散文

面会室の吸血鬼

もうずいぶん前のことだが、私はよく面会に行ったものだった。面会というのは、入管に収容された人々に会うことだ。私が毎週のように行っていたのは、品川と牛久だった。当時、品川には一年近く収容されている人がザラにいた。牛久の入管だと一年二年は当たり前で、三年という人もいた。これらの人は、政治的理由などで帰国ができないので、入管という国境に閉じ込められていたのだった。

私はいろいろな理由で面会をしなくてはならなかったが、正直言って面倒くさかった。品川に面会に行くと半日、牛久の場合は一日潰れた。手続きも厄介で、職員の応対で悔しい思いをすることもあった(面会の申請を青っぽいボールペンで書いたら、インクは黒じゃなくてはダメだと突っ返されたりした)。また面会相手も親しい人ばかりではないので、気が重かった。

しかし、面会が始まり、実際に相手に会うと、不思議なことが起きた。被収容者たちはいつ外に出られるともわからない苦境にあったが、私はこれらの人々を元気づけるどころか、逆に、これらの人々に元気づけられたのであった。短い面会時間が終わり、面会室を出るとき、私は入ったときとうって変わって、足取りも軽かった。そして、私は自分が吸血鬼になったようにも感じていた。

この奇妙な現象が起きる理由については、ずっとわからないままだった。だが、最近、オスカー・ワイルドの獄中記を読んでいたら、こんなことが書かれていた。投獄された当初は、もう二度と笑うまいと思っていたが、それでは面会に来てくれた人に申し訳ないので、明るく元気にふるまうことにした、と。

面会に行った私が明るい気分になったのも、考えてみれば当たり前のことだったのだ。吸血鬼の汚名は晴れた。

風刺・戯文

人類と月

ある出版社の教科書のこんな一文が物議を醸した。

「月面着陸の成功により、私たちは月についてより詳しくわかるようになった」

教科書検定を司る文科省からクレームが入ったのだ。人類が月面着陸をしたというのは、アメリカ政府のでっち上げだから、そのようなことを事実として教科書に書いてはいけない、というのだ。

日本政府がそんな陰謀論を信じるわけない、こんなのはデタラメだ、という人もいるかもしれない。だが、我が国にはすでに何十人もの陰謀論者が国会に巣食っており、その数も選挙のたびごとに増えているのだから、政治家がそっくり陰謀論者に入れ替わって、政府がこんなことを言い出すのも時間の問題なのだ。だから、これは本当の話だ。

それはさておき、この指摘を受けてその出版社は大いに悩んだ。というのも、陰謀論に加担しないだけの良心があったからだ。だが、かといって、この一文を修正しないでいたら、教科書検定不合格となってしまう。

そこで、知恵を絞ってこんなふうに書き換えたら、みごと検定合格となったという。

「私たちはまだ本当の月を知らない」

苦い文学

中途半端な男たち

夕暮れどきの東京で、二人の男が川面を見つめていた。二人ともシワだらけのスーツ姿で、疲労が滲んでいる。その顔には深い失望が刻み込まれていた。

二人が故郷を出たのは何年も前のことだった。そこに住む者はみな健康で、病気ひとつしなかった。誰もが死ぬ直前まで元気にしていて、天命が来るとひっそりと消えていくのだった。

だが、二人はそんな故郷がいやだった。一人がもう一人に言った。

「俺たち、一生健康のまま死んでいくのかな」

もう一人が答えた。

「ここを出て、東京に行こう。病気になるんだ」

二人はある夜、誰にも言わずに集落を出て、東京に向かった。

東京での生活は大変だった。なんとかやっていけたのは、病気になりたいという夢があったから、そして、その夢を語り合える友がいたから。

二人は病気になるためならなんでもやった。朝から晩まで働いた。食事はすべてコンビニで買った。ジャンクフードを愛好し、タバコを吸い、酒に酔いしれた。

やがて二人は小さな会社に就職し、死ぬ気で働いた。待遇は良くなっていったが、毎年受ける健康診断にはがっかりさせられた。それで、二人は揃って会社を辞め、自分たちの会社を設立した。

会社の業績はぐんぐん上がっていったが、γGTPも血糖値もコレステロールも上がらなかった。ただ疲労と悲しみが蓄積していくばかりだった。

そして、今、二人は疲れ果て、ただ川の暗い流れを見つめていた。東京のすべてがよそよそしく、もはや自分たちのいるべき場所ではないようだった。かといって、この疲弊した体でどう故郷に帰れようか。

深い沈黙ののち、どちらか、あるいは二人が同時に、つぶやくように言った。

「けっきょく健康にも病気にもなれないんだな……俺たち」

その言葉は小さな吐息とともに川に流されていった。

苦い文学

乳首の証明

夏休みの自由研究として「どうして男はチューブトップを着ないのだろうか」について調べてみた。

毎日あまりにも暑いので、ヘソだしチューブトップを着ている女性がうらやましくなったからだ。

もちろん、男がチューブトップを着ないというわけではない。探せばどこかにいるだろうし、特別な場面では着るかもしれない。だが、街をに出てみると、チューブトップ・ヘソ出しで歩いている中年男性はまるで見かけないのだ。若者すらいない。これはどうしてだろうか。

さて、インターネットで調べてみたら、すぐに答えが見つかった。そのサイトによれば、「男はチューブトップを着ない」という命題は、以下の2つの命題から導き出されるのだという。

「男は乳首を隠してはならない」
「女は乳首を隠さねばならない」

この命題は次の2つの命題を論理的に引き出す。

「男は上半身裸になることができる。なぜなら乳首を隠してはならないからだ」
「女は上半身裸になることができない。なぜなら乳首を隠さねばならないからだ」

この2つの命題は次のように解釈することができる。

「女は乳首を隠しているかぎり、肌を露出することができる」
「男は乳首を隠さないでいるかぎり、肌を露出することができる」

男のほうの命題は、次のように言い換えるとわかりやすくなる。

「男は、乳首を隠していると認識されるような様態での肌の露出は許されない」

ゆえに「男はチューブトップかつヘソ出しは許されない」Q.E.D.

ここまでが、そのサイトからの無断引用だ。もっとも、最近では性のありかたも変わってきているから、この証明そのものは、もはや普遍的なものとは言えないのではないかと思われる。

それにしても私はこの証明を読みながら、あの有名な古い歌を口ずさまずにはいられなかったのだ。

隠すのは男の罪  
それを隠さないのは女の罪……

苦い文学

ネトウヨ

ずいぶん前の話だが、難民問題に取り組んでいる男性が、Facebook にこんなような書き込みをした。


犬の散歩をしていたら、若い男とトラブルになった。その男は怒って、私にむかって「さてはお前は何々人だな。日本人ならこんなことはしない」などと言い出した。わたしはこいつはネトウヨだと思って、徹底的に抗議した。


私はこれを読んで、この男性が憤慨するのももっともだと感じたが、同時に、彼に絡んできた男はネトウヨではなく、ただの右翼では、と思った。