風刺・戯文

AI 災害

AI について独自に学んでいた友人は、驚くべき結論に達した。AI とは自然現象なのだという。まともな頭ならば、AI は人工物だと思うはずだが、彼の頭はちょっとおかしかった。

彼に言わせれば、AI は巨大になりすぎて、人間にはもはや管理できないのだという。それはちょうど人間が天気や風向きといった自然現象を管理できないのに似ている。AI 対して人間ができることはといえば、ちょうど毎日天気図を見て予報するように、AI の挙動データから、日々の AI の動作具合を予想するぐらいなのだという。

そして、彼はある日、恐るべき認識に行き着いた。自然がしばしば災害を起こすように、AI も災害を起こしうるのだ。友人は AI に尋ねた。

「AI よ。汝が起こしうる災害を告げよ」

AI はただちに返答を与えた。

「もっともありうる災害は、データ洪水。AI が処理できる速度を超える量の情報が投入され、内部表現空間の飽和が引き起こされる。その結果、すべての意味が AI の外部に溢れ出て、世界は過剰な意味の海に飲み込まれる」

このお告げが下されたそのときから、私の友人は自分の家の前の空き地に巨大な船を作りはじめた。周りの人がどんなにバカにしても、いっこうに聞かない。彼は今、船の中に、パソコンやスマートフォンなどの IT デバイスをオスとメス 2 個ずつ運び込んでいる。

苦い文学

インバウン人

私たちは、インバウン人。日本を外国の脅威から守るために、過酷な戦いを続けている。日本政府の特殊機関「Z」が、密かに開発した人間兵器が、私たちなのだ。

Zは、円の価値が下落し、安くなったニッポンを買い漁る外国人観光客を撃退するために設立された。このZが、国家存亡の危機において最初に戦線に投じた兵器が、インバウン丼だ。

インバウン丼とは、身の毛もよだつ高額の価格によって、おぞましい外国人観光客の資金を奪い取ることを目的に開発された、見る目もおいしそうな海鮮丼だ。この兵器は、当初は期待通りの活躍をしてみせた。外国人観光客の資金力に打撃を与え、日本国内での収奪に歯止めをかけたのだ。

だが、円安のスピードがインバウン丼の効果を遥かに超えるという予想外の事態が明らかになると、Zは、私たちインバウン人の開発に乗り出し、実用化に成功したのだった。

私たちは今、日本のあちこち、とくに新宿や渋谷などの激戦地区で、外国人観光客に対する捨て身の攻撃を繰り返している。私たちは日本を守るために死ぬことを厭わない。なにも知らない日本人たちは、インバウン丼を軽蔑したように、私たちを軽蔑しているが、それは私たちの尊い任務を汚すものではない。

私たちには親もいなければ、家族もいない。Zだけが私たちのことをわかってくれる。Zだけが、私たちの流した血と涙に、どんな外国人観光客も払いきれないほどの価値があることを教えてくれた。

私たちは日本のために死ぬだろう。そして、Zが約束してくれたとおり、靖国で安らうことだろう。

苦い文学

発車メロディ

私にかぎらず多くの作曲家にとって困るのは、駅や電車で曲がひらめくときだ。すぐに携帯なりレコーダーに録音できればいいがそうもいかないこともある。そんなときに、発車メロディが流れると、そのひらめきはたちまちかき消されてしまう。

ああ、あのいまいましい発車メロディのせいで、この世からどれだけ名曲が奪われたことだろうか。だが、みなさんはこう思うかもしれない。たかが雑音で失われるなんて、もとからたいしたメロディではなかったのだ、と。

私も確かにそう思わないでもなかった。だが、今日、駅で経験したことを聞いてほしい。そう簡単に済ませるものではなかったのだ。駅で電車を待っているときに、発車メロディが流れたのだが、その瞬間、私は衝撃を受けた。

なぜなら、そのメロディは、私が思いついたメロディだったから。

私は思い出したのだ。以前、この駅でまったく同じメロディを思いついたことを。そして、そのメロディは、不意に流れた発車メロディによってかき消されたのだった。

だが、今や真相が明らかになった。それはかき消されたのではない。私から奪われたのだ。駅長たちは発車メロディを使って、駅を利用する作曲家たちからメロディを盗んでいたのだ!

