風刺・戯文

七面倒くさい日本語

石破首相が「七面倒くさい日本語、習慣」などと言ったそうだ。なんという反日、なんという極左だろうか。

本当に日本語と日本の習慣は「七面倒くさい」のだろうか? いつもはしゃしゃり出てくるファクトチェックの連中も、こういうときにかぎってダンマリを決めこんでいる。

私たちは、日本を侮辱する極左政権を打ち倒すべく、敢然と反論に立ち上がった。論理的に考えれば反論などいたって簡単だ。

面倒くささが6以下であり、7でないときかつそのときにかぎり、「七面倒くさい」は偽である。これを論理式で表せば、6ノットイコール7。イコール石破は嘘つきだ!

そのためには、日本語および日本の習慣の面倒くささが実際にはいくつあるのかを数えねばならない。私たちがこの企てにまさに取りかかろうとしたとき、ある者がこう言い出すではないか!

「『しち面倒くさい』の『しち』は数字の『7』ではなく、形容詞などに付いて、わずらわしくていやだという気持ちを加える『しち』という接頭辞だそうです!」

私たちは驚いた。「せっ接頭辞? いったいだれがそんなことを言ったのだ!」

「いえ、辞書をひいたらそう書いてありました。『しち面倒くさい』のほかに『しち難しい』『しちくどい』がありました!」

「ええい、辞書なんて左翼の見るものだ!」

私たちはこう怒鳴りつけて片付けようとしたが、ことは容易におさまらない。「『色の白いは七難隠す』の『七難』と同じで数字だ!」「いや、『あた面倒』の『あた』と同じ接頭辞だ!」と揉めに揉めて、結局「こんなしち面倒くさいことやってられるか!」と私たちは解散した。

風刺・戯文

激白記事

《記事タイトル》
【激白研究者が激白激減の原因を激白!】

《記事の内容》
・本記事は「激白」を研究する研究者が発表した「激白が激減した原因を明らかにした論文」について報じたものである。
・「激白」とは、辞書によれば「ニュースなどで取材された人が衝撃的な内容を隠さずにうち明けること」とされる。
・「激白」を報じた記事を「激白記事」と呼ぶ。
・論文では、この「激白記事」の出現回数を過去 30 年に遡って調査。
・その結果、2010年代初めから「激白記事」が激減していることが明らかになった。
・論文によれば、激白が激減した理由について4つの仮説があるという。

(1) 記者のレベルが低くなったため、激白を引き出せなくなったという説。
(2) 激白はどこかダサい人がしている印象があるため「激白ダサい」とする風潮が広がったためという説。
(3) SNS や 動画配信の普及により、過激な発言が一般的になったため、ちょっとやそっとの発言では激白にならなくなった、という説。
(4) 激白の減少には炎上の増加が関係している、という説。

・「いずれにしても、現代ほど激白の困難な時代はないと言えそうである。」と記者はまとめる。

《関連記事》
【激白研究者があの激白研究の捏造を激白!】

風刺・戯文

きっと

10代の人と話していて、ある約束について確認を求められた。私が「もちろん行く、きっとだよ」と答えると、その人は不審げな顔つきでこう返事をした。「え、絶対じゃないの?」

私は「絶対」のつもりで言ったのだが、ここで「きっと」の意味が違うのだということに気がついた。辞書で「きっと」を見るとこう書いてある。

・確実にそうなるだろうと予測しているさま。
・あることが確実に行われるさま。必ず。

漢字で書くと「屹度」「急度」だ。当て字ということだが、厳しそうな漢字からして「絶対だぞ」という感じがする。

だが、若い人はそうは受けとらなかったのだ。なぜなら、「きっと」はこんなふうに使われることも多いから。

「きっと彼は来るだろう」
「いつかきっと……」

「だろう」とか「いつか」と一緒に使われると、「絶対」よりも確実性が下がり「たぶん」に近くなる。この問題についてはネットでもいくつか意見があり、「たぶん」と感じる人のほうが多いようでもある。

