散文

笑い話の解説(1)

昔、子どものころ読んだジョークにこんなものがあった。

「ソビエトにおけるポルノの解禁はいつか?」

党指導部「段階的に進んでいる。すでにレーニンは帽子をとって演説を行っている」

正確には覚えていないがこんなものだったと思う。このジョークはそれほど難しいものではないが、それでもソビエトの権威主義的な体制、レーニンのこと、そしてそのヘアスタイル(もしくはその不在)について知っていなくてはならない。

ジョークというものは短いから、そのぶん、聞く方が文脈や前提となる知識を共有している必要がある。そうした共有がない場合に解説してしまうと、面白くなくなる。

私は先月チュニジアに滞在したときに、きわめて面白い笑い話を聞いた。そしてこの笑い話を人に話したくてしかたがない。だが、笑い話もジョークと同じで、その出来事に関係する知識がなくては笑えない。ここにその笑い話をそのまま書いてもいいのだが、それで笑える人はまずいないだろう。

だから、私は問題の笑い話を書く前に、あらかじめいくつか大事なことを書いておこうと思っている。もちろん、こうした解説によって笑い話が死ぬことはわかっている。笑い話やジョークというのは学びがあってはいけない。すでに学び、当然だと思っていることを揺さぶったり壊したりするのが、ジョークであり笑い話だ。

「ははあ、おかげさまでレーニンが禿頭だとはじめて知りました」などと感心されては笑えない。学びや感心はジョークの敵なのだ。

だから、私がこれから書く解説も、笑いにとっては利敵行為だ。なのでむしろこう言いたいくらいだ。解説を読んで、それから数週間後、もう解説をなかば忘れかけたころに笑い話のほうを読んでほしい、と。そうすれば笑えるかもしれない。そんなことをする人はいないだろうが、それくらい私は誰かにこの笑い話を楽しんでほしいのだ。

ライブ

宇宙ネコ子×幽体コミュニケーションズ@O-nest

一二時開演のライブ。日曜午前中の渋谷は少し不穏で、裏通りは臭った。昨晩のはしゃぎを持ち越す集団や、歩道の真ん中に倒れ伏している若い男を避けながら、会場に向かう。

幽体コミュニケーションズは、自然音とバックトラックを使う複雑な演奏だが、骨格は日本のポップで、それが楽しい。ヴォーカルの人が「朝に起きると朝の体になる」と言っていて、まさに日曜のお昼の音楽になっていた。

宇宙ネコ子は日曜の午後の台風のようだ。新曲を四曲演奏した。そのうち最初の二曲は十月のアルバムに入る予定だが、後の二曲は入らないのだそうだ。入るとすれば、次の次のアルバムかも、とのこと。実際に聞いてみると、雰囲気が確かに違うのだった。

ボーカル+ギターの人(kano)が、飲み物としてペットボトルを二本持ってきていた。一本はコーン茶で、もう一本はココアだった。ステージでジャック・ダニエルを飲む人はいるが、ココアを飲む人ははじめて見た。

メインギターの人(ねむ子)は、フレーズも的確で、ノイズも分厚い。私の好きなギタリストだ。いつもステージ右側の床に白い布を敷いて、その上に座って弾く。なので、少し後ろからだと、演奏しているようすはよく見えない。もっと後ろからだと、いるかどうかもわからない。今回は私は右側の二列目だったので、その演奏をたっぷりと見ることができた。

もっとも、演奏中はほとんどステージの奥のほうに顔を向けていた。だが、まれに客席を見るときがある。いつもマスクをしている人なので、表情はわからないが、とても楽しそうな目をしていた。

一二時からのライブハウスもいいものだと思った。歩道で寝ていた男も今ごろは歩き出していることだろう。

ライブ

松任谷由実@東京国際フォーラム・ホールA

人に頼まれて携帯で松任谷由実のチケットを取ったら、その携帯の持ち主しか入場できないというので、結局、私が行くことになった。七月二日のライブだ。

今回のライブは、最新作のアルバムにちなんで「THE WORMHOLE TOUR」と名づけられ、宇宙論に結び付けられている。ユーミンは「恋愛の教祖」と呼ばれたり、「シティポップ」の代表格として扱われたりしている。だが、それは上辺だけの理解にすぎない。なぜなら、松任谷由実はSF歌手だからだ。

以前のツアーでもタイムマシンがコンセプトとして取り上げられていた。ウェルズを持ち出すまでもなく、これはSFだ。それどころかAIで若い頃の自分のクローンまで作り出した。MCでは、そのうちロボットの自分が歌うだろう、などということも言っている。SF歌手ユーミンは本気なのだ。

