旅・観察

主人への信頼(2)(チュニジアの民話)

犬が喋り出した、というか、神がそうさせたのだ。

犬曰く「私は卑しくなどない。私はあの老人の家で育てられ、家と羊の番をしてやり、彼がくれる粗末な食べ物で十分やってきた。ときには主人がうっかりして晩飯抜きで夜を過ごすこともあれば、主人自身もすっからかんの時もある。そうすると、彼と私は一日、二日、三日、いやそれ以上も食べずにいるのだ。それでも私は一度たりとも家を離れたこともなければ、他の家にも行ったこともない。彼以外の主人を知らないのだ」

こういうと、矛先は男に向けられる。

「お前は、祈りと断食に生きて、いったい何年になるというのだ。なのに、たった一晩、パンが途絶えただけで、もう我慢しきれなくなって、パンを与える神を離れて、人間の門前へと足を向けたのだ。お前こそ主人を信頼していないのだ」

そして、犬は実に無情な言葉を放つ。

「お前が礼拝と崇拝のうちに過ごし、空腹に耐え忍んだこの年月は、今日すべて無駄となった」

犬の言葉は激しさを増していく。

「今さら山に戻ったところでなんになるのか。さあ、町へと降り、人と交わるのだ。人々と金の取引をせよ、常人のごとく、働いて、商って、売って、買って、盗んで、奪い取り、騙して、嘘の誓いをたてよ。そして、死が訪れるその日に神がお前に下す苦しみに備えるがいい」

パンのことを考えると、私はいつも、呪いにも似た犬のこの恐ろしい言葉を思い出す。犬が喋りださないよう、やさしくしたい。

(写真:モスクの階段に寝そべる犬、チュニス)

苦い文学

Z 世代

都内某所に、Z 世代の若者たちが違法の薬物を密かに使用しているアジトがあるという。そんな情報をつかんだ刑事は、地道な捜査の末、ある関係者との接触に成功し、アジトへの行き方を記したメモを手に入れた。潜入捜査を行うべく、50代の刑事は、見事な変装術によって20代の若者になりすました。

刑事は、メモに記された道筋を辿り、とあるマンションのエントランスに入った。それはオートロックのマンションで、インターホンで内部から扉を開けてもらう必要があった。メモにある部屋番号を押し、チャイムを鳴らす。だが、なんの反応もなかった。「怪しい者かどうか、カメラの画像をチェックしているのだ」と考えた刑事は、大胆にもインターホンのカメラに顔を近づけた。自分の変装は見破られない、という絶対的な自信があったのである。すると、不意にスピーカーからざらざらした男の声が聞こえてきた。

「世代は?」

この唐突な質問にも刑事は慌てなかった。なぜならメモにはこうも書かれていたから。

《合言葉:世代を聞かれたら「Z世代」と答えよ》

完璧なまでに若者に扮した刑事は、落ち着いた口調で答えた。

「ゼッド世代」

乱暴にインターホンを切る音が聞こえ、それからは、刑事がいくら番号を押しても、うんともすんともいわなくなった。

苦い文学

大涌谷の黒たまご(箱根の旅1)

先日箱根に行ってきたので、そのときのことを何回かに分けて書こうと思う。

箱根に着いてまず行ったのは、大涌谷。ロープウェイで行くと、大涌谷の噴煙地の全貌を見下ろすことができる。剥き出しになった地肌のあちこちから火山ガスが噴き出ていて、まさに地獄のようだ。噴出孔の周囲は硫黄で黄色く、その臭気は上空のゴンドラの中にも届くほどだった。

「火山ガスの充満するこの谷では人は生きられまい」と見ていると、噴煙の中を人影が動き回っている。小さくてよく見えないが、裸の黄色い男だった。男は私たちのゴンドラを認めると威嚇するかのように手を挙げた。

大涌谷駅に着くと、私はさっそく土産物屋に行き、黒たまごを買った。これは大涌谷の名物で、地熱と火山ガスによって殻が黒く茹であがった卵だ。ひとつ食べると寿命が7年伸びると言われている。もっとも味は普通のゆで卵だ。

店の前で食べていると、強烈な硫黄の匂いが漂い始めた。観光客たちがざわめく。みれば、丸裸の黄色い男がこっちにのしのしと近づいてくるのだった。ロープウェイから見たあの男だ。目はランランと輝き、口からは鋭い牙が突き出ていた。

男は黒たまご売りのカウンターに向かうと、「黒たまごをくれ!」とうなった。「ゆで卵じゃないぞ! 黒生たまごだ。もうゆで卵はたくさんだ。俺はひとつ食べると寿命が7年縮む黒生たまごが食べたいのだ」