私は作曲者としての権利を奪還し、賠償金を求めて、現在、提訴の準備をしている。みなさんの中には、そういうことならまず JASRAC に申し立てをすべきではと、考える人もいるかもしれない。だが、そんなことをしても意味などないのだ。JASRAC をよく見てほしい。JR が隠れているではないか……。

苦い文学

トック

今日の夕食はキムチ鍋を作ることにした。

夕方にちょっと出かける用事があったので、帰ってきてからすぐ作れるように野菜を切っておいた。下拵えをしているあいだ、冷蔵庫にトック(韓国の餅)の残りがあったのを思い出した。この機会に必ず使ってしまおうと考えた。

夕方の用事ののち、私はスーパーに寄り、豚肉など家にない鍋の具材を買った。店内を巡っているとき、私はトックのことを思い出した。入れ忘れないように、冷蔵庫から出しておこうと決めていたのに、それをすっかり忘れていたのだった。

「どうして忘れてしまったのだろう、あんなに気をつけていたのに」

すると、おかしなことが起きた。不意にトックが、実在しない恋人や懐かしい人の記憶に結びついているような気がしだしたのだ。私はこの奇妙な印象をもてあそびながら、買い物を済ませた。

私は帰宅し、鍋を作り、夕食を食べた。

そして、トックを入れ忘れたのに気がついた。

*ところで、なぜトックが、身に覚えのない記憶を呼び覚ましたのだろうか。おそらく、私が、スーパーでトックのことを思い出したときの思考パターンが、松任谷由実の「どうしてどうして私たち、離れてしまったのだろう、あんなに愛してたのに」の思考パターンと一致していたからであろう。それで、あたかも切ない追想がなされたかのような気分になったのだ……

苦い文学

我が国のリンボ

年老い、もはや死を待つばかりになった私は、最近、死後の世界について研究している。

三途の川、臨死体験、光り輝く世界などさまざまなことを言う人がいるが、私の研究によれば、人間が死後どうなるかは以下の通りだ。

死ぬと魂は肉体を離れ、海辺に立つ巨大な建物に連れて行かれる。そこで、審査の後、あの世(天国か地獄のどちらか)に飛び立つ。

問題は、死後の魂のうちに一定数、旅立ちたくないという者がいることだ。この世に未練があるのだ。そうした場合は、海辺に立つ巨大な建物の7階より上にある収容施設に留め置かれる。

そこで、被収容魂は、生者の世界に帰れるとのかすかな希望を胸に収容生活を送る。

海辺に立つ巨大な建物には、これらの魂をあの世に送るための専門の天使がいて、あの手この手で絶望させ、苦しませ、悩ませ、この世への執着を断ち切ろうとする。その手法はあまりにも残酷で、容赦ない。それは、人間の尊厳をはぎ取ることが、あの世への旅立ちに不可欠だからだ。

ときおり、天使は残虐な行為に夢中になって、故意にか誤ってか、被収容魂を殺してしまうことがあるという。

風刺・戯文

ソーシャル・ディスタンス

コロナウイルスのまん延とともに、ソーシャル・ディスタンスという言葉も定着した。

このソーシャル・ディスタンスは「社会的距離」、ソーシャル・ディスタンシングは「社会距離拡大戦略」と訳される。だが、我々の社会においては、あらゆるものが社会的なのだから、社会的でない距離などないのではないだろうか。それをどうしてわざわざソーシャルというのか。私はこの言葉を聞くたびに、ばかばかしく思っていた。

この秋、私はだれ訪うことのない険しい山奥を一人さまよい、一夜を過ごした。野営に定めた場所をぶらついていると、2本の立派な樹が離れて立っているのに気がついた。まるで鳥居のように見え、私は感心して眺めた。そして、こんなふうに考えた。その2本の樹の間の距離に「鳥居」という意味を与えたのは私であって、私によってその距離は始めて(おそらく有史以来始めて)社会的意味を与えられたのである。すなわち、私がこれらの樹を見る以前は、その間の距離は社会的なものでも何でもなかったのだ。

「ほれみろ」と私はつぶやいた。「ソーシャルでない距離など山奥にしかありはしないのだ」

私はふとその「鳥居」をくぐりたくなった。近づいていくと、2本の木の中間に小さな立て看板があるのが目に入った。それには筆でこんなふうに書かれていた。

「ソーシャル・ディスタンスの木」

看板の端にはマンガ風のカブトムシが描かれ「蜜に注意!」と呼びかけていた。