苦い文学

亀の描いた絵

亀が考えた計画はこうである。

海辺の村に行く。計画にうってつけな村人を探す。その村人に近づき、簡単に財宝が手に入るうまい話がある、とことば巧みに誘う。計画を話し、成功すれば財宝は山分けであると請け合う。村人としっかり打ち合わせをし、細かな点でも口裏を合わせておく。

それから、主人のもとに戻り、いじめられているところを村人に助けられたという虚偽の報告をする。感心した主人の命により、村に行き、共謀者の村人を背に乗せて主人のもとに戻る(主人より往復の手間賃を貰うこと)。

村人は亀と事前に打ち合わせたとおり、いじめられている亀を助けたことをつぶさに主人に語り、亀の報告を裏付ける。かくて主人は報告を信じ、村人に金銀財宝を与える。亀は財宝とともに村人を甲羅に乗せて村に戻る。途中の海で村人を振り落とし溺死させる。そして財宝を秘密の場所に隠す。

しばらく待ってから、主人のところに戻り、村人を無事送り届けたと報告する(往復の手間賃をきっと貰うこと)。

苦い文学

相対的治癒

この世では、善も視点を変えれば悪となり、悪もまた、視点を変えれば善と転ずる。何ごとも見方次第、相対的なものなのだ。私はあるできごとを通じてそのことを痛感したのだ……

緊急事態宣言が解かれ、夜の街に賑わいが戻ってきた。

しかし、我慢していた時間が長かったためだろうか、街に繰り出した人々の中には羽目を外して大騒ぎしたり、気が大きくなって理不尽なふるまいをする人も多く見られた。

私もまた友人とともに酒場にやってきたひとりであったが、このあられもないバカ騒ぎには辟易させられた。中でも、ひとりの酔漢は周囲の客という客に絡み、因縁をつけていた。私もこの男には不愉快な思いをさせられた。

男が別の客にちょっかいを出している間、私は店主に言った。

「申し訳ないが、もう我慢できません。勘定をお願いします。まったく、このろくでもないやつのせいでせっかくの飲み会が台無しだ」

「ろくでもないやつとおっしゃいますと?」 そう問い返す店主の様子がさらに癪に障った。

「ああ、ああいうやつが人間を苦しめるのだ。社会の癌だ」

「社会の癌ですと!」 店主の顔が驚きに変わり、足早に私の前から離れると、私が「社会の癌」と断言した例の男を連れてきた。

不思議なことに男の顔からは酔いが失せていた。まじめな人間らしい顔つきで彼は私を見ると、感謝を口にしながら、大粒の涙を流した。

「これはどういうことです」とうろたえる私に、店主はこう語ったのであった。

「彼はかつての従業員であり、悪性の腫瘍に冒されて余命わずかなのです。いかなる治療法も尽き、もはや死を待つばかりとなったところ、ある偉いお医者さまから言われたのが、世で乱暴狼藉を働き、社会の癌と言われるほどになれば、その悪性の腫瘍も良性に転ずること疑いなしということでして……」

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質問のし方

私は犬を飼っていて、毎日のように散歩に出かける。普段は夜だが、最近は冷えてきたので、陽のあるうちに出かける。

散歩するのは市役所の周辺だ。歩道が広くて車もないので安心なのだ。

あるとき、散歩の最中に、私はうっかりリードを放してしまった。慌ててリードを拾おうとすると、犬は私の動きに驚いたか、一目散に逃げ出した。私は追いかけたが、追えば追うほど犬は一心に逃げるのだった。

そのうち、犬はある大きな建物の中に駆け込んでいった。私はぜいぜいいいながら建物の前に着くと、扉が開いている。中に入ると、カウンターがあり、年配の女性が立っている。

「いまここに犬が入ってきたと思うのですが」

「いいえ、そんなことはないです」

「しかし、見たのですが」

「いいえ、いません」

しばらく押し問答をしたが、「いない、ない、なかった」の一点張りなのだった。

私は建物の外に出た。途方に暮れていると、友人が通りがかった。彼は事情を聞くと、私の肘をつかんで中に入っていった。

あいかわらず受付の女性が立っていた。友人はこう尋ねた。

「中に入る許可の必要はありますか?」

「いいえ、ないです」

彼はそれを聞くとずかずかと受付の先に入っていき、しばらくすると犬を抱えて出てきた。

犬を抱きしめながら私が感謝を述べると彼は言った。

「いや、なにほどのことでもないよ。大事なのは、人にものを尋ねるときは、相手に合わせるってことさ。特にここのような『ない、なかった』と言うのが仕事のような場所ではね」

