欧米や欧米の影響力の強い国々に行って、我々が驚かされるのは、人権意識の高さや、文化の高さではなくて、小便器の高さだろう。
それは、少なくとも排尿器官と同じレベル、いや、それ以上の高さにあるのだ。
つま先立ちしても届くか届かないの高度だ。不安定な姿勢のまま危険な賭けに出るか、いっそのこと便器の縁に載せることになってもかまわない、と自暴自棄になるか、それとも、すごすごと大便器のほうに逃げ込むかだ。
しかし、考えてみれば、どこだって背の高い人ばかりではない。背の低い人もたくさんいるし、子どもだって利用するのだ。私たちと同じように排尿に苦労と危険と屈辱を感じているにちがいないこれらの人々は、声をあげようとはしなかったのだろうか。
いや、おそらく、声をあげたに違いない。だが、むなしくもその声は、小便器の高みには届かなかったのだ。
私は、外国の小便器を仰ぎ見るたびに、無理と知りながら果敢に挑み、便器の白い壁に弾かれ、ズボンを涙で濡らした無数の背の低めの同志を思わずにはいられないのだ。