研究

Broad-Negative Sentences in Tunis Arabic

これは二〇二六年六月二十六日にアラビア語方言国際学会(AIDA)大会で行った口頭発表だ(イタリア、カターニア)。

扱ったのは、否定が広い範囲に及ぶ文だ。これを Broad-Negative Sentences と呼んだのだが、あまり適切とは言えない。

広い範囲というのは、一般には否定のスコープと呼ばれるが、日本語でいうならば次のような例だ。

「風が吹いて自転車が倒れない」

この場合、「自転車が倒れない」のは明らかだが、「風が吹いた」ことについては両方の解釈が可能だ。ひとつは「風が吹く」という解釈で、この場合、否定されるのは「自転車が倒れる」ということだけになる。もうひとつは「風が吹かない」という解釈で、この場合は、否定されるのは「風が吹いて自転車が倒れる」ということになる(つまり、風は吹かないし自転車も倒れない)。否定のスコープという観点からいえば、後者のほうが広い。

アラビア語チュニス方言でも、似たような例がある。動詞が述語となる文を動詞文と呼ぶとすると、動詞文が二つ繋がっているときに一番目の動詞文だけしか否定されていないのに、二番目の動詞文も否定として解釈できる場合がそれだ。

また、名詞が述語となる文(名詞文)が動詞文に後続していても、最初の動詞文の否定が、二番目の名詞文にも及んでいる例もある。

発表ではこうした例をいくつか挙げてから、考察として、最初の文と次の文とが意味的に結びついていることが大事だと述べた。つまり、日本語の例でいえば「風が吹いて自転車が倒れる」という事態がいつも起こっている状況が必要ということになる。

発表後、モロッコ方言などでも否定のスコープに関して先行研究があるというコメントをいただいた。まだまだ勉強不足というところだ。

ところで、発表の準備のときに、論点がブレるので例文をひとつ削った。発表後、その例文が夢に出てきた。例文にも供養が必要と見える。

風刺・戯文

四季を探しに

世界で唯一四季のある国、ニッポン。今、その四季が危ないのをご存知でしょうか。

(大学教授)「地球温暖化により、今後日本は夏だけになっていくと考えられます」

そんななか、先月、猛暑が続く東京でこんな集会が開かれました。

「吉田くん! ばんざーい!」「がんばれ!」「頼んだぞ!」

熱烈な歓声を浴びるのは、一人の男性。「日本の四季を取り戻す会」のメンバーたちがこの吉田さんの壮行会を開催中です。

会長「ええ、私たちとしても吉田さんのような方を送り出せるのはたいへんうれしい」

(記者:目的はなんでしょうか)会長「私たちが行なっているのは、四季がなくなろうとしているこの日本で、秋冬春を見つけ出し、保護する活動です。吉田さんはこれから日本全国を旅し、各地に残された秋冬春の保護にあたります」

会長が吉田さんに200万円を手渡します。「旅費と四季保護活動費としてまずお渡しします」 吉田さん、感謝とともに受け取ります。「四季の消滅を食い止めるという大任に身の引き締まる思いです。皆さんが集めてくださったこのお金、絶対に無駄にはいたしません」

「吉田さんの保護活動が順調にいけば、早ければこの夏にも都内に秋風が吹くかもしれません」と期待を語る会長さん、しかし、その数週間後……なんと、吉田さんからの連絡が途絶えました。

会長「信じていたのに裏切られた思いです」

会によれば、沖縄のビーチで日光浴していたという目撃情報を最後に、吉田さんの足取りは杳として知れないとのことです。

苦い文学

サクラ

昔、日本人は死を知らなかった。人は何百年と生き、ゆっくりと年老い、別の世界に消えていくのだった。そんなだから、縄文時代は1万5千年以上も続いたのだ。今のように政府がコロコロ変わったりはしなかった。

さて、ある日のこと、縄文時代の日本人が山を歩いていると見知らぬ原っぱに出た。そこには見たこともない木が生えていて、枝という枝がピンク色の花でいっぱいなのだった。私たちの先祖はその美しさに息を呑み、見事に咲いていることから、その花を「サクラ」と名付けた。

