ライブ

仮名手本忠臣蔵

4年ほど前から浄瑠璃の脚本を読みはじめ、それが昂じて、今年は義太夫節の語りや三味線にまで興味をもつにいたった。もっとも私は詳しいことはよくわからないし、筋も良くないが、それでも教えてもらったり、聞いたりするのは楽しい。

今日は深川江戸資料館で義太夫節演奏会があり、師走だけあって仮名手本忠臣蔵のいくつかの場面(身売りの段、勘平切腹の段、一力茶屋の段)が上演された。文楽は語りと三味線と人形遣いだが、義太夫節だけだと人形は出てこない。語りと三味線だけで話を追うことになるが、上演部分の脚本も用意してあるので、それをみていれば話の筋はわかる。

人形がないと何か足りないように感じられるが、三味線が鳴り、語りがはじまると、それだけで独特の物語空間ができあがる。これは文楽とはまったく異なる経験だ。初めは語りと三味線が別々に聞こえているが、物語に引き込まれるにつれて、不思議にもひとつの印象にまとまっていく。私は演目も物語もすぐに忘れてしまうのだが、この物語空間の感じだけは忘れられない。

通常の演奏は語りと三味線弾きのペアだが、「一力茶屋の段」では、定番の太棹三味線のほか、軽みのある細棹三味線と太鼓も加わった。また登場人物に応じて5人の語りが登場し、年末にふさわしく華やかな舞台であった。私が習っている先生方も出演されていた。先生方の話を聞いていると、ひとつひとつ細かいところに注意を払い、考えを重ねて準備されていることがわかるが、そうした努力があるからこそ、きっと物語世界が自然に立ち上がってくるのだろうと思う。

ライブ

スタンディング・エヴォリューション

12月18日の Homecomings のライブは座席指定だった。私はこれを知って喜んだ。ライブの間中立っているのはつらいから。

そしてライブがはじまった。みんなじっと座っていた。音楽をじっくり聴きたい成熟した客層なのだと私は思った。するとメンバーが言った。

「いつもと同じように好きなように立ったり座ったりしてください」

曲が進むにつれ、立ち上がる人が出はじめたが、観客たちは相変わらず座っていた。私は足がむずむずしてきた。これまで行った Homecomings のライブはすべてスタンディングで、体が覚えてしまっているのかもしれなかった。

私は足を伸ばしたいという衝動に抗った。会場でそのとき立っていたのは 3 分の 1 ほどで、立てばまだ目立つ状況だった。それに後ろの人にだって迷惑だ。

私は立つか立つまいか、ジリジリした。そのせいでもう曲など聴いていられなくなった。そして、演奏が最高に激しくなり、肉体の芯を掴んできたのをきっかけに、私は立ち上がった。一瞬で空間がクリアになり、音と光が私を圧倒した。

他の観客たちも立ち始めた。最後の数曲になるとほとんどの人が立っていたと思う。

そして、音楽は私に新たな確信をもたらしていた。

ライブで最初に立った人々の心理や身体の状態などを詳しく調べれば、人類の直立歩行の初期条件が復元できるのではないか。

少なくとも、「後ろの人に迷惑では」という認知を弱める脳の変化が、猿を直立させる刺激となったのは間違いなかろう。

ライブ

Homecomings@EX THEATER ROPPONGI

たぶんバカなのだろう私は、先のことはあまり考えずに予定を入れてしまう。そんなわけで 12 月に入って 3 回もライブに行くことになってしまった。その 3 回目が今日の Homecomings だ。

全席指定で、私の席は真正面の真ん中あたりで悪くはない。

Homecomings は曲もいいが、ギターの響きと全体の音形に独自のスタイルがある。演奏が始まると、私は座りながらときおり目を瞑って聴く。激しい音が四方から体に入ってきて、目に見えるなにかではなく、それ以前の未分化の感触を生み出す。

「好きに立ったり座ったりしてください」というが、初めはほとんど立つ人はいなかった。ライブが進むにつれて少しずつ立つ人が増える。いつもスタンディングなので、私も座ったままなのが物足りなくなってきた。3 分の 1 ほどの観客が立って体を揺すっている。たっぷり一曲ぶん逡巡した末、私は立った。

音は全身で感じるにかぎる。それにステージもずっと近くクリアに見えた。私は立ったまま、音楽を聴き、激しく高揚を迎える部分にさしかかると目を瞑った。

この日は、ベースの人がこのライブを最後に「卒業」するということが告知されていた。途中の MC で、他のメンバーとベースの人とのやりとりがあったとき、会場に暖かい拍手が鳴り響いた。

