ライブ

モーモールルギャバン × ニガミ17才 @ Spotify O-nest

整理番号が 10 番台だったので、最前列の真ん中で見た。最初はニガミ 17 才だ。

曲が終わると「ありがと」というのが常の岩下優介だが、ライブハウスにはじめてきたときの気持ちを大切にしたい、とのことで、曲終わりの一言でその気持ちを伝えたいという試みを始める。しかし、なんて言おうか気になってしまい、演奏のクオリティを下げてまですることではないと、2 曲ほどでこの試みは放棄された。

次のバンドはモーモールルギャバン。ニガミ 17 才の試みを受けて、曲終わりの一言に挑戦するが、やはり、演奏のクオリティを下げてまですることではない、との結論に達して放棄された。

ニガミ 17 才のライブでは「ねこ子」の曲になると、平沢あくびがステージの前に出て、客席にティッシュを撒く。今回は最前列だったので、私ははじめてティッシュを手に入れた。

モーモールルギャバンは私ははじめてだ。開演前の機材のセッティングのときに、メンバーたちも現れる。ドラムとボーカルのゲイリー・ビッチェが、自分のドラムのセッティングをしている。調整が終わると、靴を脱いで、ドラムの横に置かれた台の下に置いた。それから、靴下を脱いで靴の中に丸め込んだ。裸足でドラムを叩く人なのだ。

だが、それだけではない。ライブの後半には、パンツ 1 枚になって台の上に立つ人になっていた。

「客の皆さんが私をこんな変態にしたのです」と本人は台の上から主張。これはモーモールルギャバンのライブではお馴染みの光景らしい。

さて、ドラムのセッティングのとき、ゲイリー・ビッチェが 1.5 リットルのペットボトルの水を持ってきて、台の上に置いた。なにかルールがあるのか、ペットボトルのラベルを剥がして、くしゃくしゃに丸めた。そのゴミをどうするのかと見ていると、台の下にある靴の中に放り込んだ。

これを見て、このバンドが好きにならない人はいないと思った。私は演奏も気に入ったので、終演後 1,000 円払って、ゲイリー・ビッチェとチェキまで撮った。これが私にとってはじめてのチェキだ。

私はティッシュとチェキとライブをカバンに入れて、帰宅した。

苦い文学

餃子のタレ

私たちはそのとき、中華居酒屋で飲んでいたのだった。どうしたわけか政治の話になった。一人がこんなことを言って怒りだした。

「野党というのはいつも反対ばかりだ。反対するなら対案を示せばいいのに」

私はその人のことはよく知らなかったが、この意見を聞いてその人のことが多少わかった。あまり物を考えない人だ。だが、私は黙っていた。すると、私の友人が「なるほど」と応じた。「確かにそうだ」

彼は愚かどころか賢い人だったので、私は彼の言葉に内心驚き、また不愉快に感じた。私としてはこうしたつまらない話に付き合いたくはなかったのだ。友人はテーブルの上の餃子を指して反野党の人に言った。

「ところで、この餃子、メニューには『何もつけないでお召し上がりください』って書いてある」

「それが?」と反野党の人。「俺はね、お酢と醤油とラー油で食べたいんだ」と餃子をひとつ箸でつまむと、小皿に自分で調合したタレをたっぷりつけて食べた。

「野党ってのは、そのタレのようなもんだ」と友人は笑った。「向こうがいらないっていったって、自分好みの味に変えるのは自由だろ」

苦い文学

もっとも危険な投函

私たちの住む街に、誰も決して投函できないポストがある。

閉鎖されていたり、差し入れ口が閉じていたりするのではない。正常なポストなのだが、誰も郵便物を出すことができないのだ。

もともと、私たちはポストに投函するのをつい忘れがちだ。忘れないように玄関に置いていても、カバンの中にあらかじめ入れておいても、一度外に出るや、ポストは蜃気楼のように消失してしまう。

もしかしたら、私たちの精神を麻痺させるような何かがあるのかもしれない。そして、問題のポストは私たちをとことん幻惑し、郵便物のことを完全に忘れさせるのだった。

以前、ある若者がこのポストの噂を聞きつけ、自分なら投函できる、と挑戦することにした。

「このポストを征服するためには、麻痺に負けない強靭な精神力が必要だ。いかなる曖昧さも峻拒するような精神状態を保ち、一歩一歩、精神を張り詰めながら、ポストにアプローチする必要がある」

