旅・観察

ベルベル語への旅(6)

翌 3 月 24 日、私はガベスを離れ、ルアージュといわれる乗合バスに乗って、タターウィーンに向かった。そして、3 月 27 日の朝にチュニスに戻るまでの 3 日間、次のように過ごしたのだった。

・ホテルをキャンセルされ、強制ホームステイ。
・ラマダーン中なので、日中はほぼ断食。
・タターウィーンの青年に朝から晩まで連れ回される。
・夜はその青年たちと雑魚寝。
・3 日間の滞在中、一度もシャワーを浴びられず。

肉体的には大変だったが、私はこれ以上楽しい 3 日間を過ごしたことはなかった。私がホテルに着いてホッとしていると、チュニスの友人が紹介してくれたタターウィーンの青年 A さんがやってきてこう言った。

「さあ、私の家に行くぞ。荷物はどこだ」

ホテルでのんびりしている暇などなかった。だが、彼のこの提案のおかげで、私はラマダーン中のタターウィーンの人々の生活を体験することができた。日の出前に食事を一緒に食べ、日没を一緒に待ち、テレビで合図が出るとヨーグルトを飲み、食べはじめた。

A さんはまた、車でベルベル人の古い居住地に連れて行ってくれた。同行してくれたのは彼の友人たち 3 人で、詩人(詩を作るので)、ラッパー(実際にステージに立つので)、哲人(ヒゲなので)だ。この 4 人の青年と私で、タターウィーンの市場を歩き回り、シュニンニーの遺跡や古いモスクへ続く山道を登り、あちこちでふざけて写真を撮った。

(写真:シュニンニーの風景)

旅・観察

ベルベル語への旅(5)

わずか 10 分ほどの「調査」を終えた私たちは、老人に感謝し、別れを告げると車に乗って、タマズラットに向かった。

タマズラットは山の上に煉瓦の家が立ち並ぶ小さな村で、電柱と電線だけが異物のように見えた。小さな広場に岩でできたラクダの像があって、その向こうでは電線がまるで飾りのようにぶら下がっていた。私たちは、車で村を一周して、もと来た道を戻った。

すると、N さんが車を止めた。先ほどの老人がやってきて、後部座席に座った。

「さっきタマズラットに一緒に行こうと誘ったんだけど」と N さんは私に説明した。「家畜に餌をやるから行けないって言うので、用が済んだら、新マトマータまで送ってあげると約束したんだ」

車の中で、私は N さんを介して、いくつかの名詞や動詞を尋ねた。「『パンを食べる』はベルベル語でこういう」と老人は教えてくれた。「『パン』は私たちはこう言うけど、ズラーワではこう言う」 老人はまた、こうも言った。「ベルベル語はズラーワとターウジュートの人のほうが使っているよ」 口ぶりからすると、老人はタマズラットの人のようだった。

話しているうちに、老人は昔を思い出したようだった。「ずいぶん前のことだけど、スイス人がやってきてね。ベルベル語の本を持ってきて、それを見せながら、この語は使うか、使わないか、村人に聞いて回ってたよ」 いったいそのスイス人とは誰だろうか? そして、その本とは?

車が新マトマータに入った。最初、老人は私などいないかのように接していた。だが、それは違うとわかった。なぜなら、車が彼の家に近づいたとき、こう言ってくれたから。

「今度、この人を私の家につれてくればいい。私の家族がベルベル語を教えてくれるよ」

私たちは再び礼を言って、老人に別れを告げた。

(写真:タマズラットの風景)

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ベルベル語への旅(4)

翌 3 月 23 日の昼、私は N さんの運転する車に乗ってガベスからマトマータに向かった。

マトマータ(マトマタ)は、スターウォーズの撮影地としても有名だ。映画には穴居住宅が出てくるが、これもこの地のベルベル人の伝統的な住居だ。

もっとも、現代のベルベル人は普通の住宅に住んでいる。マトマータのベルベル人でも、昔ながらの家に住んでいるのは、タマズラットの一部の人だけだ、と N さんは言っていた。

