風刺・戯文

喫煙できる場所

私は昔タバコを吸っていたが、やめてもう何年にもなる。しかし、最近、苦しいことがあって、タバコでも吸わずにはいられないと、コンビニに駆け込んで、タバコとライターを買った(そして値段に驚かざるをえなかった)。

外に出て、封を切り、一本取り出して口に咥える。ライターをつけ、タバコの先に火を向けた瞬間、私は周囲の視線に気がついた。私がタバコを吸っていたときは、路上ならどこでも吸えたが、今はもう違うのだ。私はタバコをしまい、喫煙できる場所を探して歩き出した。

公園、路地、裏通り……どこを探しても、吸えそうな場所はなかった。そこで駅に行くと、駅の外に、薄汚れたガラスに囲まれた喫煙所があった。中に入ると、タバコの煙と、灰皿でくすぶるタバコのイヤな匂いが鼻を突いた。そこに閉じ込められ、口をすぼめてタバコをむさぼる喫煙者たちは、惨めだった。

私は喫煙所を出て、別の場所を探し始めた。すると、駅の近くで喫煙可の喫茶店を発見した。心弾ませながらそのドアを開ける。だが、そこで目にしたのは、喫煙所と変わり映えのしない侘しい光景だった。私は引き返して外に出た。

私はなにも惨めな気分になるためにタバコを吸おうとしているのではなかった。広い空を見ながら、煙を思いきり吐き、悲しみを解消したいのだ。そんな場所はどこにあるのだろうか。私はなおも探し続けた。

日本中を歩き回ったが、ついに見つからなかった。中国のとある山奥ならば喫煙できるという噂を聞きつけ、私は中国に渡った。現地の人さえ足を踏み入れぬ辺境を旅すること数週間、ついに広々とした野原を見つけた。ここなら大丈夫と、タバコに火をつけたとたん、伝説の野人がやってきて、私は追い払われた。

風刺・戯文

パワハラ裁判

「自分のやったことはパワハラだとちゃんと認定してほしい、その一心です」 そう語るひとりの男が、国と被害者を相手取って裁判を起こしました。

男は現在、傷害罪などに問われ起訴されていますが、自分の犯罪行為については否定していません。にもかかわらず、男は冤罪だと主張しています。

男「なぜなら、まったく間違っているからです。私はパワハラをしたのです。これは単なる傷害罪ではありません。パワハラによる暴力事件です」

記者「パワハラだ、と訴えておられるその理由はなんでしょうか」

男「私は社会的地位があり、高収入なんですよ。そうしたパワーある人間が行う暴力行為が、パワハラでないわけがないでしょう。パワハラはパワーある富裕層のみに許された特別な犯罪なのです。そんじょそこらの貧乏人や弱者男性のセコい犯罪行為と一緒にしてほしくないというのが正直な気持ちです。国は、高額納税者である私の意見を尊重すべきです。それが民主主義ではないでしょうか」

男は、まるでパワーを誇示するかのように選りすぐりの弁護団を結成し、弁護士たちに罵声と暴言を浴びせながら、ともに裁判を戦ってきました。

そして、今日、判決の日———裁判所から勝訴の紙を掲げた弁護士が走り出てきました。男の行為がパワハラと認定された瞬間でした。

「長くつらい戦いでした。このように勝利を勝ち取ることができたのも、ひとえに俺様のおかげだ」とパワハラ男は喜びを語りました。

風刺・戯文

手かざし裁判

中学生のころ、私は本屋に行くためにひとりでお茶の水に行き、駅前で「手かざし」にひっかかった。話しかけてきた大人の相手を真面目にしていたら、合掌させられ、その男に手かざしの上、祈られるハメになったのだ。

罠にハマった、と思ったが、かといって逃げ出すほどの勇気もなかった。そのまま白昼、人の行き交う駅前で、いたたまれない思いをしたのだった。

今から思えばどうということもないが、当時の子どもだった私にとってはこの経験は恥辱そのものだった。そして、その日以来、私は街でどんなに声をかけられても無視してしまう体になってしまった。

