散文

地獄の言語学入門(11)

音声学を学んだのちは音韻論の最小キットのご紹介だ。音声学では言語の音の仕組みが問題となっていたが、音韻論では音に代わって「音素」が登場する。

音素を理解するには、政治犯の悔しさを理解することから入るのがいちばんだ。

まず、それは本来違うものが一緒くたにされてしまう悔しさだ。

私たちの牢獄に放り込まれる人々の事情はいろいろだ。まず殺人犯がいる。それから強盗犯、窃盗犯なんてのもいる。詐欺犯もいるし、その他もっと酷い犯罪者たちがいる。これらの只中で、ひとり所在なさげにしている囚人がいる。これは政治犯だ。殺しも盗みもなにひとつしていないのに、口を滑らせてお上の悪口を言ったばかりに、うっかり国旗を踏んづけたばかりに(あるいは踏んだことにされて)、ここにぶち込まれたのだ。

それなのに、この牢獄では、そして世間でも、すべての囚人がひとしなみに「犯罪者」と呼ばれる。十把一絡げの扱いだ。政治犯はこれが悔しくてたまらない。だが、グッと堪える。なぜならそんな不満を口にしようものなら、懲罰房行き確定だから。

政治犯の悔しそうな様子を見て、元コソ泥がからかう。

「まあ、おんなじ罪人どうし仲良くしようや!」

毎度毎度のこのおふざけに、殺人犯も強盗犯も腹を抱えて大笑いだ。政治犯は無言でうつむいて、例の言語学研究に取りかかる……。

なんとも切ない情景だが、まさに同じことが、日本語のハ行に起きているのだ。

苦い文学

しがらみなきゾンビの時代

その政治研究所は、日本の政治をより良くするために設立された団体だった。元来は政治に関する発言や提言を行なっていたが、やがて、しがらみのない人間の培養を行うようになった。

どうしてかというと、日本に欠けているのは、しがらみのない政治だからだと考えていたからだ。強権と忖度が横行する日本では、政治は常にしがらみによって歪められていた。政権は自分たちが癒着している富裕層のために政治を行い、それ以外の貧困層には見向きもしなかった。まっすぐで正しい政治が行われるためには、しがらみのない人間が政治家にならなけれならなかった。

だが、当時の日本にはしがらみのない人間はひとりとしていなかった。どの日本人も特定の親から生まれてきたのであり、生まれたときから親子関係というしがらみに縛られていたのだった。

そこで、「完全にしがらみのない人間を生み出し、しがらみのない政治を実現させよう」と決意した研究所は、研究と実験を繰り消し、ついにしがらみのない人間の培養に成功した。

その日、ついにしがらみのない政治が実現する日がやってきた。研究所の門が開かれ、しがらみのない人間たちが続々と出てきた。これらの存在は、日本中へ散っていき、やがて人間たちを襲い始めた。

しがらみなきゾンビの時代が始まったのだ。

苦い文学

Harujongil

日本のシティポップは世界中にファンが多いとのことだが、なかでも、韓国の音楽界に与えた影響は大きいようだ。その結果、韓国でも、多くのすぐれたシティポップが生み出され、さらにはそのムーブメントが日本に波及して、シティポップ再評価へとつながっている。

最近、Apple Music に「韓国シティポップ」というプレイリストがあるのをみつけ、たまに聞いている。すでに知っているミュージシャンもいれば初めて知るのもある。これまで知らなかったもののうちで、とくに気に入ったのが、Soetaiji and Boys(ソテジワアイドゥル)の「In the Time Spent With You」と Jazzyfact の「Harujongil(하루종일、一日中)」だ。どちらも 80 年代のイギリスのインディーポップの感じがしてとてもよい。

「In the Time Spent With You」は 1992 年の曲で、まさにその時代の曲という感じがする。ところが、同じように 80 年代の雰囲気の濃厚な「Harujongil」は、調べると 2017 年の曲なのだ。Youtube には MV があり、250 万回近く再生されている。

私はこの曲がそんなに最近の曲であるということにどうにも納得がいかなかったので、Youtube の韓国語コメントをわからないながら見ていると、80 年代の曲のカバーである可能性が浮上してきた。

そこで原曲を聴いてみようと思い、「Harujongil」で検索したが、違う曲が出てくる。次に、Apple Music の「Harujongil」のクレジットを見ると KADOMATSU TOSHIKI とある。さらに調べてみると、Jazzyfact がこの曲を含むアルバムをリリースしたときの記事が出てきて、そこから「原曲」が角松敏生が杏里に提供した 1982 年の「Last Summer Whisper」だということがわかった。

もっとも「原曲」とカッコづけにしたのは、「Harujongil」は「Last Summer Whisper」のバッキングトラックを利用しているだけだからだ。メロディそのものはより抑えた渋いものになっている。それがとてもかっこよい。

いずれにせよ、原曲の「Last Summer Whisper」もすごいし、その雰囲気を見事に利用した「Harujongil」もすごい。また、80 年代臭をちゃんと嗅ぎだした私の鼻もすごいではないか。

