散文

地獄の言語学入門(7)

さて、これらの三学者が退場するやいなや立ち上がったのは、音響音声学者、心理言語学者、コーパス言語学者であった。実験設備やコンピュータが不可欠なこれら諸分野の学者たちは、仲間である私の主張に対して猛然と反論を……(写本に数行の欠落あるか)……かくて私の親身の説得により、(学者たちは)それぞれの立派なラボへと退却していったのであった。

以上、とんだエラスムス的脱線であったが、これも獄中の学としての言語学の優位性を明らかにするためには仕方のないことであった。

だが、ここで我が所説に重大な欠陥のあることを、ただちに諸君に打ち明けねばならない。

それは AI である。近年の AI の発展は目覚ましく、賛否はあれども言語研究のあり方を大きく変えてしまった。そのせいで、言語学系の国際学会といえば、必ず「AI 時代の言語」的なメインテーマがなければ格好がつかなくなってしまったほど。AI について無知な私はたいへん肩身の狭い思いをさせられているのだが、それにもかかわらず、この AI の存在こそが、獄中の学としての言語学の優位を揺るがしかねない、ということを認めるにやぶさかではないのである。

ここで私がこんなことをいうと、諸君がこう反論するのが目に見えるようだ。

「AI こそ、獄中に持ち込めないものの最たるものではないか。いかに AI が言語学に重要な洞察をもたらすとはいえ、言語学こそが獄中の学の華であるという私たちの信念は揺るがない!」

私はこのような説に対して猛然と反論するであろう。

「諸君は、今後さらに AI が進化しないとでも考えているのか? そして、近い将来、DX 化した強制収容所で、AI 看守をうまくおだてれば、実験やコーパスのデータ処理をしてもらえるかも、という可能性も考えないのか?」と。

私は頭の堅い人間ではないのだ。

旅・観察

おもてなさぬの品川入管記(1)

 ビルマのアラカン州にはアラカン民族という古い歴史を持つ民族が暮らしているが、現在、ビルマ軍の攻撃により、多くの住民が危険にさらされているという。

 日本にはこのアラカン民族の政治団体があり、ずいぶん多くのアラカン人が、難民申請の末に日本での滞在を許可されて暮らしている。

 そのグループのリーダーが3月の初めに私に電話をかけてきた。2人の若者が品川の入管で難民認定申請をするから付き添いで行ってくれないかという。

 実際のところ、難民申請の付き添いに私が行っても何もできることはない。しかし、コロナのせいですることもなかったので、入管に行くことにした。先月書いた長崎大村入管訪問記に継ぐ、入管訪問記第2弾だ。もっとも、そんなに長くはなるまい。

 さて、私が品川入管、つまり東京入国管理局に行ったのは3月9日月曜日のことだった。10時に着くと、玄関前で2人の若い男女が待っていた。

 そのままいっしょに難民関係の部門のある3階に行く。

 私たちが用のあるのは申請のカウンターだが、その途中通りがかった難民調査のカウンターから、女性職員の罵声が聞こえてきた。申請者を怒鳴りつけているのだ。

 「おもてなし」の国でなんということが! 

 私は震え上がるが、よく考えてみれば、ここは、おもてなさぬの品川入管、歌にだって詠まれるほどだ。

     滝川で クリを捨てると微笑めば 
              泥沼のイガ 拾うきびしさ

 ほんと、きびしいのよ。