研究

ベルベル語関係記事のあとがき

2026 年 2 月 28 日、科研費の審査結果の発表があり、そこで私は、自分の応募した研究課題が採択されたことを知った。以下のような課題だ。

基盤研究(C)「消滅の危機にあるターウジュート・ベルベル語(南部チュニジア)の言語学的記述」(26K03906)

研究期間は、2026 年度から、2028 年度までの 3 年間、配分額は 3 年で 468 万円。このうち私が使える分は 360 万円で、年に 120 万円の予算だ。どう使うかというと、大部分がチュニジアでの調査の旅行費・滞在費だ。

科研費事業は税金で成り立っているから、科研費による研究には責任がともなう。具体的にいえば、論文で成果を公表したり、経費を適切に使用したり、研究内容を専門家以外にも知ってもらったりすることだ。

最後に挙げた社会に還元することの方法はいろいろあると思うが、私の立場ではできることがあまりない。そうした事情もあって、新しい研究課題が始まる 4 月 1 日から、ブログのような形で 1 ヶ月、ベルベル語に関係のあることを書いてみようと思い立った。「チュニジアのベルベル語」「ベルベル語への旅」「ベルベル語と出会う」などがそれだ。これらの記事のもととなった経験は、上記の研究課題に先行する基盤研究(C)「アラビア語チュニス方言における語りの技法と文法」(22K00548)によって可能となった。

私は、チュニジアのアラビア語については勉強してきたが、ベルベル語ははじめたばかりで、調査も勉強もこれからという状態だ。なので、書いたものには間違いもあると思う。気がついたら訂正したい。

研究期間は 3 年間だ。生きていれば、今後もベルベル語や調査のことを書けると思う。

(写真:チュニスで見かけた車)

苦い文学

かるかやの謎

説教節の「五説教」のひとつとされる「苅萱(かるかや)」はおおよそこんな筋だ。

昔、ある有力な武人が無常を感じ、仏門に入ることにした。高野山に行くと、偉い坊さんが「侍が遁世修行するなどムリムリ」という。だが、武人は「私は二度と家族に会いません。もし会ったら地獄に落ちてもいいです」と誓って、なんとか認めてもらう。

この武人には、妊娠中の妻がいた。やがて男の子が生まれて、少年になる。少年は、父親が生きていることを知ると、会いたくなり、母親と一緒に高野山に行く。

高野山は女人禁制なので、少年は一人で山に行き、苅萱道心に出会う。この苅萱道心は少年の父であるが、道心は家族と会ったら地獄に落ちると誓った手前、少年に「お前の父は死んだ」と嘘を言う。少年はこの悲報を母親に知らせるために高野山を降りるが、その時には母親は心痛のあまり死んでいた。

その後、少年は再び高野山に行き、苅萱道心と再会し、その弟子となり、道念坊と名づけられる。道心はいずれ自分が父であることが露見することを恐れて、ひとり旅に出て、亡くなる。道念坊も、道心が父であるとは知らずに、やがて亡くなる。これが善光寺の親子地蔵の由来である。

この悲しい物語には、どうも腑に落ちないことがある。

父親は少年が自分の息子であることは誰にも言わなかったし、息子は自分の父が死んだと信じ込んでいた。それならいったい、誰が二人が親子であることを知っていたというのだろうか?

苦い文学

心の遺産

日本はどこもかしこも観光客でいっぱいだ。これらの人々は日本の文化に夢中なのだ。

アニメや漫画などのクール・ジャパンはもちろんのこと、京都や奈良の歴史的遺産、日本各地に残る伝統的家並みと風景も、異国の目にとっては魅力的だ。

そして、なによりも食べ物だ。料亭の高級料理から食べ歩きのB級グルメまで、外国人観光客の舌を喜ばせないものはないのだ。

25の世界遺産を誇る我が国であるが、これらの魅力もまた日本の伝統が育んだ遺産だということができる。

だが、遺産とは目に見えるものばかりではない。外国人観光客が日本に来て賛嘆するものといえばなんだろうか。それは日本人の礼儀正しさ、おもてなし精神、公共心である。外国人たちは、日本人の心を、まるでエジプトのピラミッドや中国の万里の長城を仰ぎ見るかのように、賛美するのだ。

私たちの心もまた、先人たちが慈しみ、はごくんできたものであるのは言うを俟たない。日本人の心こそ遺産というべきなのだ。

もっとも残念なのは、この遺産が、無計画な開発、商業的濫用、貧富の差の拡大、特殊詐欺の蔓延、陰謀論の猖獗、反知性主義の跋扈、排外主義の激化などにより、危機的状況に直面していることだ。まさにいま食い潰されつつあるのだ。

ユネスコは近々、この「日本人の心の遺産」を危機遺産リストに登録する予定だとか。

苦い文学

急接近

日本語の書記システムにおいては、通常、4つの文字システムが用いられる。ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字である。

ほとんどの言語は、ひとつかふたつの文字システムしか用いない。なので、4つもあるというのは、非常に珍しいことだと思う。

ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字には使い分けがある。漢字は漢語、用言の語幹に用いられ、ひらがなは用言の活用部分、助詞などに用いられる。カタカナは外来語、擬態語などだ。ローマ字は補助的に用いられている。

