散文

ワイルドの『獄中記』を駁す(1)

一八九七年、レディング監獄に収監されていたオスカー・ワイルドは、のちに De Profundis(深淵より)と呼ばれることになる長い手紙を書いた。

手紙は、アルフレッド・ダグラスという若い貴族に宛てたもので、ワイルドはこの若者との「重大な猥褻行為」により有罪となり、二年の懲役刑の判決を下されていたのだった。

日本語ではこの手紙は『獄中記』と呼ばれる。それもあながち間違いとはいえない。ワイルドは監獄から他にも手紙をたくさん書いているが、De Profundis は長さ、内容、文体の点でそれらの手紙とはまったく異なるから。これは、ワイルドによる、自らの破滅を招いた関係についての徹底的な究明(もしくは弁明)であり、また、監獄での日々にいくども繰り返されたに違いない悔悟に形を与えたものである。

「形を与えた」と私が書いたのには意味がある。というのも、「形を与える」ということは、『獄中記』の中心的な思想のひとつに関わっているからだ。ワイルドはそれを、次のように記している。

The supreme vice is shallowness. Whatever is realised is right.

この文句は、私が数えたかぎりでは『獄中記』で四回繰り返される。簡単にいえば「上っ面に流されずに真面目に生きろ」ということだが、正確に翻訳しようとすると難しい。

旅・観察

外貨の禍い(7)

外貨申請カウンター(Déclaration de Devises)というとどうすればいいのだろうか。

私はこのカウンターの列に並びながら考えた。人々はパスポートを持ち、紙幣の束をパスポートに挟んだり、紙に包んだりして持っている。お金を持っているということは、申告額が嘘でないということを確かめるために、係に渡すのだろうか。だが、カウンターでの様子を見るかぎり、申告者がお金を差し出している様子はなかった。なんにせよ、私は用心のため所持金は財布に入れたままにすることにした。

また、私はカウンターの壁に貼られたフランス語と英語の掲示にも目を光らせた。

「申告書を受け取ったら忘れ物に注意してください」

申告書を受け取ったうれしさに肝心のお金を忘れてしまう人がいるのだろう……

カウンターはアクリル板で仕切られ、窓口が 3 つあった。ちょうど両替所のような作りだ。どの窓口にも職員がいるので、列の流れは早い。やがて私の番になった。

窓口の係にパスポートの提示を求められ、それから金額を尋ねられる。答えると、確認のため紙切れに金額を書くように言われた。ドルと円のそれぞれの金額を書く。それから、紙幣を見せるように求められたが、見せるだけで実際に数えて金額を確認するわけではなかった。自己申告だ。すぐに申告書の作成が始まり、私は 10 DT を払って、一枚の申告書を受け取った。

チュニジア滞在中、私はこの申告書と、両替のたびに加わる両替証明書を大事に持ち続けた。そして、ついに帰国の日がやってきた。

苦い文学

『天国』

私たちは『天国』に入るとき、この世の驕りを捨て去らねばならない。炎天下のなか長時間、行列で待たされてたとしても、文句ひとつ言ってはいけない。喜びを感じる従順さを獲得すればするだけ、前進できるであろう。

『天国』入り口では、徹底した身体検査が行われる。ここで抵抗する者に『天国』の自動ドアは決して開かれない。私たちは身につけたものを素直に放棄していく。携帯電話、イヤホン、無駄口、反抗心……そして大金が財布ごと。

『天国』に入るや否や、私たちは手錠と縛めによって自由を奪われる。いや、喜んで差し出す。『天国』の秩序に自由は不要なのだ。そして、目隠しで目を、さるぐつわで口を覆われる。沈黙が私たちの心を清め、悦びが湧き上がってくる。

私たちは乱暴に椅子に座らせられる。少しでも抵抗したり、沈黙を破れば即刻退場だ。そして、身じろぎせずに座る私たちの目の前に、『天国』特製ラーメンが運ばれてくる。

一瞬、ほんの一瞬、醤油スープの香りが私たちの鼻を刺激する。目も口も封じられた私たちにとってそれがただひとつの許された食事だ。というのも、ただちに私たちは『天国』の店内から追放されるから。ロットの時が、回転の時が近づいたのだ。

そう、ロットの時が、回転の時が近づいた。店なる主は私たちに無言でかく告げられる。

私たちは満たされて帰宅し、食事に取りかかる。

苦い文学

携帯ショップ(2)

展示台の下に身を潜めている若者の耳にこんな会話が聞こえてきたのだった。

「バッテリーが落ちそうなのはどれだったかな」

「ああ、これこれ、もう残り1パーセントもない。……ほら消えた」

「そうか。さあ、お客様がくるぞ」

すると、自動ドアの開く音が聞こえて、夏の夜とは思えないような冷たい風が吹き込んできた。「いらっしゃいませ」と2人がいうのが聞こえた。しばらくすると「お買い上げありがとうございます」の声と同時に再び自動ドアが開き、その客らしき存在は出ていった。

「さて、次に寿命の切れそうなものは……」

「これかな。3パーセントぎりぎりだ」

「では、まだ間があるな。裏で休んでいよう」

2人が奥へと去っていったのを確信すると、若者は台の下から出てきた。この不思議な場所からできるだけ早く逃げ出すべきだと思ったが、そのいっぽう、あの謎めいた存在たちがあと3パーセントと言っていたのがどんな携帯なのかが気になった。

若者は、声がしていたところに行き、並んでいる携帯をひとつひとつ調べ始めた。そして、驚きの声をあげた。

そこにあったのは、自分の顔が映し出された携帯であった。しかも、バッテリーは3パーセントの赤い線で、今にも消えてなくなりそうだった。

苦い文学

コ・ジミー

2013 年 2 月 14 日のお昼前、私はヤンゴンの民主化団体、88 ジェネレーション・ピース・アンド・オープン・ソサイエティの事務所にいた。

その 2 階の会議室で、私はココジーとミンゼヤーという 2 人の著名な民主化活動家に会い、ビルマの現状や、2 人が経験した獄中生活について、話を聞いたのだ。

インタビューが終わって、1 階に降りると、人でにぎわっている。広間に置かれた大きなテーブルでは,若い人たちが食事をしていた。もう昼時だ。豚肉の料理,鶏肉の料理,魚のぶつ切りの料理などが並び、お祝い事のようだ。私も招かれ、いつものように遠慮なく食べ始めた。

すると、私と同じ年代の男がやってきて隣に座り、いろいろと話しかけてきた。

「今日は私の誕生日です! だからこうやってみんなにお昼を振る舞ってお祝いしているのです」

彼は、黒い服を着た女性を指差して、妻だと言った。彼女は奥の方から食べ物を運んだり、客をもてなしたりしていた。

「私たちは 2 人とも刑務所にいました」

2008 年 11 月 11 日、夫婦は一緒に 65 年の刑を宣告され、まだ赤ん坊の娘と引き離されて投獄されたのだそうだ。大統領恩赦で釈放されたのは、前の年(2012 年 1月)だ。

その男の名前はコ・ジミーと言った。今年 7 月 25 日、ビルマ軍事政権に処刑された 4 人のうちのひとり、チョウミンユーの別名だ。

私は彼と同い年で、同じ年に生まれた娘もいる。私にできることは何かと考え、ここに彼のことを書くことにした。