風刺・戯文

衣食足りないから

昔、私の知っている人がこんなことを言って私を驚かせた。

孔子が「四十にして迷わず」と言っているのは、孔子が40歳を過ぎて迷わなくなったという意味だと普通考えられている。それで、私たちも40歳になったら迷わない境地に至るべきだ、ということになっている。

だが、私はそう思わない。これはむしろ、孔子が「40歳になったら迷わないように」と自分を戒めているのである。つまり孔子にも迷いの心があったということだ。孔子ほどの人にそんな心があったのだから、私たちのような凡人はむしろ「迷わず」などという境地に達することはできない。むしろ逆に40になっても大いに迷っていい、そう考えた方がいいのではないか。だからもっと迷うべきなのだ。

また、その人はこんなことも言っていた。

「衣食足りて礼節を知る」というのは、生活が安定してこそ、人間は礼儀を重んじるようなると解釈されているけれど、これはつまり、生活が安定していないときは、礼儀なんて尊重しなくていいということなのだ。そこで、今の私たちの生活はぜんぜん安定していない。だから、マナーなんて守る必要ないのだ。

これはこれでひとつの考えだと思うので、私は尊重したい。にしても、貧しくなればなるほど、人間を重んずるという最低限の礼節すら失われていく今の日本に当てはまるようでもある。

風刺・戯文

四季を探しに

世界で唯一四季のある国、ニッポン。今、その四季が危ないのをご存知でしょうか。

(大学教授)「地球温暖化により、今後日本は夏だけになっていくと考えられます」

そんななか、先月、猛暑が続く東京でこんな集会が開かれました。

「吉田くん! ばんざーい!」「がんばれ!」「頼んだぞ!」

熱烈な歓声を浴びるのは、一人の男性。「日本の四季を取り戻す会」のメンバーたちがこの吉田さんの壮行会を開催中です。

会長「ええ、私たちとしても吉田さんのような方を送り出せるのはたいへんうれしい」

(記者:目的はなんでしょうか)会長「私たちが行なっているのは、四季がなくなろうとしているこの日本で、秋冬春を見つけ出し、保護する活動です。吉田さんはこれから日本全国を旅し、各地に残された秋冬春の保護にあたります」

会長が吉田さんに200万円を手渡します。「旅費と四季保護活動費としてまずお渡しします」 吉田さん、感謝とともに受け取ります。「四季の消滅を食い止めるという大任に身の引き締まる思いです。皆さんが集めてくださったこのお金、絶対に無駄にはいたしません」

「吉田さんの保護活動が順調にいけば、早ければこの夏にも都内に秋風が吹くかもしれません」と期待を語る会長さん、しかし、その数週間後……なんと、吉田さんからの連絡が途絶えました。

会長「信じていたのに裏切られた思いです」

会によれば、沖縄のビーチで日光浴していたという目撃情報を最後に、吉田さんの足取りは杳として知れないとのことです。

風刺・戯文

おしっこは地球を救う(後編)

薬を繰り返し使っていると、体に耐性ができ、もっと強い薬でないと効かなくなる。私に起きたのもちょうどそんなことだった。私がどんなに自分のつらい現状に想いを馳せても、どんなに強い打撃で精神に喝を入れても、尿意はそれに慣れてしまい、まったく退散しなくなってしまったのだ。

そして、ある日のこと、道を歩いていた私にこれまでないほど強烈な尿意が襲いかかってきた。私は必死に自分の厳しい現状について考えた。だが、尿意はそれ以上に切実な様相を剥き出しにして、咆哮を上げた!

鋭い苦痛に貫かれた私はもはやなすすべもなく、尿で尿を洗うが如き闘争のただなかで、漏らすほかないと諦念したその瞬間だった。私の脳裏に戦争のイメージが閃いた。それはウクライナかもしれなかった、ガザかもしれなかった、あるいは世界の見捨てられた地で起きている戦争かもしれなかった。だが、その恐ろしい戦争が、私の精神を立ち直らせ、人間の責務へと立ち返らせた。

戦争はこれを放棄しなくてはならない!