カタカナは、しばしば非日本人の発話を表記するのにも用いられる。

外国人「ドーモ、スミマセン」

宇宙人「ワレワレハ、宇宙人ダ」

こうしたカタカナの用法は、カタカナがそもそも「カタコト」の印象を表すのに適しているからだ、と考える人もいるかもしれない。だが、むしろ、日本人という共同体の内と外とを文字使用の点でも区別したいという欲求によるものであろう。

いずれにせよ、「私たち」の発話は「ひらがな」、「私たち以外」は「カタカナ」という間合いの取り方が今でも見られる。

かつては、コンピュータも「カタカナ」で話したものだった。

「イジョウジタイ、ハッセイ、タダチニ、タイヒセヨ」

最近、ChatGPT が話題になっている。賛否両論があり、議論は絶えないが、もし、ChatGPT がひらがなでなくカタカナで回答していれば、反応は違っていたにちがいない。

どんなに優れた技術でも、いきなりひらがなは、急接近すぎて私たちをドキドキさせるのだ。

苦い文学

多様性の社会

「これからの私たちの社会は多様性を認め合うことが必要です」と先生は僕たちの前で語られた。

「そうした社会をつくるためには、今このクラスにいるみなさんもまた、多様性を認め合うことが必要です」

僕たちは黙って聞いていた。

「たとえば、同性愛という方々がおられます。男性なのに男性を愛したり、女性なのに女性を愛する人々です。私たちはこうした人々も受け入れてあげなくてはなりません」

ここで先生は急に笑った。

「いや、受け入れてあげる、というのはおかしな言葉でしたね。なぜなら、この教室にもそうした方々がいらっしゃるにちがいないからです」

僕たちは互いに顔をチラチラうかがった。

「ある統計によれば、100人に3人はLGBTQだそうです。ということは、この50人のクラスに最低1人はいるという計算ですね」

クラスはざわつきだした。

「そういう人がいても意地悪や差別はいけませんよ。同じクラスメイトなのですから。では、聞きましょうか。LGBTQの方はどうぞ手を上げてください!」

誰も手を上げなかった。先生は不機嫌になられた。先生によれば、これは僕たちのクラスで差別が横行している決定的証拠なのだ。だから、かわいそうなLGBTQが手を上げられないのだ。

「そういう差別的な生徒たちは先生がきつく懲らしめてやりますから、心配しないでください。もう一度聞きますよ。LGBTQは手を上げて!」

今度はみんな手を上げた。先生はもう顔を真っ赤にして、前列の生徒たちをひとりひとり殴りはじめた。

「おまえか! おまえか! LGBTQは!」

先生は気がすむまで僕たちを殴ると、「今日中にLGBTQをひとり見つけ出さないと、もっとひどい目に会いますよ!」と言い捨てて教室を飛び出していった。

僕たちは話し合いの結果、自分のスマートフォンにもっともたくさんクイーンの曲が入っていた生徒を、先生に引き渡すことにした。

旅・観察

現代のフダーウィー:チュニジアの語り部(7)

 ビデオは、騒がしい場所で撮影したこともあり、聞き取りにくいところもあった。またそもそもわからない言葉もたくさんあった。そこで、今年の2月にスーサを訪問する時は、このビデオのインタビューや語りについてシェドリーさんに解説してもらおうと考えていた。

 2月21日に私はチュニスに着くと、シェドリーさんの友人のJさんにmessengerで連絡を取った。というのも、シェドリーさんはFacebookなどを使わないので。すると、Jさんからこんな返事が返ってきた。

 「シェドリーさんは亡くなりました」

 かくして、昨年の夏の映像記録はかけがえのないものとなったのであった。

 私はスーサに着くと、そのビデオをコピーしてJさんに渡した。映像編集の仕事をしているJさんは、ビデオを編集して、フダーウィーのフェスティバルで上映してくれるとのことだった。

 シェルギーさんのお墓に行きたいと思ったが、スーサの町から少し離れたところにあるというので、今回はやめにした。

 さて、他にフダーウィーの活動をしている方に会いたかったが、Jさんによれば今はスーサにはいないとのこと。そこで彼が紹介してくれたのが、フェスティバルの運営に関わっているLさんというスーサ文化委員会の方だった。Lさんは忙しいなか時間を割いて、フェステバルについて話してくれた。フェスティバルは、例年5月に行われるが、今年は、4月末に開催する予定だという。

 私はLさんにこう言ってみた。

 「僕もフダーウィーとして参加できませんか」

 ちょっと無謀な提案だったが、ありがたいことに快諾してくれた。フダーウィーのことを知りたいのなら、自分でやってみなくては、だ。語るのは日本の民話、そのチュニス方言版ということになった。そこで、今後の手はずなどを決めて、私はスーサを発ったのだった。

 しかし、このコロナだ。4月にチュニジアどころではなくなった。

 はなはだ精彩を欠く私の肩書にフダーウィーが加わるのはまだまだ先になるもようで、それまでは手洗い・うがい・換気に専念するほかあるまい。

(おしまい)

スーサのおしゃれなカフェ、Dar Kmar。ここもフェスティバル中はフダーウィーの舞台となる。