散文

この世はなべて偽装難民

あらゆる難民は、基本的にすべて偽装難民だ。なぜなら、この世界のどこにも、この人は難民です、と証明してくれる場所はないからだ。そして、このような「身分保証」のないことこそが、難民の本質だ。だから、難民はいつでもどこでも偽装難民だと疑われる。そのように疑われる人こそ本当の難民なのだ。

正式のパスポートを持っているとはどういうことだろうか。そのパスポートに記された国家の国民であることを、国家が保証してくれるということだ。

だが、難民にはこうした身分保証はない。どこの国際機関もそうした身分保証を発行できない。それぞれの国がそれぞれの事情に従ってこれこれは難民であると決めるだけだ。そして、そこから抜け落ちる人が偽装難民となる。つまり、国は難民を決めると同時に、偽装難民をも決めているのだ。

この事情を知らない人だけが、偽装難民を非難することができる。だが、実際には政府を批判しているに過ぎないのだ(日本では与党の政治家がこれをするのだから恐れ入る)。そして、このような無知な人はこんなデタラメなことすら考え出す。すなわち、その難民とやらの出身国政府が責任を持って、自分の国の難民に「難民証明書」を出して、難民受け入れ国に通知すべきではないか、と。もっともな理屈だ。だが、もしその国にそんなまともなことができるのであるならば、難民など出やしないだろう。

私たちの国、日本では、こうした主張が本気で罷り通りかねない様相を呈している。今や、日本には難民は存在しない。すべての外国人が偽装難民扱いだ。もっとも、日本では外国人が必要なので、そう簡単に追い出すわけにはいかない。

そこで、私から提案したいのだが、難民ビザなどやめて、偽装難民ビザを出したらいいのではないか。日本人にかかればみんな偽装難民なのだから、通常の難民手続きよりもずっと簡単だ。それに、偽装難民ビザなのだから、誰も文句は言えない。

この偽装難民ビザが実現したら、たぶん、「本物」の難民が日本で暮らすために偽装難民になりすます偽装偽装難民が多発することだろう。

散文

引き波

「東京に住んでいるかぎりは、それほど津波の心配をする必要はありません」と教室に入ってきた教員は、教壇の前に立って見回すと、おもむろに留学生たちに語りはじめた。「もちろん、海の近くに住んでいる場合は注意が必要ですが、東京湾があるおかげで、津波の勢いがある程度弱まるのです」 教員は東京湾の図を書いて、千葉と神奈川が波を受け止めている様子を示した。

「でも、そうはいっても、東京以外の場所、特に海の近くにいるときに、地震が起きないともかぎりませんね。ですから、地震の後に津波がどんなふうに起きるかを知っておくのは大切です。私たち日本人がよく知っているのは、津波が来る前に、海が遠くに引いていくという現象です。これは……」と教員はボードに文字を書いた。

「『引き波』と呼ばれています。もっとも、引き波がなくても津波が来ることがあるそうなので、いつも確実というわけではありませんが。さて、こんなことをいきなり話したのは」と教員は教壇に立ったまま、広い教室を見渡した。ずっと後ろの方で、学生たちがばらばらに座り、彼のほうを不思議そうな表情で眺めている。

「まるで、みなさんが、引き波のように見えたので……」

学生たちはつまらなそうに鼻で笑い、教科書を広げた。教員は、かすかに引き波の音を聞きながら授業をはじめた。

散文

闘志の燃やし方

私は今、ある厄介な法律トラブルに巻き込まれている。もっとも、弁護士が出る段階にはないが、いずれは出さねばならないかもしれない。

問題は複雑怪奇だ。私は法律のことはよくわからないから、AI に相談している。いろいろと尋ねてみたが、AI によれば、どうやら勝ち目があるのは私のほうらしい。これは心強い、と思っていたが、疑念が萌してきた。

この AI は私が贔屓にしているマシンだが、もしかしたらそのせいで、私に都合のいい返事をしているのでは? そうなら大問題だ、私が欲しいのは太鼓持ちではない、厳格な法的アドバイザーなのだ。

