旅・観察

主人への信頼(2)(チュニジアの民話)

犬が喋り出した、というか、神がそうさせたのだ。

犬曰く「私は卑しくなどない。私はあの老人の家で育てられ、家と羊の番をしてやり、彼がくれる粗末な食べ物で十分やってきた。ときには主人がうっかりして晩飯抜きで夜を過ごすこともあれば、主人自身もすっからかんの時もある。そうすると、彼と私は一日、二日、三日、いやそれ以上も食べずにいるのだ。それでも私は一度たりとも家を離れたこともなければ、他の家にも行ったこともない。彼以外の主人を知らないのだ」

こういうと、矛先は男に向けられる。

「お前は、祈りと断食に生きて、いったい何年になるというのだ。なのに、たった一晩、パンが途絶えただけで、もう我慢しきれなくなって、パンを与える神を離れて、人間の門前へと足を向けたのだ。お前こそ主人を信頼していないのだ」

そして、犬は実に無情な言葉を放つ。

「お前が礼拝と崇拝のうちに過ごし、空腹に耐え忍んだこの年月は、今日すべて無駄となった」

犬の言葉は激しさを増していく。

「今さら山に戻ったところでなんになるのか。さあ、町へと降り、人と交わるのだ。人々と金の取引をせよ、常人のごとく、働いて、商って、売って、買って、盗んで、奪い取り、騙して、嘘の誓いをたてよ。そして、死が訪れるその日に神がお前に下す苦しみに備えるがいい」

パンのことを考えると、私はいつも、呪いにも似た犬のこの恐ろしい言葉を思い出す。犬が喋りださないよう、やさしくしたい。

(写真:モスクの階段に寝そべる犬、チュニス)

散文

ガールズバーで飲みたい放題(1)

 ここ最近、私はガールズバーのことで悩んでいる。

 だって、駅に行く途中のガールズバーの看板にこんなふうに書かれているのだ(写真参照)。

 この「飲みたい放題」とはなんだろうか。耳慣れない言い方だ。なぜガールズたちは「飲み放題」と言わないのか。

 「飲み放題」とは、好きなドリンクが(決まった料金で制限時間内に)好きなだけ飲める、ということだ。では「飲みたい放題」とはなんなのか。

 私のイメージだが、「飲みたい放題」とはこんな事態を指す。

 「ビールも飲みたい、ウィスキーも飲みたい。ワインも、カクテルも、シャンパンも飲みたい!」

 そんなふうな飲みたい気持ちをいくらでも言えるけど、本当に飲むのではない……これが「飲みたい放題」だ。

 つまり、「放題」は「飲み」ではなくて「たい」にかかっている。だから「〜し放題」なのは、「たい」という気持ちの表明だけであって、実際に飲むことではないのだ。

 となると、このガールズバーでは「飲みたい」という気持ちを40分表明するだけで、2000円だ。そして、間違いなくドリンクは別料金だ!

 私のような禁酒中の人間ならば、それで満足だが、飲みたい人にとっては、納得のいかない価格であろう。というか、禁酒してても納得いきません。

 しかし、「〜たい放題」という言い方が間違いというわけではない。「言いたい放題」「やりたい放題」などもある。

 だが、試みに「飲みたい放題」で検索してみると、ほとんどの検索結果が「飲み放題」として出てくる。だから、「飲みたい放題」はなにかおかしいのだ。

(つづく)