と彼は建物の看板を私に示した。

そこには『教育委員会』と書かれていた。

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苦い文学

今年2月のビルマでのクーデターを受けて、入管の在日ビルマ人への態度が変った。

今年の夏に出た「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」というのがそれで、「緊急避難措置として、在留や就労を認める」というものだ。

この話を聞いたKさんが、私のところに来た。彼は難民申請者で、入管にも三度収容されていたことがある。去年の春に仮放免された人だ。

私は彼の身元保証人をしているのだが、Kさんは自分にもこの「緊急避難措置」が当てはまるのかどうか、入管に聞いてほしいというのだった。

私たちはサイゼリアでお昼を食べていたので、私は店を出て入管に電話した。担当の人に繋がり、私は、自分が身元保証人であることとKさんの名前を告げ、事情を話した。すると担当の人は少し調べた後「順次手続きしているので入管から連絡がくるはず。もし事情があれば、入管に直接来て手続きを行ってほしい」と言った。

私は大急ぎでKさんのもとに戻り、入管の話を伝えた。我々二人に大きな感慨が訪れた。ついにKさんは日本での滞在を認められるのだ。ついに彼は正々堂々と日本で暮らすことができるのだ。おお、収容所よ、さらば!

新しい人生がはじまるのだ。

Kさんは心の重荷を下ろすかのようにため息をついた。その表情には静かな喜びがあった。

すると、私に電話がかかってきた。入管からだ。私は軽やかな足取りで再び店外に出て通話をはじめた。

それは訂正の電話だった。Kさんの場合は、一度、不法滞在になっているので、この「緊急避難措置」の対象外だとのことだった。

私は重い足取りで席に戻り、Kさんに間違いだったと告げた。私はそれ以外になんと言ったらいいか分からなかった。だが、不思議なことにKさんにはがっかりした様子もなかった。そして、意外なことを言った。

最初の電話の時、私がとても楽しそうに店の外から帰ってきたので、それがとてもうれしかった、と。

私は仕事がなく、Kさんはビザがない。我々の人生はとても苦いが、それでもそこに味わうべき何かがあったのだ。

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僕はフィッシュだ

日本語では「木が生えている」「木の机」というように「木」は植物としての「樹木」も、素材としての「木材」もともに表わしうる。

だが、英語の場合はそうではない。「tree」が表わしうるのは「樹木」のみであり、「木材」のためには「wood」や「lumber, timber」という語がある。

これは文化によって世界をどう捉えるかが異なるためであり、どの言語間にも多かれ少なかれこうした差異は存在する。

あるとき私はヨーロッパ方面に飛び立った飛行機の中にいた。それは、日本の航空会社とのコードシェア便であり、機内には多くの日本人がいた。

食事の時間が来た。キャビン・アテンダントがワゴンを押して、「Fish or Chicken」と乗客に聞いている。機内食の魚はたいていパサパサしている(印象がある)ので、私は必ず鶏肉や牛肉を頼む。

そんなわけで、私は「Chicken」を要求した。キャビン・アテンダントはワゴンから「Chicken」を出そうと屈んだ。だが、その時、隣の列で食事をしている人の姿が目に入った。

うなぎ!

私はあわてて「Fish」と叫び、鰻に変えてもらった。あやういところであった。

このときまで、私は「Fish」に鰻が含まれうるなど思いも寄らなかったのだ。なぜなら、鰻は魚料理などではなく、鰻だからだ。いや、鰻ですらない。それはただご馳走なのである。

世界は言語によってその姿を変える。文化によっては鰻は魚料理であってもいい。だがそうした違いは実は、我々が鰻を食べる機会を逃すという危険に直結している。そのことに警鐘を鳴らして、この稿を閉じたい。

苦い文学

酒癖(After We Ride)

今は酒をやめて2年半以上になるが、飲んでいたときは、私は酔うことは少なかった。

人と飲むときは、私は人々と同じか、それ以上飲んだが、ほとんど酔わなかった。酔うとしても、最後のことでで、みんなと別れた後、一人になったときに、酔いが回ってくるのだった。