そのとき私は無意識のうちに目を瞑っていた。

音が大きくなると自然に目が閉じる。バカの誹りは免れまい。

ライブ

mekakushe と宇宙ネコ子

宇宙ネコ子が mekakushe とライブをするというので行ってみた。タイトルは「mekakushe × WALL&WALL pre. Hug Light vol.4」。会場は表参道のWALL&WALL。

宇宙ネコ子は先月に引き続き 2 度目で、そのせいかギターの音がずっとよく聞こえた。ギターの音色にどこか猛々しさがあって、これが音楽に硬さを与えている。そして、轟音の中でわざと外す演奏と低音の咆哮が、駆り立てるように響く。

こういうギターに浸れるだけで十分で、私は聴くような聴かないような感じで、目を瞑って時間を過ごした。こんな感覚は、大きい会場では味わえないものだと思う。

それに、大きい会場のライブはたいていチケットが高いので、元を取ろうという意識が邪魔して、こんなふうに音を無駄に楽しむことはできない。

mekakushe は私は初めて聴いたが、カオスな音が鳴り続ける宇宙ネコ子とは対照的に、きっちりとした作りのポップだった。今回はバンドセットで、その演奏がそうとうに複雑なのに感心した。特に後半の 3 曲(「わたしだけのポラリス」「恋のレトロニム」「おやすみベージュ」)は構成もメロディもよく、圧巻であった。

ところで、ライブの前、私は飲み物を買いにコンビニに入った。見たことのある若い女性が 2 人いて、誰かと思えば、宇宙ネコ子の人だった。顔の写真は出さない方針のようなので、ライブに行ったことのある人でなければわかるまい。

散文

構造の外(2)

曇り空の下、新宿の高層ビルが立ち並んでいた。私は世界でも有数の都市が一望できる場所にいたのだった。銀色の巨大な建築物が群れ集うその光景を見て、私は冷たい美しさを感じずにはいられなかった。そして、かつてある韓国の知人が、東京の夜の街を歩きながら私にこう言ったことを思い出した。「今、自分が『あの東京』にいると思うと、飛び跳ねたい気分になるんです」 その人はもう東京で何年も働いているのだった。

私は東京にいてもなんにも感じないし、むしろイヤな気分になることが多い。この病院に辿り着くまでに通り抜けねばならなかった人混みは、不快でしかなかった。だからこそ、私は韓国の知人のこの言葉を記憶していたのだが、この違いはなにに起因するのだろうか。それは、韓国の知人が東京を外から眺めていたのに対して、私は東京の内部の存在としてこの都市を捉えていたからにちがいない。そして、おそらく同様にちがいないのは、私がソウルに滞在するときに感じる興奮を、この韓国の友人は共有しないだろうということだ。なぜなら、そのとき、私は外部からソウルというやはり世界有数の都市を眺めているのであり、いっぽう、ソウル人でもある友人は内部の人間としてしかこの都市を見ることができないから。

私がこのブログに書くものは、たいてい人間が冷酷な構造に飲み込まれていくものばかりだ。私にとって世界とは、どんな人間も最後には挽肉にせずにはいられない残酷な機械だ。私がそんなふうに感じるのも、私がこの構造に飲み込まれている人間だからだ。だが、この構造自体はきっと外から見たら、美しいのだろう。

だが、その美しさはどんなものだろうか。挽肉製造機が美しいのだろうか。銀色にピカピカで、粉砕機のモーター音がリズミカルで、いつまでも見ていられるのだろうか。それとも、それとは違った人間的な美しさがあるのだろうか。外からみれば、高額な医療費も少しは減額されているのだろうか。

散文

構造の外(1)

ビルマ人の友人が入院したというので、2 人のビルマ人とお見舞いに行った。病院は新宿にあり、彼の病室は 8 階にあった。エレベーターの中で私は「入院でも 8 階なら、いい景色が見えて楽しそうですね」と冗談を言った。

もっとも、彼の病室に行ってみると、大部屋だし、暗いし、ブラインドは閉められているしで、楽しそうでもなかった。それに彼は高額な医療費についても心配していて、私の顔を見るや、減額の可能性について尋ねた。だが、これは平日に病院のメディカル・ソーシャル・ワーカーに相談するほかなかった。私たち 3 人が友人を囲んで話していると、看護師が来て「他の患者がいるので、談話室に移動してください」と言って、友人を車椅子に乗せ始めた。

