音声学を学んだのちは音韻論の最小キットのご紹介だ。音声学では言語の音の仕組みが問題となっていたが、音韻論では音に代わって「音素」が登場する。
音素を理解するには、政治犯の悔しさを理解することから入るのがいちばんだ。
まず、それは本来違うものが一緒くたにされてしまう悔しさだ。
私たちの牢獄に放り込まれる人々の事情はいろいろだ。まず殺人犯がいる。それから強盗犯、窃盗犯なんてのもいる。詐欺犯もいるし、その他もっと酷い犯罪者たちがいる。これらの只中で、ひとり所在なさげにしている囚人がいる。これは政治犯だ。殺しも盗みもなにひとつしていないのに、口を滑らせてお上の悪口を言ったばかりに、うっかり国旗を踏んづけたばかりに(あるいは踏んだことにされて)、ここにぶち込まれたのだ。
それなのに、この牢獄では、そして世間でも、すべての囚人がひとしなみに「犯罪者」と呼ばれる。十把一絡げの扱いだ。政治犯はこれが悔しくてたまらない。だが、グッと堪える。なぜならそんな不満を口にしようものなら、懲罰房行き確定だから。
政治犯の悔しそうな様子を見て、元コソ泥がからかう。
「まあ、おんなじ罪人どうし仲良くしようや!」
毎度毎度のこのおふざけに、殺人犯も強盗犯も腹を抱えて大笑いだ。政治犯は無言でうつむいて、例の言語学研究に取りかかる……。
なんとも切ない情景だが、まさに同じことが、日本語のハ行に起きているのだ。