散文

にーまであるくない?

最近の日本語で気になったことを三つ。

ひとつは「〜くない」という言い方。例えば「来るくない?」「めっちゃ夢あるくない?」。これは「来るっぽくない?」「夢がありそうじゃない?」「来そうだと思う」「夢があるように思える」という意味で使われていることが多いようだ。この「〜くない」はもう日常会話に溶け込んでいるほど広がっているように思う。私は使わないが。これについては、すでに先行研究がある。

次は「〜まである」という表現。「〜ということまで起こりうる・ありうる」という意味で使われるようだ。「皇族にこんなことをするのだから、我々国民にはもっと酷いことをするまである」というのは私が作った例文だ。もっとも、これもいくつか先行研究がある。

最後は「しねーよ(しないよ)」や文末の「ねー」などの「えー」が「いー」や「いー」寄りに聞こえることがあること。つまり「しにーよ」に聞こえる。関東の田舎出身の芸能人がこう発音していたのを最近耳にしたので、そこの方言かと思ったら、それほど田舎ではない人も「いー」寄りで発音していた。

「えー」が「いー」になるのは、別に不思議ではないことで、英語の me も同じだし、アラビア語でも似たような現象がある。もっとも、日本語のこの現象が音変化なのかどうなのかはよくわからない。たまたまかもしれないし、私の聞き間違いまである。

すでに大方の人が気づいている現象だろうが、私のように日本語をよく知らない人の耳にも入ってくるというのは、こうした現象の広がりを知る上で、ここに書いておくのは意味あるくない? と思う。

旅・観察

最後の外貨の禍い(5)

私がパスポートを渡すと、男は驚くべきことを命じた。

「スーツケースを持ってきなさい」

チェックインカウンターに出したばかりなのに? もうエミレーツのタグがついているのに? 男は私を連れてチェックインカウンターに戻る。男の制服の後ろに「DOUANE」と大きく書かれているのが見えた。税関職員だ。男はチェックインカウンターのスタッフにスーツケースを尋ねる。私は「どうかもう奥のほうに運ばれていてくれ」と願うが、それはまだカウンターの裏にあった。

私はそのスーツケースを引っ張り出して、男の後ろをついていく。男は脇の部屋に私を入れる。女の税関職員がいた。さっき男と一緒にいた職員だ。小部屋の中には大きな台があり、2 人はそこにスーツケースをのせるように命じた。

「いくら持っているのだ。全部出しなさい」と男の職員。

このとき私はリュックを背負い、財布などの入った小さなポーチを肩からかけていた。抵抗するのはかえってよくないと思い、ポーチの中から財布を出し、そこから 1 万円札 5 枚とユーロの札(300 ユーロ程度)を出した。

「こちらに渡しなさい」

これも迷ったが、拒否することはできない。

「これで全部か?」

「全部です」

「他にないのか」

「あ、あります」 私は 30 ディナール(約 1,500 円)ほど入ったビニールの小銭入れを取り出した。チュニジアから持ち出し禁止のこの通貨を自ら差し出せば、多少は心証は良くなるはずとの狙いだったが、税関職員はそれにはまったく興味を示さずに質問してきた。

「本当に持っていないのか? 10,000 ドルは?」

「ありません」

「5,000 ドルもか?」

「ないです」

すると、女の職員が私のポーチを指差していった。

「あのポケットの中にありそうだ」

私は自信をもってティッシュとウェットティッシュを見せた。ここで私は、例の外貨申告書を出す機会が到来したと感じた。私は財布から外貨申告書を取り出し、男の職員に渡した。この公的書類は、確かに効果を発揮したようだった。

「よろしい」と男の職員は言った。「では、スーツケースを開けるのだ!」

音楽

道の歌

【ポールの想いを伝える新解釈!】
ビートルズ「The Long And Winding ROAD長く曲がりくねった道)」

The long and winding ROAD
That leads to your door
Will never disappear
I’ve seen that ROAD before
It always leads me here
Lead me to your door
長く曲がりくねった道
あなたのドアへと続く
この道は決して消えはしない
前にもこの道を見たことあるんだ
この道はいつもここに導いてくれる
さあ、あなたのドアへと導いてくれ

