旅・観察

石を拾ってでも

ベルベル語の勉強で私を助けてくれているSさんの出身地、ターウジュート村に行く計画を立てている。Sさんによれば、帰郷する人はなにかしらお土産を買って村に入るのが習慣だそうだ。

チュニスにはそんな習慣はないが、それでもこの村の出身者がチュニスの知人を訪ねるときに、家の近くの食料品店で買い物をしてからやってくるのだという。

「もし村に入るとき手ぶらだったら、石を拾ってでも入れ」という言葉をSさんが教えてくれた。

ターウジュート村にはSさんも同行してくれる。これは心強いことだ。当然のことながら、移動費や宿泊費はこちら持ちだ。いろいろ経費を計算しているとけっこうな額になる。その上、お土産だ。これも私が払わねばなるまい。

私は日本在住のビルマのカレンやカチンの人と一緒にタイや中国に行ったことがある。これらの人は、現地で待っている家族や同胞のために東京でたくさんのお土産を買っていく。それは単にお土産ではなく、現地での生活を助けるためでもあるが、かなりの額がかかる。手ぶらで行くわけにはいかないので、旅費に加えてそのためのお金も貯めなければならない。

そうした経験があるから、ターウジュート村に持っていくお土産がどれくらいの金額になるのか私は気になり出した。

「それで、お土産はいくらぐらい必要ですか?」

「大したものじゃないよ。ジュースとか果物とか、二〇ディナール(千円ちょっと)あれば足りるよ」

私はそれを聞いて安心し、石を掻き集めずに済んだことを感謝した。

苦い文学

トワイライトゾーン

飛行機には、必ず魔の存在がいて、人間に悪をなすので、用心したほうがいい。私は子どものころ、トワイライトゾーンというドキュメンタリー映画でこの事実を知った。その映画では、機内の窓から外を見た男が、魔物が翼を破壊しようとしているのを目撃してパニックになった、という実話が報告されていた。

この映画のせいもあり、私は飛行機に乗るときは、魔に魅入られないようにおさおさ用心おこたりなく過ごしている。しかし、気の緩みでもあったのだろうか、ベルリンに向かう飛行機で私はついに恐ろしいものを見てしまったのだった。

機内で私は通路側に座っていたのだが、通路を挟んで数列前にひとりのおじさんが座っていた。私の席は、そのおじさんの背中と後頭部がよく見える場所にあった。

それは真夜中、つまり機内の電気はすべて消され、誰もが眠っている時間に起きた。私も寝ていたのだが、どうしたわけか目が覚め、ただぼんやりと前を眺めていた。そのとき、私は前のおじさんが奇妙な動きをしているのに気がついた。

おじさんは備え付けのブランケットを相手に格闘しているのだった。初めは体に巻き付けようとモゾモゾしていたが、それはすぐにだらりと床に垂れ下がってしまうのだ。おじさんはそれを引き上げて、マフラーみたいに首に巻こうとした。そこで固定して下に垂らせば全身を覆えるという計画だった。それはうまくいったかに思えたが、それも束の間ブランケットはハラリとほどけて、すべて下に落ちてしまった。

それからもおじさんはあれこれ試すがどれもうまくいかない。それほどまでにブランケットで体をすっぽりくるんで安眠したかったのだ。私は半ば眠りながらその様子を見ていたのだが、もしかしたら、そのせいでかもしれない。おじさんの隣に異様な存在が立っているのが見えたのだった。その魔物は、おじさんがブランケットを体に巻き付けるたびに、いやらしい笑みを浮かべながら、爪の尖った指で引っ張るのだった。おじさんの安眠を妨げていたのはこの魔物だったのだ。

魔物のイタズラはそればかりではなかった。魔物はおじさんが体を動かした瞬間にシートに敷かれていた白い枕をつかむと足元に放り投げる。おじさんが枕を拾おうと身をかがめた瞬間、魔物は今度はブランケットを床に落とすのだ。

おじさんの苦闘と魔物のイタズラはそんなふうにずっと続いていた。だが、私のほうでは別の悪魔、つまり睡魔が再び訪れ、そのままぐっすりと眠ってしまった。

私は、客室乗務員につつかれた。目を覚まして、周りを見ると朝食を運ぶワゴンがあった。朝がやってきたのだ。私は伸びをし、その拍子におじさんの姿が目に入った。

おじさんの頭の上には、丸めたブランケットが載っかっていた。

飛行機には魔の存在がいるので、絶対に用心したほうがいい。

小説

道を渡りし者(終)