もっとも、キットカットの「きっと勝つ」が「たぶん」では応援にならないから、「絶対」の感覚もまったくなくなってしまったわけではない。

それはさておき、私はこの「きっと」が、どちらともつかない場合があることにも気がついた。まずこれを見てほしい。

きっと君は来ない
ひときりのクリスマス・イブ

山下達郎はどちらの「きっと」で歌ったのだろうか。まず「来ない」と言い切っているからには「絶対」だろう。また山下達郎の世代からいっても「たぶん」ではなさそうだ。つまり、「絶対に来ない」と言っているのだ。

しかし、疑問がないわけではない。絶対に来ないとわかっている人がいったい、「ひとりきり」だの「まだ消え残る」だの未練がましく歌うものだろうか?

風刺・戯文

Z 世代

都内某所に、Z 世代の若者たちが違法の薬物を密かに使用しているアジトがあるという。そんな情報をつかんだ刑事は、地道な捜査の末、ある関係者との接触に成功し、アジトへの行き方を記したメモを手に入れた。潜入捜査を行うべく、50代の刑事は、見事な変装術によって20代の若者になりすました。

刑事は、メモに記された道筋を辿り、とあるマンションのエントランスに入った。それはオートロックのマンションで、インターホンで内部から扉を開けてもらう必要があった。メモにある部屋番号を押し、チャイムを鳴らす。だが、なんの反応もなかった。「怪しい者かどうか、カメラの画像をチェックしているのだ」と考えた刑事は、大胆にもインターホンのカメラに顔を近づけた。自分の変装は見破られない、という絶対的な自信があったのである。すると、不意にスピーカーからざらざらした男の声が聞こえてきた。

「世代は?」

この唐突な質問にも刑事は慌てなかった。なぜならメモにはこうも書かれていたから。

《合言葉:世代を聞かれたら「Z世代」と答えよ》

完璧なまでに若者に扮した刑事は、落ち着いた口調で答えた。

「ゼッド世代」

乱暴にインターホンを切る音が聞こえ、それからは、刑事がいくら番号を押しても、うんともすんともいわなくなった。

風刺・戯文

はしご高

今日、東京都江東区高橋で、「高橋の祭典」が行われ、全国からおよそ1万人の高橋さんが参加しました。

全国の高橋さんで作る「日本高橋の会」の会長高橋さんの開会の辞とともに始まった祭典では、「高橋姓」の歴史、高橋の偉人の紹介、高橋の発展のために尽力した高橋さんたちへの表彰状の授与、世界各地の高橋さんからの祝電の紹介などが行われました。

今回の祭典では「高橋ナンバーワン・プラン」がはじめて採択されました。「今こそ、高橋の力を集結して、苗字のランキング1位を目指しましょう!」という、祭典実行委員長の高橋さんの掛け声に、高橋さんたちが「打倒佐藤! 打倒鈴木!」と勇ましく応じました。

会場では、高橋幸宏さんの名曲を演奏するコンサートや、クイズ大会「たかはし? たかばし? どっちでショウ!」などが行われ、大盛り上がりでした。

また「最高はしご高決定戦」で、全国のはしご高の高橋(*)さんが日本一のはしご高を目指して競い合いました。観客たちは、あまりの高さに空を見上げながら「はしご高っ」と驚きの声をあげていました。

*高は正しくは「はしご高」

風刺・戯文

料金の発生

英語は「スル」的言語で、日本語は「ナル」的言語なのだという。

どういうことかというと、英語は「主語が何かをする」という表現が多用されるのに対して、日本語は「〜になる」という形で状況が生じる・成立することを述べる表現が多用されるからだという。

具体的な例を挙げると、例えば「二人の関係は人々の間で噂になった」を英訳すると「People started to gossip about their relationship.」となる。日本語のほうは「噂されるという状況」が成立したことを述べているが、同じことを英語では「People」を主語において「人々が噂する」としているのである(もっとも、他にもいろいろな訳し方はあるかもしれないが)。