だが、街での声かけは悪いことばかりではない。ポケットティッシュや試供品を配っているときもある。相手によって臨機応変に対応できればいいのだが、無意識のうちに体が強張ってしまうのだからしょうがない。だから、もう何十年も街でティッシュを受け取ったことはない。おそらく死ぬまで変わらないだろう。

いったいどれくらいの損失だろうか? 仮に1日1個として試算すると、最低でも50万円以上は失っている。しかも、配布されるポケットティッシュには通常、有益でお得な情報が記されたミニチラシが入っている。それにより得られた利益も失われたと仮定すると、もう損失は計り知れない。

「手かざし」教の団体を相手どり、裁判を起こして、必ずや損害賠償させてやる———街でティッシュをもらい損ねるたびに、私はいつも誓うのだ。

風刺・戯文

ぶつからないおじさんたち

「ぶつかりおじさんという概念が誕生して以来、おじさんたちの外出はますます不穏なものとなった。

そもそも、犬も歩けば棒に当たるの諺の通り、外に出てまったくぶつからないというのはありえない。ことに足腰の衰弱のためフラつきがちで、わずかな凸凹にもつまづきがちなおじさんには至難の業なのだ。だが、不寛容な現代社会は、おじさんが不注意にも他人の肩をかすめた程度でも、「ぶつかりおじさん」のレッテルを貼りつけるのだ。

そこで、おじさんたちが安全に外を歩けるようにするためのいくつかの方法が考案された。

まず、「おじさん歩行中」というステッカーを体中に貼り付け、周囲の注意を促す方法が提案された。だが、これは、おじさんたちの拒絶反応によって迎えられた。「初心者マークじゃあるまいし!」「ヘルプマークなんてみっともない!」 おじさんたちにとって、自分たちが弱者であるという考えは我慢ならなかった。

次に、人の少ないオフピーク通勤の活用が推奨された。だが、おじさんたちはこれもガンとして拒否した。なぜなら自分の人生がすでにオフピークであることを認めるような気がしたからである。

さらに、おじさんがぶつからないようにするためのトレーニングも開発された。柔軟体操を通じて体をほぐし、敏捷性を向上させるためのメニューが開発された。しかし、おじさんたちは「ストレッチなんか女子どものやることだ!」と嘲笑った。自分たちにふさわしいのは、派手でかっこいいものだけだと思い込んでいたのだ。

そこで、もっと運動性の高いトレーニングが開発された。それは押し寄せる障害物を巧みに交わしながら前へと進む訓練法だった。

おじさんたちはすぐさまこの過激な訓練法に夢中になった。おじさんたちはみな「豚だ! 豚!」「少年院の力石徹だぞ!」と興奮したが、若者たちはなんのことかさっぱりわからなかった。

風刺・戯文

レストランの忍者

これからの時代、日本でレストランに行くということは、おのれの気配を消し、物音を立てずに移動する術を身につけたもののみに許された行為となるだろう。忍者のような人間だけが、レストランで食事を楽しむことができるのだ。

そもそも入店からして難しいのだ。自動ドアを開くときも気づかれないようにまず猫の鳴き真似をして、ホール係の注意を逸らす必要がある。それから、ホール係に見つからないように素早く床這うようにして進み、空いているテーブルに座るのだ。

席についたからといって安心はできない。まず絶対にホール係に目を合わせてはいけない。まるで店の人などいないかのように、自分の携帯か備え付けのタブレットでオンライン注文するのだ。

「おーい、すみません、メニュー!」とか叫ぶのは禁物だ。店から追い出されるだけマシで、通常はフォークでグサリだ。

注文の品が運ばれてくるときが、レストランでいちばん緊張するときだ。皿を置くホール係に気づいたそぶりは決して見せてはならない。まるで魔法のようにひとりでに皿が飛んできて、テーブルの上に置かれる、そんなふうに思い込むのだ。

ときおり、我慢できずにホール係をチラと目を向けたのを見咎められて、追い出されるものもいる。レストランはいかなる形でも客との交流を拒絶している、だからこそオンライン注文なのだ、ということを肝に銘じなくてはならない。

