苦い文学

無理の基準

私は不当に罪を負わされ、公衆の面前で辱めを受けた。

全車両に響き渡る声で「無理なご乗車はおやめください!」と一方的に怒鳴りつけられ、恥辱を加えられたのだ。

「ちがう」と言いたかった。「そんなことはしていない」と。だが、無情なスピーカーに私の抗弁など届かなかった。

人々は私を遠巻きにしていた。完全な無関心、見て見ぬふり、クスクス笑い……。悔し涙を流す私に誰ひとり声をかけてくれる者はいなかった。私はこの公衆のただ中で「存在しない者」とされた。濡れ衣を着せられ、人間の尊厳を剥ぎ取られ、丸裸で……。

しかし、私は無実だ。私には十分な余裕があった。断じて無理ではなかった。ひらりと軽やかに乗り込むのが、こんな恥辱に値するとは、どんな乗客も思い及ばぬことだろう。

それでも私の乗車が無理だったというのならば、まずその「無理な乗車」の客観的な基準を示し、周知徹底に努めるべきではないか? 車内広告などひっぺがして、その基準を張り出しておくべきではないのか?

だが、もしそうした努力を怠ると言うのであれば、車掌たちに警告しておこう。

恣意的に「無理なご乗車」と宣告されるおそれがある以上、当面のあいだ、私たち乗客はいっさいの乗車を見合わせるだろう、と。