そこで、私は自分の敵対者として AI に助言を乞うてみた。もし、これで AI が厳しめの答えを出すならば、私は勝てるかもしれない。

そして、果たして答えは、敵対者にとって厳しいものだった。「だが」と私は考えた。「これで安心してはいけない。私はもっと、この憎むべき敵対者になりきって、相手を倒すための秘策を AI から聞き出さねばならない。そして、もしこの秘策がなければ、それこそ安全なのだ。AI よ! どうにかしてこいつをやっつけてくれ!」

私は憎むべき敵を倒すのに熱中し、悪辣のかぎりを尽くした。自分の弱点を残酷に告発し、凄惨な罵詈雑言を浴びせた。そしてついに! AI が法という法の穴を潜り抜けて、私を打ち負かすシナリオを見つけたのだった。

「やった! でかしたぞ!」

私はチャットを打ち切った。興奮冷めやらぬ私の胸の奥には、いつの間にか闘志がメラメラと燃え盛っていた。私は、この闘志があるかぎり、法律トラブルを戦い続けるだろう。そして、挫けそうなときには、再び闘志を掻き立てるために、私を敵にしてやっつけることだろう。

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散文

ぜんぜん

私たち日本人にとって「全然」は心の支えだ。なぜなら、この言葉ひとつで、自分の自尊心を高めることができるからだ。

というのも、日本人の頭の中では「全然」はいつも「ない」と結びつくものと決まっていて、「全然ある」など間違った日本語を使う人間を、気持〜ちよく批判させてくれるからだ。なので、日本人はいつも「全然」の使い方に注意を怠らない。

しかし、「ない」でない「全然」はかなり昔から用例があると言われている。なので、間違いとは言い切れない。しかも「全然ある」という言い方にも、ちゃんと否定の論理が働いている。つまり「全然ある」などの表現は、たいてい「(あなたの思っていることは)全然(あり得ない、むしろ)ある」という文脈で用いられる。「全然」は相手の頭の中の想定について「ない」と言っているのだ。だから「全然ある」とか「全然食べるよ」とかは全然間違いではない。

ところで、私は一昨年、タイからビルマに入国して、カレン人の紛争地域を旅した。同行してくれたのは在日カレン人だった。その彼と今日、会ってご飯を食べた。彼は一昨年訪問した場所について日本語でこういった。

「あそこはあの時は行けたけど、今はもう戦争で、全然あぶないよ」

私たちの否定じゃない「全然」が外国人の日本語でも活躍してた。全然いい。

散文

見えないカッコ

私はビルマ語は読めないが、一時期、ビルマの難民関係の必要で、ビルマ語で書かれた文書をたくさん見る機会があった。それらは、政治団体の声明や論説であったり、手書きの記録だったりした。そのとき気がついたのは、しばしば数字が( )に入れられていることだった。ちなみに、ビルマ文字には、アラビア数字とは違う数字があって、カッコに入っているのはそれだ。

日本語でも、(1)、(2)、と項目の番号をつけるときや、名前の後に年齢を入れるときなどにカッコが使われるが、ビルマ語ではそれだけではないようで、「(10)周年」などと書いてあることもある。

私はビルマ語の書記法はわからないが、こうしたカッコの使い方は義務というわけではなく、数字の視認性を高めるため、それほど公的ではない文書や手書きなどで使われているようだ。

さて、私の知り合いのビルマ人が、私に日本語で書いた文を見てほしいと言ってきた。見ると、数字がカッコで囲まれている。私は笑いながら「これはビルマ語のやり方では?」というと、相手はピンときていない様子だ。

そこで、私は紙に「(6)」と書き、「ビルマ人はよくこう書くけど、日本語ではこう」と「6」と書いた。相手はそれでもピンときていない。

「だから」と私は紙に書いた「(6)」の両脇の「( )」に線を引いて消してみせた。「こういうこと」

相手はようやく理解したようだった。そして、私と一緒に笑ったのだった。

つまり、このとき知人のビルマ人は、私がカッコをペンで消してみせるまで、「( )」の存在に気づかず、「(6)」も「6」も同じように見えていたのだ。だが、この見えないカッコは、私がその人の目の前で消してみせることで初めて姿を現したのだ。

これはビルマ人の習慣の話であるけれど、私にもきっとあるのに見えていないものがあるはずで、誰かがそれを消してくればいいと思う。

散文

ビルマ人とユダヤ人

この間、日本に暮らすビルマ人とご飯を食べた。焼肉屋で働く彼は忙しくて、なかなか会うことができない。年末前の最後の休みを私との時間に割いてくれたのだった。そのとき、彼が最近関わった仕事について聞いた。