談話室は病棟の中央にあり、大きな窓が開けていた。私たちはベンチに座って、車椅子の友人と話を続けた。最初は、手術のあとに尿管を抜くときの痛さの話だったが、やがて永住ビザの話になった。最近は厳格化が進んだということで、300 万円以上の年収が 5 年続かないと、申請してもビザが降りないのだという。

「その収入は家族全体の収入ということですか」と私が聞くと、同行したビルマ人が家族ひとり増えると、必要な年収が 70 万円高くなるのだと答えた。つまり、妻子がいると、440 万円以上の年収が必要ということになる。

「奥さんが働いている場合はその収入も加えることができるのですか」と聞くと「そうです」と返事が返ってきた。共働きで 440 万円なら難しいということはないかもしれないが、どちらかが病気で倒れた場合はそう簡単にはいかないだろうと思った。

ビルマ人たちはやがてビルマ語だけで会話を始めた。私はわからないので、窓から景色を眺めていた。

ライブ

ザ・シスターズハイ+ネコニスズ

ザ・シスターズハイとネコニスズの「ツーマンライブ」が新代田 FEVER で開催された。これは、ザ・シスターズハイの渡邉九歳(Vo/Gt)とネコニスズの舘野忠臣が似ているということで、「ネタ」という曲の MV に舘野忠臣が出演したのがきっかけということらしい。ライブとしては「君の嫌いに、嫌われたい tour 2025」のファイナルということだ。

芸人が「対バン」なわけだが、これが本当にその通りだった。つまり、最初の 15 分ぐらいネタをやるだけ、というものではなく、前半の 50 分まるまるネコニスズの時間という「ストロング・スタイル」だ。私はネコニスズの単独も見たいと思っていたので、うってつけだ。

もっとも、ネタそのものは 2 本ほどで、あとは若者ばかりの会場で、おじさん「芸人が苦しむさま」を見せる、というおそらく単独でも見られないような時間で、これはこれで面白かった。明日の R-1 の一回戦に出るというヤマゲンの初おろしのネタや、その前の年の「赤ちゃん」の R-1 ネタの披露に及んだのも楽しい。

その後のザ・シスターズハイは、曲もしっかりしているし、演奏も派手なので、聴いていて飽きない。客は若い人ばかりで、演奏が始まるや、片手を上げてノリ出した。みんな楽しそうだ。年齢的に私は少し場違いな気もしたが、結局のところ、音楽は年齢を超えた。「ネタ」も良い曲だ。

プロの芸人の後ということで、MC で話すのも緊張するとのことだったが、渡邉九歳の話が印象に残ったので記しておく。開演前に舘野忠臣とタバコを吸っているときに M-1 の敗者復活戦のことを聞いたのだという。すると「食いぎみに『勝ちたい』と返事してきた。自分も『売れたい』と口に出していうから、大人になってもこういうふうにはっきりと言えるのはかっこいい」と。

こんな言葉からもわかるように、ザ・シスターズハイは陽性のバンドだ。それにしても、私には、はっきりと「したい」と言えることなどあるかな、とまるで若者のように考えた。

ライブ

ラブレターズ単独ライブ 2025「最愛」

去年、キングオブコントで優勝したラブレターズが今年の 2 月 3 月に単独ライブを開催したのに行こうと思ったが、抽選で外れてしまった。私は運がないので基本的にすべて外れるが、今日 12 月 5 日から始まる単独ライブ「最愛」(赤坂 RED/THEATER)には珍しく当たった。

内容そのものについては書かないし、タイトルもわからないが、コンビニ・居酒屋・スーパー・バス・楽屋・引越し・遊園地という 7 本の作品であった。今の社会を特徴づけるような物や装置、雰囲気などをうまく使っているのも、コントならではという感じだ。私がとくによかったと思うのはコンビニと遊園地だ。

コントのライブがそういうものなのかわからないが、コントの後、前のコントと次のコントに関係のある設定・人物が出てくる短いミニコントがあった。これは次のコントの準備の時間を埋めると同時に、コントをつなぐ役割もはたしていた。それで、全体として一本の作品を見ているような印象を作り出していた。

