散文

AIを使いこなす

AI関係の高額なセミナーの広告を見ると、こんなことが書いてある。

「AIを使ってみたいけど何からしていいかわからない方必見!」

AIに聞けばいいのでは、と思う。また、こんな広告もある。

「まだ間に合う! 話題のAIをこれから学ぶ方のための、無料オンライン入門セミナーを開催!」

間に合うとは? 無料セミナーの申し込みについてかもしれないが、ここではAIに関する知識や技術について焦らせているようにも読める。「時代遅れになる前に!」というわけだ。

なぜ間に合わないといけないのか。それはわかりきっている。

「AIに仕事を奪われる側ではなく、AIを使いこなす側になりたい方はすぐに!」

これは、どの広告にも書いてあるような言葉だが、AIを学ばないと無職になるというのだ。だが、AIを使いこなしても無職になる可能性は考慮に入れられていないようだ。

もうひとつおかしな点がある。仕事を奪うのはAIではない。雇用主が奪うのだ。雇用主がAIを使いこなした結果、経営合理化なり人員削減なりが成功し、被雇用者の職が奪われたのだ。もっとも、AIについてまったく知らなくても、首切りは簡単だが。

それはともかく、人の仕事を奪えるということは、本当にAIを使いこなしているということになるのだろうか。逆に、AIを使うことによって、被雇用者の仕事を守り、さらに、他の多くの人々に仕事を作ることこそが、本当にAIを使いこなすということなのではないだろうか。

AIによって、今まで雇えなかった人にどんな仕事を作れるか。仕事を奪う奪われるで考えるよりも、ずっと有意義なテーマだと思う。

とはいえ、こんなテーマの高額セミナーの広告が回ってきたら、それはそれで要注意だ。

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旅・観察

外貨の禍い(4)

それは、空港で出国のためのチェックインを済ませたのちのことだ。そのままセキュリティゲートに向かって歩き出したところ、私は空港の女性職員に呼び止められたのだった。

職員は「チュニジアの通貨を持っていないか、ドルとユーロはないか」と聞き、私を別室に連れて行った。私は椅子に座らされ、職員は再び同じことを尋ねた。私はそのときディナールもドルもユーロも持っていたが、ドルとユーロのことは言わずに、代わりにポケットから小銭入れを取り出してみせた。

「チュニジアのお金はこれだけです」

職員は、小銭入れの 20 ディナール札と小銭(だいたい千円ちょっとぐらい)を見た。そして、いかにも興味を失ったような顔つきで私に返すと、その場から放免したのだった。危機を脱したことに一安心の私であったが、その後、私は出国審査を抜けたところで、再び職員の襲撃を受けたのだった。

私はこの経験から、空港内では外貨を持っていそうな「カモ」の情報が職員間に間で共有されているのではないか、という印象を抱くようになった。

「一人旅のアジア人がそっちに行くから頼んだ、どうぞ」
「了解、どうぞ」
「没収したユーロやドルは山分け、どうぞ」

もちろんこれは私の推測にすぎない。

さて、コロナ禍が明けてから、2023 年の 8 月、2024 年の 2 月と 8 月と、私は 3 回チュニジアに行ったが、3 回とも同じ目にあった。そこで、2025 年の 2 月にチュニジアに行くにさいして、私はこう考えた。

「もうこんな不快な経験はイヤだ。空港職員の不正ならばやっつけてやりたいし、そうでなくても、うまく切り抜ける方法があるはずだ。そのためには、ことの真相をはっきりさせねばなるまい」

そこで、私は在日本チュニジア大使館に電話をかけることにした。

苦い文学

メン・イン・ブラック

メン・イン・ブラックは映画にもなったが、黒服の男たちのことだ。これらの不気味な男たちは、宇宙人を目撃した人々のところに現れて、「言いふらしたら命はないぞ」などと口封じをするという。

その正体についてはいろいろな説がある。ただの都市伝説だという人もいる。本当のところはわからないが、有名になりすぎたせいか、あるいは、情報が拡散しやすい世の中になったからか、最近は鳴りをひそめているようだ。

ところで、私が気になっているだけなのかもしれないが、宇宙人や UFO の話題になると、こんなことを言う人がどこからともなく現れる。

「宇宙人はいるよ」 この言葉に私たちがギョッとして聞き返すと、その人はこう答える。「人間だって宇宙人でしょう」

またそういう人はこうもいう。「UFO は実在するよ」 それで私たちが慌てて問い返すと、決まってこんな答えが返ってくるのだ。「そりゃ、未確認飛行物体だからね。もっとも、宇宙人の乗り物かどうかは不明だけど」

私たちはこれを聞くと、会話するのが恥ずかしくなる。それで、会話は断絶するのだ。

なぜ、これらの人々は、私たちが宇宙人について話していると必ず出現するのだろうか。どうして、聞かれもしないのにとんちを得意げに披露して、私たちの会話を妨害しようとするのだろうか。

もしかしたら彼らは、現代のメン・イン・ブラックなのではあるまいか。

苦い文学

小便記

欧米や欧米の影響力の強い国々に行って、我々が驚かされるのは、人権意識の高さや、文化の高さではなくて、小便器の高さだろう。

それは、少なくとも排尿器官と同じレベル、いや、それ以上の高さにあるのだ。

つま先立ちしても届くか届かないの高度だ。不安定な姿勢のまま危険な賭けに出るか、いっそのこと便器の縁に載せることになってもかまわない、と自暴自棄になるか、それとも、すごすごと大便器のほうに逃げ込むかだ。

しかし、考えてみれば、どこだって背の高い人ばかりではない。背の低い人もたくさんいるし、子どもだって利用するのだ。私たちと同じように排尿に苦労と危険と屈辱を感じているにちがいないこれらの人々は、声をあげようとはしなかったのだろうか。

いや、おそらく、声をあげたに違いない。だが、むなしくもその声は、小便器の高みには届かなかったのだ。

私は、外国の小便器を仰ぎ見るたびに、無理と知りながら果敢に挑み、便器の白い壁に弾かれ、ズボンを涙で濡らした無数の背の低めの同志を思わずにはいられないのだ。

苦い文学

I・餓男

小池一夫については説明の必要はないかもしれないが、「子連れ狼」「修羅雪姫」などの漫画の原作で知られる。劇画村塾などを通じて、後進の育成にも努めたことも有名だ。

「クールジャパン」などという言葉のできる前から、小池一夫の作品は国際的な評価を得ていた。映画化された作品が世界に与えた影響力も大きい。

外国人の中にはアニメや映画を通じて日本の文化に関心を持つ人も多い。私はそうした留学生に何人も会ってきたが、どの留学生も「キメツ」「コナン」「ハルヒ」など、私のわからない言葉を唱えるばかりで、「ゴズメズ」「エレクチオン」「デラベッピン」などいうものはひとりもいないのだった。

もしかしたら、小池一夫の作品は、今の日本語学習者には難しすぎるのかもしれない。そう考えた私は、小池一夫の作品に特化した日本語教材の開発が急務だと感じるようになった。

以下は試作品であるが、日本語学習者が小池一夫作品を読む時に有用な五〇音図である。皆さんのご意見をお待ちしている。


あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や   ゆ   よ
ら り る れ ろ
わ   を   ン