50 人ほどのユダヤ人(イスラエルの人かどうかはわからない)が、日本にやってきたのだという。しかし、ユダヤ教には食べ物について厳しい決まりがある。すべてのユダヤ人が厳格に守るかどうかは別として、このご一行はその辺りはちゃんとしていたいらしかった。なので、日本の食べ物をそのまま出すわけにはいかない。

そこで、東京のホテルに滞在中の 2 日間、専門の料理人が用意されることになった。その仕事の話が、私の友人のところに来たのだという。彼は肉の専門家なので肉料理を担当した。そのホテルの厨房を借りて、ユダヤ人が食べてもいい牛肉を、ユダヤ人が飲んでもいいワインでじっくり煮た料理、つまり牛肉のワイン煮を作って出したのだそうだ。

他にも料理人が 2 人いた。ひとりは寿司を担当したが、もうひとりはわからない。そして、その 2 人も、都内の飲食店で働くビルマ人だった。

3 人ともビルマ人というのが面白い。もちろん日本人がまったく関わっていないということはないだろうが、ほとんどの日本人が知らないなか、東京で思いもよらぬ関係とビジネスが成立していたことに、私は興奮を感じる。

そしてまた、この 2 日間で友人に支払われたという 10 万円についても、興奮を禁じえない。

散文

カレン・ニューイヤー 2026(2)

今年のカレン・ニューイヤーは 12 時に始まって 17 時まで続く。前半は式典で、カレン人の歴史や文化に関するスピーチや、ダンス・歌などが行われていた。後半は私はいなかったのでわからないが、おそらく他のビルマ関係の団体のスピーチなどもあったに違いない。

ダンスはカレン人の伝統的な集団舞踊で、若い人たちが中心になって練習してきたものだ。大阪にもカレン人のコミュニティがあって、その若者たちが東京にやってきてダンスを披露していた。

私は若い人はほとんど知らないが、古い友人たちにはたくさん会えた。そのうちの何人かは壇上に上げられ、在日カレン人のための長年の活動に対する感謝として若いカレン人たちから記念品を贈呈されていた。これは、功労者の顕彰というよりも、若い人たちが増えたので、これまで日本で活動してきた年長の人々を知ってもらおうという意味で企画されたとのことだ。

私は式典のあいだ、舞台の前や、ときには舞台裏に入り込んで写真を撮ったりしていた。舞台裏の袖のミキサー台のところに友人がいた。横に座ってカレン・ニューイヤーにつきものの食事について尋ねた。

「食事は 4 階で食べる。このホールでは食べることができないから」と残念そうな様子だったので「でも、いいじゃないですか。これだけの人が集まったんだから」と私は言った。

彼が残念に思っていたのは、本当は、同じ場所で食べて、みんなで楽しむのがこのお祭りだったからだ。しかし、東京ではそんな会場は見つからない。20 年以上前、日本のカレン・ニューイヤーがまだ内輪の集まりだったとき、私たちはバンドで演奏して、歌ったり、食べてたり、飲んだりしたものだった。だが、もはやそんなときは来ないだろう。日本のカレン人コミュニティはそんな段階にまで成長したのだ。

そうだとしても、今、東京のどこかで、別の国の別のグループが、かつてのカレン人のように、小さなお祭りを楽しんでいる、それは間違いないように思われる。

散文

カレン・ニューイヤー 2026(1)

今年もカレン・ニューイヤーの時期がやってきた。

これはビルマとタイに住むカレン人が新年を祝うお祭りで、日本でも在日カレン人によって開催されている。私の記憶では1999年にはもう行われていたと思う。

私はほぼ毎年参加しているが、時期も会場も毎年違う。それはカレン人の伝統的な暦が太陰暦を用いているとかで、祭りの日が 12 月の末だったり、1 月の初めだったりするからだ。しかし、在日カレン人の多くは普段は働いているので、その年のニューイヤーにいちばん近い週末に設定されることが多い。今年は、12 月 27 日のお昼からということになった。