「これしかありません」と店の人が黒たまごを出すと、黄色い男は「これではまた寿命が延びてしまうではないか。もう何百年も生きるのは疲れたわい」と殻ごとバリバリ食べながら、ふたたび谷のほうへ立ち去って行った。

黒たまごの宣伝キャンペーンだった。

苦い文学

オニスタグラム

Instagram に上げる写真には、自分がもっとも昂揚した瞬間が写されている。

それは、異国の景色や美しい風景から受ける感動だったりするが、そうした瞬間はめったにない。そこで、我々はもっとありふれた瞬間で手をうつことになる。

そうした瞬間のうち、もっとも手軽で、なんの苦労もいらないのが食べ物の写真だ。毎日必ず出くわすものだし、自分で作る必要もない。注文して、出されたものをパチリとすればそれで完成だ。

そもそも、人間は食事を前にした時がいちばん高まるのだ。Instagram が食べ物の写真で溢れるのも当然といえば当然といえる。これは別に悪いことではないが、ひとつ困ったことがある。

食べ物の写真を上げる習慣が広まったせいで、食べ物を前にして写真を撮らないというごくごく当たり前の行為が、今度はその食べ物に対する不満を意味するまでになってしまったのだ。

そのせいで、このまえ食事をごちそうになったとき、ただその誤解を避けるためだけに、私は写真を撮らざるをえなかった。

それはさておき、鬼たちの世界にも Instagram があって、やはり大流行りだ。

鬼たちの投稿を見てみると、どの鬼も、人間の写真を何枚も上げている。

人喰い鬼も、われわれ人間とそう変わらないようだ。

苦い文学

収容の気分

入管収容所というのは、刑務所とは違って刑期がないので、いつ出られるかもわからない。これはとても苦しいことで、精神的に参ってしまったり、自殺を試みる人もいる。狂気か死しか逃げ場がないのだ。

さて、入管収容所に毎週のように通って、支援活動をしている人がいた。入管に行っては、被収容者の相談に乗ったり、差し入れをしたり、仮放免の申請をしたりしていたのだ。

そんなふうに被収容者と接し、収容所での厳しい暮らしを知るにつれ、彼はなんだか胸が押しつぶされるような苦しさを感じ始めた。閉じ込められている人々に感情移入しすぎたせいにちがいなかった。

入管のことを考えると、窒息しそうになった。しまいには、収容所のような逃げ場のない場所、混んでいる電車とか、エレベーターとかにいるのも耐えられなくなってきた。

やがて外出することもできなくなった。これでは仕事などできるわけもない。彼は仕事を辞め、無収入になった。

そして今、彼は、入管に賠償請求する準備を進めている。

勝ち目はないだろうが、無駄ではなかろう。

散文

ガールズバーで飲みたい放題(1)

 ここ最近、私はガールズバーのことで悩んでいる。

 だって、駅に行く途中のガールズバーの看板にこんなふうに書かれているのだ(写真参照)。

 この「飲みたい放題」とはなんだろうか。耳慣れない言い方だ。なぜガールズたちは「飲み放題」と言わないのか。

 「飲み放題」とは、好きなドリンクが(決まった料金で制限時間内に)好きなだけ飲める、ということだ。では「飲みたい放題」とはなんなのか。

 私のイメージだが、「飲みたい放題」とはこんな事態を指す。

 「ビールも飲みたい、ウィスキーも飲みたい。ワインも、カクテルも、シャンパンも飲みたい!」

 そんなふうな飲みたい気持ちをいくらでも言えるけど、本当に飲むのではない……これが「飲みたい放題」だ。

 つまり、「放題」は「飲み」ではなくて「たい」にかかっている。だから「〜し放題」なのは、「たい」という気持ちの表明だけであって、実際に飲むことではないのだ。

 となると、このガールズバーでは「飲みたい」という気持ちを40分表明するだけで、2000円だ。そして、間違いなくドリンクは別料金だ!

 私のような禁酒中の人間ならば、それで満足だが、飲みたい人にとっては、納得のいかない価格であろう。というか、禁酒してても納得いきません。

 しかし、「〜たい放題」という言い方が間違いというわけではない。「言いたい放題」「やりたい放題」などもある。

 だが、試みに「飲みたい放題」で検索してみると、ほとんどの検索結果が「飲み放題」として出てくる。だから、「飲みたい放題」はなにかおかしいのだ。

(つづく)