するとどうだろうか、その瞬間、かの残虐なる尿意はたちまちのうちに消え去ったのだった。

この世界の悲惨が私を救ったのだ。そして、その日以来、私は平和と平等の実現のために働き続けている。平和を求める仲間たちが集い、運動は大きなうねりとなって広がっている。

私は仲間たちの強い勧めにより、議員に立候補した。平和を実現し、世界を絶望から救いだすという使命を背負って、今、極めて熾烈な選挙戦を戦っている。たぶん、投票日まで一度もトイレに行かずに済むのではないかと思う。

風刺・戯文

おしっこは地球を救う(前編)

年齢のせいなのか、おしっこが近くなった。というよりも、尿意が不意打ちを仕掛けてくるようになったのだ。漏らしてしまえばいいのだが、そうもいかないので、悶えることになる。

尿意の襲撃を幾度も耐え凌いでいるうちに、それが潜んでいる待ち伏せ場所がわかるようになった。卑劣にも、マンションの前やエレベーターの中という、攻撃とは無縁であってしかるべき平和な場所なのだ。

これはどうしてなのだろうか、と不思議に思っていたら、たまたまネットのある情報が目に入った。家に近くなると尿意が襲ってくるのは、外での張り詰めた精神が緩み、休息用の精神状態に変化するからだという。そこにつけこんでくるのだ

となると、と私は考えた。家に着く前に、あえて精神の手綱を締め、精神を緊張させればよいではないか。そこで私は、帰宅直前、鋭き尿意が萌してきた瞬間に、つらい仕事のことや、重き課題と責務、あるいは我が風前の灯の命など、自分の厳しい現実について考えるようにした。すると、驚くべきことに、これら容赦なき荒波に蹴散らされでもしたか、尿意はたちまち霧の如く消え去ったではないか。

私は、暗く悲しい気持ちと引き換えにではあるにしても、尿意に脅かされることなくエレベーターに乗り、悠々と帰宅できるようになった。ついに平和が訪れたのだ。

もっとも、残念なことに、この停戦は長くは続かなかった。

風刺・戯文

鳥居のド真ん中

歩いていたらたまたま神社を見つけた。赤い大鳥居が立ち、参道の石段が木々の奥へと続いていた。私は神も仏も信じていないので、神社などよっぽどの必要がないかぎり行かないが、古びた感じが気に入ったので立ち寄ることにした。

鳥居をくぐって参道を歩こうとしたときだ、後ろから不意に怒鳴りつけられた。びっくりして振り返ると、中年男が立っていて「無礼者!」と怒っているのだった。

「鳥居をくぐるときは一礼するのが礼儀だろうが!」

私は不愉快だったが、土地の人を尊重したい気持ちもあった。「すいません」と言って、頭を下げた。そのまま歩いていこうとすると男はさらに大声でどやしつけた。

「お前はそれでも日本人か! 鳥居を通るときは真ん中を通るな! 神様の通り道だぞ! 人間は端を歩くのだ。こうだ!」と男は鳥居の右端を通った。「参道だって同じ! 真ん中は神様!」

私はもう我慢ならなくて逆戻りして外に出た。よっぽど鳥居を蹴りつけていってやろうかと思ったが、こらえて真ん中を通るだけにした。

家に帰って、鳥居のくぐり方について、インターネットで調べた。神様の通り道などというバカげた説をいうのもあれば、そんなことを一言もいわないのもあった。どちらともつかないのだ。

いずれにせよ、ああいう手合いは、自分こそが正しいと思いこみ、そうでないものを外道と蔑むのだ。自分だけが鳥居のド真ん中を通っていると思っているのだ。

風刺・戯文

オールジャパン認証機構

「日本人が一丸となって、オールジャパンで力を発揮すれば、きっと素晴らしい日本を取り戻せることでしょう」 安倍首相が語ったというこんな言葉を掲げて設立されたのが、オールジャパン認証機構(AJCO)。