よくよく考えてみれば、松任谷由実は「時をかける少女」や「さよならジュピター」といった八十年代のSF映画の主題歌も作っている。いうまでもなくどちらも名曲だが、これもまた、松任谷由実のずば抜けたSF感性の証拠だ。

この日のライブでは、SF的なツアーコンセプトがじっくり展開され、アンコールではかなりリラックスした演奏が繰り広げられた。正直言って、私はこっちのほうがずっと楽しかった。そして、ついに最後の曲「卒業写真」がはじまった。

人ごみに流されて
変わっていく私を
あなたはときどき
遠くでしかって

私よりも年齢層の高い観客が多く、みな感動しながら聞いていた。それぞれの青春、もう二度と戻ってこない青春を思い出しているのかもしれなかった。

だが、SF歌手ユーミンがそんな後ろ向きの歌を歌うだろうか。私に言わせれば、この歌の本当のメッセージはそんなものではない。高次の存在へと変容しつつある人類を、宇宙人が遠くから見守っている、これだ。

幼年期からの卒業も近い。

旅・観察

六月の旅のあとがき

六月三日に日本を発ち、二十九日に帰ってきた。このブログでは、以前からその準備については書いてきたが、旅そのものについて書き始めたのは、六月三日の「出発」からだ。あまりしないことだが、日記のように書いてみようと考えていた。しかし、旅の時間と書く時間は違い、結局のところ、そうはならなかった。もっとも、時間が経ったら消えてしまうような事柄は書き残せたのではないかと思う。

書いた内容は三つに分けられる。ひとつはチュニスからターウジュート村への二泊三日の旅行についてだ。六月十二日から六月二十三日までの記事がそれにあたる。

もうひとつは、その前後でのチュニス滞在のことや、Sさんとの調査のことを書いたものだ。六月六日から十一日まで、六月二十四日から七月二日までのもので、「犬の友だち」(全六回)もここに含まれる。

そして三番目は、イタリア滞在記で、ほとんどがシチリア島のカターニアでの学会参加の記録だ(七月三日から七月九日)。

チュニジアでの調査も、イタリアでの学会発表も、科研費(26K03906)なしには実現しなかった。今回の旅に関わるさまざまな人々の尽力にも感謝したい。

とはいえ、このブログに書いたことは、学術的な成果ではなく、私がどのように、そしてどのような環境で研究課題を遂行したかということだ。なので、研究に関係のないこともたくさん書いたし、自分の失敗についてもたくさん書いた。

研究者ならば書かないことかもしれない。しかし、手裏剣に始まり、犬が歩き回り、はなやかな青のドレスに終わる旅の記録は、私にはふさわしいようだ。

旅・観察

ローマの休日

六月二十六日にシチリア島のカターニアで学会発表を終えて、私はその午後、ローマに飛んだ。二十八日の午後に日本に向かうから、二十七日はまる一日休みということになる。

もっとも私は、それまでのチュニジアとイタリアの滞在で疲れ果てていて、観光に行こうなどという気は起こらなかった。ただ、気力を振り絞って、古書店三つと普通の本屋二つに行った。ローマのテルミニ駅にある本屋はとくに大きくて、そこには何度も行った。古書店はさすがにローマだけあって数百年前の革の装丁の本や地図がずらりと並んでいた。とはいえ、私はこれだけ本屋巡りをして何も買わなかった。古典作家のペーパーバックぐらい買ってもいいのではといくども手に取った。その度に自分が読む可能性を冷酷に計算したが、常にゼロが弾き出されるので、結局棚に返した。

二十八日の朝はさすがに元気を取り戻して、早朝からローマの街を歩き回った。コロッセオやフォロ・ロマーノといった有名な観光地は外から見て歩くだけでも、それなりに楽しめる。

街を歩いていると、白いベールをかけた女性たちが建物の入り口に集まっているのを見かけた。近づいてみると、日曜日の礼拝をしていた。讃美歌らしきものも聞こえてくる。Ethiopiques というエチオピアの大衆音楽を集めた大シリーズがあるが、私はそれを聞いたときの印象を思い出した。後で地図で調べたら、エチオピア正教会の礼拝所だった。エチオピアでは、アラビア語の親戚にあたる言語がいくつも話されていて、私が行きたい場所のひとつだ。

教会を離れて歩いていると、青い花柄の服を着た若い女性が白いベールをかけ直しながら向かってきた。急いでいるようだ。そのとき、やはりベール姿の若い女性が車道を電動キックボードで走ってきて、歩きの女性を追い越していった。歩きの女性は笑いながらキックボードの女性に声をかける。二人の休日は教会から始まるのだろう。