会場もいつも違う。以前はカレン人コミュニティも小さかったので、結婚式場のような場所で十分だったが、今はそうはいかない。カレン人も、そのほかのビルマの人々も増えた。だから最低でも、500 人は入れる会場でなくてはならない。

年末にそんな会場を東京で見つけるのはむずかしい。これは在日カレン人コミュニティの大きな悩みで、それもあって、夏前ぐらいから会場選びが始まったりする。

今年の会場は赤羽の赤羽会館で、1階席2階席合わせて 650 人のキャパだ。だがそれももうギリギリというくらいの盛況ぶりであった。

散文

構造の外(2)

曇り空の下、新宿の高層ビルが立ち並んでいた。私は世界でも有数の都市が一望できる場所にいたのだった。銀色の巨大な建築物が群れ集うその光景を見て、私は冷たい美しさを感じずにはいられなかった。そして、かつてある韓国の知人が、東京の夜の街を歩きながら私にこう言ったことを思い出した。「今、自分が『あの東京』にいると思うと、飛び跳ねたい気分になるんです」 その人はもう東京で何年も働いているのだった。

私は東京にいてもなんにも感じないし、むしろイヤな気分になることが多い。この病院に辿り着くまでに通り抜けねばならなかった人混みは、不快でしかなかった。だからこそ、私は韓国の知人のこの言葉を記憶していたのだが、この違いはなにに起因するのだろうか。それは、韓国の知人が東京を外から眺めていたのに対して、私は東京の内部の存在としてこの都市を捉えていたからにちがいない。そして、おそらく同様にちがいないのは、私がソウルに滞在するときに感じる興奮を、この韓国の友人は共有しないだろうということだ。なぜなら、そのとき、私は外部からソウルというやはり世界有数の都市を眺めているのであり、いっぽう、ソウル人でもある友人は内部の人間としてしかこの都市を見ることができないから。

私がこのブログに書くものは、たいてい人間が冷酷な構造に飲み込まれていくものばかりだ。私にとって世界とは、どんな人間も最後には挽肉にせずにはいられない残酷な機械だ。私がそんなふうに感じるのも、私がこの構造に飲み込まれている人間だからだ。だが、この構造自体はきっと外から見たら、美しいのだろう。

だが、その美しさはどんなものだろうか。挽肉製造機が美しいのだろうか。銀色にピカピカで、粉砕機のモーター音がリズミカルで、いつまでも見ていられるのだろうか。それとも、それとは違った人間的な美しさがあるのだろうか。外からみれば、高額な医療費も少しは減額されているのだろうか。

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構造の外(1)

ビルマ人の友人が入院したというので、2 人のビルマ人とお見舞いに行った。病院は新宿にあり、彼の病室は 8 階にあった。エレベーターの中で私は「入院でも 8 階なら、いい景色が見えて楽しそうですね」と冗談を言った。

もっとも、彼の病室に行ってみると、大部屋だし、暗いし、ブラインドは閉められているしで、楽しそうでもなかった。それに彼は高額な医療費についても心配していて、私の顔を見るや、減額の可能性について尋ねた。だが、これは平日に病院のメディカル・ソーシャル・ワーカーに相談するほかなかった。私たち 3 人が友人を囲んで話していると、看護師が来て「他の患者がいるので、談話室に移動してください」と言って、友人を車椅子に乗せ始めた。

談話室は病棟の中央にあり、大きな窓が開けていた。私たちはベンチに座って、車椅子の友人と話を続けた。最初は、手術のあとに尿管を抜くときの痛さの話だったが、やがて永住ビザの話になった。最近は厳格化が進んだということで、300 万円以上の年収が 5 年続かないと、申請してもビザが降りないのだという。

「その収入は家族全体の収入ということですか」と私が聞くと、同行したビルマ人が家族ひとり増えると、必要な年収が 70 万円高くなるのだと答えた。つまり、妻子がいると、440 万円以上の年収が必要ということになる。

「奥さんが働いている場合はその収入も加えることができるのですか」と聞くと「そうです」と返事が返ってきた。共働きで 440 万円なら難しいということはないかもしれないが、どちらかが病気で倒れた場合はそう簡単にはいかないだろうと思った。

ビルマ人たちはやがてビルマ語だけで会話を始めた。私はわからないので、窓から景色を眺めていた。