ごくまれにだが、ネットワークの不調のせいで、きちんとオンラインで注文したにもかかわらず、待てど暮らせど頼んだものがやってこないことがある。昔ならばホールの人を呼んで「注文通ってますか?」とか「もしかして忘れてますか?」などと直接たずねるところだが、今はそんなことをすれば一発退場だ。

そうした不測の事態が心配な人は、テーブルを確保したらまず、UBER かなにかで注文して、席までデリバリーしてもらうのがいいだろう。

風刺・戯文

トランプの国

トランプ大統領の関税戦争が、かえってアメリカ国内の物価上昇を招き、国民の生活を脅かしています。「毎年行っていた海外旅行にはもういけなくなりました」と、アメリカ市民の一人は語ります。「外食など贅沢です。このままではアメリカはメチャクチャになってしまいます」

関税戦争により、打撃を受けるのはアメリカ以外の国々も同じです。そこで、関税に対抗するために、国境を超えた市民同士の連帯を作ろうという動きがアメリカで生まれています。世界各国で連帯を訴え続けるアメリカ全国市民生活協会の代表、トーマス・ミラーさんが、今日、来日しました。

「民主主義という価値観を共有する日本の市民のみなさんと力を合わせれば、関税を食い止めることができるはずです」と期待を語るミラーさん。ですが、彼を待ち受けていたのは、予想以上の日本人の生活の貧しさでした。

「欧米では時給が 1 万円、年収 3000 万円以下が貧困層、ホームレスの年収が 1200 万円ですが……これでは日本の国民のほとんどが極貧ではないですか。日本では、もうかなり前からトランプが現れて、国をメチャクチャにしていたとしか考えられません」

ミラーさんは「トランプ先進国に用はない」とすぐさま滞在を切り上げて、他の国に向けて出発しました。

風刺・戯文

決してやりなおせない社会

「私たちはやりなおせる社会を作りたい!」

そんな一面広告が全国各紙に掲載された。

「日本は、やりなおせる社会でなくてはなりません。人間は誰しも過ちを犯すものです。たった一度の過ちで、その人の人生が否定されることなどあってはいけないし、そうした人にも、もう一度自分の人生を立て直すチャンスがあって当然ではないでしょうか。やりなおせる社会は、誰もが許される寛容な社会なのです」

この意見広告の賛同者には、錚々たる著名人の名が連ねられていた。政治家、芸能人、スポーツ選手、作家に YouTuber……。

この広告からしばらくして、二つの出来事が起きた。ひとつは性暴力でテレビ界を追放された芸能人が、謝罪と苦悩の告白とともに、復帰したこと。メディアは、つまり、オールドもおニューも、これぞ「やりなおせる社会」だと称賛した。

もうひとつの出来事は、この芸能人の被害者のひとりが、ネットに動画をあげて、「私にもやりなおしのチャンスを与えてほしい」と語ったことだ。すると「なんとずうずうしいのだろう!」「いまさら蒸し返すとは金目当てか?」「やりなおしをしようとしている人の邪魔をするとは!」と日本中から激しい非難の声が上がった。

炎上はしばらく続き、そのうちにその人は死んでしまった。

例の芸能人はこのニュースを聞くと「日本はまだまだやりなおせる社会ではないのです。私はやりなおせる社会を作るために次の選挙に出ます」と語り、再び称賛の的となっている。

風刺・戯文

地獄

一流の人はみな人格者ばかりだ。いや、心がやさしく、人間的にも優れているからこそ、トップの座にのぼりつめたといっていい。

そして、二流三流、その下の下流はといえば、卑しく、悪どい連中ばかりだ。というのも、もしもこれらの輩に、ほんのかけらでも徳というものがあれば、そんな底辺で燻っているはずなどないのだ。

下流の人々は妬みでいっぱいだ。「一流の人間が名声も、富も、才能もすべて独占してしまうなどずるいではないか」 そこで、一流の人間が失敗するようにいつも呪いをかけている。

この呪いがけっこう効くのだ。一流の人々が、パワハラ、セクハラ、性暴力などで落ちぶれていくのはこのせいだ。一流の人々は人格者なのだから、そんなことをするはずがないのに、こんなことが起こるとは、下流の人間たちの呪い以外ないではないか。