研究

Broad-Negative Sentences in Tunis Arabic

これは二〇二六年六月二十六日にアラビア語方言国際学会(AIDA)大会で行った口頭発表だ(イタリア、カターニア)。

扱ったのは、否定が広い範囲に及ぶ文だ。これを Broad-Negative Sentences と呼んだのだが、あまり適切とは言えない。

広い範囲というのは、一般には否定のスコープと呼ばれるが、日本語でいうならば次のような例だ。

「風が吹いて自転車が倒れない」

この場合、「自転車が倒れない」のは明らかだが、「風が吹いた」ことについては両方の解釈が可能だ。ひとつは「風が吹く」という解釈で、この場合、否定されるのは「自転車が倒れる」ということだけになる。もうひとつは「風が吹かない」という解釈で、この場合は、否定されるのは「風が吹いて自転車が倒れる」ということになる(つまり、風は吹かないし自転車も倒れない)。否定のスコープという観点からいえば、後者のほうが広い。

アラビア語チュニス方言でも、似たような例がある。動詞が述語となる文を動詞文と呼ぶとすると、動詞文が二つ繋がっているときに一番目の動詞文だけしか否定されていないのに、二番目の動詞文も否定として解釈できる場合がそれだ。

また、名詞が述語となる文(名詞文)が動詞文に後続していても、最初の動詞文の否定が、二番目の名詞文にも及んでいる例もある。

発表ではこうした例をいくつか挙げてから、考察として、最初の文と次の文とが意味的に結びついていることが大事だと述べた。つまり、日本語の例でいえば「風が吹いて自転車が倒れる」という事態がいつも起こっている状況が必要ということになる。

発表後、モロッコ方言などでも否定のスコープに関して先行研究があるというコメントをいただいた。まだまだ勉強不足というところだ。

ところで、発表の準備のときに、論点がブレるので例文をひとつ削った。発表後、その例文が夢に出てきた。例文にも供養が必要と見える。

旅・観察

AIDA での口頭発表

六月二十三日から二十六日にかけて開催されたアラビア語方言国際学会(AIDA)の大会で、私は「Broad-Negative Sentences in Tunis Arabic」というタイトルで口頭発表を行った。内容については別に書くつもりなので、周辺的なことを書きたい。

この発表は、前から気になっていた現象を扱ったもので、珍しい例も含まれているとは思うが、例文そのものが少なくて内容としてはちょっと物足りなかった。アラビア語方言の専門家が集う AIDA で通用するものかどうかも不安だった。それでも、チュニジアにいるあいだに、ベルベル語の勉強でお世話になっているSさん(当然ながらチュニス方言の話者でもある)に確認したりして、なんとか体裁を整えることができた。

当初、私は現象そのものを論ずるだけの発表にしようと考えていた。しかし、AIDA でいくつかの発表を聞いているうちに、その方言がどんな状況で話されているか、その方言にはどんな資料があるか、ということもけっこう関心を持って聞かれているということに気がついた。

私がいつも資料として用いるのはチュニス方言の資料『アル=アルウィー物語集』(全四巻)だ。長らく入手困難で、三年前に新しい版が出たが、今はどこの本屋でも見かけない。そういう資料なので、この本についての少し詳しい紹介も、発表の冒頭に加えることにした。知っている人には意味がないが、みんながみんな知っているとはかぎらない。それに、この本は紹介するだけの価値のある本だ。

発表でこの資料について話しているとき、聞いている人の何人かがメモをとっている様子が見えた。私は、少なくとも発表を修正した甲斐はあったと思い、これで本論がつまらなくても大丈夫、と安心した。

旅・観察

AIDA のディナー

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会の三日目の夜は、夕食会があった。カターニア大学の外のテラスに十人掛けの円卓が並べられている。百人ぐらいは参加したと思う。立食ではないので、どこに座ろうか迷ったが、二人の若いオマーン人の隣に座った。

聞けば、二人ともジッバーリ語(シャフリ語)の話者だという。ジッバーリ語というのは現代南アラビア語で、アラビア語の親戚のような言語だ。二人が話しているのに聞き耳を立てていると、アラビア語ではない。そのことを言うと、その通りだと笑われた。

日本から来たのなら「アキオ」を知っているか、と言われた。中野暁雄先生のことだ。ジッバーリ語に隣接するホビヨート語の調査研究でも有名で、以前、セム語の関係の学会に出たときも同じことを聞かれた。こうした若い人にも先生の名が知られていることに驚きながら、知っていると答えると、写真はないかと言われるので、見せた。これも以前と同じだ。今後はセム語関係の国際学会に行くときは、中野先生の写真をスマホのホーム画面にしておこうと思う。

学会では、カターニア大学の学生たちがスタッフとして走り回っていた。皆、アラブ世界を専門としている人のようだった。どういうわけかみな女性だった。あと、大事なことを書き忘れていたが、AIDA そのものが女性の多い学会で、発表によっては参加者の男性が数名ということも珍しくなかった。AIDA の会長も、大会の運営委員長も女性だ。

