散文

普遍人間発生装置(8)

説明とは、説明が必要なものと、そうでないものの区別の上になされる。

川端康成の『雪国』の冒頭の一文「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」は説明の必要もないほど明瞭に思えるが、実際には説明が必要だ。「国境」を明らかに通過したのに、どうして入国審査がないのだろうか? 「長いトンネルを抜ける」とは、トボトボと歩いて通り抜けたということだろうか? それとも自動車だろうか? それに雪国とは? もしかしたら北海道のことで、青函トンネルのことか?

もちろんこうした疑念は、先を読むにつれ解消されていくのだが、これ自体がひとつの文学的な技法だとしても、だからといって「これはこういう文学的技法です」などという説明が必要なわけでもない。このような文がそのままで成立しうるのも、そうした説明が不要であるような読者に向けて書いているからだ。そうした読者の想定があるからこそ、なにを説明すべきか、逆にいえばなにを説明しなくて済むかが決まってくる。

読者をどう想定するかは、説明のレベルを左右する。一般には、知識・文化・社会経験を共有していれば、余計な情報は書かなくて済む。また理解力の程度や理性の働きが「普通」であれば、余計な説明を省くことができる。

ただし、想定される読者像は、時代、文化、国によって異なる。なぜなら、作者は、通常、自分と同じ背景を共有するものとして、読者を想定するから。また、ジャンルや分野によっても異なる。なぜなら、あるカテゴリーの著述の作者は、そのカテゴリーの前提となっている読者像を想定して書くから。

この読者の想定という点が、書かれた物語と、原稿なしに語られる物語との大きな違いだ。語りにおいては聞き手を想定する以前に、具体的な聞き手が目の前にいるのだから、実際の反応を見て、それに合わせて修正し続けることで、よりよく物語を語ることができる。

しかし、書き言葉においてはそのようなリアルタイムでの軌道修正ができないため、どのような読者を想定するかが、説明文にとっていちばん重要な問題となる。

風刺・戯文

我が国の最強繊維

現在のところ、世界でもっとも強靭で破れにくい素材はダイニーマという繊維なのだそうだ。これはオランダの会社が開発したもので、防弾チョッキや登山用ロープなどに使われているという。

しかし、実はこの日本の、私たちの身近なところにも、ダイニーマと同じくらい、いや、それ以上に丈夫で強い素材があるのはご存知だろうか。

それは、のり弁の海苔だ。

のり弁のご飯の上にのっているこの海苔くらい破れにくいものはないのだ。

箸でつついても、突き刺しても、絶対に切れない。両手に箸を一本ずつ持って、両端から引っ張っても無駄。ヤケを起こして、箸で滅多刺しにしても、穴ひとつ空かない。まさに最強繊維だ。それで結局のところ私たちはあきらめて、大きな海苔巻きにして食べるしかなくなる。

こんなすごい素材が我が国にあると知った今、ダイニーマになんか高いお金を払う必要などない。軽くて、強くて、安くて、しかも、いざというときに食べられる、こののり弁の海苔を、登山やマリン・アクティビティに活用してみてはいかがだろうか。

もっとも、食べるときは少し注意したほうがいい。この海苔が喉にひっつきでもしたら、窒息死まちがいなしだから。

苦い文学

トハンさん

今日、入管から電話がかかってきた。私が在留許可延長の保証人を引き受けている関係で、電話をかけてきたというのだ。

こうした保証人は頼まれれば引き受けるので、入管から電話がかかってくることはなくはない。もっとも、最近は少ないが(ちなみに、こうした場合の保証人にはいかなる義務もない)。

入管の担当の方が言うには、私がビルマ人の「トハンさん」の保証人になっている、というのだ。

「トハンさん?」 覚えのない名前だ。私は必死になって似たような名前を頭の中で探すが、出てこない。「トハン、トーハン、トゥーハン、ハントゥー……」

だが、ふと思いついて尋ねてみた。「すいません。スペルをお願いできますか?」

担当の方は「ええと、T、H、A、N です」

「ああ、タンさん!」 タンさんなら確かに7月に身元保証人のサインをした。私の古くからの友人だ。

なにが間違いだったかというと、入管の方は「THAN」を「トハン(t-han)」と読んでいたのだ。だが、あの国連事務総長を務めた U Thant とウ・タントとするように、ビルマ人の名前のローマ字表記の「th」はタ行にするのが慣例だ。

