旅・観察

AIDA での口頭発表

六月二十三日から二十六日にかけて開催されたアラビア語方言国際学会(AIDA)の大会で、私は「Broad-Negative Sentences in Tunis Arabic」というタイトルで口頭発表を行った。内容については別に書くつもりなので、周辺的なことを書きたい。

この発表は、前から気になっていた現象を扱ったもので、珍しい例も含まれているとは思うが、例文そのものが少なくて内容としてはちょっと物足りなかった。アラビア語方言の専門家が集う AIDA で通用するものかどうかも不安だった。それでも、チュニジアにいるあいだに、ベルベル語の勉強でお世話になっているSさん(当然ながらチュニス方言の話者でもある)に確認したりして、なんとか体裁を整えることができた。

当初、私は現象そのものを論ずるだけの発表にしようと考えていた。しかし、AIDA でいくつかの発表を聞いているうちに、その方言がどんな状況で話されているか、その方言にはどんな資料があるか、ということもけっこう関心を持って聞かれているということに気がついた。

私がいつも資料として用いるのはチュニス方言の資料『アル=アルウィー物語集』(全四巻)だ。長らく入手困難で、三年前に新しい版が出たが、今はどこの本屋でも見かけない。そういう資料なので、この本についての少し詳しい紹介も、発表の冒頭に加えることにした。知っている人には意味がないが、みんながみんな知っているとはかぎらない。それに、この本は紹介するだけの価値のある本だ。

発表でこの資料について話しているとき、聞いている人の何人かがメモをとっている様子が見えた。私は、少なくとも発表を修正した甲斐はあったと思い、これで本論がつまらなくても大丈夫、と安心した。

風刺・戯文

人類の町中華

土曜日のお昼、近くの町中華に行って、チャーハンと餃子を持ち帰りで頼んだ。満席のため入り口に客が並ぶほどの繁盛ぶりだったが、お土産の人はレジ横のベンチで待つことができた。

私は座りながら、注文の品ができるまでのあいだ、ホール係の人々の動きを眺めていた。そこは大きな町中華で、若い人からけっこう年配の人まで6人ぐらいの女性たちが忙しく立ち働いていた。注文を取ったり、空いた席に人を案内したり、厨房から料理を運んだり、レジに入ったり、どの人も巧みに連携しながら滞りなく仕事を果たしていた。私から見れば目まぐるしい動きであったが、混乱の様子は微塵もなかった。

私のほうからは厨房の中は見えなかったが、おそらくそこでも同じように素晴らしい共同作業が行われているに違いなかった。

人類は他の動物と異なり、身振り手振りや言語を効果的に用いて、協力関係を構築することができる。そうやって極めて複雑な行動を遂行してみせるのだ。人類がこうした能力を発達させるのに、町中華ほどうってつけの場所はないのではあるまいか。

近い将来、アフリカのどこかの洞窟で、人類初期の町中華の遺跡が発掘されるのは確実だろう。

苦い文学

石板

『旧約聖書』の「出エジプト記」に描かれるのは、指導者モーセがイスラエルの民を率いて、エジプトを脱出する物語だ。

脱出後、モーセは、イスラエルの民とともにシナイ山の荒れ野に到着した。人々はそこにテントを張って、キャンプをした。モーセは、シナイ山の山頂に登り、神に会った。そして、神はイスラエルの民のために掟を定め、石の板に自らの指でその掟を記し、モーセに与えたのであった。

いっぽう、そのころ、イスラエルの民はモーセが待てど暮らせど山から戻ってこないので、ひどく不安になって騒ぎはじめた。不安をしずめるために人々は、金のアクセサリーを集めて、黄金の子牛の像を作り、これを崇拝することにした。

山から帰ってきたモーセは、イスラエルの民が勝手に神像を作り、ひれ伏したり、踊ったりしているのを見た。彼は、自分の思いの通じない民の姿に激怒し、手にしていた石板を投げつけ、粉々に砕いたのであった。

偉人中の偉人であるモーセにしてこうなのだから、現代の私たちが、ゲームがうまくいかないからといって、カッとなってコントローラーを投げつけたとしても、だれが責められようか。

苦い文学

無理の基準

私は不当に罪を負わされ、公衆の面前で辱めを受けた。

全車両に響き渡る声で「無理なご乗車はおやめください!」と一方的に怒鳴りつけられ、恥辱を加えられたのだ。

「ちがう」と言いたかった。「そんなことはしていない」と。だが、無情なスピーカーに私の抗弁など届かなかった。

人々は私を遠巻きにしていた。完全な無関心、見て見ぬふり、クスクス笑い……。悔し涙を流す私に誰ひとり声をかけてくれる者はいなかった。私はこの公衆のただ中で「存在しない者」とされた。濡れ衣を着せられ、人間の尊厳を剥ぎ取られ、丸裸で……。

しかし、私は無実だ。私には十分な余裕があった。断じて無理ではなかった。ひらりと軽やかに乗り込むのが、こんな恥辱に値するとは、どんな乗客も思い及ばぬことだろう。

それでも私の乗車が無理だったというのならば、まずその「無理な乗車」の客観的な基準を示し、周知徹底に努めるべきではないか? 車内広告などひっぺがして、その基準を張り出しておくべきではないのか?

だが、もしそうした努力を怠ると言うのであれば、車掌たちに警告しておこう。

恣意的に「無理なご乗車」と宣告されるおそれがある以上、当面のあいだ、私たち乗客はいっさいの乗車を見合わせるだろう、と。

苦い文学

偶然の再会

15年ぐらい前の話だが、ドイツ在住のビルマ人の難民が日本にやってきた。日本で難民申請をしている彼の妻をドイツに呼び寄せるためだった。これはかなり大変だったのだが、結局うまく行った。私はその妻と知り合いで、二人のためにいろいろ手伝ったのだった。

その後、何年かして、私はアフリカのチュニジアで言語の調査をしたくなり、ドバイ経由で行くことにした。そして、乗り継ぎのドバイの空港で、時間潰しに免税店を冷やかしていると、なんとあの夫婦がいるではないか。

二人はタイの知人に会いに行くところだということで、私たちは思わぬ再会に驚きあった。

日本に帰って、あるカチン人の女性にこの出来事について話すと、彼女はこう言った。

「私たちカチン人の牧師がアメリカに行った時、船に乗ったのです。そしたら、その乗客の一人が、彼の父と友人だったというアメリカ人牧師だったのです」

私の偶然の出会いよりももっと強力で神がかったのを持ち出してきたので、思い出もすっかりくすんでしまった。