苦い文学

ごめんなさい

今回の不祥事に関する謝罪会見に先立ち、まず「ごめんなさい」「すみません」について申し上げたく存じます。

日本語では主語というものがありまして、たとえば「私が食べる」ならば、食べるのは私で、この「私」が主語となります。「私が悲しい」も同じで、主語は「私」です。このように、「が」がつくと主語となるのですが、少しお考えいただきたいのです。「ごめんなさい」「すみません」の主語はなんなのかと。

「私がごめんなさい」という人はいるでしょうか。「私がすいません」など聞いたことはありません。いや、もしこんなふうに言ったとしたら、むしろ「そうです、私が変なおじさんです」の感じに似てきて、さらなる謝罪に追い込まれる可能性もあるのではないでしょうか。

そうです、私の知るかぎり「私がごめんなさい」などという言い方はないのです。

人は謝罪を求めるときに、どこの誰ともわからない人からの謝罪を望んでいるのではありません。責任を持つ特定の誰かからの謝罪を求めているのです。

ところが、「ごめんなさい」と「すいません」ではその大事な責任者を表すことができません。ですので、このような言葉を用いて、謝罪を行うのはじつに無責任ではないかと考えています。

なるほど「私こそごめんなさい」「私が悪かった」ならいいかもしれませんが、私としては「ごめんなさい」と「すいません」の問題が解決するまでは、誠意のある謝罪は不可能であると考えております。したがいまして、予定していた謝罪会見は見送らせていただきたく、あしからずご了承ください。

苦い文学

未来におけるトランスペアランシー

過去に戻るための方法を、未来の世界で探し続ける私は、とある巨大な街にたどり着いた。

その街の城門から中を眺めた私は、異様な光景に驚かずにはいられなかった。

なにしろ行き交う住民ことごとくやせ細り、やつれているのだ。そればかりでなく、頭はコブだらけ、身体は青あざと打身でぼろぼろというありさまだ。

まるで、とんでもない災厄がこの街の住人を襲ったかのようだった。そして、私がなおも眺めていると、さらに異様な展開がはじまった。

不意に人々が打ちのめされ、なぎ倒されたのである。ある者はぴょんと飛び上がり、ある者は地面に押しつけられた。あたかも、見えざる存在に、すき放題に殴られ、いたぶられ、辱められているかのようであった。この奇怪な現象が、街の住民たちのアザや打撲の原因なのは間違いなかった。

驚愕した私が逃げ出そうとしたその瞬間、宙に吹き飛ばされた一人の男が、城門を飛び出て、私の目の前に転がり落ちてきた。

男は苦しそうに呻き、ふらふらと立ち上がった。そして、血だらけの体を細い両足で支えながら、街に戻ろうとした。私は思わず男を引き留め、尋ねずにはいられなかった。

「いったい、この街の様子はどういうことでしょうか。誰もが四六時中、見えない手にすき勝手に殴られているようではありませんか」

すると、男は歯の抜けた口を開いて、か細い声で答えた。

「旅のおかたよ、この街はかつて腐敗した政府が支配していたのです。私たち市民は、腐敗を一掃するために、政府の透明性を高める取り組みを進めたのですが、進め過ぎて、政府まで透明になってしまったのです。それ以来、見えないのをいいことにやりたい放題……」

そのとき、見えざる手が男に見事なアッパーカットを決めた。

街の奥の方へと飛ばされていく男を尻目に、私は再び旅をはじめた。

旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(5) 

 さて、私は正気を取り戻すと、じっくりとその紙を読み出したのだが、そこにはこう書かれていたのだった。

かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けつこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                山ねこ 拝

 いや、間違えた。こうだ(これはビルマ語版なので全てにビルマ語訳が付されている)。

           質問票

1 あなたは現に有する在留資格に該当する活動(以下「当該活動」といいます。)を行っていますか。

  □ はい → 質問は以上です。下部に署名してください。
  □ いいえ → 以下の質問にも答えてください。

2 あなたが当該活動を行わなくなったのはいつからですか。

    年  月  日 西暦で記載してください。

3 あなたが当該活動を行わなくなったのはなぜですか。具体的に記載してください。



   → 質問は以上です。下部にも署名してください。

以上の記載内容は、事実と相違ありません。

この質問票を私の在留審査の資料として使用しても構いません。

申請人(代理人)の署名          年 月 日

 すでにお気づきであろう。

「この質問票を私の在留審査の資料として使用しても構いません。」

 この一文が曲者なのだ。つまり、これは単なる「質問票」なんかじゃない。これは難民審査なのだ。もう、審査が始まっていたのだ。申請者自身がそれと気がつかぬうちに!

 まさにトラップだ。

 申請しに来たばかりで右も左も分からない申請者から、うかつな一言を引き出すために設けられた罠。我が国の難民審査の剣呑なタチに気づいて申請者が用心深くなる前に入管が掠め取ったその一言は、後から効いてきて、難民の命取りとなるだろう……。