マトマータには新と旧の町がある。新マトマータはガベスから車で 30 分のところにあり、その名の通り、新しい町だ。ここには病院や学校、商店があり、もっと不便な村に住むベルベル人たちが移り住んでいる。タマズラットとズラーワの人が多いそうだ。

私たちは、新マトマータを通過し、さらに、穴居住宅風のホテルが点在する旧マトマータを超えて、タマズラットに向かった。

その途中で、N さんが道ばたのコンクリート防壁に腰掛けている老人を見つけた。車を降りて、丁寧に挨拶し、話しかける。

「この日本人がベルベル語を知りたいと言っているんです」

こういうと私を促した。「知りたいことを言って」

私が「『頭』は?」とか「『彼』は?」とか「『ありがとう』は?」とか英語でいくつか尋ねると、N さんがアラビア語で老人に質問する。老人はベルベル語で答えてくれるのだが、私のほうをまったく見ない。まるで私などいないかのようだ。だが、これはこれで我が最初の調査というべきであろう。

(写真:マトマータの風景)

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ベルベル語への旅(3)

ガベスの夜。ラマダーンのため日中は静かに過ごしていた人々が、日没と同時に食事をし、外に繰り出している。そんな夜の 10 時すぎ、私は、2 人のベルベル人とカフェにいた。ひとりはホテルに挨拶に来てくれた N さん。もうひとりはその友人、医師だ。

「ラマダーンの時期は、救急が増えるんだよ。急に夜たくさん食べるからね」と、医師らしいコメント。そんな時期に私に時間を割いてくれた 2 人には感謝しかない。

2 人ともベルベル語は話せなかったが、チュニジアのベルベル社会についていろいろと教えてくれた。アルジェリアやモロッコでは、ベルベル語による放送、出版、教育が行われているが、チュニジアでは人口が少ないためそうしたものがない。あるいは、ベルベル語は基本的に家でしか使わない。こうしたことは私も知っていたが、政治に関わる話は興味深かった。

ベルベル人の政治活動は禁止されてはいないが、ベルベルを旗印にした政党は結成できないのだという。

「チュニジアの国民を分断してしまうからね」

つまり、チュニジアにはアラブ人もベルベル人もいない。チュニジア人だけがいる。そういうイメージだ。

もうひとつ、重要な話を聞いた。8 月のベルベル・フェスティバルだ。

「ベルベル人の若い人はみんな、チュニスや外国で働いているんだけれど、夏休みだけは故郷に帰ってくる。だから、8 月にはベルベルの伝統を確認するイベントをするんだ。それだけじゃなくて、この時期は結婚式のシーズンでもある。だから、ベルベル語について調べたいなら、8 月がいいよ」

「じゃあ、今は?」

「他の時期は老人と子どもしかいないよ。それにラマダーン中だから、昼間はみんな家から出てこない。バスもないよ」

私はがっかりしたが、それでも N さんは「明日は車で遠出しよう」と提案してくれた。

(写真:ガベスの街)

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ベルベル語への旅(2)

3 月 22 日の朝、私はチュニスからガベスに行く列車に乗った。遅れがあったり、途中で別の列車に移らされたりで、8 時間以上かかったと思う。

この列車の旅は、3 つの点で大変だった。ひとつは指定席を買ったのに、その席に人が座っていて、いくら言っても知らんぷりされたこと。しかし、1 時間ほどすると車掌が検札にきて、座らせてくれた。2 つめはトイレが汚くて使えなかったこと。そして、3 つめはラマダーン中だったことだ。

ラマダーンのあいだ、日中は食事ができない。私のような外国人は断食しなくてもいいが、大っぴらに飲み食いするのは気が引ける。そんなわけで列車の中では最低限の水しか飲まなかったが、そのおかげでトイレに行かずに頑張ることができた。

