常勤というのも大変だ。忙しいし、収入も安定していない。時間外労働も多いから、時給に換算すると、かなり低くなる。節分の鬼の時給より低いとのことだ。

それでも、災い転じて福とすることができればまだしもだが、そうもいかない。非常勤の立場の弱さゆえ、賃金の未払いや雇い止めというさらなる問題に直面することもあるという。

こんなひどい待遇ならば、やらなければいい、と私などは思うのだが、そもそも職がないのだ。たとえ非常勤でも、まるで福男選びのような熾烈な競争が繰り広げられるそうだ。

記事では「福の神がその能力を発揮する場がなければ、我が国に福が増えるはずもない。政府は積極的に福の神の待遇の改善に取り組むべきだ」との結論が述べられていた。

私もまったく同感だが、記事を読むにつれ正直、本当に福の神かな、という気もしないではなかった。

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惑珍問答(下)

兵六「それは、先生、この度、摂衆寺にやつてきた惑珍和尚といふお坊様のことでございませう」

先生「それがいつたいなんの関係があるのだ」と、丑松のはうに身を向け、その腕を掴む。「むむ、二の腕がひどく腫れてゐるやうだが」

兵六「ひどく厳しいお坊様でして、丑松めがうつかり近づいたところ、警策でぱしりとやられたのでございます」

先生「そんな番犬みたやうな坊主がいるものか。しかし、二回目がどうだとも言つてゐたやうだが」

兵六「は、滝行のことでございますな。惑珍和尚への粗相を恥じて、丑松が二度ばかり滝に打たれたと話しておりました」

先生「だが、丑松は熱があるやうではないか。副反応だとか言つてゐるのが聞こえたが」

兵六「それにてございます。無理に滝に打たれたせいか風邪を引いたやうで、これは福観音という観音様にお参りにいかねば、と話しておりました」

先生「では、これはどうだ。お前たちが、なんとか三度まで済ましたいもの、と言つているのをはつきり聞いたぞ」

兵六「丑松めの振る舞いがあまりに愚かであつたため、仏の顔も三度までと、戒めましてございます」

先生「むう、左様なれば、もう何もいふまい」

国柄先生、立ち上がり、部屋から去る。兵六・丑松、やれやれと顔を見合わせる。

丑松「いやもう、生きた心地もしないとはこのことだ。兵六のおかげで、なんとか先生に怒られずにすんだ」

兵六「ああ、ひどくがつかりした」

丑松「まつたく、ワクチンだけに」

兵六「こんな苦労は」

丑松「早えところ」

兵六「打ち止めに」

兩人「してもらいてえもんだなあ」

ひやうし 幕