これは日本語話者と英語話者の事態の捉え方の違いに関係していて、日本語話者は「ナル」的な見方を好み、英語話者は「スル」的な見方がしっくりくるということらしい。

これは本当かどうかは、私は言語学者ではないのでわからないが、少なくとも「料金が発生する」という言い方がよく使われるのはわかるような気がする。

というのも「私はあなたに料金を請求します」とか「あなたは料金を払ってください」とか、「スル」的にいわれると「払うもんか」という気になるが、「料金が発生しました」と「ナル」的にいわれると、「あそう、発生したの」とついつい財布を開いてしまうのだ。

だから、日本人を動かすにはなんでも「ナル」的にするのがいちばんいいのではないだろうか。「消費税が上がりますよ〜」はもちろんのこと「9条がなくなりますよ〜」ならば「9条をなくすな!」と反対していた人も、たちまち改憲バンザイだ。

「戦争になりました」になるのも時間の問題だ。

散文

サ行

サ行音について、しばしば「最近、舌足らずの発音をする人が増えた」という人がいる。どういうことかというと、英語の three や third の th で発音する人がいるというのだ。

「舌足らず」かどうかはともかく、そういう発音をする人がいるのは私も知っている。それどころか、日本語の教材の音声でも「これ、th では」という発音がある。

それはともかく、英語では s と th の区別は大事だが、日本語はそうではないので s を th で発音しても大して困らない。これが、th の発音の原因のひとつだろう。

th といえば、この音は f にも似ているのだという。three の th は舌と前歯の隙間を息が通過するときに出る音だし、いっぽう f は、前歯と下唇の隙間を息が通過するときの音だ。どちらも 歯と柔らかい部分(舌か唇)で作る音だから、似ているのだ。

そこで、私は考えた。もしも s を th で発音する人がいるのならば、さらに進んで、その th を f で発音する人もいるのではないか、と。

そんな矢先、先の衆院選で立憲民主党の枝野幸男さんがインタビューに答えているとき、私の鋭い耳ははっきりと捉えたのだった。

「実際に(じっふぁいに)」

ふぇいじかの発言だけに、重みがあるといえよう。

散文

アクセント機能のバグ

日本語にはアクセントがあって、日本語話者はこのアクセントで語を区別している。「あめ」と文字で書くとわからないが、「高低」で発音すると「雨」だし、「低高」だと「飴」となる。ただし、これは関東を中心とした標準日本語の決まりで、地域によっても異なるし、個人差もある。

世界にはいろいろな言語があり、このタイプのアクセントを持たない言語もある。そうした言語の話者にとって「雨」と「飴」の区別は難しいこともある。

さらに日本語学習者にとって難しいのは、複合語の場合だ。「はし」は「箸(高低)」と「橋(低高)」では異なるが、「箸」が複合語の「箸置き」となると「低高低低、低高高低、低高高高」のどれかになる。そのどれであれ、「箸」の部分は「橋」と同じアクセントになってしまう。かりに「箸(高低)」を維持したまま、「箸置き」つまり「高低高低」や「高低低低」などで発音してみると、明らかにおかしいことがわかる。

さて、本題に入ると、今朝のできごとだ。私は喫茶店に行き、カウンターに並び、順番が来るとコーヒーを頼んだ

「アイスコーヒー、エムで」

「エムサイズですね」

私が気になったのは、店員が「エムサイズ」を「高低低低低」で発音したことだ。「エム」はそのままだと「高低」だが、「エムサイズ」だと「低高高低低」となる。

私はこの人は外国人だろうか、と考えた。しかし他のアクセントは自然だ。それとも、別の地域の人だろうか? 名札を見ると、カスタマーハラスメント防止のため「T・C」とイニシャルしか記されていない。「T・C」…… Cとは?