日本人の活躍の場を広げ、日本で生まれた素材や原料の使用を推進することを目的とした団体です。今、この団体がある疑惑に揺れています。

(ぼかしの入った映像、荒れた会議の様子)「なにがオールジャパンだ!」「嘘っぱちなじゃないか!」「そうだ!」「そうだ!」

そもそもこの団体の「オールジャパン認証」とはなんなのでしょうか。ホームページを見ると……

「日本人のパワーを結集して製作された製品、生産された作物、あるいは、国産の素材のみを用いて作られた商品・フードなどに与えられるのが『オールジャパン認証』です。」

「オールジャパン認証を得るには AJCO の審査を受けなくてはなりません。製造者・生産者に外国の血が一滴でも流れていた場合や、オールジャパンとは認められません。外国産の原料、外国人の力、外国の思想が混入していないか、厳しいチェックをパスしたものだけが、晴れて「オールジャパン認証」を受けられるのです。」

そして、騒動のもととなったのがこの認証シール。企業は、これを商品など貼ることでオールジャパン認証を受けたことを明示することができます。ですが……

会議に出席した人々は口々に不満を語ります。「オールジャパン認証シール? これを作るのに中国に発注したというんだから、呆れてものもいえないよ!」「ほら見てくださいよ。日本語がわからないから『オ一ルヅヤパソ』になってるんです!」「団体は『中国は昔は日本だったから』というんですよ。いくらなんでも取り戻しすぎでしょ!」

機構側は、シールの認証手続きに間違いはなかったと、徹底抗戦する構えです。

風刺・戯文

備蓄米の開発

コメの価格が高騰し、政府が備蓄米の放出に踏み切ったニッポン。そんななか、新たな試みにチャレンジする人がいます。経済部記者が取材しました。

「少子高齢化による米作農家の減少と農林水産省の失政のせいで、もはや日本人全体に行き渡るだけの米の生産は不可能といっていいでしょう。それなのに、備蓄米は極めて評判が悪いのです」

こう分析する吉田さんは語ります。「そんなら、備蓄米の評価を変えるようなすごい備蓄米を開発してやろうではないか、と思ったのです」

米作りの経験はありませんでしたが、吉田さんは、備蓄米の開発に奮闘中です。

吉田さん「新米に負けず劣らずおいしい備蓄米を作るのに何が必要でしょうか? それは技術です。日本には優秀な技術があります。そして小さいけれど世界一の中小企業がたくさんあります。私は、日本の底力を使って、つまりオール・ジャパンで備蓄米を作り上げたいのです」

(備蓄米開発への協力を求めて、下町の工場を訪問する吉田さん。すぐに追い払われる)

(汗を拭いながら)吉田さん「いや、難しいですね……でも諦めません。備蓄米が日本を変えるって本気で思ってますから」

備蓄米にどうしてそこまで情熱を傾けるのでしょうか。記者が聞くと、吉田さん、意外なきっかけを話してくれました。

吉田さん「僕はね、工場で長年働いていたんですが、若い新入社員が入社したんです。そしたら、新米が入ったから、備蓄米はいらない、って、クビですよ。そのときからです、備蓄米と聞くともう黙っていられなくなったのは。ええ、備蓄米の意地を新米どもに見せてやりますよ!」

こう決意を語る吉田さんの備蓄米がニッポンの食卓にのぼる日もそう遠くないかもしれません。

風刺・戯文

備蓄人

今年は日本にとって大きな転換の年となるだろう。日本は一億総中流といわれたように経済的に均質性の高い社会であったが、近年は貧富の差が広がり、格差社会に変わりつつあった。今年はこの格差が極限まで拡大し、社会が二分される。つまり、経済的格差が、まったく異なる2種の日本人を生み出すのだ。

それは新米を食べることのできる新人と、備蓄米しか食べることを許されない備蓄人だ。新人は富裕層や政治家たちだ(政治家が備蓄米を放出するのに躍起になっているのはこれが理由なのだ)。いっぽう、備蓄人は私たち貧困層だ。

はじめは新人と備蓄人の間に大きな違いはない。なぜなら、新米とその前年の古米はほぼ同じだからだ。

だが、もっともっと貧富の差が拡大し、古米や古古米などが新人たちの食べる家畜の餌に回されるようになったら、どうなるだろうか。私たち貧困層は、もっともっと古い米しか食べられなくなるのだ。それはもはや米とはいえないくらいに変質し、干からび、虫に食われ、カビだらけだ。毒や棘でいっぱいで、とても食えたもんではないが、私たちにはこれしかないのだ。

