旅・観察

ベルベル語への旅(5)

わずか 10 分ほどの「調査」を終えた私たちは、老人に感謝し、別れを告げると車に乗って、タマズラットに向かった。

タマズラットは山の上に煉瓦の家が立ち並ぶ小さな村で、電柱と電線だけが異物のように見えた。小さな広場に岩でできたラクダの像があって、その向こうでは電線がまるで飾りのようにぶら下がっていた。私たちは、車で村を一周して、もと来た道を戻った。

すると、N さんが車を止めた。先ほどの老人がやってきて、後部座席に座った。

「さっきタマズラットに一緒に行こうと誘ったんだけど」と N さんは私に説明した。「家畜に餌をやるから行けないって言うので、用が済んだら、新マトマータまで送ってあげると約束したんだ」

車の中で、私は N さんを介して、いくつかの名詞や動詞を尋ねた。「『パンを食べる』はベルベル語でこういう」と老人は教えてくれた。「『パン』は私たちはこう言うけど、ズラーワではこう言う」 老人はまた、こうも言った。「ベルベル語はズラーワとターウジュートの人のほうが使っているよ」 口ぶりからすると、老人はタマズラットの人のようだった。

話しているうちに、老人は昔を思い出したようだった。「ずいぶん前のことだけど、スイス人がやってきてね。ベルベル語の本を持ってきて、それを見せながら、この語は使うか、使わないか、村人に聞いて回ってたよ」 いったいそのスイス人とは誰だろうか? そして、その本とは?

車が新マトマータに入った。最初、老人は私などいないかのように接していた。だが、それは違うとわかった。なぜなら、車が彼の家に近づいたとき、こう言ってくれたから。

「今度、この人を私の家につれてくればいい。私の家族がベルベル語を教えてくれるよ」

私たちは再び礼を言って、老人に別れを告げた。

(写真:タマズラットの風景)

苦い文学

カルチャークラブの戦争はんたーい!

拘置所にいる友人から手紙が送られてきた。以下に書き写す。

……僕が犯した罪についてはもう聞いているだろうか。弁護士に説明しても理解してもらえなかったから、こんな手紙を送ります。

Colour by Numbers って、カルチャークラブのアルバム、1983 年に出たんだけど、僕が聞いたのは中学生の頃だった。誰もが衝撃を受けたよね。僕もそうだったんだけど、そのとき僕は自分が他の人と違うということに気がついたんだ。

アルバムのジャケットを覚えているかな。カラフルなジャケットの右半分にボーイ・ジョージの顔があってね。僕はこのジャケットを見たとき、それまで味わったことのない感情を感じた。というのも、ボーイ・ジョージの隣にこんなふうにカタカナが書かれていたから。



僕がショックを受けたのはこれなんだ。この「ー」なんだ。僕はなんだか横書きの「ー」を縦にしたくなった。思い切ってジャケットを横に回してみた。すると「ー」は「|」になったけど、なんと「ボ」と「イ」は横になってしまったんだ! 僕は怖くなってレコードを押入れの奥にしまって、それきり忘れてしまった。

ところが、それから何十年も経った後に、外を歩いていると、不意に「カーマは気まぐれ」が耳に飛び込んできたんだ。そのとき、あの思い出が蘇ってきた。あのときよりももっともっと強烈に。

そのときたまたま、外国人観光客が目に入った。自撮り棒を片手に動画を撮りながら歩いている。横にしたり縦にしたり、横、縦、横、縦……僕はもう見境をなくして、その自撮り棒を奪い取って、真っ二つに折った……どうしようもなかったんだ。

弁護士が言うには、僕は裁判にかけられるそうだ。法廷では「Do You Really Want To Hurt Me」を歌うつもりでいるよ。

苦い文学

思考矯正クリニック(1)

16になる私の息子がおかしなことを言い出した。「誰もが平和に暮らせる社会をつくりたい! そのためには弱い人々が力を持たなければダメなんだ。戦争が起きたら真っ先に前線に送られる人々が立ち上がるんだ」

兵隊がいなくなったらいったい誰が戦争をしようと言うのだろう。それに戦争に負けたら平和もありえないのに。だが、私は黙っていた。そんな馬鹿げたことを言いたくなる年頃なのだ。

ところが、息子はこんなことまで言いはじめた。「権力を持つ政治家は市民よりも厳しくチェックされるべきだ。そして、もし不正が見つかったならば、市民は団結して追及しなくてはならない」

ますます悪化しているではないか。私はたまらず息子に言った。

「そんなに厳しく監視されるのならば、誰も政治家などやりたがらなくなってしまうよ。日本から政治家がいなくなったら、誰が反日勢力から日本を守ってくれると言うのだ」

すると息子は屁理屈を言い立てた。

「日本が間違ったことをしたときに批判してくれる人々は、反日どころか、親日です」

私はもう心配になってきた。もしかしたら病気かもしれない。いてもたってもいられず、息子を連れて近所の思考矯正クリニックに行った。

診察室に入ると、温厚そうな医師がいた。私たちが座ると、医師は息子に体の具合を尋ね、それから、気分に落ち込みはないかとか、不思議な声は聞こえないかとか、いくつか質問をした。