ご先祖様たちは、その「サクラ」の前で何日も過ごした。あまりの美しさに立ち去りがたくなってしまったのだった。しかも、サクラは咲いたかと思うと、潔くパッと散って、花びらを周囲に振りまいた。これにすっかり夢中になった大昔の日本人は、サクラにこうお願いした。

「サクラよ、あなたが潔く散るのを真似して、私たちが潔く散るのをお許しください。そのかわり、私たちは、あなたを褒めたたえるために、あなたが咲くと、その下で酒や食べ物を捧げます」

こんなふうにして私たちはサクラと約束し、潔く死ぬことを覚え、花見の習慣も始まったのだ。

私たち日本人と桜の約束は、どちらかが一方的に勝手に解消することはできない。なので、私たちは桜というものがあるかぎり、潔く死ぬことだろうし、子どもだろうと誰だろうと、他人に潔い死を強制し続けることだろう。

じつのところ、早く温暖化が進んで、日本から桜が消えるように、と私たちは内心思ってる。

苦い文学

男がマスクを外すとき

【男の色気ひきたつ「セクシーなマスクの外し方」】

厚労省の方針で、マスクの着用が「個人の主体的な選択」になり、街中でマスクを外す機会が増えました。

そんなとき、ただ単に何も考えずにマスクを外しているとしたら、もしかしたら絶好の恋のチャンスを逃しているかもしれません。

じつは男性がマスクを外す瞬間は、女性がキュンとする仕草として注目を集めているのです。なんでも男性がマスクを外すときの「コロナを乗り切ったぜ」感が、女性をドキッとさせるのだとか。

こうなったら男の色気にあふれたマスクの外し方を身につけるしかありませんね。女性をトリコにするセクシーなマスクの外し方を3つご紹介しましょう! 

【その1】
まずは基本の外し方から。マスクの表面をソフトにタッチした後に、片手でやさしくマスクを外しましょう。セクシーかつエレガントなその仕草に、女性のドキドキが聞こえるようです。「愚かなり、我が恋」とばかりに熱い吐息を漏らせばなお効果大。

【その2】
片手をぶるぶる振るわせながら頬にあて、頬を引っ掻くようにマスクを片側から剥ぎ取るのは、ワイルドさをアピールしたいときに。マスクを外すと現れる頬の古傷にもう女性の視線は釘付けです。

【その3】
両手の人差し指を回しながらゆっくりと耳に近づけ、マスクの紐をそれぞれの指で絡めとるように外す方法。人差し指がまるで求愛ダンスをする小鳥のような可愛らしさを演出します。マスクが外れた瞬間に、意中の女性にウインクしながら、小声で「LOVE」とささやいてみたらいかが?

みなさん、ぜひ鏡の前で練習してみてください!

(公共の場で実践する場合は、逮捕されたときのためのマスクも用意しておきましょう)

苦い文学

土下座

昨日、ドラマ「六本木クラス」の第1話が放送されたが、これは誰もが知っている通り、韓国のドラマ「梨泰院クラス」のリメイクだ。

「梨泰院クラス」は主人公パク・セロムの復讐譚で、その相手はトップ外食ブランド「長家」会長のチャン・デヒだ。

この男のせいで、パク・セロムの苦難の人生が始まったのだ。

パク・セロムはよい仲間に恵まれ、着々と「長家」とチャン・デヒを追い詰めていくことになる。

物語のある時点で、この宿敵が死にかける。すると、パク・セロムはチャン・デヒに電話をかける。

そこでなにをいうかというと、「死ぬな」という。つまり、死んでしまってはお前を土下座させることができなくなるから、生きろ、というのだ。

今日、安倍晋三が、銃撃されて死んだ。彼の訃報を聞いて、私は「梨泰院クラス」のこのエピソードを思い出した。

その理不尽で痛ましい死によって、民主的な手続きによって彼を土下座させる機会は、永遠に失われたのである。