The wild and windy night
That the rain washed away
Has left a pool of tears
Crying for the day
Why leave me standing here?
Let me know the WAY
荒れて風の吹きすさぶ夜
雨に洗い流された夜
残るのは涙の水たまりだけ
一日中、泣いていたよ
どうして私をこっちの道に放置するの?
すぐにあの道を教えてください

Many times, I’ve been alone
And many times, I’ve cried
Any WAY, you’ll never know
The many WAYs I’ve tried
何度も、ひとりぼっちになった
そして何度も、泣き叫んだ
どんな道だって、あなたはわからないだろうけど
たくさんの道を私は試したんだ

And still, they lead me back
To the long, winding ROAD
You left me standing here
A long, long time ago
Don’t leave me waiting here
Lead me to your door
でも、どんな道に行っても戻るのは
あの長く曲がりくねった道
そこに連れて行ってくれたよね
ずっとずっと昔のこと
もう私をこの別の道で待たせないで
あなたのドアに連れて行って

But still, they lead me back
To the long, winding ROAD
You left me standing here
A long, long time ago
Don’t keep me waiting here
Lead me to your door
それでも、どんな道に行っても戻るのは
あの長く曲がりくねった道
そこに連れて行ってくれたよね
ずっとずっと昔
もう私をこの短くまっすぐな道で待たせないで
あなたのドアへと導くあの長く曲がりくねった道に連れて行って

Yeah, yeah, yeah, yeah
その通り、その通り、その通り、その通りなのさ

苦い文学

仰天プラン

現代社会において「仰天プラン」ほど使用が厳しく制限されている言葉はない。なんぴとたりともこの言葉を勝手に使用できないのだ。

まず、「仰天プラン」について報じることができるのは、選ばれたメディアだけだ。具体的にはスポーツ新聞か、夕刊紙だ。一部のネットニュースを除けば、これ以外のメディアでは、「仰天プラン」に関する報道は禁じられている。

また、「仰天プラン」について語ることのできる人も非常に限られており、2つのグループしか許されていない。ひとつ目のグループは野球やサッカーなどのスポーツ関係者だ。もうひとつはちょっとうさん臭い人々だ。怪しげなプロデューサーや党首、映画監督などがこれにあたる。

さらに、「仰天プラン」の提示の仕方にも決まりがある。「仰天プラン」はいつも「明かす」とか「ぶちあげる」とか「浮上する」とか、そんなやり方でしか現れることができない。

こうした制限は理不尽なものかもしれない。だが、これはとてもよいことだ。というのも、まともな新聞やニュースで私たちがこんな見出しを見るようになったら、もはや世界の終わりだからだ。

「岸田首相、支持率回復に仰天プラン明かす」

「ウクライナ停戦に仰天プラン浮上」

「北朝鮮、未明に仰天プランとみられる飛翔体ぶちあげる」(仰天プランかどうかは確認中)

苦い文学

クエーサーマン

ダメでドジでおっちょこちょい、やることなすこと間違いばかりの青年、星崎光郎。彼が、ある夜、宇宙から飛来した謎のクエーサーから光線を照射されて誕生したのがクエーサーマンだ。

眩い光の中、光郎の脳内に、クエーサー人のメッセージが響く。

「悪の秘密結社ビッグ・グレイが今、人類を支配しようとしている! 君は我々とともに戦うのだ!」

この日から、正義のヒーロー、クエーサーマンの戦いが始まったのだ。

クエーサーマンに備わっているのは、邪悪な陰謀を見つける鋭い知性と、宇宙エネルギーに満たされた超人的な肉体だ。ビッグ・グレイの送り出す「スペースピープル」どもをばったばったと倒すのだ。

クエーサーマンは常に正義の側に立つ。人類のたのもしい味方だ。彼にかかれば、どんな邪悪な陰謀も、たちまちあばかれ粉砕されるのだ。

クエーサーマンはもはや星崎光郎ではないが、その心のどこかに光郎の部分が残っていて、いつも苦しげに呻き続けている。「絶対になにもかも間違っている」と。