それはともかく、運営スタッフのひとりが隣に座っていて、カターニアの文化やシチリア語のことなどをいろいろ教えてもらった。カターニア方言もあるが、家庭でしか使わないということだった。なお、この記事の写真はディナーのデザートとして出されたカターニアのケーキだ。とても甘い。

私は翌日の発表が気がかりで、また、そもそも日本でもこうした食事会には出ないので、帰ってしまおうと思っていた。しかし、日本にいるときに支払った夕食会費(五十五ユーロ)が惜しくなって、思いとどまった。結果としては、周りの人たちが親切に相手をしてくれたため、楽しく過ごすことができた。

旅・観察

AIDA の発表

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会で、私は二十の発表に参加することができた。面白いのが発表が時間通りに始まらないことで、最後までいると別の会場で行われる次の発表に間に合わなくなる。時間になったので急いで行くと、その会場でもまだ前の発表が行われていたりした。

私が聞いたかぎりでの全体的な印象を簡単に記す。

*アラビア語方言の音声を非常に精密に記録する研究がいくつかあった。特定の子音が語中や語末でどのように変わるか、あるいは、文末で子音や母音がどのように変わったり、無くなったりするか、というもの。これは細かいように思えるが、将来的な音変化にも関連しうるので、重要な研究だ。また、私は今、ターウジュートのベルベル語の音声で苦労しているので、非常に参考になった。

*談話標識(エジプト方言)、モダリティ(チュニジアの方言)、動詞の意味変化(方言比較)に関する発表もあった。とくに「戻る」という動詞が「なる」という意味を持ったり、談話標識的に用いられたりする現象は、私の今していることに直結しているので、有益であった。私のやっていることは、国際的に見てそう外れてもいない、という印象だ。

*フィールドワークの倫理の問題、テクノロジーの活用の問題なども取り上げられた。WhatsApp や Facebook などもデータとして利用している研究もあり、参考になった。

*アラビア語方言だけでなく、オマーンのジッバーリ語(現代南アラビア語)、モロッコのアマジグ語(ベルベル語)の発表もあった。また、私は参加できなかったが、社会言語学的な研究も多かった。

三日目には総会が開催され、役員選挙と次回(二〇二八年)の会場選定が行われた。三つの候補地のうち、第十七回大会の会場と決まったのは、モロッコのフェズ。次回も参加できればと思う。

旅・観察

AIDA の内容

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会(六月二十三日〜二十六日)では、およそ百の口頭発表が行われた。エジプト、オマーン、湾岸地域、レヴァント地域の方言の発表もあったが、マグレブ地域(チュニジア、モロッコ、アルジェリア、モーリタニア)の発表がとくに多く、私にとっては興味深い発表ばかりだった。

アラビア語が使われている地域では、戦争や紛争が常態化しているところもある。今回の AIDA での地域の偏りには、もしかしたらそうした影響もあるのかもしれないが、いずれにせよ、平和が重要なのはいうまでもない。

口頭発表のほかにも、特別なプログラムが開催された。ひとつはカターニアのベネディクト会修道院のツアーだ。これは今回の会場のカターニア大学がそもそもベネディクト会修道院を校舎として利用していることによる。

ベネディクト会修道院としてはヨーロッパでも有数の規模というだけあって、広い。開会式が行われたホールも、もともとは修道士たちの食堂だったという。教員の研究室も修道士たちの居室だったそうだ。雰囲気ある建造物の中でならさぞかし勉強も捗りそうに思われた。ただし、構造上の理由からか、トイレが少なかったので、我慢強さが必要だろう。

これらは大学校舎なので誰でも入れるが、ツアーでは地下の古い修道院の跡や、それより古いローマ時代のモザイクなども見ることができた。また、一六六九年のエトナ山の噴火でカターニアを壊滅的状態にした溶岩の生々しい岩壁も残っている。

もうひとつ、パレスチナの短編映画の上映会も開催されたが、私はこれには行かなかった。シチリアは美しい海とおいしい魚介でも知られるが、これも私はほとんど食べる機会がなかった。カターニアの古い街並みをゆっくり歩いて回るなどということもほとんどできなかった。

なぜなら、私の発表が学会最終日の、終わりから二番目に組まれていたから。そのせいで心の余裕がなく、のびのびと楽しむというわけにはいかなかった。

しかし、私が他の学会で先の方に発表して心の落ち着きを得ていたとすれば、それは最終日に発表する誰かがいたからなのだ。そう思って、せめてイタリアのコーヒーでも味わおうと、街角のスタンドで一ユーロのコーヒーを二杯ばかり飲んだら、夜眠れなくなった。