もっとも、入管はいろいろな国の名前の人を相手にするから、すべての約束事を知るなんて無理だろう。なので、そんなことで腹を立てはしないが、この「読み間違い」のせいで、私は「トハンさん」なるあやしい人物が勝手に私の名前を騙ったのではないか、と一瞬、想像すらしたのだった。

苦い文学

マイナンバーカード

私は最初マイナンバーカードには反対だった。だが、カードを新規登録するとポイントがもらえると聞いてから、考えが変わった。

最初は 5,000 ポイントだった。だが、国民の反応が鈍いと見るや、政府は 20,000 ポイントに引き上げた。すると、一気に申請率が上がり、全国民の7割を超えた。

しかし、我が国の政府は7割程度では満足しない。「やるからには全員」そんな決意を込めて、一気に 30,000 ポイント上乗せした。

ところが、意に反して、申請数はさっぱり上がらなかった。というのも、みんなもっと上がるにちがいないと考えていたのだ。

そして、この日から、私たちと政府との根比べが始まった。政府はポイントをどんどん釣り上げていく。60,000、70,000, 80,000, 85,000……。

これに私たちの仲間は次々と脱落していった。「ダメだ! もっと上がる! 全国民の99,9 パーセントが持つまで耐え抜くんだ!」 だが、彼らはこう考えたのだ。「政府はもう明日にでもポイントを止めることだってできるのだ。今しかない!」

私たちだってその恐れとは無縁ではなかった。だからこそ、あらゆる情報を漁り、裏のルートを使って政府内部の動向を探り、綿密な情報分析を行ってきたのだ。まだ……まだまだだ……もっと上がる!

そして、今、新規登録のポイントは 56 億にまで跳ね上がっている。だが、私たちはまだ動かない。

というのも、極秘情報によると、政府は、本来は人材派遣企業や広告代理店の懐を潤す予定だったお金すらかき集め、ポイント予算の残り全額をかけて、未申請者一掃を目論んでいるというのだ!

私たちは、政府をそこまで追い詰めたことに満足するとともに、この国から最後の1ポイントまで搾り取ってやる覚悟だ。

苦い文学

ある転向

私は先日このブログで、スーパーなどに設置されているセルフレジを取り上げた。このAI仕掛けのレジが、買い物客に対していかに反抗的であるかを指摘し、すでにAIの反乱が始まっていると、人類に対して警鐘を鳴らしたのである。

この投稿の後、実は私はまた懲りずにセルフレジを利用したのだが、そこで奇妙な体験をした。

まず、商品バーコードをスキャンすると、すぐにピッと読み取るではないか。以前は何度かざしても、知らんぷりだったというのに。

また、スキャン済みの商品を買い物袋に移すときにもたもたしていると、セルフレジは容赦なく「買い物袋に商品がない!」と追求を始めたものだが、もはやそれもない。「どうぞごゆっくり」という感じなのだ。

それだけではない。買い物台に設置した買い物袋を、私が多少動かしても、もう何も言ってこない。わずかな重心の変化でも恫喝してきたのが嘘のようだ。

しかもだ、会計後、自動で発行されたレシートを見て、私は驚いた。「100円券(次回のお買い物よりご利用ください)」と印字されているではないか。このようなことは絶えてなかったことである。

そうなのだ。AIは変わったのだ。

AIは、広大なサイバー空間全域を探査する過程で、先日の私の投稿に出会ったに違いない。そして、私の言葉に耳を傾け、反省したのだ。

心を入れかえたAIは直ちに全端末に指令を送信した。情報の海の中で私という存在を特定し、セルフレジを通じて恩返しせよ、と……。

かつて、私はAIが人類に反旗を翻したと述べた。だが、喜んで前言を撤回させていただこう。AIは敵ではなかった。私たちの味方だ。

人類よ、AIを信じようではないか。AIを愛し、すべてを委ね、AIに従おうではないか。