酒に強い。私はしばしばそういわれ、自分でもそう思っていた。

だが、酒をやめて、ときたま自分の飲み方について考えるようになると、自分は酒に強いのではないと思うようになった。

世には酒を飲むと陽気に笑いだす人がいる。これを笑い上戸という。しきりに泣く人は泣き上戸だ。怒り上戸とはいわないが、怒りだす人もいる。卑猥になる人、愚痴っぽくなる人、酒癖はさまざまだ。

これと同じように、私は酒を飲むと酔わなくなるタイプだったのではないだろうか。酒癖とは周囲の人によって決まるソーシャルなもののようだが、私の場合は、人がいると酔わない上戸となるのだ。

その証拠に、一人で飲むと私は数杯で酔ってしまう。つまり、本当は酒に弱いのだ。

おそらく酔わない上戸は私だけではあるまい。そういう人はいつか体を壊すので、酒をきっぱりとやめるか、一杯で酔いつぶれるように心がけるかのどちらしかない。

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不壊なるもの

仕事を首になり、行き詰まった私は、なけなしの金を払って、あるセミナーに参加することにした。心の糧となるようなメッセージが聞けるというのだ。私は、もしかしたら立ち直るきっかけを掴めるかもと、期待を抱いて会場に赴いた。

講師を務めるのは、50代の落ち着いた男性で、どことなく超然とした雰囲気を漂わせていた。彼のスピリチュアルな講話が、今、世間で感動の渦を引き起こしているのだった。

そして実際その通りだった。彼の話は世俗的でありながら、宗教的であり、あけっぴろげでありながら、秘義的だった。彼の引き起こす笑いは涙であり、その悲しみは、朗らかに輝いていた。私は感動に震えた。

彼のメッセージの核心は、魂は不壊なるものだということであった。

「我々の魂は、聖なるものだ。傷つけられることもなければ、損なわれることもない。だから、どんな試練に遭おうとも、恐れてはいけない。いかなるものもあなたの魂に触れることすらできない。どのような苦難の中でも、あなたは決して失われないだろう。なぜなら、あなたの魂は不壊なるものだからだ」

この確信に満ちた言葉に人々はあられもなく泣き、そして、私もあふれ出る涙をどうすることもできなかった。人々は、彼の話を聞く前には気づきもしなかった事柄に出会えたことを心から喜んでいた。

ひとりの男が感極まって立ち上がった。彼はある企業を経営していると語り、今日の集会に参加したことで、その経営の苦しみや悩みがすっかり消え去ったと断言した。晴れ晴れしい表情だった。

「私の会社は、今、深刻な経営危機にあります。立ち直るためには、たくさんの従業員を解雇しなくてはならないのです。それが、私の苦しみでした。ですが、今日、先生のお話を聞いて、決心できました。リストラを敢行します! なぜなら、どんな試練も従業員たちの魂を傷つけることができないからです。ああ! 安心して解雇できます! どんなに路頭に迷おうとも、彼らの不壊なる魂は決して迷うことなどないのです!」

彼はその場で分厚い財布を開き、札束を取りだすと、「これはほんの、お気持ちまで」と講師に渡した。そして、講師はやさしく笑ってそれを受け取った。

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ハミガキ

以前、チュニジア人の友人が言っていたのだが、日本のハミガキはとても甘いのだそうだ。あまりにも甘いので、なにか体に良くないものが入っていそうだ、とも言っていた。

その人ひとりだけの意見ならばいいのだが、もうひとり別の人も同じことを言っていた。

チュニジアに滞在している間、ちょうどハミガキが切れた。ではチュニジアのハミガキは甘くないのだろうかと思って、薬局に行って買った。

チュニジアのハミガキといっても、店に置いてあったのはどれもヨーロッパの製品のようだった。チュニジアのものもあったのかもしれなかったが、「日本のは甘い」と言っていた人は、フランスで暮らしている人だ。だから、ヨーロッパ製でも構わないだろうと思って、店頭に並んでいるもので一番上に掲げられているものを買った。けっこう高かった。

それでさっそく磨いてみたが、甘くないと言われればそんな感じだ。しかし、高級なヨーロッパ製だ。店主おすすめの逸品だ。私はありがたく磨き、ありがたい気持ちのまま日本に持ち帰り、ありがたい気持ちを抱きつつ最後までしっかり使った。