そして最後にこんな質問を投げかけた。

「太った豚と痩せたソクラテスのどっちがいいかい?」

「それは痩せたソクラテスに決まってます。太った豚はまるで貪欲な資本家のようではないですか……」

医師は息子に席を外させ、こう私に告げた。

「かなり深刻です。ただちに思考矯正を受ける必要があります」

苦い文学

居眠り

電車で居眠りしていても、私たちは乗り過ごすことはほとんどない。たいてい、降りる駅の直前で目が覚める。それどころか、目が覚めたときに、降りる駅でドアが開いていた、なんてときすらある。私たちは慌てて座席から飛び上がり、外に出る。

どうしてこうしたことが起きるのかについては、いろいろな意見がある。私たちは眠りながら無意識では起きているのだ、と言う人もいるし、体内時計が自然とセットされているのだ、と考える人もいる。

目を覚ます原因はわからないが、これはまるで死のようだ。

私たちの人生は電車の中で居眠りをしている人に例えられよう。寝ているあいだに次から次へと駅が通過していくが、私たちはそれに気がつくことなく、夢を見続けている。

だが、降りるべき駅が近づくと、私たちは不意に目覚めるのだ。

私たちは時が来たことを悟り、慌てて電車から降りる。

その先に何があるかは、誰にもわからない。私たちはただ電車で見た夢のかけらを抱えて、どこかに消えていく。

苦い文学

もしものコーナー

「もしものコーナー」とは、ドリフターズのコント番組「ドリフ大爆笑」の名物コントの1つだ。「もしも〜〜な〜〜があったら」というタイトルのもといかりや長介が登場する。そして通常ではありえない状況に巻き込まれてざんざんな目に遭うのだ。

なかでも有名なのは「もしも威勢のいい銭湯があったら」というコントで、これは今でもテレビで放送されたりする。

その内容はといえば、銭湯にやってきたいかりや長介が、威勢の良い4人の従業員に水をぶっかけられたり、風呂に投げ入れられたり、もみくちゃにされるというもので、ずぶ濡れになったいかりやはたまらず「だめだこりゃ」と唸るのだ。

この「だめだこりゃ」というのは「もしものコーナー」の締めの一言で、これでコントはおしまいになる。

子どもの頃熱心にドリフを見ていた私にとって「もしものコーナー」は思い出深いものだ。

そのせいかどうかわからないが、最近は自分の人生もこの「もしものコーナー」ではないかと思うようになった。

「もしもこんな〜〜な人間がいたら」というわけだ。

それにつけても不思議なのは、もうずいぶん前に「だめだこりゃ」の声を聞いたように思うのに、このコントがいっこうに終わる気配もないことだ。

「だめだこりゃ」からが長いとは、まったく驚かされるではないか。

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その8)

 軍艦島クルーズのガイドの人がこんな話をしてくれた。

 「クルーズには、元島民の方もいらっしゃることもあります。そういう方は、自分からそうおっしゃらないのですが、なんとなくわかるのです。どうしてわかるのかというと、ここまで来ると(と、ガイドは私たちの目の前に広がる廃墟を示した。軍艦島に上陸した私たちはかつての居住区が見渡せる場所に来ていたのだ)、皆さん、写真をお撮りになるのですが、元島民の方は写真を撮らずに見ているだけなんですね。どうしてかというと、ここから見る風景は、元島民の方々には馴染みのないものなのです。それは思い出にはないものなのです。島民の方々は、今、私たちが行けないところで生活されていました。元島民の方々にとって、ふるさととは、そうした今行けないところである、ということも皆さんにぜひ理解していただきたいことです。この島は軍艦島と呼ばれていますが、元島民の方々にとっては、この島は軍艦島でも廃墟でもなく、端島というふるさとなのです」

 これは、こういうことであろう。あなたの友人が宇宙で遭難し、過酷な環境により変貌して帰ってくる。体は白く、皮膚はひび割れだらけ、何よりも奇怪なのは肩が盛り上がって、そこに頭がめり込んだようなその姿だ。人々は恐れ、怪獣だ、怪獣だと言って、水を浴びせかけて倒そうとする(水に弱いのだ)。だが、あなたは複雑な気持ちだ。なぜなら、これは「怪獣」などではないのだから。誰が何と言おうと、あなたのかけがえのない友人なのだから。軍艦島は元島民の方々にとってはちょうどそんな存在ということだろう。

 いや、この最後のたとえは、ちょっといらないかな……。