だれもが章雄の登場に驚愕し、動きを止めた。今にも四肢分断されそうだった私に吉田の手が伸び、私を暴漢たちの中から引きずり出した。私は転がるように彼の後ろに隠れた。

この一瞬の静寂ののち、観衆から熱狂の叫びが上がった。「もういちど渡ったのか?」「すごい!」「奇跡だ!」

だが、章雄は「うるせえ!」と怒鳴り、父親を指した。「これだ! この袋(と彼は黒い袋を掲げた)がこいつの奇跡とやらの正体だ! 道の向こう側にいたのは、俺じゃない! こいつが勝手に用意した偽物だ! こいつもこうやって赤信号を渡ったとだましたのだ! お前たちは(と観衆に向かって)こんなものを奇跡と崇め立てていたのか? こんなインチキな人間を市長だと崇め祀っていたのか? こいつは偽善者だ、ペテン師だ! こいつは赤信号など渡りはしなかった! 見ろ! これから俺は本当の奇跡を起こす! 赤信号を渡る!」

おりしも、ちょうど青信号が赤に変わったばかりだった。章雄は車がビュンビュン行き交う道路に向かって歩き始めた。市長が駆け寄って、息子の足にすがった。「やめるんだ! 父さんが悪かった。危険だ! お前の好きなフェラーリでもなんでも買ってやる」

章雄は全身の力を込めて市長を足蹴にした。「俺は、お前の指図は受けない!」

そして、横断歩道の真ん中から道路にダッシュした。車は避ける間もなく、彼をはね飛ばした。彼はアスファルトの上に投げ出され、赤いものが飛び散った。車は方向を見失い対向車線へと飛び出し、直進してきた対向車に衝突した。

あちこちで悲鳴と衝突音が上がった。前方の事故を避けきれずに何台もの車が追突した。歩道に乗り上げた車は、何人もの不運な観衆を巻き込んだ。

一瞬のうちに道路の上に動くものはなにひとつなくなった。吉田の背後から飛び出した私は、赤信号のままの横断歩道をさっさと渡り、駅に向かった。去りぎわ、凄まじい絶叫のなかに「章雄!」という悲痛な叫び声を聞いたような気がした。

途中、刃物やバットを持った男たちが前から走ってくるのにでくわした。「俺たちをだましやがって!」「市長の一家は皆殺しだ!」「逃すな!」と口々に叫んでいた。私は彼らに話しかけ「市長とそのご家族は、まだ薬屋の信号にいるようですよ」と教えてやった。それから、猛スピードで駅に駆け込み、ちょうど来た電車に飛び乗った。(おしまい)

苦い文学

因果なき人

下町の古びたアパートの一室に因果なき人が住んでいる。

因果なき人というのは、原因とならず、結果にもならない人だ。その人がなにをしようとなにごとも生じないし、なにが起きてもその人には影響を及ばさない。

これは、私たちの世界が、原因と結果の連鎖によってできていることを考えると驚くべきことだ。その人の存在はこの世界にいかなる影響も与えないし、その逆もまた然りなのだ。

そうした人が、押上で暮らしている。寝て、起きて、食事したり、散歩したりしている。

私はどうしてその人が因果なき人となったのかは知らない。生まれついてかもしれないし、修行の成果かもしれない。いずれにせよ、私はとても不思議に思っていて、あちこちでこの話をしている。

すると、話を聞いた人によくこう言われる。

「お前が因果なき人について語ったり書いたりすること自体、因果なき人から生じた結果なのだから、結局その人は因果なき人ではないのではないか」

だが、私が因果なき人について語ることが、どうして因果なき人と関係していようか。

まったく無関係だからこそ、因果なき人と呼ばれるのだ。

苦い文学

福の神

最近ネットで読んだ記事によると、福の神の資格を持つにもかかわらず、ちゃんとしたポストにつけない福の神が大勢いるとのことだ。福の神がダブついているのだ。

そこで、多くの福の神がどうするかというと、非常勤で働くことになる。しかし、非常勤というのも大変だ。忙しいし、収入も安定していない。時間外労働も多いから、時給に換算すると、かなり低くなる。節分の鬼の時給より低いとのことだ。

それでも、災い転じて福とすることができればまだしもだが、そうもいかない。非常勤の立場の弱さゆえ、賃金の未払いや雇い止めというさらなる問題に直面することもあるという。

こんなひどい待遇ならば、やらなければいい、と私などは思うのだが、そもそも職がないのだ。たとえ非常勤でも、まるで福男選びのような熾烈な競争が繰り広げられるそうだ。

記事では「福の神がその能力を発揮する場がなければ、我が国に福が増えるはずもない。政府は積極的に福の神の待遇の改善に取り組むべきだ」との結論が述べられていた。

私もまったく同感だが、記事を読むにつれ正直、本当に福の神かな、という気もしないではなかった。