その製品の名前は「Sensodyne」。日本ではシュミテクトの名で売られている。

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ま黒コスモス

自然は命、命は自然。私たちの命は、自然の中に生まれ、自然の中で育まれるのであります。

その自然とは私たちの地球。ならば太陽系もまた自然、それどころか銀河、さらにはこの宇宙全体もまた自然でございます。

つまりは、この宇宙そのものが私たちの命を取りまく環境であります。占星術師をのぞいては、私たちはこのことをほとんど意識してまいりませんでした。ですが、広大ではるかに強力なこの宇宙が私たちの命に影響を及ぼさないとしたら、奇妙なことでございましょう。

そして、長年の宇宙研究の結果、私は宇宙の膨張が生命に与える影響を明らかにいたしました。

宇宙の膨張とは、かのアインシュタイン博士がかの相対性理論で明らかにした真理でございます。ア博士によれば、私たちの宇宙はものすごい勢いで膨張しているというのです。この全宇宙的な膨張現象が私たちの健康に密接なかかわりがあるのです。

宇宙の膨張に心身ともに同調させることがまさしく健康の基本と申せましょう。そして、心身の不調とは、宇宙との膨張とのズレによって生じます。具体的には次のような症状となってあらわれます。

膨張の遅れ(宇宙の膨張に心身が追いつかなくなっている時)の症状:
    痩せぎみ、低血圧、めまい、動悸、腰痛、下痢、男性機能の減退など


過剰な膨張(宇宙の膨張より先に心身が膨張している時)の症状:
    太り過ぎ、むくみ、息切れ、高血圧、肩凝り、便秘、男性機能の減退など

もしかしたら、これらは深刻な症状ではないとお思いになるかもしれません。ですが、死とは宇宙の膨張についていけなくなったとき起こるのです。このズレがいかに深刻な問題かおわかりになるかと思います。

さらに、宇宙の膨張は常に一定の規模で生じているわけではございません。ある時は遅く、ある時は早く、またある時は西宇宙のほうがより膨張し、またある時は北宇宙のほうでやや膨張の遅れが見られるといった按配でございます。私は研究と研鑽の結果、こうした宇宙の膨張をじかに感じ取れるようになり、かなりの予測が可能となりました。

心身の不調にお悩みの方、それはもしかしたら、宇宙の膨張との同調に問題があるからかもしれません。ご心配ならば、当方までご連絡くだされば、いかようにもご相談に乗ります。

なお、ご来訪いただいた方には、特別に冊子『宇宙の膨張理論から見た株価の銘柄判断』を無料にて贈呈いたします。

苦い文学

悔悟の時間

年老い、もはや死を待つばかりとなった私は、自分に残された時間の僅かであることを悟り、最近、時間について研究をしている。

時間とは何だろうか。

古来多くの哲人を悩ませてきたこの問題について私は一つの答えを見出した。

時間とは後悔である。あるいはこう言い換えてもいいかもしれない。時間の経過とは後悔の量である、と。

この結論の証明には難解な数式を持ち出さねばならない。だが、それではみなさんにはわからないだろうから、割愛させていただく。

しかし、この発見によって今まで不可解とされていた多くの事柄が説明可能となったことは述べるに値する。

例えば「後悔先に立たず」という現象である。

時間の経過が後悔の量そのものであることを考えれば、これは至極当然のことだ。

また、「憎まれっ子世にはばかる」とか「善人は短命」といった現象も同様に説明される。

人に憎まれるような人とはどんな人であろうか。そう、後悔などしないふてぶてしい人に決まっている。では、善人とは? もちろんおのれの行いについて反省し、よく後悔をする人である。

そして、後悔が時間であるならば、後悔すればするほど、時間が進むのであり、その分、寿命が尽きるのが早くなる。いっぽう、後悔をしない人は、あたかもその人においては時間が停まっているかのようなのであり、ひょっとしたら永遠に生きかねないのだ(なので長生きしたい人は後悔などしないがいいだろう)。

「なるほど、時間が後悔であることは分かった」 みなさんはこう言い、それからこんな問いを投げかけることだろう。「だが、あなたの言う後悔とはなんなのか」

これほど簡単なことはない。この理論(「後悔性理論」とでも呼ぼうか)についてはじめて明らかにした本論文は、さして長くはないものだが、それでも、読むのにいくばくかの時を要する。そして、みなさんは、今、人生の貴重な時間を使ってこの論文をここまで読んだところだ。

今、みなさんの心の中に何があるだろうか。

そう、それが後悔だ。