しかし、ガベスに着き、ホテルにチェックインしたときにはもうクタクタだった。朝から考えると、14 時間、ほとんど飲まず食わず、トイレにも行かずに過ごしたことになる。ホテルの一室で、隠れるようにポテトチップスを貪り食っていると、電話がかかってきた。チュニスの友人が紹介してくれた人がやってきたのだ。

ホテルのロビーに降りると、キャップとサングラスの男性が立っていた。

「ベルベル語について調べたいんだってな」と彼は英語で言って、手を差し出した。「さあ、我々のアドベンチャーの始まりだ」

大袈裟な言葉のように思えたが、旅を終えてみると、まさしくそうだった。もっとも、危険なことなどなにひとつなかったが。

(写真:ガベスに向かう列車の中)

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ベルベル語への旅(1)

私は、いつかチュニジアのベルベル語話者にベルベル語を教わりたいと思っていた。だが、それはなかなか難しかった。チュニジアのベルベル語話者は非常に少なく、チュニスのどこかで偶然出会えるとも思えなかったし、知り合いを辿ってもつながりはなかった。

もっとも、それはベルベル語話者がいなかったということであって、ベルベル人がいなかったということではない。一時期お世話になった人に、先祖がベルベル人だという人がいた。彼は自分の顔を指した。「アラブ人とは違うだろ」

私にはその違いはよくわからなかった。だが、チュニジアには、彼のようにベルベルのルーツを忘れずにいる家族がたくさんいることと思う。それは重要なことで、私にも非常に興味深かったが、ベルベル語を学ぶことにはつながらなかった。

その後、私はチュニスである女性と知り合い、アラビア語を教わる機会を得た。聞けば、彼女もベルベル系の家族の出で、今も南部に一族が暮らしているという。彼女自身はアラビア語しか話せないが、母はベルベル語も話せるとのことだった。

彼女はとても親切な人で、私がチュニジア南部に関心を持っていると知ると、ガベスにいる知人を紹介してくれた。その知人を頼って私がチュニスを出発したのは、2024 年 3 月 22 日のことだった。

(写真:ガベスにある魚のモニュメント)

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チュニジアのベルベル語(5)

近代以降のチュニジアで、ベルベル語の使用が記録されている場所は 4 カ所ある。そのうちのひとつでは、すでに話者がいないとされている。タターウィーンとジェルバは、最近も文献が出ていることから、話者がいることは間違いない。

問題は (b) のガベス西部のマトマータだ。ここにはズラーワ、ターウジュート、タマズラットの 3 つの村があるが、目につくのは 1900 年にドイツで出版されたタマズラットの古い研究ぐらいだ。そのせいか「現在も話者がいるかは不明」などと言われるほどだ。

本当に話者はいないのだろうか?

もちろん、いる。ただ、研究が乏しいか、あっても入手しにくいせいで、あまり知られていないだけのようだ。

ネットを探せば、タマズラットの例文集と語彙集が見つかる。タマズラット出身のベルベル語話者がまとめたものだ。

それに、私自身、2024 年 3 月にマトマータに行ったとき、ベルベル語を話す老人に出会った。もっとも、その人がどこの出身かは聞きそびれた。

そして、2025 年 3 月、私はチュニスでひとりのベルベル人の男性を紹介された。その人は 3 つの村のひとつ、ターウジュートの出身で、私はこの出会いをきっかけに、ようやくチュニジアのベルベル語の世界に足を踏み入れることができたのであった。そのいきさつについては、別のタイトルで書くつもりだ。

(写真:タマズラットの表示。2024 年 3 月撮影)

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チュニジアのベルベル語(4)

ベルベル語の本を手に入れた話のついでにいえば、チュニジアのベルベル語は (a) のガフサ東部では消滅したと考えられている。2 つのベルベル村があり、そのうちのひとつ、セネッドのベルベル語の文法書が 1911 年に出版されている(正式な書名は “Étude sur la Tamazir’t ou Zenatia de Qalât es-Sened”)。著者は Provotelle というフランス人だ。分厚い文法書ではないが、この地域のベルベル語の実態を伝える、ほとんど唯一の文献かもしれない。