そのとき、店員が尋ねた。

「お支払いはどういたしますか」

あまりにアクセントのことに気を取られていたからだろうか、私のアクセント機能にバグが発生した。

「西瓜で、あ、いや SUICA で!」

散文

仮説や検証

日本語の問題に次のようなものがあった。

「朝は、ご飯( )魚などを食べます。」
( )の中に入るのは「と」・「や」のどちらか。

私は「と」だと思ったが、他の人は「など」があるから「や」だ、という。そこで答えを見るとその通り「や」だ。つまり正解はこうだ。

「朝は、ご飯や魚などを食べます。」

だが、これでは「ご飯を食べる朝と、魚を食べる朝と、それ以外のものを食べる朝がある」ということにならないだろうか。つまり、「普段は、ロックやジャズなどを聴きます」と同じで、どちらかなのだ。

これが「朝は、ご飯やパンなどを食べます。」ならば、主食どうしなので問題はない。だが、主食(ご飯)とおかず(魚)ではどうだろうか。おかずだけを食べる食事というのは、糖質制限などの特殊な場合以外にはないように思う。

いっぽう「朝は、ご飯と魚などを食べます。」は、毎朝、米を食べるが、おかずは「魚など」ということ、つまり魚、肉、納豆など日替わりということになる。つまりこうだ。

「朝食=ご飯+ x」(ただし x はおかずに限る)

もっとも、言葉は人によって受け取り方はさまざまだから、私の考えが正しいとはかぎらない。いろいろ考えているうちに、私は「朝は、ご飯や魚などを食べます。」がおかしくない場合があることにも気がついた。

すなわち、朝ごはんにいろいろな食べ物がずらりと並んでいて、その中の代表例(あるいは自分の好み)としてご飯と魚をあげるのならば、まったく不自然ではない。

そうした状況として、もっともふさわしいのはビュッフェ形式の朝食ではないだろうか。この仮説を検証するために、どうやら高級ホテルに宿泊する必要がありそうだ。

散文

ガールズバーで飲みたい放題(2)

 「飲みたい放題」について考え続けた私は、ついに重要なヒントたどり着いた。

 それは、「〜し放題」が場所・状況についていわれるのに対して、「〜たい放題」は、常に人についていわれるということだ。

 つまり、「あの人は病気なのにいつでも飲みたい放題だ」とはいえるが「あの人は病気なのにいつでも飲み放題だ」はおかしい。これだとその人が飲み物になってしまう。

 「飲み放題」は、「この店は飲み放題」「このコースは飲み放題だ」などというように店やサービスについてにしか使えないのだ。「1000円で飲み放題」ということもあるが、これもやはりサービスであろう。

 そして、先に挙げた「あの人は病気なのにいつでも飲み放題だ」も、実は「あの人は病気なのにいつでも飲み放題コースを選ぶ」という意味ならいえるのだ。

 これで、あの看板の違和感も説明できそうだ。

 つまり、本来は人に使うべき「飲みたい放題」が、あたかも店を表す表現であるかのように看板で使われているから、おかしく感じられるのだ。

 それでは、この看板の「飲みたい放題」は間違いなのだろうか。

 そうとは言い切れない。

 考えてみれば、ガールズバーは普通の居酒屋とは違う。もしかしたら、このガールズバーのガールズたちは「居酒屋ほど堂々たる飲み放題ではないけど、お客様の気持ちを満たせるようなせめてもの「飲み放題」を提供したい」という奥ゆかしさから、この耳新しい表現を採用したのかもしれない。

 この推測は正しいだろうか。

 それを知るためには、どうやら、この店のガールズたちに直に教えを乞うほかないようだ。

Twitterで#飲みたい放題で検索するとガールズバーが出てくる。
しかも、この店は私が取り上げた店とは違う店だ。
もしかしたらガールズバーで「たい放題」革命が密かに進行しているのか……
調査報告が待たれる。