これはアイディアとしてはありふれたものかもしれないが、繋ぎ方にはやはり技巧があって感心した。一言で言えば、人物、場面、動きによるバトンパスだが、そのバトンの渡し方にもいろいろなやり方がある。私の書くものはどれも短い切れ端のようなものだが、最近、それを繋げるにはどうしたらいいかといろいろ考えないでもない。だが、それにはいいバトンを見つけ出す必要がある。そういったことを考えながら見ていた。

来年にもまた単独ライブをするということなので、抽選にあたればいけるかもしれない。

小説

今週の中国人たち

急に大きなポスターを印刷しなくてはならなくなった。それで池袋のキンコーズに行った。混んでいるが、2時間ほどでできるという。私は一安心して、カウンターを離れて店内の大きなテーブルの椅子に座り、パソコンで少し仕事をした。

大きなテーブルには、3人の若い女性たちも座っていた。雰囲気からして、試験の準備か、同人誌でも作っているかのような印象を受けた。みんな中国語で話していた。

カウンターではスタッフが別の客の相手をしていた。少し派手な服を着た女性だった。用が終わるかなにかして、女性が立ち去るときに、スタッフが声をかけた。「試験頑張ってくださいね!」 女性の返事の口調からすると、中国かどこかの国の人のようだった。

ポスターの受け取りまでまだ間があったので、少し早いが夕食を食べることにした。池袋だからいろいろな店があるが、駅前まで歩いて、中国語しか書いてない看板を見かけたので入ってみることにした。小さな店で、12 人も入ればいっぱいだ。入り口のカウンター席がひとつ、奥の二人がけ席が空いているだけで、他は中国人の客でいっぱいだった。背の高い店の主人が狭いカウンターではなく、私に奥の席に座るように手で示した。

看板を見てもわからないのでどんな店かもわからず入ったが、牛肉の麺や汁なし麺、牛肉団子、牛肉の唐揚げなどがメニューにあった。私はここ数日、ポスターのせいで十分に寝ることができず弱っていたので、汁なし麺と牛肉団子の2皿を頼んだ。

店の主人は客の中国人と話していた。日本語はほとんどわからないようだ。私はトイレに行きたかったので、主人の注意を引き、トイレらしき扉を指差したら、彼は親指をグッと立てた。

麺と団子はすぐに出てきた。麺は平たい麺で、鶏肉・牛肉と辛いタレを混ぜて食べる。団子はスープに入って出てきた。店内には、主人と知らない著名人が並んで撮った写真が何枚も貼ってあった。ひとりで YouTube を見ながら食べていたら、もやしとニンジンの和え物の小皿をサービスしてくれた。

会計するためにレジのところに行ったら、壁に奇妙なものが貼られているのに気がついた。正方形のタペストリーで、アラビア文字が織り込まれている。私はここでメニューに豚肉がいっさいなかったことに気がついた。会計を済ました私が、店の主人にタペストリーの写真を撮っていいか手振りで尋ねると、どうぞというようすだった。

外に出て改めて看板を見ると「西安回民街美食」と書いてあった。「回民」とはムスリムのことで間違いなかろう。

キンコーズに戻ると、ポスターが出来あがっていた。3人の女の子がいた席には、むずかしい顔したおじさんが座っていた。

ライブ

noodles と宇宙ネコ子@新宿 red cloth

東新宿で、noodles と宇宙ネコ子のツーマンライブが行われるというので行ってみた。宇宙ネコ子が目当てだ。

宇宙ネコ子は、kano(ヴォーカルとギター)とねむこ(ギター)の女性 2 人のユニットで、元 Twitter(現 X)では物悲しいことを言っていたりするので、暗い人たちかと思いきや、音楽は洗練されている。だが、ライブに行ったら、そればかりでなく、ノイズ系であることもわかった。

メロディは、1980 年代のイギリスのインディー系を彷彿とさせるが、私はなんでもこの時代を彷彿としてしまうのでわからない。ねむこのギターの作るノイズとフレーズがその感じを高めている。サポートのドラムとベースもよかった。現在新しいアルバムを製作中とのことで、新曲も演奏した。

2 人とも SNS などでは顔を見せないので、どんな人たちなのかわからないが、ライブでは普通にしていた。2 人を見たい人はライブに行ったらいいだろう。

noodles は私はよく知らなかったが、1991 年結成で、今は女性 2 人(ギターとベース)だ。ドラムのサポートありのトリオ編成で、この最小のバンド形態の演奏を、生で間近に見て、かっこよさを改めて認識した。