だが、数世紀も経てば、私たち備蓄人はそうした古い米をなんなく摂取し、無駄なく消化できるよう適応し、進化してしまう。そして、数万年、数億年ののちには、備蓄人は、新米を食べる新人とは似ても似つかぬ外観の生き物となっていることだろう。

そのとき、新米を食べる新人たちは、人類とは異なる生物へと進化した私たちの観察を始めることだろう。古の n 乗の米を、管状の摂取器官でついばむ私たち備蓄人をレンズ越しに見ながら「やあ、この生物が食べているのは、ビッグバン直後にできた米だ」などと宇宙のロマンに胸を躍らせることだろう。

風刺・戯文

すべてのコメに懺悔しな

「古古古米は動物のエサだ」————

コメの高騰が続くなか、備蓄米についてこう発言した政治家が大きな非難を浴びています。思わぬ大炎上に、政治家は「この度の発言につきまして国民のみなさまに心より謝罪いたします」と SNS で発言しましたが、これがさらに火に米油を注ぐ事態に。

「謝るのは国民に対してではありません!」「謝るならおコメにかと」

こうした怒りの声を受けて、政治家は SNS に次のような投稿をしました。

「動物の餌などと失礼なことを言ってしまった古古古米にも謝罪いたします」

これで事態は沈静化するかと思われました。ですが、一般の方からのこんな投稿が国民の怒りに再び火をつけることに。

「この政治家の方は、いずれ古古古米となる、古古米と古米と新米の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。古古米と古米と新米にも謝るべきです!」

さらにはこんな意見が飛び出てくる。「古古古米に謝罪してこと足れりというのは、逆に古古古古米と古古古古古米、古古古古古古米を動物のエサだ認めることではないでしょうか? これらの古古古古米、古古古古古米、古古古古古古米の悔しさを思うと、怒りに体がふるえます。これは差別です!」

ついにはこんな発言まで。「特定のコメだけ謝罪するのではなく、個々のコメに寄り添って謝罪すべきではないでしょうか」

ことここに至って、この政治家は、日本中のコメの一粒一粒を訪問する謝罪行脚を開始しました。

風刺・戯文

富裕層の習慣

富裕層といわれる方々には、共通する習慣があります。お金を大事にする、無駄遣いをしない、というのはもちろん富裕層ですから当たり前のことですが、このほかにもたくさんあります。なかでも私が富裕層の方々を見るにつけ、いつも感心させられ、見習いたいものだ、と思う習慣が3つあります。それは、新しいことに挑戦する、失敗を恐れない、感謝の心を忘れない、というものです。

富裕層が挑戦? などというとびっくりする人もいるかもしれません。ですが、みなさんも、富裕層の方々が宇宙旅行に飛び出したり、海底探査に乗り出したり、見ず知らずの人々にお金を配っているのをみたことがおありではないでしょうか。お金は、好奇心いっぱいで常にチャレンジしている人に集まってくるのです。

ここで、私がお会いした富裕層のあるお方のチャレンジについてお話しさせてください。この方が関心を持たれたのはまさに「富裕層の習慣」でした。ご自分も富裕層であるそのお方は、富裕層の習慣を実践することで本当に人が富裕層に仲間入りできるのかどうか、果敢にも実験で確かめようと考えたのでした。

このお方は、スラム街に人を送り、数名の貧しい子どもを連れてきました。そして、「富裕層の習慣」を教え込んだのでした。たとえば、時間を大切にする習慣、貯金よりも投資を優先する習慣、モノよりも経験を重視する習慣、グチをこぼさない習慣……その好奇心旺盛なお金持ちは、貧民の子どもたちにありとあらゆる富裕層の習慣を身につけさせると、地下の小部屋に閉じ込めました。そして、ビデオカメラを通じて、これらの子どもたちが富裕層になるかどうか、観察をしたのでした。

結論から申し上げますと、実験は失敗に終わりました。子どもたちは、富裕層になる兆候を見せずに、あえなく飢え死にしてしまったのでした。

私は、富裕層とはなんと素晴らしい方々だろう、と思わずにいられないのですが、その富裕層の方は、失敗したことを残念に思いませんでした。それどころか、喜んだのです。なぜなら、それは新しいことに挑戦した証拠だからです。そればかりではありません。そのお方は、子どもたちへの感謝の言葉すら口にしていたのです!