登山の経験があった若者は、まるで峻険な山を攻略するかのように慎重に計画を練った。

ポストは街の中にあるから、道はいたって平坦だった。だが、若者は実際にはその道のりが難路中の難路、きわめて危険なルートであることに気がついた。

そして、準備と訓練を重ね、ある朝、ひとりベースキャンプを出発した。手には一枚のハガキがあった。

道を進むにつれ、次第に精神の痺れが若者の脳に忍び寄った。だが、彼のピンと張り詰めた心はそれらをたちまち追い払った。彼は、危険な裂け目を飛び越え、垂直な岩壁をよじ登った。あちこちで、いく人もの遺体が郵便物を握りしめながら雪に埋もれているのを見かけた。

そして、ついにそのポストに到着した。やってのけたのだ。若者は澄んだ景色のように晴れ晴れした気持ちでハガキに走り書きすると、投函した。

そこには「人間の精神がもっとも明晰な状態にあるのは、ポストに郵便物を投函している瞬間である」と書かれていたが、どこの誰にも届かなかった。

苦い文学

難民超能力開発研究所の設立に向けて

私は今、資金集めに奔走している。というのも、かねてから実現を夢見ていた難民超能力開発研究所の設立を決意したからだ。

みなさんにも資金援助をお願いしたいので、この場を借りてこの研究所についてお話ししようと思う。

日本では難民として認定されるのは非常に難しい。出入国在留管理庁が 2021 年 3 月に出した発表によると、難民認定申請者数は 3,936 人、認定されたものが 47 人だという。つまり、難民として認定されるのは、申請者の 1 %ほどだということになる*。

(*難民申請の審査にかかる時間を考えると、この 47 人のほとんどは、2020 年度より前に申請した人であろう。またほかにも考慮すべきことはたくさんある。だが、ここではすべて無視して単純に計算している。)

すなわち、日本における認定難民は 1 %という狭き門をこじ開けることのできた特殊な人々なのである(合格率 1 %の国家試験があったら、と考えてみてほしい!)。

もしかしたら、これらの人々は、事象の確率を操る能力があるのではないだろうか。そんな能力があれば、たとえ確率が低くても難民認定など朝飯前なのだ。

そのとおり。まさしく認定難民たちは超能力者なのだ。

そして、難民超能力開発研究所の目的は、認定難民の持つこの超能力をさらに開発し、その能力を日本の安全保障のために用いることだ(この能力があれば、クレムリンでも、ホワイトハウスでも、どこだって簡単に忍び込めるのだ!)。

研究所はいくつかの部分に分かれている。もっとも大きな部分を占めるのが認定難民に超能力開発訓練を提供する場だ。そこでは、ヘッドギアをつけた難民たちが、サイコロを振ってゾロ目を何度も出したり、じゃんけんで連勝したり、あるいは高度な交通シミュレータでいくつもの信号を常に青で通過する訓練を行なっているのが見られるだろう。

別の部分では、難民を開頭し、その脳に直接的な刺激を与えることで、超能力を引き出そうという試みが行われる。また、超能力を飛躍的に増大させるために強力で特殊な薬物を投与する実験棟もある。

こうした研究所では、警備もまた重要だ。なぜなら国防上のトップシークレットそのものだからだ。難民たちの安全を守る上でも、警備は厳重でなくてはならない。

万全を期すため、警備員には入管職員を採用するつもりだ。

散文

みんなの収容生活

 10万円の特別定額給付金が配られることになった。日本人だけでなく、住民基本台帳に記載されていれば、外国人ももらえるという。この「外国人」には難民として認定された人も含まれる。

 では難民として認定されていない在日外国人はどうなるのか。

 例えば、入管に収容されている人や、仮放免で外に出ている人々がそうだ。

 そうした人々は、給付の対象にならないのだという。

 そこで、支援団体が集まって、これらの人々にも10万円給付されるよう、キャンペーンを行なっている。私は個人として署名した。

 いろいろな意見はあろうが、緊急事態宣言下で生活するつらさは一緒だ。

 また、大事なことだが、現在の我々の生活は、入管の収容所の生活と似ていなくもない。被収容者ほどには制限されてはいないものの、かなりの自由が奪われている。また、入管の暮らしと同じく、いつ終わるのかもわからない。

 もっとも我々も愚かではないから、そうした暮らしの中で何らかの楽しみを見つけ、作り出して過ごしている。この「引きこもり」生活のための助言や提案もネットで多く見られる。

 だが、総集編と再放送を繰り返すテレビが徐々に鮮やかさを失っていくように、我々の生活もいつかは色褪せていくかもしれない。そうしたとき、我々はどのように耐え凌ぐことができるだろうか。

 そのヒントを入管の被収容者の経験が与えてくれる。ほとんど自由を奪われた中、出る希望もほとんどない中で生き抜いてきた人々の経験が、我々に役に立たないことがあろうか。

 入管に収容されていた人々の経験は、我々の社会の財産でもある。これを有効に生かさない手はない。

 そう思うと、10万円ぐらい渡したって、惜しいどころか、お車代だって追加で出したいぐらいで……