下流の人々は「自分たちは社会正義を実現した」と公言して憚らない。

そこである人が、下流の人々にこう尋ねた。「社会正義というけれど、その実現のために、女性たちがパワハラや性暴力に苦しまねばならないとは、理不尽ではないのか」

すると、下流の人々はこう答えた。「ええ、ですので、私たちは女ばかりでなく、男も性暴力の被害に遭うように、バランスを心がけています」

すでに地獄になったのか、とその人は感心したそうだ。

風刺・戯文

女も加害者

男たちはもう我慢できなかった。「フェミどもはどうして男ばかり責めるのだろうか? なぜ男ばかりいつも悪者なのだろうか?」 「そうだ、女たちはいつも責め立てる。『男は加害者だ! 男たちのせいで女たちは苦しんできた!』と!」 「そんなのは嘘だ! 男たちはいつも女にやさしくしてきたではないか。選挙権も人権も専用車両だって欲しがるままに与えてきたではないか。それをいきなりこんなことを言い出すとは、狂っている!」

男たちは「女だって加害者だということを、俺たちが証明してやろうではないか!」と口々に叫びながら研究所に乗り込むと、女の研究者を追い出して、男たちだけで秘密の研究に取りかかった。そして、数ヶ月後、最悪の加害者女が誕生した。

【最悪の加害者女の特徴】
・すぐ男を殺す。
・自分が50代なのに20代の男に好かれると思っている。好かれないとすぐ殺す。
・騙して自分の家におびき寄せ、性暴力を振るう。その後、税金のかからない範囲で見舞金を送る。

男たちは叫んだ。「これを見ろ! 女も加害者ではないか!」 「そうだ、こいつを作るのに、俺たちは、何人もの女の体をツギハギにしなくてはならなかった!」 

そのとき、最悪の加害者女が、恐ろしい叫びをあげた。檻をぶち破り、刃のような牙と鋭いツノで、男たちを串刺しにした。そして、国連女性差別撤廃委員会に出席するためにどこかの山に消えていった。

小説

真実のエイプリルフール

どうかみなさん、私の友人を助けてください。彼は今、この山のどこかでひとり怯えながら命を繋いでいるのです。これを一刻を争う状況と言わずしてなんと言いましょうか。

彼はこの 3 月 31 日深夜、ひとりでこの山に向かい、そのまま消息を絶ちました。どうしてそんな無謀なことをしたのかと、不審に思われるかもしれません。それはやむを得ぬことであったのです。純真で真面目な彼は、エイプリルフールに騙されるのはもう絶対にイヤだと、4 月 1 日だけ、人間たちから絶縁しようとしたのです。携帯電話も持たず、一日分だけの装備でこの山に篭ったのでした。

ですが、一日経ち、二日経ち、そして一週間が過ぎ去りました。彼の友人である私たちはいてもたってもいられず、この山を訪れ、捜索を始めました。

はじめはいかなる手がかりもありませんでした。もしや彼は亡くなったのでは、と落胆した私たちでしたが、そのとき、この山の麓の住人の方から思わぬ目撃情報が舞い込んできました。

「最近痩せこけた見知らぬ男が山道を歩いているのを見かけた。近づいて声をかけると逃げてしまった」

彼は生きていたのです! そして、議論の末、私たちはこう結論を出しました。

「彼はエイプリルフールが終わったことをまだ知らないのだ」

その日から私たちは山の中を「エイプリルフールは終了しました。なんの心配も要らぬから、一緒に帰ろう!」と拡声器で呼びかけながら歩き回りました。また「エイプリルフール終了セリ。直チニ下山セヨ」と書いたビラを空から山に撒きました。ああ、ですが、なんということでしょうか。こうした懸命の捜索の結果、昨日、私たちは山奥から「嘘つきー!」と叫ぶ声を耳にしたのでした。

もうこうなったら、私たちの手には負えません。みなさんの力をお借りし、多人数で捜索すれば、きっと彼を救助できるはずです。嘘に満ちた世界とたった一人で戦っている彼をどうか助けてください!