旅・観察

ベルベル語への旅(7)

ラマダーン中、人々は日中は静かにしていて、夜になると外出する。この期間は、どこでもお祭りでにぎやかだ。移動式の遊園地は夜まで開いていて家族連れや若者たちでいっぱいだし、その周りにはお菓子の屋台が並んでいる。私たちも真夜中までカフェで過ごした。3 人で屋外のテーブルに座っていると、急に辺りが騒がしくなった。風が吹いてきて、落ち葉やゴミが舞う。椅子が倒れる。砂嵐だ。外にいた客たちは皆飲み物を持ってカフェの中に駆け込んだ。

サハラ砂漠の入り口、タターウィーンならではの光景だ。この砂嵐のことを南部ではカッサーヒー(kaθθaːħiː)と呼ぶそうだ。標準的な辞書には載っていないから、方言的な語彙だろう。

ラマダーン中は皆、宵っぱりだ。そして、朝も早い。なぜなら、日の出前までに食事をしなくてはならないから。カフェから帰ってきた私たちは、日の出前の食事までのあいだ、同じ部屋で雑魚寝することになった。

そして、「3 日間の滞在中、一度もシャワーを浴びられず」というのは、日本のように毎日入浴する習慣がないからだ。空気が乾燥しているので汗をかくこともない。それに、ムスリムは礼拝のたびに顔と手足を水で清めるので、シャワーを頻繁に浴びる必要もない。ただ、ムスリムではない私だけが、砂埃と垢にまみれていった。

タターウィーンで 4 人の友人たちと過ごした 3 日間は、いつも自由というわけにはいかず、ある種のアドベンチャーになったが、そのぶん忘れ難い経験となった。3 月 26 日、夜行バスでチュニスに戻るときも、友人たちとの別れに寂しさを感じずにはいられなかった。もっとも、朝早くチュニスに到着し、運よく 9 時にホテルにチェックインできた私は、真っ先にシャワールームに飛び込んだ。

ガベスでは、ほんの少しとはいえベルベル語の話者と交流することができたが、タターウィーンではそのような機会はほとんどなかった。とはいえ、ベルベル人の住居や遺跡を見て回ることができたのは、今思い返しても貴重な体験であった。

この南部の旅から 1 年後の 2025 年 3 月、私はひとりのベルベル語話者と出会い、ようやく本格的な調査を開始した。そのことについては別のタイトルで書こうと思う。

(写真:砂嵐の様子)

旅・観察

古いほうの収容ウイルス、長崎入管訪問(その10)

《仮放免手続きについて(1)》
 仮放免手続きは、どこの入管でも同じで、①仮放免についての説明と署名、②保証金の納付の準備、③保証金の納付、④仮放免、という4つの段階からなる。前にも書いたが、2〜3時間かかる。

①仮放免についての説明と署名
 手続きに来た人(身元保証人など)は身元確認をされたのち、入管の職員から、仮放免の条件について説明を受ける。仮放免の条件とは、許可を受けた者が移動できる範囲、就労できないこと、住所の変更には身元保証人の署名と所轄の入管での許可が必要なことなど。

 説明の後、手続きに来た人は仮放免許可書のコピーに、説明を受けた証拠として署名をする。

 大村入管では、この①の過程は最初に行われたが、品川入管の場合は、仮放免許可を受けた人が出てきてから、一緒に説明を受ける。

②保証金の納付
 保証金の納付の準備として、手続きを行う人は、2枚の書類に、住所・署名・捺印しなくてはならない。1枚目は、何というかわからないが、大村で署名したものは仮放免保証金提出書というような名称だった(ちなみに「事件番号:令元大セ退53号」とも書いてあった)。この書類がなんであれ、ここに押したハンコは、保証金を返してもらう時に、押すハンコと照合されるものだ。

 もう1枚が、銀行で保証金を納めるときに必要な紙で、これにも住所、署名、捺印する。写真で示したように左側が保管金振込書、右側が保管金領収証書となっている。保管金というのは、名目が何であれ日本銀行が保管するという意味だろう。

 大村入管では、この納付準備は①に引き続いて行われたが、品川入管では6階で身元確認を済ませた後、4階の会計窓口で②を行う。(つづく)

私の名前と住所は消してある。