旅・観察

石を拾ってでも

ベルベル語の勉強で私を助けてくれているSさんの出身地、ターウジュート村に行く計画を立てている。Sさんによれば、帰郷する人はなにかしらお土産を買って村に入るのが習慣だそうだ。

チュニスにはそんな習慣はないが、それでもこの村の出身者がチュニスの知人を訪ねるときに、家の近くの食料品店で買い物をしてからやってくるのだという。

「もし村に入るとき手ぶらだったら、石を拾ってでも入れ」という言葉をSさんが教えてくれた。

ターウジュート村にはSさんも同行してくれる。これは心強いことだ。当然のことながら、移動費や宿泊費はこちら持ちだ。いろいろ経費を計算しているとけっこうな額になる。その上、お土産だ。これも私が払わねばなるまい。

私は日本在住のビルマのカレンやカチンの人と一緒にタイや中国に行ったことがある。これらの人は、現地で待っている家族や同胞のために東京でたくさんのお土産を買っていく。それは単にお土産ではなく、現地での生活を助けるためでもあるが、かなりの額がかかる。手ぶらで行くわけにはいかないので、旅費に加えてそのためのお金も貯めなければならない。

そうした経験があるから、ターウジュート村に持っていくお土産がどれくらいの金額になるのか私は気になり出した。

「それで、お土産はいくらぐらい必要ですか?」

「大したものじゃないよ。ジュースとか果物とか、二〇ディナール(千円ちょっと)あれば足りるよ」

私はそれを聞いて安心し、石を掻き集めずに済んだことを感謝した。

小説

道を渡りし者(終)

だれもが章雄の登場に驚愕し、動きを止めた。今にも四肢分断されそうだった私に吉田の手が伸び、私を暴漢たちの中から引きずり出した。私は転がるように彼の後ろに隠れた。

この一瞬の静寂ののち、観衆から熱狂の叫びが上がった。「もういちど渡ったのか?」「すごい!」「奇跡だ!」

だが、章雄は「うるせえ!」と怒鳴り、父親を指した。「これだ! この袋(と彼は黒い袋を掲げた)がこいつの奇跡とやらの正体だ! 道の向こう側にいたのは、俺じゃない! こいつが勝手に用意した偽物だ! こいつもこうやって赤信号を渡ったとだましたのだ! お前たちは(と観衆に向かって)こんなものを奇跡と崇め立てていたのか? こんなインチキな人間を市長だと崇め祀っていたのか? こいつは偽善者だ、ペテン師だ! こいつは赤信号など渡りはしなかった! 見ろ! これから俺は本当の奇跡を起こす! 赤信号を渡る!」

おりしも、ちょうど青信号が赤に変わったばかりだった。章雄は車がビュンビュン行き交う道路に向かって歩き始めた。市長が駆け寄って、息子の足にすがった。「やめるんだ! 父さんが悪かった。危険だ! お前の好きなフェラーリでもなんでも買ってやる」

章雄は全身の力を込めて市長を足蹴にした。「俺は、お前の指図は受けない!」

そして、横断歩道の真ん中から道路にダッシュした。車は避ける間もなく、彼をはね飛ばした。彼はアスファルトの上に投げ出され、赤いものが飛び散った。車は方向を見失い対向車線へと飛び出し、直進してきた対向車に衝突した。

あちこちで悲鳴と衝突音が上がった。前方の事故を避けきれずに何台もの車が追突した。歩道に乗り上げた車は、何人もの不運な観衆を巻き込んだ。

一瞬のうちに道路の上に動くものはなにひとつなくなった。吉田の背後から飛び出した私は、赤信号のままの横断歩道をさっさと渡り、駅に向かった。去りぎわ、凄まじい絶叫のなかに「章雄!」という悲痛な叫び声を聞いたような気がした。

途中、刃物やバットを持った男たちが前から走ってくるのにでくわした。「俺たちをだましやがって!」「市長の一家は皆殺しだ!」「逃すな!」と口々に叫んでいた。私は彼らに話しかけ「市長とそのご家族は、まだ薬屋の信号にいるようですよ」と教えてやった。それから、猛スピードで駅に駆け込み、ちょうど来た電車に飛び乗った。(おしまい)