私がこの本を手に入れたのも、チュニスの本屋だった。もう 20 年前のことだ。新刊と古書を売っている本屋で、チュニジアで刊行されたフランス語の本が並ぶコーナーで見つけたのだった。製本も緩くなっていて、すぐにもバラバラになりそうだった。もしかしたら 1911 年から買い手を待っていた可能性だってある。私はためらうことなく購入した。そして、その本は私の書架のどこかでさらに長く待たされることとなった。

だが、昨年のこと、その本が急に引っ張り出された。なぜなら、私は運よく、チュニジアのベルベル語を学ぶ機会を手に入れたからだ。この「運よく」を説明するには、まだ触れていなかった (b) のガベス西部マトマータのベルベル語の話に戻らねばならない。

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チュニジアのベルベル語(3)

(d) のジェルバ島は、古代から名の知られた場所で、現在も夏になると観光客でいっぱいだ。私は昔、バスツアーで数時間立ち寄ったことがあるだけだ。また、2023 年の夏に、急にジェルバ行きを思い立って、チュニスの旅行代理店に駆け込んだら、ハイシーズンで航空券はなかった。どうせ、ホテルもレストランもお高いんでしょ、と諦めた。

そんなわけで、私にジェルバでの見聞はないに等しいが、一般には、チュニジアの中でも独自の文化をもつ土地として知られている。ベルベル人がいて、ベルベル語がまだ使われているということだけでなく、ユダヤ人のコミュニティも古くからある。また、あるチュニジア人作家は、ジェルバ人は見栄っ張りなので客間だけを豪華にする、などという話を愉快そうに語っている。

ヨーロッパでもよく知られた観光地なので、ジェルバのベルベル語はチュニジアの他の地域よりも関心を集めてきた。本格的な文法書はないが、論文はそれなりにある。最近でも、ジェルバのガッラーラのベルベル語で物語を記録した本が出版されている(しかも YouTube で音声も聞ける)。

私がこの本を手に入れたのは、チュニスのバルシャローナ広場前の本屋だ。チュニジアのアラビア語方言の本を探していると言ったら、「面白い本があるぞ」と、店主が勧めてくれたのだ。ベルベル語を調べ始める前のことだったが、こういうものは、その時に買わなければ、次に手に入るかどうかわからない。

(写真:ジェルバのベルベル語の物語集の表紙から。上から順にアラビア文字表記ベルベル語、アラビア語、ティフィナグ文字表記ベルベル語)

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チュニジアのベルベル語(2)

チュニジアのベルベル語話者数は正確には不明だ。人口の 1 %にあたる 12 万人とする説もあるが、新しい研究では、その半分ぐらいだとされている。6 万人としても少ないが、もうひとつ重要なのは、チュニジアのベルベル語は、ひとつの言語ではないということだ。いくつもの変種があるため、個々の話者数はもっと少なくなる。

チュニジアのベルベル語は、南部のいくつかの小地域にのみ残っている。だいたい以下の 4 つの地域に分けられる。ガフサ、ガベス、タターウィーンはいずれも南部の都市で、ジェルバ島は有名な観光地だ。

(a) ガフサ東部(トゥマーグルト、セネッドの 2 つの村)
(b) ガベス西部のマトマータ(ズラーワ、ターウジュート、タマズラットの 3 つの村)
(c) タターウィーン(シュニンニー、ドゥウィーラートの 2 つの村)
(d) ジェルバ島(6 つの村)

このうち (a) のベルベル語はすでに消滅してしまったといわれている。もっとも、私自身で確かめたわけではないので、断言はできない。いずれにしろ、現在、ベルベル語が使われているのは (b) 〜 (d) ということになる。(c) のタターウィーンのベルベル語話者は、先行研究を見るかぎり、数百人規模のようだ。私自身、2024 年の 2 月、現地の友人とシュニンニーとドゥウィーラートを旅したとき、ひとりのベルベル語話者に出会ったことがある。

(写真はシュニンニー・ドゥウィーラート間の風景。2024 年 2 月撮影)